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第3章 ブガッティの女、猛烈に愛しているぜ
(2)イサドラの嘘を見抜けるか
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カナンデラ・ザカリーは帽子をスタンドに掛けてコートを脱いだ。ラルポアが茶葉をポットに入れる。
ドアに近寄る。一呼吸置いてドアを開けたノックのかたちに右手を出したイサドラ・ナリスが其処に立っている。
「あら、こんにちは。自動ドアかしら。アメリカ式ね。私、ラナンタータさんに呼ばれて参りましたのよ」
手をポケットに戻して笑う。
アメリカでは1920年代にスーパーマーケット等に自動ドアが採用されて、1927年のこの年には日本でも既に山手線の電車や地下鉄が自動化された。女性の衣服がまだ着物中心でバッグを持たず、風呂敷文化の時代の日本では、自動ドアの普及が望まれたことだろう。
「どうぞ、いらっしゃい。美しい方はいつでも大歓迎です」
カナンデラ・ザカリーはにっこり笑って心にもない余計なことを言う。因みにフランス語に聞こえる#ザカリエンタス__ザカリー方言_#だ。
「いつでも」イサドラは花が開くようににっこり微笑んだ。余程嬉しく思ってかフランス語で「#トゥジュール__いつでもね#」と口遊む。
カナンデラは3人掛けのソファーをイサドラに進め、ラルポアは電気ポットのお湯を注いで珈琲を淹れた。
カップはマイセン、柿右衛門風の赤絵に金の美しい芸術品だ。ラルポアがこよなく愛する日本文化を感じさせるカップ&ソーサーだが、珈琲に使っている。
「イサドラって本名だったんだね。イサドラ・ナリス。あなた、サディって呼ばれるよりもイサドラの方に反応した」
ラナンタータは無遠慮にイサドラの表情を見つめた。
「サディは忌まわしい名前だわ。私はその名前で呼ばれていた間は被害者だったのよ」
長い睫毛をそっと伏せ、唇を内側に巻き込んだ。
「その通り。サディはみんな被害者だ」
カナンデラが太鼓判を押す。イサドラは嬉しそうに微笑んで、ゆっくりカップを持った。
「でも何故あなたが」
「此処にいるのかって……知らないの。私は無罪放免になったのよ。精神科医の調べで、私は犯行中、催眠術にかかっていたことが分かったの。
それでね、此れからシャンタン会長に未払い分のお給料を貰いに行くところなんだけど、ザカリーさんにお願いしてもいいかしら」
「待って、催眠術って誰がかけたの」
「満月会Rの誰かよ。今は会そのものが分裂していて、しかもコードネームしかわからないから、私も思い出すのに辛い拷問を受けたわ。
3ヵ月間、毎日毎夜、拷問続きで辛かった。少しずつ、本当に少しずつだけどある程度の情報が浮かび上がって、精神科医がこれ以上は無理だと言って、それから拷問の治療と精神療養に戻って、昨日やっと出られたの」
「では、催眠術をかけて犯行を行わせた真犯人はまだわからないと言うのだな」
「ええ、何か他に思い出すことがあるかもしれないから、なるべく元の生活に戻るようにと言われたけれど、今更、この街では暮らせないわ。私はイサドラ・ダンカンの偽物で、しかも催眠術とはいえ殺人犯ですもの」
「それが真実ならなんとも、その……気の毒だが……」
「イサドラ・ダンカンは事故死した。今朝の新聞に載っている」
「そう。それならやっぱり私の時代は終わったのよ」
「何故、終わったと。偽物を続けるつもりだったのか。それなりに人気のあったあなたなら、まだ踊れるだろう」
「……」
イサドラ・ナリスの、不思議なものを見るような目にぶつかる。
ラナンタータは、友人の結婚式の踊りで一晩中心を込めて下手糞な踊りを一生懸命に踊り、筋肉痛になった。1週間、泡を吹くような腓返りと筋肉痛で涙ぐんで動けなかった。
「踊りとは芸術だ。しかも一瞬一瞬の芸術だ。他の誰にも代われない肉体を使った一瞬の芸術。消えて残らない。映画撮影しても、全てを余すところなく写し取れる訳ではない。そういうものだ。其れをあなたは舞台の上で実践してきたのではなかったか」
「ラナンタータ……有り難う」
予想もしなかった相手の理解に溶かされて、イサドラ・ナリスの鼻が赤らむ。目に細かい光が宿り壊れて流れた。
ラルポアが胸のチーフをすっと出す。こういうときのラルポアは、天才的に自然に振る舞う。
イサドラは思いがけない親切に、暫く目を細めてラルポアを見つめ、チーフを受け取った。
カナンデラが両手を擦り合わせる。
「俺様は了承したぞ。ではシャンタンから全額引き出すとして、こっちは手取りでいくら貰える」
カナンデラは現実的で前向きだ。早くもシャンタン坊やに用事ができて黒い笑いが腹の底からこみ上げる。
シャンタン坊や待ってろよ
お前さんには
あんなこともこんなことも
ああ、エロっぽ……
わははは……
ああ、楽しみだ
目の前の殺人鬼には一縷の感情移入もない。
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