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第3章 ブガッティの女、猛烈に愛しているぜ

(3)ゼニ貰いに来ただけなのにやっぱりお前が可愛いくて

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「シャンタン・ガラシュリッヒ会長はやがてオフィスに来る頃よ。私は玄関先で追い返されないように車を待つつもりだったの」

「あのロールスロイスファントムか。とんでもなくカッコいい車だ。ラナンタータ、親父さんに買ってもらえ。エンブレムが最高だぞ。スピリット・オブ・エクスタシーって言ってな、女神だぜ、翼を広げた女神様。ははは」


カナンデラが脳天気に笑う。


イギリスのロールスロイス社の出した高級車ファントムが、王公貴や社長族などのヒエラルキートップ層に受けるのはリムジン車だからだ。ラルポアのようなショーファーと呼ばれるお抱え運転手が増えた。


「イサドラさん、お給料はカナンデラが間違いなく受け取って来る。しかし、あなたは何処に行くつもりだ。此の街が嫌なら、何処かに当てでもあるのか」

「無いと言ったら泊めてくれるの……ふふ。困るでしょ。大丈夫よ。ダンサー仲間が助けてくれるの。此の服もコートもバッグもストールも、彼女からの借り物よ」

「あなたは、あの5月の夜、毛皮を羽織っていましたよね。まぁ、この国は5月でも夜は10度を下回ることもあるから、毛皮を着ていてもそうおかしくはないけれど、今は枯れ葉の舞い散る9月下旬。5月よりも冷え込みます。何故、毛皮じゃないんですか。
あれはミンクでしたよね。確か、牝のワイルドミンク。あのコートはどうなさったのですか。どう見てもあのミンクの方があなたらしい」

「お友達にあげたの。泊めてもらうのだからお礼に」


養殖ミンクが台頭してきた1920年代、ワイルドミンクは高級品で、しかも毛足の柔らかい牝のミンクは最高級品として女王の冠を戴いていた。宿泊のお礼にあげるような代物ではない。

今の時代なら動物愛護協会に敵視され、一般社会でも炎上しかねない話だ。養殖とは殺すために生ませる技術だ。


「ふうん。そのダンサー仲間と云うのはシャンタンの店で働いているのか」

「ええ。風邪気味で今夜は休むらしいけどね。何か精のつくものでも買って帰るわ」

「待っていてくれるのなら、小1時間のうちにはもらって来ますよ。謝礼は手取りで1割。如何かな」

「ええ、妥当だわ」

「よっしゃ、決まった。はっはっはぁ、シャンタン坊やぁ、待ってろよぉ」


カナンデラは大股で事務所を出た。階段を軽やかに降りながらトレンチ・コートを肩に羽織る。風はないが冷え込んで来た。

大股で、闇の帝王シャンタンの魔城ガラシュリッヒ・シュロスに向かう。コートの裾が翻る。中折れ帽をはすに被ってポケットに両手を入れて歩くカナンデラに、通りのボーイが挨拶する。片手を上げる。

カナンデラの横にすうっとフライング・レディのエンブレムが停まった。黒いロールスロイスの後部座席の窓硝子が下がり、金髪碧眼の線の細い少年がにやっと笑った。カシミヤのマフラーは女性的なボルドー色だ。少年のそばかすの浮いた透明感のある肌を、血色良く見せる。


「カナンデラ・ザカリーさん。お久しぶりですね」

「おお、シャンタン・ガラシュリッヒ会長。また会長さん処のオランダワインが飲みたくなってね」


カナンデラは勝手にドアを開けて強引に乗り込んだ。シャンタンが席を譲る。助手席のボディ・ガードが慌てるのを笑顔で制して、シャンタンは意味ありげに笑う。 


「いいですよ。積もる話もあることですし」

「はっはっはぁ、そう来なくっちゃ」


シャンタンはスミス&ウエッソンの残りの銃弾を思って笑顔になり、カナンデラは「会長、コロンは何を使っているんだい」と耳に口を近付けてセクハラに傾き始める。
 

カナンデラの息が耳にかかる。シャンタンはにこやかさを崩さずに言った。


「そういう話はオフィスでしましょう」


すかさずシャンタンの手を取っていやらしく撫でながらにんまり笑う。


「そうかぁ、オフィスでね。うんうん」


相貌が崩れるほど嬉しい。


「もう着きましたよ」

「はっはっはぁ、シャンタン会長、オランダのワイン……」

「アポステルホーフェですね。あなたの為に取ってありますよ」


あなたの為にと言われて心が躍り上がるカナンデラに、シャンタンは内心、幻のワインを味わうのは今夜が最後だ、カナンデラ・ザカリー、お前さんが幻になれ……と笑う。



車を降りて、カナンデラは、夏のキナ・リレ入りのカクテル・リンドバーグ強引口移し事件を許されたと思い、アポステルホーフェをゆっくり味わったらあんなこともこんなこともと勃起しそうになった。


うんうん、可愛いぜ
シャンタン坊や……
おいら、今夜は
ゼニ貰いに来ただけなんだけどな……
忘れないようにしなくっちゃ
他人の給料だもんな
しかもあの希代の殺人鬼 
イサドラ・ナリスの……



長い廊下を渡り、シャンタンのオフィスのドアを開けた側近に「誰もいれるな」とカナンデラが指示を出した。側近はシャンタンの顔を見たが、シャンタンは嬉しそうに微笑んでいる。


ここ最近苛ついていた会長がご機嫌だ……


すっかり誤解した。



部屋に入りしなカナンデラは後ろ手に鍵を掛ける。シャンタンが振り向いた。遅い。カナンデラ相手に其の間合いは無防備過ぎた。


「ゼニ貰いに来ただけなのにやっぱりお前が可愛いくて」

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