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第9話
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月曜は最悪だ。休み明けに控える必修の1限はハードルが高すぎるし、心なしか電車はいつもより混んでるし、何より今日はリュカが天界に帰る。
タイムリミットは日没まで――ギリギリまでその時を引き延ばしにするかのように、俺たちは太陽が西に傾く中、がらんとした大学の屋上に来ていた。
隣に立ったリュカをちらりと見る。いつも通りに見えるその横顔に、なんて言葉を掛ければいいかわからなかった。また会いに来てくれ――そんな祈りが届かないのはわかっている。行き場のない思いを握り締めるように、無意識のうちに握り拳に力が入っていた。
ここから見える中庭のベンチに航平と女子が座っている。リュカはこれから2人に射るであろう大きな弓を携えていた。もうこれ以上は引き延ばせない、そう思いながらリュカの腕を掴むと、紺色の瞳がまっすぐに自分を捉える。
「晴斗、これが俺のキューピットとして最後の仕事だ」
「最後……?」
言っている意味がわからず思わず聞き返す。
「俺がもうすぐ上級天使に上がるって言ったこと、覚えてるか?」
たしかに初めて出会った時にそんなことを言っていたかもしれない。こくりと頷く。
「天使の世界は階級制度だ。各々の仕事の報酬でポイントが貯まり、それによって階級が上がる。俺はこの仕事で付与されるポイントで上級に上がる予定だった」
予定だった――過去形で語られていることに違和感を覚えながらリュカの話に耳を傾ける。
「上級天使になれるまでのポイントが貯まると、階級を上げる他にもう1つ選択肢が用意されている。それが、人間に生まれ変わるということだ」
その選択肢を選ぶ天使はほとんど居ないけどな、とリュカが小さく呟いた。
「天使って……人間になれるのか?」
「なれるというか、選択肢として用意されている。俺たちは天界から人間の生活を見守り、導くのが仕事だ。それを天界からではなく、人間の中で行うほうが自分に合っていると感じた天使のための救済処置になっている。上級天使になるくらい仕事をこなしていれば、人間社会のこともある程度わかっているだろうということだな」
1歩こちらに近付いてきたリュカが俺の手を取る。雲の切れ間から夕陽が差し込み、風に揺れた黒髪の輪郭を彩った。
「俺は、この仕事で得られるポイントで人間になる。そして晴斗の隣に居る。この目的を達成するために晴斗を失恋させてしまうこと、どうか許してほしい」
思ってもいなかった言葉に時が止まったかのように感じる。いつの間にか自分の頬を伝う涙の感触でハッと我に返った。
「……リュカは、天使の生活に未練はないのか? 人間から天使には戻れないんだろ?」
「未練はない。1番大切な存在を見つけたからだ」
「後悔しないか?」
「しない。むしろこのまま上級天使になるほうが後悔するだろう」
西陽に照らされて柔らかく微笑んだリュカに近付くと、その背中へと力強く腕を回す。
「……失恋なんてどうでもいいから、俺の側に居て」
「その言葉が聞けて良かった」
ぎゅっとリュカに抱き締められるとまた涙が溢れてくる。なだめるように指先で涙を拭ったリュカが視線を合わせた。
「ただ……1つだけ伝えたいことがある。天使が人間になった時、天界の情報漏洩を防ぐために天使だった時の記憶はなくなる。まるでごく普通の人間として存在し続けてきたかのように自分と周囲の記憶操作が行われ、そしてこの地球上のどこに生を受けるかはわからない」
「……え?」
思わず素っ頓狂な声が口から飛び出す。
「それってつまり、人間になったリュカは俺のこと覚えてないってこと?」
「そうだ」
「しかもこの世界のどこに居るかもわかんねぇってこと? 」
「そうだ」
喜んだのもつかの間、まさしく絶望的な現実に叩き付けられる。狼狽える俺とは打って変わってリュカは穏やかな表情を浮かべていた。
「なんでそんなに冷静なんだよ!? この地球に何億人いるかわかってんのか!? 偶然出会うなんて無理だぞ!?」
「わかっている。でもそれ以上に、この身体が晴斗のことを覚えていると俺は信じてる」
力強い眼差しでまっすぐに見つめられて息を飲んだ。その瞳に不安は映り込んでいない。
「俺が初めて恋をした相手なんだ。絶対にまた出会える。大丈夫だ。だから俺がまた晴斗を見つけるまで、少しだけ待っててくれ」
「……お前、ほんと馬鹿」
あまりの自信満々な発言に釣られて思わず笑い出す。現実的に考えるとありえないことだと分かりきっているのに、こんなにもはっきり言われてしまうとその言葉を信じたくなった。ひとしきり笑うと、目尻に残った涙を拭う。
「ただ待ってるだけじゃなくて、俺もリュカのこと探すから」
「ありがとう。俺は晴斗がそうやって逆境の中でも一生懸命藻掻く姿に、惹かれたんだと思う」
愛おしそうに俺の頬を撫でる指先がくすぐったい。新たな約束を胸にリュカと向かい合った。
「晴斗、大好きだ。愛している」
まっすぐに伝えられる想いに息が止まりそうになる。なんとか気持ちを届けようと口を開いた。
「……俺も、リュカのことが」
言い掛けた言葉を塞き止めるように、俺の唇に人差し指が当てられる。
「その続きは再会した暁に教えてくれ」
至近距離でふわりと微笑んだリュカに圧倒されて、喉が詰まったかのように声が出ない。黙ってこくこくと頷いた。
「……そろそろ時間だ」
ひらりと屋上のフェンスに飛び乗ったリュカが大きく弓を引く。リュカの構えはやはり美しい――そう見惚れている間に矢がまっすぐに放たれた。弓を下ろしたリュカが大きく翼を羽ばたかせて目の前に降り立つ。
「また、必ず」
リュカが顔を近付けると、柔らかい感触が頬に訪れる。突然の口付けに心臓が跳ね上がっているうちに、リュカの翼のはためきで強い風が巻き起こった。するとあっという間にその身体は天高く舞い上がり、こちらを振り向くことなく小さくなる。屋上に残ったのは、1枚の白い羽根だけだった。
タイムリミットは日没まで――ギリギリまでその時を引き延ばしにするかのように、俺たちは太陽が西に傾く中、がらんとした大学の屋上に来ていた。
隣に立ったリュカをちらりと見る。いつも通りに見えるその横顔に、なんて言葉を掛ければいいかわからなかった。また会いに来てくれ――そんな祈りが届かないのはわかっている。行き場のない思いを握り締めるように、無意識のうちに握り拳に力が入っていた。
ここから見える中庭のベンチに航平と女子が座っている。リュカはこれから2人に射るであろう大きな弓を携えていた。もうこれ以上は引き延ばせない、そう思いながらリュカの腕を掴むと、紺色の瞳がまっすぐに自分を捉える。
「晴斗、これが俺のキューピットとして最後の仕事だ」
「最後……?」
言っている意味がわからず思わず聞き返す。
「俺がもうすぐ上級天使に上がるって言ったこと、覚えてるか?」
たしかに初めて出会った時にそんなことを言っていたかもしれない。こくりと頷く。
「天使の世界は階級制度だ。各々の仕事の報酬でポイントが貯まり、それによって階級が上がる。俺はこの仕事で付与されるポイントで上級に上がる予定だった」
予定だった――過去形で語られていることに違和感を覚えながらリュカの話に耳を傾ける。
「上級天使になれるまでのポイントが貯まると、階級を上げる他にもう1つ選択肢が用意されている。それが、人間に生まれ変わるということだ」
その選択肢を選ぶ天使はほとんど居ないけどな、とリュカが小さく呟いた。
「天使って……人間になれるのか?」
「なれるというか、選択肢として用意されている。俺たちは天界から人間の生活を見守り、導くのが仕事だ。それを天界からではなく、人間の中で行うほうが自分に合っていると感じた天使のための救済処置になっている。上級天使になるくらい仕事をこなしていれば、人間社会のこともある程度わかっているだろうということだな」
1歩こちらに近付いてきたリュカが俺の手を取る。雲の切れ間から夕陽が差し込み、風に揺れた黒髪の輪郭を彩った。
「俺は、この仕事で得られるポイントで人間になる。そして晴斗の隣に居る。この目的を達成するために晴斗を失恋させてしまうこと、どうか許してほしい」
思ってもいなかった言葉に時が止まったかのように感じる。いつの間にか自分の頬を伝う涙の感触でハッと我に返った。
「……リュカは、天使の生活に未練はないのか? 人間から天使には戻れないんだろ?」
「未練はない。1番大切な存在を見つけたからだ」
「後悔しないか?」
「しない。むしろこのまま上級天使になるほうが後悔するだろう」
西陽に照らされて柔らかく微笑んだリュカに近付くと、その背中へと力強く腕を回す。
「……失恋なんてどうでもいいから、俺の側に居て」
「その言葉が聞けて良かった」
ぎゅっとリュカに抱き締められるとまた涙が溢れてくる。なだめるように指先で涙を拭ったリュカが視線を合わせた。
「ただ……1つだけ伝えたいことがある。天使が人間になった時、天界の情報漏洩を防ぐために天使だった時の記憶はなくなる。まるでごく普通の人間として存在し続けてきたかのように自分と周囲の記憶操作が行われ、そしてこの地球上のどこに生を受けるかはわからない」
「……え?」
思わず素っ頓狂な声が口から飛び出す。
「それってつまり、人間になったリュカは俺のこと覚えてないってこと?」
「そうだ」
「しかもこの世界のどこに居るかもわかんねぇってこと? 」
「そうだ」
喜んだのもつかの間、まさしく絶望的な現実に叩き付けられる。狼狽える俺とは打って変わってリュカは穏やかな表情を浮かべていた。
「なんでそんなに冷静なんだよ!? この地球に何億人いるかわかってんのか!? 偶然出会うなんて無理だぞ!?」
「わかっている。でもそれ以上に、この身体が晴斗のことを覚えていると俺は信じてる」
力強い眼差しでまっすぐに見つめられて息を飲んだ。その瞳に不安は映り込んでいない。
「俺が初めて恋をした相手なんだ。絶対にまた出会える。大丈夫だ。だから俺がまた晴斗を見つけるまで、少しだけ待っててくれ」
「……お前、ほんと馬鹿」
あまりの自信満々な発言に釣られて思わず笑い出す。現実的に考えるとありえないことだと分かりきっているのに、こんなにもはっきり言われてしまうとその言葉を信じたくなった。ひとしきり笑うと、目尻に残った涙を拭う。
「ただ待ってるだけじゃなくて、俺もリュカのこと探すから」
「ありがとう。俺は晴斗がそうやって逆境の中でも一生懸命藻掻く姿に、惹かれたんだと思う」
愛おしそうに俺の頬を撫でる指先がくすぐったい。新たな約束を胸にリュカと向かい合った。
「晴斗、大好きだ。愛している」
まっすぐに伝えられる想いに息が止まりそうになる。なんとか気持ちを届けようと口を開いた。
「……俺も、リュカのことが」
言い掛けた言葉を塞き止めるように、俺の唇に人差し指が当てられる。
「その続きは再会した暁に教えてくれ」
至近距離でふわりと微笑んだリュカに圧倒されて、喉が詰まったかのように声が出ない。黙ってこくこくと頷いた。
「……そろそろ時間だ」
ひらりと屋上のフェンスに飛び乗ったリュカが大きく弓を引く。リュカの構えはやはり美しい――そう見惚れている間に矢がまっすぐに放たれた。弓を下ろしたリュカが大きく翼を羽ばたかせて目の前に降り立つ。
「また、必ず」
リュカが顔を近付けると、柔らかい感触が頬に訪れる。突然の口付けに心臓が跳ね上がっているうちに、リュカの翼のはためきで強い風が巻き起こった。するとあっという間にその身体は天高く舞い上がり、こちらを振り向くことなく小さくなる。屋上に残ったのは、1枚の白い羽根だけだった。
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