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白の監獄
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美陽は、香菜と遊ぶことが増えていった。
昔から子ども好きだった美陽が、お見舞いに来る者のいない香菜を気にかけるのは、当然のことでもある。
遊ぶ、といっても、彼女らは病人だ。そのため、お喋りがメインになる。
口の達者な美陽との会話に、すぐ香菜はのめり込んでいった。これが彼女のすごいところだと思う。
天真爛漫な美陽の前には、人見知り、という不可視の壁は、あってないようなものだった。
今日は、病室で絵を描いていた。
器用さと、芸術的センスには恵まれなかった美陽は、度々香菜に笑われていたが、それすらも楽しんでいる様子だ。
二人のために、温かい緑茶を用意する。香菜は嫌うが、ジュースなどは飲めないので仕方がない。
ベッドに腰掛け、スケッチブックに絵を描く美陽と、車椅子に座ったまま破顔する香菜。
穏やかだった。
静謐とは遠いものの、心休まる昼下がりである。
時間が止まって、彼女らの中に巣食う病魔の動きを封じているのかもしれない。
そんなくだらない想像が出来るほどに、安らかだった。
二人の元へ飲み物を運ぶ。
サイドテーブルにコップを乗せると、香菜が顔をしかめた。
「うえぇ、また苦いお茶だ」
初めは、子供らしい、不服さを隠すことのない態度に困惑したが、今では苦笑いで流せるくらいには成長した。
「好き嫌いしたら、病気が治んないぞぉ?」と美陽がからかう。
「大丈夫だし!私もう、手術を受けるだけなんだよ!」
「…へぇ、そうなんだ」
初耳だった。いや、別に香菜の病気の種類、状態を尋ねたことなどなかったので、知るはずもないのだが。
看護師には、激しい運動などはさせないよう、しっかりと念押しされている。
心臓系が弱いのだろう、と勝手に想像していた。
「いつ受けられそうなの?」と口を挟む。
「んん、知らない」
やはり、と美月の眉が垂れる。
それに目ざとく気づいた美陽が、低く、小さな声で、「美月、顔」と呟く。
これはいわゆる、ドナー待ち、というやつなのではないか。
もしも…、もしも、間に合わなければ…。
みるみるうちに、美月の顔が悲壮感に歪んだ。
幼い香菜がその意味を悟るとは思えないが、子どもの感性は鋭い。何かを察する可能性があるので、良くないことだとは分かっていた。
だが、分かっていてもコントロール出来るものではない。
「ごめん、香菜ちゃん。ちょっとだけお絵かきしながら待っててね?」
「うん?」
ベッドから下りた美陽が、素早く美月の手を掴んで、車椅子もなしにユニットバスのほうへと連れて行った。
「ちょっと、やめてよね、美月」
無理やりトイレの蓋の上に座らされた美月は、怯んだ面持ちで顔を逸らす。
「ご、ごめんなさい」
「あの子にストレスをかけるのは、本当に洒落にならないんだから」
確かに、心臓病なら、冗談抜きで悪影響だ。いや、そうでなくともプラスには働かない。
美月はきちんと反省しながらも、感情を昂ぶらせて、急な動きをした美陽のことが心配になっていた。
医者が宣告した生命の期限は、もう二ヶ月近くを切っていた。
信じられないことだが、別れは目の前だ。
むしろ、今の彼女の元気の良さを見て、死を連想することのほうが不自然ではないか。
余命はあくまで目安だと言っていた。本人の意思や病気の進行次第で、期限は前後するとのことだった。
だからこそ、今の彼女に無理をさせるのは、呼吸が出来なくなるくらい恐ろしいことだった。
美陽が呆れたようにため息を吐いたのを見て、美月は話を切り出す。
「あの、美陽。あんまり急に動かないで」
「ちょっと、美月。今は私の心配じゃなくて、香菜ちゃんの心配をしてよ」
「し、してるわ。だから、落ち着いて、体調悪くなっちゃうわ」
「美月…!」
あからさまに軽蔑したような眼差しで、美陽が鏡に映った自分を見た。
その冷たさに、美月は慌てて美陽の手を握り返し、懸命に声を出した。
「しょうがないじゃない…!私にとって、美陽以上に大事なものなんてないのよ」
美月の必死さに心を打たれたのか、それとも、単純に勢いに気圧されたのか、美陽は顔を赤らめて視線を逸らした。
「そ、それは、嬉しいけどさぁ」
「だから、そんな顔をしないで。お願い、私のこと、嫌いにならないで…」
美陽が大きく息を吸い込んだのを感じる。
どんな顔をしているかは、分からない。
こんなときにまで、自分のことを考えてばかりだ、とさらに軽蔑されたかもしれない。
余命を宣告された妹にまで縋るなんて、と愚かに思われているかもしれない。
おそるおそる、顔を上げる。
バチッ、と妙な顔をした美陽と目が合う。
彼女の瞳が、今まで見たことのない色に揺れていて、美陽自身、混乱しているように見えた。
「…とりあえず、戻ろう」
「ええ、ごめんなさい」
「いいよ、私も、悪かった。心配してくれて、ありがとう、美月」
良かった、少なくとも怒ってはいないみたいだ。
美月はほっと胸をなでおろすと、美陽に続いて室内に戻った。すると、いつの間に入ってきていたのか、香菜の隣に看護師が立っていた。
彼女は少しの間とはいえ、香菜から目を離していたことを厳しく咎めると、車椅子を押して病室へと戻ろうとした。
すると香菜は、途中で車椅子を止めるよう看護師に頼むと、大きく笑って二人に告げた。
「お姉ちゃんたち!手術の日、決まったよ!」
昔から子ども好きだった美陽が、お見舞いに来る者のいない香菜を気にかけるのは、当然のことでもある。
遊ぶ、といっても、彼女らは病人だ。そのため、お喋りがメインになる。
口の達者な美陽との会話に、すぐ香菜はのめり込んでいった。これが彼女のすごいところだと思う。
天真爛漫な美陽の前には、人見知り、という不可視の壁は、あってないようなものだった。
今日は、病室で絵を描いていた。
器用さと、芸術的センスには恵まれなかった美陽は、度々香菜に笑われていたが、それすらも楽しんでいる様子だ。
二人のために、温かい緑茶を用意する。香菜は嫌うが、ジュースなどは飲めないので仕方がない。
ベッドに腰掛け、スケッチブックに絵を描く美陽と、車椅子に座ったまま破顔する香菜。
穏やかだった。
静謐とは遠いものの、心休まる昼下がりである。
時間が止まって、彼女らの中に巣食う病魔の動きを封じているのかもしれない。
そんなくだらない想像が出来るほどに、安らかだった。
二人の元へ飲み物を運ぶ。
サイドテーブルにコップを乗せると、香菜が顔をしかめた。
「うえぇ、また苦いお茶だ」
初めは、子供らしい、不服さを隠すことのない態度に困惑したが、今では苦笑いで流せるくらいには成長した。
「好き嫌いしたら、病気が治んないぞぉ?」と美陽がからかう。
「大丈夫だし!私もう、手術を受けるだけなんだよ!」
「…へぇ、そうなんだ」
初耳だった。いや、別に香菜の病気の種類、状態を尋ねたことなどなかったので、知るはずもないのだが。
看護師には、激しい運動などはさせないよう、しっかりと念押しされている。
心臓系が弱いのだろう、と勝手に想像していた。
「いつ受けられそうなの?」と口を挟む。
「んん、知らない」
やはり、と美月の眉が垂れる。
それに目ざとく気づいた美陽が、低く、小さな声で、「美月、顔」と呟く。
これはいわゆる、ドナー待ち、というやつなのではないか。
もしも…、もしも、間に合わなければ…。
みるみるうちに、美月の顔が悲壮感に歪んだ。
幼い香菜がその意味を悟るとは思えないが、子どもの感性は鋭い。何かを察する可能性があるので、良くないことだとは分かっていた。
だが、分かっていてもコントロール出来るものではない。
「ごめん、香菜ちゃん。ちょっとだけお絵かきしながら待っててね?」
「うん?」
ベッドから下りた美陽が、素早く美月の手を掴んで、車椅子もなしにユニットバスのほうへと連れて行った。
「ちょっと、やめてよね、美月」
無理やりトイレの蓋の上に座らされた美月は、怯んだ面持ちで顔を逸らす。
「ご、ごめんなさい」
「あの子にストレスをかけるのは、本当に洒落にならないんだから」
確かに、心臓病なら、冗談抜きで悪影響だ。いや、そうでなくともプラスには働かない。
美月はきちんと反省しながらも、感情を昂ぶらせて、急な動きをした美陽のことが心配になっていた。
医者が宣告した生命の期限は、もう二ヶ月近くを切っていた。
信じられないことだが、別れは目の前だ。
むしろ、今の彼女の元気の良さを見て、死を連想することのほうが不自然ではないか。
余命はあくまで目安だと言っていた。本人の意思や病気の進行次第で、期限は前後するとのことだった。
だからこそ、今の彼女に無理をさせるのは、呼吸が出来なくなるくらい恐ろしいことだった。
美陽が呆れたようにため息を吐いたのを見て、美月は話を切り出す。
「あの、美陽。あんまり急に動かないで」
「ちょっと、美月。今は私の心配じゃなくて、香菜ちゃんの心配をしてよ」
「し、してるわ。だから、落ち着いて、体調悪くなっちゃうわ」
「美月…!」
あからさまに軽蔑したような眼差しで、美陽が鏡に映った自分を見た。
その冷たさに、美月は慌てて美陽の手を握り返し、懸命に声を出した。
「しょうがないじゃない…!私にとって、美陽以上に大事なものなんてないのよ」
美月の必死さに心を打たれたのか、それとも、単純に勢いに気圧されたのか、美陽は顔を赤らめて視線を逸らした。
「そ、それは、嬉しいけどさぁ」
「だから、そんな顔をしないで。お願い、私のこと、嫌いにならないで…」
美陽が大きく息を吸い込んだのを感じる。
どんな顔をしているかは、分からない。
こんなときにまで、自分のことを考えてばかりだ、とさらに軽蔑されたかもしれない。
余命を宣告された妹にまで縋るなんて、と愚かに思われているかもしれない。
おそるおそる、顔を上げる。
バチッ、と妙な顔をした美陽と目が合う。
彼女の瞳が、今まで見たことのない色に揺れていて、美陽自身、混乱しているように見えた。
「…とりあえず、戻ろう」
「ええ、ごめんなさい」
「いいよ、私も、悪かった。心配してくれて、ありがとう、美月」
良かった、少なくとも怒ってはいないみたいだ。
美月はほっと胸をなでおろすと、美陽に続いて室内に戻った。すると、いつの間に入ってきていたのか、香菜の隣に看護師が立っていた。
彼女は少しの間とはいえ、香菜から目を離していたことを厳しく咎めると、車椅子を押して病室へと戻ろうとした。
すると香菜は、途中で車椅子を止めるよう看護師に頼むと、大きく笑って二人に告げた。
「お姉ちゃんたち!手術の日、決まったよ!」
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