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やがていなくなる私から、貴方へ
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病室の白が、光を失い黒に染まっている。カーテンの隙間から差し込んでくる月明かり以外は、もう何の光も残っていない。
ぼうっと輪郭だけを闇に浮かべて、隣で布団の中に入っていた美月が、今にも消えそうな声を出した。
「良かったね、香菜ちゃん。手術、受けられることになって」
「え、うん…。そうだね」
お昼には、私のこと以外はどうでも良い、と言ったのに、変わり身が早いものだ。
…いや、そこまでは言っていないか。まあ、ほとんど同じだ。
本当に、昔から私にべったりなのだ。美月は。
まあ、それが嬉しくないと言うと…、嘘になるんだけど。
歯切れの悪い物言いが気になったのか、美月が体の向きを変えて、こちらを見た。
「どうしたの?同じベッドは、嫌だった?」
「別に、そんなわけないじゃん。ただ、ちょっと考え事してただけ」
「ふぅん…」
今日は、病院のほうに許可を貰って、美月が泊まっていくことになった。本当は同じベッドは禁止なのだろうけれど、バレなければ問題はない。
もしかすると、余命幾ばくの私を特別扱いしてくれる可能性もある。
あまり、死が近づいている、という実感がなかった。
確かに、体の力は明らかに弱まる一方だし、長く喋っていると疲れてしまう。それに、何もしていなくても、ぼーっとしてしまう時間が増えつつあった。
ご飯だって、昔の四分の一ほども胃に収まらない。自分の口から食べられなくなったら、終わりだと勝手に思っている。
あぁ、よくよく考えてみると、兆しはあるな。死の兆しだ。
いつものことが、いつもどおり出来なくなっていく。
それが、ただ、あまりにも緩やかに進んでいくので、忘れてしまっていただけだ。
耳を澄ませば、終わりの足音はそう遠くないところまで来ているようだった。
そんな後ろ向きなことを考え出すと、途端に心細さが募った。
一人で死にたくはない、という考えさえ一瞬、頭をよぎる。
「美月」と切羽詰まった心は隠して、どうでも良さそうに名前を呼ぶ。「なぁに?」
「くっついても…いい?」
「え?」
「え…って、何。え…って」不服そうに私は呟く。
彼女が頓狂な声を上げたことで、自分の発言が急に恥ずかしくなる。
「いや、ごめんなさいね?驚いてしまって」
「あぁもう、うるさいよ、美月」
誤魔化すようにして、彼女の懐に身を寄せる。
許可なんて、そもそもいらないのだ。
美月と私は、同じものだ。つまり、美月は私のものでもある。
痩せ細る前から惨敗していた、ふくよかな胸に頭をうずめると、頭上で美月が息を吐く音が聞こえた。
普段しないようなことをすれば、悟られるだろうか、と少し不安になるが、幸い、美月は何も思っていないようだ。
久しぶりの姉妹のスキンシップに照れているようだったが、少なくとも、嫌がる素振りはない。
低い心音が、どくん、どくんと、体を通して伝わって来る。
力強いバストーン、あぁ、まだ美月は死なないんだ、と考える。
美月に、私の心音が伝わっていませんように。
小さくなる一方の私の命の灯火は、強く吹き荒れる病魔の風に打ちのめされる日々に、限界を感じているようだった。
「美陽?」残念なことに、何かが伝わったらしい。さすがは双子だというべきか、分かりやすかったのか。
「大丈夫?なんか、今日疲れたの?」
「別に」と素っ気なく返す。
「美陽らしくないじゃない?」
「だから…、ちょっと、色々考えただけだよ」
本当は、色々なんて考えていない。
美月と離れることについて考えていただけだった。
しかし、一向にはっきりとは答えない美陽の態度を、美月は曲解してしまったらしかった。
「…お医者さん、呼ぶ?」
「平気だって。心配しすぎだよ、美月はさ」
「心配するよ、だって…」
そこで、美月が言葉を区切った。掌からこぼれそうな水を、慌ててせき止めたような中断の仕方だった。
――だって、何だよ。
彼女の言わんとすることが分かっていた私は、ほぼ反射的に相手を睨み返した。
私と同じ顔が、何かから逃げるように横を向いた。
「大丈夫だよ、まだ死なないから」
「…当たり前でしょ」
当たり前じゃ、ないんだよ。
私はもうじき、いなくなるんだよ。
「ねえ、美月」
「なぁに?美陽」
ぎゅっと、美月の襟元を掴む。
「またいつか、あの湖に行こうよ」
来るはずもない、いつか、を口に出す。
泣いている、とでも勘違いしたのか、美月はかき抱くようにして、私の体を包んだ。
「ええ、行きましょう。二人で、また」
自分が死ぬ、と分かった日も、私は泣かなかった。
そのときは、死がリアルに感じられていないから、とばかりに思っていたが、どうやら違うらしい。
自分の頭の上から聞こえてくるすすり泣きに、私は温もりのカゴの中で目を細めた。
自分よりもパニックになっていたり、緊張していたりする人間を見ると、かえって落ち着くのと同じ原理だ。
美月が、私以上に悲しむから。
私以上に、死を感じているから。
それを通して、私は、私の現実を受け入れていた。
美月は、私だった。
そして、私は美月だ。
私と、私。
顔を寄せた美月の体から、私の匂いがする。
私が死んだとき、美月が生きていける気がしなかった。
でも、それはそれで、自然なのだろうか。
いや、そんなことはない、あってはならない。
私は奥歯を噛み締め、心の中だけで激しく頭を左右に振った。
そのときは、私と美月がバラバラの存在になるだけだ。
一つの球根から、二つの花が咲いたような私たち。
片方が病魔に侵されているなら…。
間引かなければならない。
その後に、美月はすくすくと育っていけばいい。
私よりも、ずっと綺麗で、可愛くて、スタイルだっていい、魅力的な人だから。
きっと、誰よりも、今よりも美しく輝き続けるはずだ。
…それでいいよね、私。
ぼうっと輪郭だけを闇に浮かべて、隣で布団の中に入っていた美月が、今にも消えそうな声を出した。
「良かったね、香菜ちゃん。手術、受けられることになって」
「え、うん…。そうだね」
お昼には、私のこと以外はどうでも良い、と言ったのに、変わり身が早いものだ。
…いや、そこまでは言っていないか。まあ、ほとんど同じだ。
本当に、昔から私にべったりなのだ。美月は。
まあ、それが嬉しくないと言うと…、嘘になるんだけど。
歯切れの悪い物言いが気になったのか、美月が体の向きを変えて、こちらを見た。
「どうしたの?同じベッドは、嫌だった?」
「別に、そんなわけないじゃん。ただ、ちょっと考え事してただけ」
「ふぅん…」
今日は、病院のほうに許可を貰って、美月が泊まっていくことになった。本当は同じベッドは禁止なのだろうけれど、バレなければ問題はない。
もしかすると、余命幾ばくの私を特別扱いしてくれる可能性もある。
あまり、死が近づいている、という実感がなかった。
確かに、体の力は明らかに弱まる一方だし、長く喋っていると疲れてしまう。それに、何もしていなくても、ぼーっとしてしまう時間が増えつつあった。
ご飯だって、昔の四分の一ほども胃に収まらない。自分の口から食べられなくなったら、終わりだと勝手に思っている。
あぁ、よくよく考えてみると、兆しはあるな。死の兆しだ。
いつものことが、いつもどおり出来なくなっていく。
それが、ただ、あまりにも緩やかに進んでいくので、忘れてしまっていただけだ。
耳を澄ませば、終わりの足音はそう遠くないところまで来ているようだった。
そんな後ろ向きなことを考え出すと、途端に心細さが募った。
一人で死にたくはない、という考えさえ一瞬、頭をよぎる。
「美月」と切羽詰まった心は隠して、どうでも良さそうに名前を呼ぶ。「なぁに?」
「くっついても…いい?」
「え?」
「え…って、何。え…って」不服そうに私は呟く。
彼女が頓狂な声を上げたことで、自分の発言が急に恥ずかしくなる。
「いや、ごめんなさいね?驚いてしまって」
「あぁもう、うるさいよ、美月」
誤魔化すようにして、彼女の懐に身を寄せる。
許可なんて、そもそもいらないのだ。
美月と私は、同じものだ。つまり、美月は私のものでもある。
痩せ細る前から惨敗していた、ふくよかな胸に頭をうずめると、頭上で美月が息を吐く音が聞こえた。
普段しないようなことをすれば、悟られるだろうか、と少し不安になるが、幸い、美月は何も思っていないようだ。
久しぶりの姉妹のスキンシップに照れているようだったが、少なくとも、嫌がる素振りはない。
低い心音が、どくん、どくんと、体を通して伝わって来る。
力強いバストーン、あぁ、まだ美月は死なないんだ、と考える。
美月に、私の心音が伝わっていませんように。
小さくなる一方の私の命の灯火は、強く吹き荒れる病魔の風に打ちのめされる日々に、限界を感じているようだった。
「美陽?」残念なことに、何かが伝わったらしい。さすがは双子だというべきか、分かりやすかったのか。
「大丈夫?なんか、今日疲れたの?」
「別に」と素っ気なく返す。
「美陽らしくないじゃない?」
「だから…、ちょっと、色々考えただけだよ」
本当は、色々なんて考えていない。
美月と離れることについて考えていただけだった。
しかし、一向にはっきりとは答えない美陽の態度を、美月は曲解してしまったらしかった。
「…お医者さん、呼ぶ?」
「平気だって。心配しすぎだよ、美月はさ」
「心配するよ、だって…」
そこで、美月が言葉を区切った。掌からこぼれそうな水を、慌ててせき止めたような中断の仕方だった。
――だって、何だよ。
彼女の言わんとすることが分かっていた私は、ほぼ反射的に相手を睨み返した。
私と同じ顔が、何かから逃げるように横を向いた。
「大丈夫だよ、まだ死なないから」
「…当たり前でしょ」
当たり前じゃ、ないんだよ。
私はもうじき、いなくなるんだよ。
「ねえ、美月」
「なぁに?美陽」
ぎゅっと、美月の襟元を掴む。
「またいつか、あの湖に行こうよ」
来るはずもない、いつか、を口に出す。
泣いている、とでも勘違いしたのか、美月はかき抱くようにして、私の体を包んだ。
「ええ、行きましょう。二人で、また」
自分が死ぬ、と分かった日も、私は泣かなかった。
そのときは、死がリアルに感じられていないから、とばかりに思っていたが、どうやら違うらしい。
自分の頭の上から聞こえてくるすすり泣きに、私は温もりのカゴの中で目を細めた。
自分よりもパニックになっていたり、緊張していたりする人間を見ると、かえって落ち着くのと同じ原理だ。
美月が、私以上に悲しむから。
私以上に、死を感じているから。
それを通して、私は、私の現実を受け入れていた。
美月は、私だった。
そして、私は美月だ。
私と、私。
顔を寄せた美月の体から、私の匂いがする。
私が死んだとき、美月が生きていける気がしなかった。
でも、それはそれで、自然なのだろうか。
いや、そんなことはない、あってはならない。
私は奥歯を噛み締め、心の中だけで激しく頭を左右に振った。
そのときは、私と美月がバラバラの存在になるだけだ。
一つの球根から、二つの花が咲いたような私たち。
片方が病魔に侵されているなら…。
間引かなければならない。
その後に、美月はすくすくと育っていけばいい。
私よりも、ずっと綺麗で、可愛くて、スタイルだっていい、魅力的な人だから。
きっと、誰よりも、今よりも美しく輝き続けるはずだ。
…それでいいよね、私。
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