下げ渡された婚約者

相生紗季

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新しい婚約者

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「コッ、コリンノースで、ございますっ!」

 コリン・ノースが現れたとき、“どこにでもいる貴族令嬢”だと僕は思った。
 前言を撤回したい。
 コリン・ノースのような貴族令嬢を、僕は見たことがなかった。

「わたっ、痛っ、すみません舌を噛みました」
「コリン、大丈夫か?」
「えーと、すみません。緊張してまして……」

 飾らない、あまりにも飾り気のない人柄が、短いやり取りだけで分かった。
 古着を着せ、町の学校に通わせれば、誰も貴族令嬢だとは気づかないだろう。
 しかし、貴族令嬢らしからぬ彼女に、セオドア殿下は心の底から惚れているようだった。

「はいっ。コリン・ノースと申しますっ! ノーザリアから参りました、えー……」

 間。
 なんの意図も感じられない、純粋な間。
 たぶん、スピーチを用意していない、その発想もない、いまこの瞬間になにを話そうか考えながら、彼女は斜め上を見つめている。たぶん、頭のなか斜め上に彼女の辞書は置かれている。
 セオドアは、そんな胡乱な目線さえ愛おしそうだ。
 辞書で例文をひけたのだろう、彼女はふたたび、大きな瞳を正面に向ける。

「……こんな素晴らしいパーティーをありがとうございますっ! どうぞよろしくお願いいたしますっ!」

 王太子妃としてはあまりにもお粗末な挨拶。そして、軍隊式の敬礼をした。
 小さな体から驚くほど大声が出る。
 なんだか、面食らったせいで、毒気を抜かれてしまった。
 婚約破棄がされた日、客間での兄の笑顔を思い出す。

「コリンは変わってるんだ!」

 たしかに、変わってはいるけど。
 ……こっちの方向性か~。
 貴族たちも、はじめての衝撃にどう反応していいか分からないようだった。

「うむ。元気がよろしいことですな。では、アルフレッド」

 陛下は貴族の視線を僕に移動させることにしたようだ。

「ご紹介にあずかりました、アルフレッドです。今日はお集まりいただき、ありがとうございます」

 父は期待しているだろう、僕が父の筋書きどおりに動くことを。
 カリオン陛下の書いた物語のなかでは、僕はルイーザ嬢と恋に落ちた第三王子。兄王子から婚約者を奪った罪悪感にさいなまれていれば、人物造形により深みがでるかもしれない。

「えーと……」

 まるでコリン・ノースのように、僕は言いよどんだ。
 どんな場でも、どんな状況でも、国民を動かすためのスピーチを――生まれたときから教えられてきたが、肝心な場面で言葉がでない。
 僕はいったい、なにを言ったらいいんだろう。
 視線を左右に動かせば、ルイーザ嬢の横顔が目に入った。

「ルイーザ嬢」

 そうだ、僕には彼女がいる。
 彼女の軽口のように、僕も陛下の思惑をかわせるだろうか。
 うまくいくか分からない。けれど、やってみたいと思った。
 うまくいかなくても、自分なりに。
 ――そうすればきっと、ルイーザ嬢がなんとかしてくれる。

「……彼女と出会って、まだ日は浅いです。僕は、ルイーザ嬢のことをなにも知りませんでした。ひとつだけ、知っていることは、兄の婚約者だということでした」

 僕がなにを話そうとしているのか、貴族たちはそれぞれが予感している。
 いまはまだ、ルイーザ嬢の味方は僕ひとりだ。
 ――だが。
 できるかぎりドラマティックに。
 貴族たちが、国民たちが、ルイーザ嬢の境遇に感情を寄せられるように。
 僕がみなの想像をかきたてよう。
 僕がルイーザ嬢の味方を増やしてあげよう。
 セオドア殿下とコリン・ノース辺境伯令嬢から、主役を奪ってやるつもりで。
 僕はみんなに語り掛ける。

「とつぜんのことばかりで、正直――僕は戸惑っています。昨日まで義理の姉だった人が、今日から僕の婚約者だなんて。まだ、受け入れがたいです」

 どういうこと? と、幾人かの貴族が顔を見合わせる。

「僕はまだ、兄とコリン嬢が見つけたような“真実の愛”を知りません。ただ――」

 僕は息を吸う。
 ルイ―ザ嬢は、まっすぐ前を見ている。
 僕は、彼女に並び立つにふさわしい人間でありたい。

「これから見つけていけるよう、ルイーザ嬢と努めていくつもりです。今後とも、兄たちと一緒に見守ってください」

 ぱち、ぱち……とまばらな拍手が聞こえる。
 ――兄から譲られた婚約を戸惑いつつ受け入れるが、「真実の愛」はまだ知らない。
 それが、僕が陛下の筋書きに上書きする“第三王子の設定”だ。
 想像力豊かな読者なら、この婚約が第三王子にとって晴天の霹靂であった可能性に考えが及ぶだろう。
 僕は、暗に言っているのだ。
「ルイーザ嬢との婚約は、“真実の愛”を見つけたからではない」
「ルイーザ嬢は、婚約解消などしたくなかった」
 セオドア殿下が婚約破棄を一方的に言い出したのだ、と……噂程度でかまわない。誰か口にしてくれたらいい。
 種を蒔きさえすれば、疑いの根は広がるはずだ。

「あとは、ルイーザ嬢から」

 僕は、体をルイーザ嬢に向けて、彼女の言葉を聞くよう貴族たちにうながす。
 貴族たちはみなルイーザ嬢に視線を向けた。
――いや、貴族たちだけではない。両陛下も、セオドア殿下も、コリン・ノースも、ウェイターや近衛や侍女たちさえも、大広間に集まった全員が、息をのんで彼女を見つめていた。
 いったい、どういうことなのか。
 ルイーザ嬢は「真実の愛」を見つけたのではないのか?
 婚約解消がされた理由は、いったいなんなのか!
 その答えが口に出されるのを、みなが待ち望んでいた。

「――ルイーザ・ハリウェルでございます」

 そうして、大広間にいた者たちは、冷酷姫の美しいお辞儀を目に焼き付けたのだった。
 彼女はいつもと変わらない涼しい顔で、大勢の視線に立ち向かう。

「私とセオドア殿下の婚約が決まったのは、十歳になる前のことです」
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