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第十九話 愉悦

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 そもそも推しの考え方に対して嘘でもおかしいって言えると思いますか!? 誰よりも私が貴方の正義と理想を信じてますが!?

 でもそんなことでは世紀の大天才レナンドルの目を誤魔化すことなんて出来なかったというわけで。ああやっぱり私のポンコツオタク女要素が全部の足を引っ張っている。

 私は暗澹たる思いで、味がしなくなったペストリーをモソ……モソ……と咀嚼し、紅茶で流し込む作業を繰り返すだけの抜け殻と化した。

「まあ、だから、私にとって、学園に入ってからの君の挙動は信じがたいものだったよ。絶対に何か目的があるのだと思ったし……そうでなかったら、きっと、私がアトラムに入ったことで、婚約者としてルブルムからの反発の矢面に立たされ、そうせざるを得なかったのでは、と」

 どうしよう!! どっちも正解!! 

 まあそうせざるを得なかったというか、反発がいっぱいあったから、婚約破棄という目的のために都合が良かったし利用させてもらったってのが正しいんだけど。

 ガンガン対立煽ったし、「婚約者の心が離れていってつらいンゴ」みたいなそぶりで連中に大義名分を与えたりした。つまり完全ギルティ。意味なかったってのも相まって一層有罪。執行猶予無しの実刑判決だ。そうであってほしかった。

「だから、情状酌量を与えたとおっしゃるのですか。私は、貴方様という星に焦がれている一握の砂……いえ、土くれと言うのが相応しいでしょうか。貴方様に取り入って、気に入られて、婚約者として盤石な地位を手に入れて……そうすることでしか、自分の存在意義を示すことが出来なかった、惨めで浅ましい小娘です。ノースから出て、貴方様のお傍に立てなくなった瞬間、本質が明らかになっただけでしょう」

「ルブルムの君とアトラムの君……どちらを本質と思うかは、私の自由だ。それに、ノースでの君も、自分のことをよく見せようなんて思っているようには見えなかったよ。いっそ清々しいほど露悪的だった。まるで、私の嫌う人間を演じているような……自分が正しいと信じて疑わず、甘い顔と耳触りの良い口ぶりでこちらをコントロールしようとする手合いの中にあって、君ははっきりと異色だった」

 そんなの、暗闇の中の灰色が相対的に白く見えただけの話でしょ!! アトラムの真っ白の中ではいたく目障りな鼠色でしかないですが!? お願いだから目を覚ましてくれ……!

 レナンドルは頬杖をついて目を細め、こちらを覗き込むように、うっとりと微笑む。鋭い針が沢山ついた板を背中に押し付けられているように後ろめたくて、少し気を抜けば泣いてしまいそうだった。

 ああ、アトラムに入ってからずっとこうだ。想定外の連続で、どう振舞えばシルヴェスタらしいのか、全く分からなくなってしまった。

「……約束、お忘れにならないでくださいね」

 結局、こうして、釘を刺すことしか出来ないのである。今はこの約束だけが、私にとってのたった一つのよるべだから。アトラムでの生活を楽しんでいることを正当化できる、唯一の口実。

 そうでなくては、私のような女が、こんな幸せを享受していい筈がないのだ。

「あと二年も猶予があるんだ。私は諦めないから、君も覚悟しておいて」

 まるで勝利を確信しているかのような、不敵なグリーンアイだった。ああ、本当に、貴方ってば、分からずや。

 でも、だからこそ。

 どんな理不尽にさらされようが、決して翳ることのない高潔。そんなところが眩しくてたまらないから、私は貴方に惹かれてやまないのだ。どうしようもないのは私の方である。

 +++

 その後、私たちは、腹ごなしがてらショッピングモール内を練り歩き、ウィンドウショッピングを楽しんだ。お互いにお互いが興味を示したものをすぐ買おうとするものだから、その攻防戦の繰り返しでどんなものを見たかとか全然記憶にない。

 しかしまあ、至福のひとときであったことは確かだ。どんな系統のものに興味を示すかなどのプロファイリングができて、推しの解像度が一気に上がったし、次の夜会のお揃いコーデの打ち合わせも出来て最高だった。

 折角スレンダーな体型をキープ出来ているから、デコルテシースルー黒レースのスレンダーラインドレスなんかを着てみたかったのだ。そう打ち明けてみたら、クラシカルな黒に銀刺繍でタキシードを用立てようと言ってくれたのである。最高か。

 気が重いだけの夜会に一筋の光明、唯一の楽しみができた瞬間だった。虚飾と退廃に耽溺し現実を見ようとしないノースの貴族どもに“本物”というものを見せつけてやろうぞ。

 さて、門限もそろそろ近づいてきて、いい加減お開きという空気になってきたころ。私はレナンドルに断りを入れて食料品売り場へと突撃した。

 薄力粉と強力粉、バターに、粉砂糖と卵とアーモンド、ココアパウダーと製菓用のチョコレート。ホクホク顔で紙袋を抱えて戻れば、レナンドルは怪訝な顔をして、紙袋と私の顔を交互に見た。あからさまに「ミスマッチだなあ」と思っているような顔である。

「どうしたんだ、シルヴィ」

「今日一日、私の時間は貴方様のものです。せっかくですから、寮に帰ってからの時間も、貴方様のために使わせて頂こうかと……少し、試してみたいことがございまして」

 レナンドルはドが付くほどの甘党で、特にチョコレートに目がない。しかし、きょうのアフタヌーンティーのペストリーでチョコ系のスイーツは小さいチョコタルトだけだった。すこし物足りなさげな顔をしていたのがどうにも気になっていたのである。

「夜の背徳スイーツ……興味はございませんか?」

「あ、ある……!」

 上目遣いで覗き込むように悪ぅい微笑みで囁いてみれば、レナンドルは呆気なく陥落したのだった。

 さて、そうは言えど、これでもノースでは知らぬものがない名門の伯爵家令嬢。

 この世界に転生してきてからというもの、お菓子作りはやったことが無い。

 魔法がある世界の調理器具や工程は勝手が違うかもしれないので、今日は試作会だ。

 実は、今日レナンドルに連れてきてもらったアフタヌーンティーフェア、リューシェ様がたいそう心惹かれていた催しだった。

 しかし、フェアはそれこそトーナメント当日の明後日で終わってしまう。学年末テストとトーナメントの対策に専念したいとのことで、今回はあえなく断念することとなったのだ。

 そんな中、私だけがアフタヌーンティーを楽しんでしまったというのはどうにも心苦しい。

 故に、結果がどうあれ、トーナメントを戦い抜いた彼女に、サプライズで、彼女の好物である苺スイーツづくしな特製アフタヌーンティーを用意できればと思った次第である。

 その実、私は前世から凝り性なところがあったため、パティシエの推しが出来た時、お菓子作りにドハマりしたことがある。

 以降、推しの誕生日があればお手製バースデーケーキを拵えるのが定番となったくらいなので、こちらの世界の調理の勝手さえ分かれば、なんとかなると思うのだが……まあ、物は試しと言うやつだ。

 揃ってウキウキ顔で寮へ戻り、演習服を調理に適した形に変えて、魔法で丹念に清潔にする。

 同時並行でシェフに厨房を使わせてもらう許可を取ってくれていたレナンドルと厨房で合流する。部屋に戻るなり、植物園でくつろぐなりしていてくれれば良かったのに、調理過程が気になるのだと言って聞いてくれなかった。心配しなくても毒なんか盛らないってば。

 さて、まずはココアを練り込んだフィユタージュ作り。冷却魔法を微調整すればデトランプをいちいち冷蔵する手間と時間を省ける便利さに酔いしれつつ、バターを練り込みながら折り返す作業を繰り返す。ああ、どうしよう、加圧魔法を使えばいちいち綿棒を使って押し伸ばす体力もいらない……魔法最高すぎでは……?

 さて、フィユタージュの仕込みが完了したところで、お次はチョコを練り込んだクレームダマンドの工程に取り掛かる。アーモンドとチョコの親和性は言わずもがな。きっとレナンドルのお気に召すものが出来るはず。

 買って来たアーモンドをバッターに広げ、火炎魔法と風魔法でロースト。物は試しと、皮を残したものと取り除いたものを二種類用意し、一瞬で粉砕する。皮を残すと焼き上げた時にザクザク食感になって悪くないのではと思いついたのだ。

 バターを練り、粉糖と擦り交ぜてから溶き卵を流しいれ、しっかり乳化させる。そこに先程粉砕したアーモンドパウダーを振るい入れ、しっかり混ざったら溶かしチョコレートを流し込み、混ぜる。

「……シルヴィ、ちょっとだけ舐めさせて」

「ヒッ……辛抱なさいませ」

 興味深そうに後ろから覗き込んでいたレナンドルが、マーブル色のクレームダマンドを凝視しながら耳元でささやいてくる。美声の無駄遣い。頭おかしなるわ。

 壊れたファー〇ィー並に揺れ動く心を鬼にして却下し、フィユタージュにクレームダマンドをみっちり円形に絞り、上からも挟んで冷却魔法で形を固め、丸く切り取って渦状の切れ込みを入れてから、オーブンで焼成。

 なんと魔法のオーブン、生地の状態から必要な焼き加減を自動で判断し、一瞬で焼き上げてくれる。魔法ってば本当最高。まあ焼き上がる時間を待ち遠しく思うのもそれはそれで趣があって好きだからちょっとだけ物足りない気もしたけど。

 焼き上がったものに粉砂糖をふり、手を翳してふたたび軽くロースト。初めてにしては素晴らしい光沢が出て、私は思わず満悦の吐息を漏らした。

 なんてことだろう、魔法のお菓子作り、楽しすぎる。何せ面倒な工程はあらかた魔法で何とかすることが出来るし、待ち時間なんてほぼ無いに等しい。前世でかけた時間の三分の一まで時間短縮できるなんて……!

「殿下のお口に合うかどうか……」

 サクッと切り分け、差し出した出来立てショコラピティヴィエを受け取るレナンドルは、私の声などまるで聞こえていないみたいな真剣な眼差しをしている。どうしよう、たまらない。こんな反応をされては、餌付けが癖になってしまいそうだ。

 魔力の加減を少しでも間違ったら爆発する実験に挑んでいるみたいな面持ちでフォークを突き立てるレナンドルを横目に、私は毒見がてら手づかみでパクリと一口頬張ってみる。おお、魔法を使った調理は初めてだったが、なかなかの出来だ。

「シルヴィ……君は天才か……? こんなに絶品なスイーツ、ブランシュ御用達パティスリーの逸品でも味わったことが無い、ああ、舌が蕩けてしまいそうだ……っ」

「殿下、流石にそれは言い過ぎにございます……ただの出来立てマジックですわ」

「まてシルヴィ、君手づかみで食べてるのか……!? なんてもったいないことを! あんなに手間がかかっているのだから、少しずつ味わって食べるべきだろうっ!」

「そうはおっしゃいますが、作ったのは私ですもの……ホームメイドのお菓子なんて好きに食べてこそ張り合いがあるというものでごさいます。殿下もそう遠慮なさらず、よろしければ、口いっぱいに頬張ってみてくださいませ。背徳のお味がいたしますわよ」

「は……背徳……」

 ああ、たまらないこの表情。きっと、清い魂を堕落させる悪魔の愉悦ってこんな感じなんだろうな。

 恐る恐ると言ったようにフォークを置き、ゴクリ……と固唾を飲みながら手づかみで口に運ぶレナンドル。ああ、流石は大公様のご令息、はしたない食べ方はよほど不慣れみたい。どうしよう、緩む口がおさえられないわ……。

「嗚呼、こんな幸せがあって良いのか……」

「お気に召したようで何よりにございます。差し出がましいようでなければ、レシピをお渡しいたしましょうか? その方が、もっと質の高いものをブランシュ家でお召し上がりいただけるかと」

「それはありがたいが……きっと、シルヴィに作ってもらったからこんなに心が満たされているんだと思う。こんな気持ちは初めてだ」

「ミッ……」

「み……?」

 とろけるような微笑みを真正面から被弾したお陰でオタクは瀕死だ。愉悦を味わうのにもある程度のリスクが伴うというわけか……世の中思うようにはいかないものである。
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