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379 妖精の森②
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手に触れるふかりとした草の絨毯。目の前の木の枝を小さなリスが楽しそうに駆け抜け、頬を撫でる優しい風に乗って聞こえるのは小鳥の囀り。
先程までの薄暗かった空はまるで幻だったのかと錯覚してしまう程に、暖かい木漏れ日が森全体を優しく照らしている。
「もしかして……」
皆、呆然としながらも、ステラの呟いた声に振り返る。その足元には、大小さまざまな茸が大きく円を描くように生えていた。
そして、次々に淡い光を放ち始める。
「……フェアリー・リングの、森……?」
その呟きに答えるように、セバスチャンの鳴き声が森の中に響いた。
大きな羽を広げ、音もなくこちらへふわりと飛来する。
「……セバスチャン。わたしたちを、助けてくれたんですか……?」
「ホォ──」
ゆっくり瞬きをするセバスチャンの姿を照らすように、淡く発光するフェアリー・リング。噂にしか聞いたことは無かったが、まさか本当に実在するなんて……。
あの妖精たちと実際に会っている分、何ら不思議ではないのだが、まさか自分たちがこの森に足を踏み入れるなんて微塵も思っていなかったエイダンとエレノアの二人は、信じられないものを見るように周囲を見渡していた。
「セバスチャン、ありがとう。助かった……」
「……私からも。ありがとう」
エイダンとエレノアの言葉を理解したように、セバスチャンはまたゆっくり瞬きをする。
実際、あの時セバスチャンが飛び込んでこなかったらどうなっていたか……。あの部屋一面に覆い尽くされた靄を思い出し、背筋にゾクリと嫌な汗が伝った。
自分たちは助かったが、隠し通路に下りて行った四人はどうなったのか……。そして、あの黒い靄の正体は……? 考えれば考える程、頭が混乱していく。
「……リーダー、エレノアさん。わたし、あの屋敷に戻りたいです……」
ギュッと杖を握り締め、悔しそうに唇を噛み締めるステラ。
「村で見た、あの靄と同じなら……。わたし、絶対に許せないです……」
ステラの生まれ育ったアルトヴァーレの村を襲った悲劇。
幸い、陛下たちへの被害は食い止められたが、ステラの故郷、それに近隣の村も魔物に襲われたと報告があった。
その真剣な表情に、二人も静かに頷く。
「あぁ。あのまま放っておけば、近隣住民に被害が出るのも時間の問題だろう」
「私もステラに賛成だ。リーダー、あの靄が同じ類のものなら、やはりダンジョンの魔法陣も……」
「──……! 魔法陣……!」
その言葉にハッと顔を見合わせる。
「セバスチャン! 我々をすぐに屋敷に戻してくれっ!!」
「あのままだと街が危ないっ!!」
靄が出てきたという事は、魔法陣にも何かしらの動きがあるかもしれない。村を襲った靄と同じなら、あの時、魔法陣から出てきたのは……!
三人の声に答えるように、セバスチャンはぶわりと羽を広げ、先程よりも大きく鳴き声を上げた。
その鳴き声を合図に、周りの木々たちがゆっさゆっさと葉を揺らしながら、大きくしなり始める。淡い緑色の光がふわりと広がり、見る見るうちに木の枝で出来たアーチが完成した。
セバスチャンが飛びながら先導し、三人はその背を追うように長いアーチを潜る。そして見えてきた出口。だが、それと同時に今まで聞いたことのない激しい警鐘の音が響いてくる。
嫌な予感にはやる気持ちを抑え、やっと着いたその先は……。
「何なんだ、これは……」
「ひどい……」
アーチの終わり。足を一歩踏み出した、その先で三人が見たもの。
王都の空を覆うように、黒く渦巻く不気味な雲。街中から聞こえてくる人々の悲鳴に、魔物の咆哮。
普段の賑やかな王都の街並みを一瞬で頭の中から消し去ってしまう、地獄のような光景が広がっていた。
「セバスチャン……! 我々に森を使わせてくれ……!」
その縋るようなエイダンの言葉に答えるように、セバスチャンは森の入り口を大きく広げる。
「ステラ! すぐに防御壁を! エレノアは住民を避難させろ!」
「任せてくださいぃ~! 氷の防御壁ッ!!」
リーダーであるエイダンの命令に、ステラは襲われている住民たちを守るように氷で分厚い壁を出現させる。突如現れた氷の壁に驚く住民たちだったが、その魔法がステラのものだと理解すると、安堵したように口を震わせる。その間も凍てつくような冷気に晒され、魔物の動きが鈍っていくのが手に取るように分かった。
そして周囲にいた魔物たちの足を巻き込みながらピシリピシリと地面が凍り付き、ついには氷の彫刻のように完全に動きを封じ込めてしまった。
「皆さんっ! こちらですぅ~!!」
その声に導かれるように、住民たちはこぞって森の入り口を目指して駆け出して行く。
「きゃあぁあああっ!!」
「助けてくれ……っ!!」
その間にも、逃げ遅れた住民たちの悲鳴が響く。エレノアは疾風のように駆け抜け襲い掛かる魔物の前に立ちふさがると、電光石火の如く素早い剣捌きで次々と斬り倒していく。周囲に魔物がいないと分かるや否や、警戒もそのままに即座に動ける者に手助けの指示を出し、逃げ遅れた者や怪我を負った者たちを森へと誘導し始めた。
そして、リーダーのエイダン。いつの間にか森の入り口とは離れた場所に立っていた彼は、己の両の手で拳をぶつけ合い、腹の底に響くような雄叫びを上げる。
その声に魔物の注意がそれた、ほんの一瞬。その後ろから一陣の風が吹き、熟した果実が落ちるかの如く魔物の頭部がゴトリと地面に落ちた。その断面はまるで、鋭い刃物で斬られたかのように綺麗なものだった。
「セバスチャン……! 私の立つ瀬がないじゃないか……!」
「ホォ──……」
セバスチャンは「やれやれ」とでもに言うようにエイダンに背を向け、ステラが待つ森の入り口へと飛んでいく。その行動にまた助けられたと知ると、エイダンは苦笑しながらその梟にしては大きい背中を見つめた。
そして、森の入り口を正面から見てふと気付く。
( 確か、この場所にはリンデンの樹が植えてあったはず…… )
王都の街並みに溶け込むように、等間隔に植えられている木々の中に、大きなリンデンの樹も存在した。一際大きいその樹は、夏になると淡い色合いの花を咲かせ、暑い日差しを優しく和らげてくれる休憩所にもなっていた。その大きさ故に決して数は多くないが、街を行き交う者たちの心を癒してくれる、王都の住民にとっても馴染みのある存在だった。
「エレノア! 私は周囲に誰も残っていないか確認してくる! ステラと共に入り口を守ってくれ!」
「了解した!」
「リーダー! お気を付けて~!」
二人に背を向け、走り出す。警鐘が激しく鳴り響く中、空は先程よりもさらに速度を上げ王都を暗闇に染めていく。
そうしながら逃げ遅れた住民を保護し、森へ避難させるべく何往復も走った頃。走る先に複数の魔物の気配を感じ、咄嗟に建物の陰に隠れ息を殺しながら様子を窺う。
( ──あれは……! )
エイダンの視線の先に、一人の男性がぐったりとした女性を庇いながら魔物と対峙している。周囲には他に人の気配はしない。
男性が前方の魔物に注意が逸れている間、建物の上から魔物が後ろの女性を狙っているのが見えた。
それに気付き、エイダンは渾身の力を振り絞って落ちていた瓦礫を魔物に向かって投げた。
「ギャアァアッッ!!」
「ひぃいい……!?」
投げた瓦礫が直撃し、魔物は建物の上から真っ逆さまに転がり落ちる。自分のすぐ近くに落ちてきた魔物に驚き、男性が悲鳴を上げた。そして前方の魔物がそれに気を取られている間に、エイダンは全速力で魔物に体当たりする。
魔物が動かないのを確認し、急いで二人の下へと駆け寄った。
「よし……! 私がその人を抱えて行く! 貴方はついて来てくれ!」
「は、はぃ……っ!」
女性の頭を揺らさないように腕の中に固定し、森の入り口へと向かって駆けて行く。揺らさないよう走る為に速度は落ちるが、周辺の魔物は一通り退治した後だ。
そう思って油断した隙を突かれたのか、普段は蹴散らすような魔物がエイダンたちの行き先を阻むように複数、群れを成して現れる。
「──クソッ!」
「あ、あの……! ここは、私に任せてもらえませんか……!?」
「え……?」
そう言いながら、エイダンの後ろから必死について来ていた男性が声を上げる。
「しかし……!」
お世辞にも頼もしいとは言えないひょろりとした細長い体型に、ぼさぼさの髪を無造作にまとめただけの眼鏡の男性。その目元には、何日も眠れていないのかクマが浮いている。
「大丈夫です……! 大丈夫……! 何度も模擬実験しましたから……!」
そうボソボソ呟きながら、男性は肩にかけていた鞄から何重にも布に巻かれた一つの瓶を取り出した。見るとその瓶一杯に緑色の液体が入っている。エイダンはそれを見て、下級ポーションで何が出来るんだという考えが頭を過ったが、次の瞬間、それを改めなければならない場面に遭遇する。
「えぃやっ!!」
男性が弱々しく放り投げた瓶が、辛うじて魔物たちの足下に到達したと思ったら、激しい爆発音と共に緑色の煙が濛々と立ち込めていく。その煙に巻き込まれた魔物たちは、のた打ち回りながら叫び声をあげていた。
「やりました……! 初めて成功した……!」
「ハァ!?」
「さ! いきましょう……!」
一瞬、聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたが、男性の言う通り魔物たちの気が逸れている間に森の入り口へと向かう。
その入り口ではステラが今か今かと待ち構えていた。
「リーダー! はやく~っ!」
「待ってくれ!」
見ると、入り口のアーチが徐々に閉じ始めているのが分かった。思わず足を速める。
「すまない……! この人たちで多分最後な筈だ……!」
そしてエイダンたちが森へと足を踏み入れた途端、複雑に絡まっていた木の枝がシュルシュルと音を立てそのアーチを閉じていく。
共に来た男性は感銘の声を上げながら眼鏡を何度も掛け直し、森の中を観察している。それに共感という名の苦笑いをしながら、腕に抱いていた女性をそっと地面に下ろすと、男性はエイダンに何度も礼を言って頭を下げていた。
「リーダー、おかえり。無事で何よりだ」
「あぁ、ありが……、って。……ソレは?」
エレノアの声に振り向くと、その足元には木の枝にグルグル巻きにされた数人の男女の姿があった。
「ん? あぁ、この森で良からぬことを考えていたらしい」
その言葉の意味通り、その数人はフェアリー・リングの森の奥に進み、珍しい生き物たちを密猟しようとしていたらしい。
森の中には避難した住民たちがざっと数えても三十人以上いる。
「……ハァ。この状況で、よくそんなバカな事を考えるな……」
「同感だ」
ふと頭上を見上げると、セバスチャンが木の枝に留まり、その下に縛られている盗人たちを鋭い眼光で見張っている。
聞いたことのない鳴き声で威嚇し、殺気を向けているのがこちらにも痛い程分かった。
「あんたたち、悪いことは言わない。そのまま大人しくしておけ」
それを聞いた盗人たちの一人が何か言いたそうにしているが、それは叶わない。
なぜなら……。
「こんなに巨大な"樹人"なんて、私たちでも勝算があるか分からない相手だぞ。精々、養分にされないよう大人しくしておくんだな」
その盗人たちをグルグル巻きにして見張っているのは、"トレント"と呼ばれる人面を持った大木だ。樹木の聖霊とも言われているが、このフェアリー・リングの森を見る限り、間違いではなさそうだ。
そして自分たちのいる場所以外にも、その雰囲気からトレントと思われる大木が複数存在しているのが目視できた。
「皆さぁ~ん! この子たちが木苺を持って来てくれましたぁ~!」
半ば呆れていると、ステラが弾む声で住民たちを呼んでいる。そちらを向くと、ステラの手にはハンカチに山盛りになった、宝石のように艶々と輝く美味しそうなヒンベーレの実。
その足元では、小さなリスや兎たちがちょこちょこと動き回っていた。それを見た者たちは、その可愛らしさに皆目尻を下げながら礼を伝えている。
「リーダー、皆さんにお話を伺ったんですけどぉ、やっぱり街の中に魔法陣が突然現れたみたいなんですぅ……」
「突然、か……」
話を聞いていくと、上空を覆う雲が渦巻きだしたと思ったら、魔法陣と共に魔物が現れた。そしてその時間帯と、屋敷であの黒い靄が溢れた時間帯と一致することが判明した。
( ……あの状況から察するに、王都中がここと同じ状態になっている筈だ…… )
「ホォ──」
すると、エイダンの傍らにセバスチャンがふわりと降り立つ。
そしてまた大きく一鳴きすると、しゅるしゅると森のアーチが作り出されていく。避難した住民たちは驚きの声を上げるが、セバスチャンは意に介さずそのアーチの先へと進んで行く。
「……分かった。エレノア、ステラ、他の住民たちも助けに行こう……!」
「当然だね」
「やっちゃいますよぉ~!」
そこでふと、トレントに縛られている盗人たちを思い出す。ここにいる人たちを疑うのは申し訳ないが、自分たちが離れている間、同じ様なことをする住民がいるかもしれない……。そんな考えが頭を過る。
そんなことを考えていると、静かに手が挙がった。
「皆さん……! 心配しなくても、この森を汚すようなことは我々はしません!」
その人物は、エイダンが最後に助けたあのひょろりとした眼鏡の男性だった。その声に続き、次々と同じ声が上がる。
「私では大きな魔物相手にお力にはなれませんが……。この人たち位なら、この瓶で……」
「ソレは絶っっ対に使わないでくれっ!!」
「は、はぃ……!」
思わず駆け寄り強めに言ってしまったが、あの瓶はダメだ。絶対に使わせないようにしないと……。あの魔物たちはあの煙を吸ってのた打ち回っていた。これを人間相手に……? エイダンがそんなことを考えていると、しゅるりと木の枝が男性の持つ瓶だけを絡め取る。
「ハハ……! そこなら安心だ!」
「あぁ~……! そんな……!」
どうやら瓶は危険物判定されたらしく、トレントに没収されていた。
「リーダー! 行くよ!」
「あぁ!」
そしてエレノア、ステラと共に、エイダンもまたアーチの中を駆けて行く。進むにつれ、徐々に聞こえてくる激しい警鐘の音。意を決し、アーチの外へと足を踏み出す。その先に見えたのは、先程と同じ地獄のような光景。そして逃げ惑う住民を、そこで戦っていた冒険者たちと協力し共に森へと避難させる。
それを何度か繰り返すうち、エイダンはこの森の入り口に法則があることに気付いた。
( 全て、リンデンの樹が出入り口に繋がっている…… )
大きなリンデンの樹。その大きさ故、数は多くない。……だが、それらは全て、街のメインとなる建物や場所の近くに植えられている。それが功を奏したのか、助けられる人数も増えてきた。
森の中にはかなりの人数がいる筈だが、「助けてくれた森を荒らすのだけは止めてほしい」とエイダンが願い出ると、負傷しているが多少動ける冒険者たちが何組かに分かれて見張っておくと申し出てくれた。
これで心置きなく助けに行ける。そう思いながら他の冒険者たちとも協力してアーチを駆けて行く。
そして何度目か分からないアーチの先に足を踏み出すと、女性の悲痛な叫びが響いた。
それと同時に、瞬時にして周囲を凍てつくような冷気が覆う。そして、その先にいるであろう女性に向かって、分厚い氷壁が猛スピードで地面を覆い尽くすように現れた。
それに触れると、自分も氷壁の一部に巻き込まれてしまいそうな程の勢いで生み出される氷の防御壁。
「……ふぅ。間に合いましたぁ……」
いつの間にか自分たちを抜き去り、ステラがふらりと倒れ込む青年を慌てて支える。だが身長差があるせいか、ふらふらとして心許ない。
「リーダーぁ~~!! 早く手伝ってくださいぃ~~~っ!!」
エレノアはすでに女性を抱えている為、ステラは大声でエイダンを呼ぶ。だがそれは必要なかったようだ。不意に、青年の重みが軽くなるのを感じる。
「……ステラさん、ありがとうございます」
「ルーバンさぁん……! ご無事で何よりですぅ……!!」
青年を支えたのは、青年の使用人であるルーバン。
そしてエレノアに抱えられているのは、乳母であるナンシーだ。
「坊ちゃまを助けて頂いて、感謝致します……!!」
「私からも、お礼を言わせてください……!!」
涙ぐむルーバンとナンシーの言葉に、ステラは軽く首を横に振る。
「わたしは、ルーバンさんも、ナンシーさんも、テオドールさんも、皆みぃ~んな、助けたいんです!」
「わたし、欲張りなので!」
そう言うと、ステラは満面の笑みで二人の顔を見つめた。
その笑顔に、涙を流しながら笑みを返す二人。
するとその場の雰囲気を壊すように、氷壁の一部がビキビキと音を立てて割れ始める。そしてそのヒビ割れた隙間から、魔物が這い出てきた。
一瞬にしてその場に緊張感が走る。だが、それを笑顔で迎える人物が一人。
「……ふふ! わたし、頭にきちゃいましたぁ~……!」
「もう、泣いて謝っても、許してあ~げない……!」
絶対零度の微笑を浮かべ、ステラは躊躇なく杖を振る。
そして一瞬にして魔物が氷漬けにされるのを見て、後方にいた冒険者たちが息を呑むのが聞こえた。
「さ! 皆さぁ~ん! 他の人たちも助けに行きますよぉ~~!!」
「お、おぉ!!」
笑顔で振り向いたステラに、引き攣った表情を隠せない冒険者たち。
なぜかルーバンとナンシーは、その姿にいたく感動しているようで、エイダンは首を傾げている。
「ホォ──」
そこで静かに響いたセバスチャンの鳴き声だけが、まるで「やるじゃないか」とステラを褒め称えているように聞こえた。
先程までの薄暗かった空はまるで幻だったのかと錯覚してしまう程に、暖かい木漏れ日が森全体を優しく照らしている。
「もしかして……」
皆、呆然としながらも、ステラの呟いた声に振り返る。その足元には、大小さまざまな茸が大きく円を描くように生えていた。
そして、次々に淡い光を放ち始める。
「……フェアリー・リングの、森……?」
その呟きに答えるように、セバスチャンの鳴き声が森の中に響いた。
大きな羽を広げ、音もなくこちらへふわりと飛来する。
「……セバスチャン。わたしたちを、助けてくれたんですか……?」
「ホォ──」
ゆっくり瞬きをするセバスチャンの姿を照らすように、淡く発光するフェアリー・リング。噂にしか聞いたことは無かったが、まさか本当に実在するなんて……。
あの妖精たちと実際に会っている分、何ら不思議ではないのだが、まさか自分たちがこの森に足を踏み入れるなんて微塵も思っていなかったエイダンとエレノアの二人は、信じられないものを見るように周囲を見渡していた。
「セバスチャン、ありがとう。助かった……」
「……私からも。ありがとう」
エイダンとエレノアの言葉を理解したように、セバスチャンはまたゆっくり瞬きをする。
実際、あの時セバスチャンが飛び込んでこなかったらどうなっていたか……。あの部屋一面に覆い尽くされた靄を思い出し、背筋にゾクリと嫌な汗が伝った。
自分たちは助かったが、隠し通路に下りて行った四人はどうなったのか……。そして、あの黒い靄の正体は……? 考えれば考える程、頭が混乱していく。
「……リーダー、エレノアさん。わたし、あの屋敷に戻りたいです……」
ギュッと杖を握り締め、悔しそうに唇を噛み締めるステラ。
「村で見た、あの靄と同じなら……。わたし、絶対に許せないです……」
ステラの生まれ育ったアルトヴァーレの村を襲った悲劇。
幸い、陛下たちへの被害は食い止められたが、ステラの故郷、それに近隣の村も魔物に襲われたと報告があった。
その真剣な表情に、二人も静かに頷く。
「あぁ。あのまま放っておけば、近隣住民に被害が出るのも時間の問題だろう」
「私もステラに賛成だ。リーダー、あの靄が同じ類のものなら、やはりダンジョンの魔法陣も……」
「──……! 魔法陣……!」
その言葉にハッと顔を見合わせる。
「セバスチャン! 我々をすぐに屋敷に戻してくれっ!!」
「あのままだと街が危ないっ!!」
靄が出てきたという事は、魔法陣にも何かしらの動きがあるかもしれない。村を襲った靄と同じなら、あの時、魔法陣から出てきたのは……!
三人の声に答えるように、セバスチャンはぶわりと羽を広げ、先程よりも大きく鳴き声を上げた。
その鳴き声を合図に、周りの木々たちがゆっさゆっさと葉を揺らしながら、大きくしなり始める。淡い緑色の光がふわりと広がり、見る見るうちに木の枝で出来たアーチが完成した。
セバスチャンが飛びながら先導し、三人はその背を追うように長いアーチを潜る。そして見えてきた出口。だが、それと同時に今まで聞いたことのない激しい警鐘の音が響いてくる。
嫌な予感にはやる気持ちを抑え、やっと着いたその先は……。
「何なんだ、これは……」
「ひどい……」
アーチの終わり。足を一歩踏み出した、その先で三人が見たもの。
王都の空を覆うように、黒く渦巻く不気味な雲。街中から聞こえてくる人々の悲鳴に、魔物の咆哮。
普段の賑やかな王都の街並みを一瞬で頭の中から消し去ってしまう、地獄のような光景が広がっていた。
「セバスチャン……! 我々に森を使わせてくれ……!」
その縋るようなエイダンの言葉に答えるように、セバスチャンは森の入り口を大きく広げる。
「ステラ! すぐに防御壁を! エレノアは住民を避難させろ!」
「任せてくださいぃ~! 氷の防御壁ッ!!」
リーダーであるエイダンの命令に、ステラは襲われている住民たちを守るように氷で分厚い壁を出現させる。突如現れた氷の壁に驚く住民たちだったが、その魔法がステラのものだと理解すると、安堵したように口を震わせる。その間も凍てつくような冷気に晒され、魔物の動きが鈍っていくのが手に取るように分かった。
そして周囲にいた魔物たちの足を巻き込みながらピシリピシリと地面が凍り付き、ついには氷の彫刻のように完全に動きを封じ込めてしまった。
「皆さんっ! こちらですぅ~!!」
その声に導かれるように、住民たちはこぞって森の入り口を目指して駆け出して行く。
「きゃあぁあああっ!!」
「助けてくれ……っ!!」
その間にも、逃げ遅れた住民たちの悲鳴が響く。エレノアは疾風のように駆け抜け襲い掛かる魔物の前に立ちふさがると、電光石火の如く素早い剣捌きで次々と斬り倒していく。周囲に魔物がいないと分かるや否や、警戒もそのままに即座に動ける者に手助けの指示を出し、逃げ遅れた者や怪我を負った者たちを森へと誘導し始めた。
そして、リーダーのエイダン。いつの間にか森の入り口とは離れた場所に立っていた彼は、己の両の手で拳をぶつけ合い、腹の底に響くような雄叫びを上げる。
その声に魔物の注意がそれた、ほんの一瞬。その後ろから一陣の風が吹き、熟した果実が落ちるかの如く魔物の頭部がゴトリと地面に落ちた。その断面はまるで、鋭い刃物で斬られたかのように綺麗なものだった。
「セバスチャン……! 私の立つ瀬がないじゃないか……!」
「ホォ──……」
セバスチャンは「やれやれ」とでもに言うようにエイダンに背を向け、ステラが待つ森の入り口へと飛んでいく。その行動にまた助けられたと知ると、エイダンは苦笑しながらその梟にしては大きい背中を見つめた。
そして、森の入り口を正面から見てふと気付く。
( 確か、この場所にはリンデンの樹が植えてあったはず…… )
王都の街並みに溶け込むように、等間隔に植えられている木々の中に、大きなリンデンの樹も存在した。一際大きいその樹は、夏になると淡い色合いの花を咲かせ、暑い日差しを優しく和らげてくれる休憩所にもなっていた。その大きさ故に決して数は多くないが、街を行き交う者たちの心を癒してくれる、王都の住民にとっても馴染みのある存在だった。
「エレノア! 私は周囲に誰も残っていないか確認してくる! ステラと共に入り口を守ってくれ!」
「了解した!」
「リーダー! お気を付けて~!」
二人に背を向け、走り出す。警鐘が激しく鳴り響く中、空は先程よりもさらに速度を上げ王都を暗闇に染めていく。
そうしながら逃げ遅れた住民を保護し、森へ避難させるべく何往復も走った頃。走る先に複数の魔物の気配を感じ、咄嗟に建物の陰に隠れ息を殺しながら様子を窺う。
( ──あれは……! )
エイダンの視線の先に、一人の男性がぐったりとした女性を庇いながら魔物と対峙している。周囲には他に人の気配はしない。
男性が前方の魔物に注意が逸れている間、建物の上から魔物が後ろの女性を狙っているのが見えた。
それに気付き、エイダンは渾身の力を振り絞って落ちていた瓦礫を魔物に向かって投げた。
「ギャアァアッッ!!」
「ひぃいい……!?」
投げた瓦礫が直撃し、魔物は建物の上から真っ逆さまに転がり落ちる。自分のすぐ近くに落ちてきた魔物に驚き、男性が悲鳴を上げた。そして前方の魔物がそれに気を取られている間に、エイダンは全速力で魔物に体当たりする。
魔物が動かないのを確認し、急いで二人の下へと駆け寄った。
「よし……! 私がその人を抱えて行く! 貴方はついて来てくれ!」
「は、はぃ……っ!」
女性の頭を揺らさないように腕の中に固定し、森の入り口へと向かって駆けて行く。揺らさないよう走る為に速度は落ちるが、周辺の魔物は一通り退治した後だ。
そう思って油断した隙を突かれたのか、普段は蹴散らすような魔物がエイダンたちの行き先を阻むように複数、群れを成して現れる。
「──クソッ!」
「あ、あの……! ここは、私に任せてもらえませんか……!?」
「え……?」
そう言いながら、エイダンの後ろから必死について来ていた男性が声を上げる。
「しかし……!」
お世辞にも頼もしいとは言えないひょろりとした細長い体型に、ぼさぼさの髪を無造作にまとめただけの眼鏡の男性。その目元には、何日も眠れていないのかクマが浮いている。
「大丈夫です……! 大丈夫……! 何度も模擬実験しましたから……!」
そうボソボソ呟きながら、男性は肩にかけていた鞄から何重にも布に巻かれた一つの瓶を取り出した。見るとその瓶一杯に緑色の液体が入っている。エイダンはそれを見て、下級ポーションで何が出来るんだという考えが頭を過ったが、次の瞬間、それを改めなければならない場面に遭遇する。
「えぃやっ!!」
男性が弱々しく放り投げた瓶が、辛うじて魔物たちの足下に到達したと思ったら、激しい爆発音と共に緑色の煙が濛々と立ち込めていく。その煙に巻き込まれた魔物たちは、のた打ち回りながら叫び声をあげていた。
「やりました……! 初めて成功した……!」
「ハァ!?」
「さ! いきましょう……!」
一瞬、聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたが、男性の言う通り魔物たちの気が逸れている間に森の入り口へと向かう。
その入り口ではステラが今か今かと待ち構えていた。
「リーダー! はやく~っ!」
「待ってくれ!」
見ると、入り口のアーチが徐々に閉じ始めているのが分かった。思わず足を速める。
「すまない……! この人たちで多分最後な筈だ……!」
そしてエイダンたちが森へと足を踏み入れた途端、複雑に絡まっていた木の枝がシュルシュルと音を立てそのアーチを閉じていく。
共に来た男性は感銘の声を上げながら眼鏡を何度も掛け直し、森の中を観察している。それに共感という名の苦笑いをしながら、腕に抱いていた女性をそっと地面に下ろすと、男性はエイダンに何度も礼を言って頭を下げていた。
「リーダー、おかえり。無事で何よりだ」
「あぁ、ありが……、って。……ソレは?」
エレノアの声に振り向くと、その足元には木の枝にグルグル巻きにされた数人の男女の姿があった。
「ん? あぁ、この森で良からぬことを考えていたらしい」
その言葉の意味通り、その数人はフェアリー・リングの森の奥に進み、珍しい生き物たちを密猟しようとしていたらしい。
森の中には避難した住民たちがざっと数えても三十人以上いる。
「……ハァ。この状況で、よくそんなバカな事を考えるな……」
「同感だ」
ふと頭上を見上げると、セバスチャンが木の枝に留まり、その下に縛られている盗人たちを鋭い眼光で見張っている。
聞いたことのない鳴き声で威嚇し、殺気を向けているのがこちらにも痛い程分かった。
「あんたたち、悪いことは言わない。そのまま大人しくしておけ」
それを聞いた盗人たちの一人が何か言いたそうにしているが、それは叶わない。
なぜなら……。
「こんなに巨大な"樹人"なんて、私たちでも勝算があるか分からない相手だぞ。精々、養分にされないよう大人しくしておくんだな」
その盗人たちをグルグル巻きにして見張っているのは、"トレント"と呼ばれる人面を持った大木だ。樹木の聖霊とも言われているが、このフェアリー・リングの森を見る限り、間違いではなさそうだ。
そして自分たちのいる場所以外にも、その雰囲気からトレントと思われる大木が複数存在しているのが目視できた。
「皆さぁ~ん! この子たちが木苺を持って来てくれましたぁ~!」
半ば呆れていると、ステラが弾む声で住民たちを呼んでいる。そちらを向くと、ステラの手にはハンカチに山盛りになった、宝石のように艶々と輝く美味しそうなヒンベーレの実。
その足元では、小さなリスや兎たちがちょこちょこと動き回っていた。それを見た者たちは、その可愛らしさに皆目尻を下げながら礼を伝えている。
「リーダー、皆さんにお話を伺ったんですけどぉ、やっぱり街の中に魔法陣が突然現れたみたいなんですぅ……」
「突然、か……」
話を聞いていくと、上空を覆う雲が渦巻きだしたと思ったら、魔法陣と共に魔物が現れた。そしてその時間帯と、屋敷であの黒い靄が溢れた時間帯と一致することが判明した。
( ……あの状況から察するに、王都中がここと同じ状態になっている筈だ…… )
「ホォ──」
すると、エイダンの傍らにセバスチャンがふわりと降り立つ。
そしてまた大きく一鳴きすると、しゅるしゅると森のアーチが作り出されていく。避難した住民たちは驚きの声を上げるが、セバスチャンは意に介さずそのアーチの先へと進んで行く。
「……分かった。エレノア、ステラ、他の住民たちも助けに行こう……!」
「当然だね」
「やっちゃいますよぉ~!」
そこでふと、トレントに縛られている盗人たちを思い出す。ここにいる人たちを疑うのは申し訳ないが、自分たちが離れている間、同じ様なことをする住民がいるかもしれない……。そんな考えが頭を過る。
そんなことを考えていると、静かに手が挙がった。
「皆さん……! 心配しなくても、この森を汚すようなことは我々はしません!」
その人物は、エイダンが最後に助けたあのひょろりとした眼鏡の男性だった。その声に続き、次々と同じ声が上がる。
「私では大きな魔物相手にお力にはなれませんが……。この人たち位なら、この瓶で……」
「ソレは絶っっ対に使わないでくれっ!!」
「は、はぃ……!」
思わず駆け寄り強めに言ってしまったが、あの瓶はダメだ。絶対に使わせないようにしないと……。あの魔物たちはあの煙を吸ってのた打ち回っていた。これを人間相手に……? エイダンがそんなことを考えていると、しゅるりと木の枝が男性の持つ瓶だけを絡め取る。
「ハハ……! そこなら安心だ!」
「あぁ~……! そんな……!」
どうやら瓶は危険物判定されたらしく、トレントに没収されていた。
「リーダー! 行くよ!」
「あぁ!」
そしてエレノア、ステラと共に、エイダンもまたアーチの中を駆けて行く。進むにつれ、徐々に聞こえてくる激しい警鐘の音。意を決し、アーチの外へと足を踏み出す。その先に見えたのは、先程と同じ地獄のような光景。そして逃げ惑う住民を、そこで戦っていた冒険者たちと協力し共に森へと避難させる。
それを何度か繰り返すうち、エイダンはこの森の入り口に法則があることに気付いた。
( 全て、リンデンの樹が出入り口に繋がっている…… )
大きなリンデンの樹。その大きさ故、数は多くない。……だが、それらは全て、街のメインとなる建物や場所の近くに植えられている。それが功を奏したのか、助けられる人数も増えてきた。
森の中にはかなりの人数がいる筈だが、「助けてくれた森を荒らすのだけは止めてほしい」とエイダンが願い出ると、負傷しているが多少動ける冒険者たちが何組かに分かれて見張っておくと申し出てくれた。
これで心置きなく助けに行ける。そう思いながら他の冒険者たちとも協力してアーチを駆けて行く。
そして何度目か分からないアーチの先に足を踏み出すと、女性の悲痛な叫びが響いた。
それと同時に、瞬時にして周囲を凍てつくような冷気が覆う。そして、その先にいるであろう女性に向かって、分厚い氷壁が猛スピードで地面を覆い尽くすように現れた。
それに触れると、自分も氷壁の一部に巻き込まれてしまいそうな程の勢いで生み出される氷の防御壁。
「……ふぅ。間に合いましたぁ……」
いつの間にか自分たちを抜き去り、ステラがふらりと倒れ込む青年を慌てて支える。だが身長差があるせいか、ふらふらとして心許ない。
「リーダーぁ~~!! 早く手伝ってくださいぃ~~~っ!!」
エレノアはすでに女性を抱えている為、ステラは大声でエイダンを呼ぶ。だがそれは必要なかったようだ。不意に、青年の重みが軽くなるのを感じる。
「……ステラさん、ありがとうございます」
「ルーバンさぁん……! ご無事で何よりですぅ……!!」
青年を支えたのは、青年の使用人であるルーバン。
そしてエレノアに抱えられているのは、乳母であるナンシーだ。
「坊ちゃまを助けて頂いて、感謝致します……!!」
「私からも、お礼を言わせてください……!!」
涙ぐむルーバンとナンシーの言葉に、ステラは軽く首を横に振る。
「わたしは、ルーバンさんも、ナンシーさんも、テオドールさんも、皆みぃ~んな、助けたいんです!」
「わたし、欲張りなので!」
そう言うと、ステラは満面の笑みで二人の顔を見つめた。
その笑顔に、涙を流しながら笑みを返す二人。
するとその場の雰囲気を壊すように、氷壁の一部がビキビキと音を立てて割れ始める。そしてそのヒビ割れた隙間から、魔物が這い出てきた。
一瞬にしてその場に緊張感が走る。だが、それを笑顔で迎える人物が一人。
「……ふふ! わたし、頭にきちゃいましたぁ~……!」
「もう、泣いて謝っても、許してあ~げない……!」
絶対零度の微笑を浮かべ、ステラは躊躇なく杖を振る。
そして一瞬にして魔物が氷漬けにされるのを見て、後方にいた冒険者たちが息を呑むのが聞こえた。
「さ! 皆さぁ~ん! 他の人たちも助けに行きますよぉ~~!!」
「お、おぉ!!」
笑顔で振り向いたステラに、引き攣った表情を隠せない冒険者たち。
なぜかルーバンとナンシーは、その姿にいたく感動しているようで、エイダンは首を傾げている。
「ホォ──」
そこで静かに響いたセバスチャンの鳴き声だけが、まるで「やるじゃないか」とステラを褒め称えているように聞こえた。
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