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一話
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知った香りが、鼻先をかすめた。
(暁月さんだ)
そうとわかり、入り口を振り返る。
──ガタガタ、カラリ。
案の定、立て付けの悪い戸を横に引きつつ【そのヒト】は姿を現した。凛と目が合うなり、にこりと微笑んでくる。ヒト好きのする、素敵な笑顔の持ち主だった。
「こんにちは」
宵月町には珍しいスーツ姿のその青年は、名を暁月という。上層区に本拠地を持つ【治安保全管理局】の職員だった。
凛は僅かな緊張を表に出さないよう気をつけながら、暁月と、その後ろから入ってきた彼の部下、日織を出迎えた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
暁月と日織は軽く会釈をすると、狭い通路を奥へと進み、二人掛けの席についた。そうして凛が水を運ぶのと同時、品書きを広げることなく、すぐに料理を注文してくる。暁月が人差し指と中指をピースをするみたいに立てた。
「日替わり定食を二つ、お願いします」
「はい」
凛は頷き、そのまま厨房へオーダーを通した。
「日替わり、二つです」
「あいよ」
店の奥、熱気のこもる厨房から返事をしたのは店主の高谷だ。声の調子から察するに、客人が暁月たちだと分かっていささか機嫌を損ねている。高谷は凛を厨房に呼ぶと、身をかがめて囁いた。
「また来たのかよ、あいつら」
「見回り強化月間なんですって。仕方ないわ、仕事だもの」
「だからって毎日毎日、うちでメシ食ってくことはねえだろ」
高谷は舌打ちをこぼすと、渋々といった様子で料理に取り掛かった。
彼の指摘通り、昼時の忙しい時間を避けて暁月たちはこのところ毎日のようにこの定食屋【善】に足を運んでいた。
売り上げに貢献してくれるんだからいいじゃないと、凛はそう思うのだけど、高級取りで有名な治安管理局の職員が、わざわざこんなボロの料理屋に通うのを高谷は訝しんでいるようだった。何か裏があるのではないかと。
(なんにもないわよ……たぶん)
日替わり定食の小鉢を用意しながら、凛は暁月と日織を何気なく見やる。ふたりは揃って、店の天井隅に置かれた箱型のテレビを眺めていた。午後のワイドショーが、最近あった事件を取り上げている。
『──このように、現場には犯人のものと思われる唾液が残されており……』
凛と高谷を含め和装のあやかしばかりの店内で、黒いスーツを着用した暁月たちは、今日もやはり目立っていた。──あやかしの住まう町【宵月町】で、そんな格好をしている者はいくらもない。
凛は知らず、柔らかな毛で覆われた自身の尾っぽを揺らしていた。落ち着かない時に、そうしてしまう癖があった。
(うちの料理を気に入ってくれただけだわ、きっと)
──暁月は凛を酔っ払いから助けてくれた恩人だ。善いヒトだった。高谷だってそれを見ていて、知っているはずなのに、しかし彼は、ことあるごとに「気をつけろ」だの「近づきすぎるな」と凛に釘を刺してくる。それは暁月があやかしを【守る】のと同時、【監視監督】する立場にあるからなのだろう。暁月たちには、あやかしを拘束する権限が与えられている。
でも実際に何をされたわけでもないのに警戒する必要があるのだろうか。
と。──じっと見過ぎでしまったのかもしれない。ふいにこちらを向いた暁月と目があってしまい、凛は一瞬、硬直した。
夜空のような、綺麗な瞳。
「……っ」
凛は平静を装い視線を逸らした。幸い暁月は気にした様子もなく、またテレビに顔を戻したようだった。
凜はほっと胸を撫で下ろす。
それでもやはり、心は落ち着かなかった。
(暁月さんだ)
そうとわかり、入り口を振り返る。
──ガタガタ、カラリ。
案の定、立て付けの悪い戸を横に引きつつ【そのヒト】は姿を現した。凛と目が合うなり、にこりと微笑んでくる。ヒト好きのする、素敵な笑顔の持ち主だった。
「こんにちは」
宵月町には珍しいスーツ姿のその青年は、名を暁月という。上層区に本拠地を持つ【治安保全管理局】の職員だった。
凛は僅かな緊張を表に出さないよう気をつけながら、暁月と、その後ろから入ってきた彼の部下、日織を出迎えた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
暁月と日織は軽く会釈をすると、狭い通路を奥へと進み、二人掛けの席についた。そうして凛が水を運ぶのと同時、品書きを広げることなく、すぐに料理を注文してくる。暁月が人差し指と中指をピースをするみたいに立てた。
「日替わり定食を二つ、お願いします」
「はい」
凛は頷き、そのまま厨房へオーダーを通した。
「日替わり、二つです」
「あいよ」
店の奥、熱気のこもる厨房から返事をしたのは店主の高谷だ。声の調子から察するに、客人が暁月たちだと分かっていささか機嫌を損ねている。高谷は凛を厨房に呼ぶと、身をかがめて囁いた。
「また来たのかよ、あいつら」
「見回り強化月間なんですって。仕方ないわ、仕事だもの」
「だからって毎日毎日、うちでメシ食ってくことはねえだろ」
高谷は舌打ちをこぼすと、渋々といった様子で料理に取り掛かった。
彼の指摘通り、昼時の忙しい時間を避けて暁月たちはこのところ毎日のようにこの定食屋【善】に足を運んでいた。
売り上げに貢献してくれるんだからいいじゃないと、凛はそう思うのだけど、高級取りで有名な治安管理局の職員が、わざわざこんなボロの料理屋に通うのを高谷は訝しんでいるようだった。何か裏があるのではないかと。
(なんにもないわよ……たぶん)
日替わり定食の小鉢を用意しながら、凛は暁月と日織を何気なく見やる。ふたりは揃って、店の天井隅に置かれた箱型のテレビを眺めていた。午後のワイドショーが、最近あった事件を取り上げている。
『──このように、現場には犯人のものと思われる唾液が残されており……』
凛と高谷を含め和装のあやかしばかりの店内で、黒いスーツを着用した暁月たちは、今日もやはり目立っていた。──あやかしの住まう町【宵月町】で、そんな格好をしている者はいくらもない。
凛は知らず、柔らかな毛で覆われた自身の尾っぽを揺らしていた。落ち着かない時に、そうしてしまう癖があった。
(うちの料理を気に入ってくれただけだわ、きっと)
──暁月は凛を酔っ払いから助けてくれた恩人だ。善いヒトだった。高谷だってそれを見ていて、知っているはずなのに、しかし彼は、ことあるごとに「気をつけろ」だの「近づきすぎるな」と凛に釘を刺してくる。それは暁月があやかしを【守る】のと同時、【監視監督】する立場にあるからなのだろう。暁月たちには、あやかしを拘束する権限が与えられている。
でも実際に何をされたわけでもないのに警戒する必要があるのだろうか。
と。──じっと見過ぎでしまったのかもしれない。ふいにこちらを向いた暁月と目があってしまい、凛は一瞬、硬直した。
夜空のような、綺麗な瞳。
「……っ」
凛は平静を装い視線を逸らした。幸い暁月は気にした様子もなく、またテレビに顔を戻したようだった。
凜はほっと胸を撫で下ろす。
それでもやはり、心は落ち着かなかった。
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