森の雫、リン

ぽぽ太

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第一章

Ⅰ-ⅱ

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「で、結局、見てるだけが辛くなってここまで来ちゃったわけだ」
「そういうこと。おっかしいなあ、朝はちゃんと収穫見てる気満々だったのに。ナナが収穫手伝うって聞いたら、なんだかやる気が削がれちゃった」
「いいんじゃない?見てるだけなんてつまんないよ」
 タックはいつだってリンには耳障りのいいことを言う。いや、リンにだけじゃないか。ともかくこの幼馴染は優しいのだ。だからいつでも少し頼ってしまう。甘えてしまう。今だってそうだ。リンのサボりに付き合ってくれている。
 タックはこの村の住人らしく紙は黒いし、身体の線も細い。明るい茶色の髪を肩のあたりで切りそろえ、ほんの少し丸みを帯びた輪郭を持つリンとは大違いだ。リンから見たら羨ましいその体型も本人によれば将来のために鍛えているらしいのだが、そう言い始めて三年、少なくとも見た目の面で言えば残念ながら結果はまだ表れていない。しかし、この三年で背はとても伸びた。ついこの間までは見下ろしていたはずなのだが、今ではもうリンより頭ひとつ分高いのだ。
「うむ、不条理だ……」
 リンは丸太に腰掛けながら目の前に立っているタックを見上げながらつぶやいた。
「そんなこと言ったって仕方ないだろ。みんなからすれば案外サボってるお前の方が羨ましかったりするかもよ?」
 どうやら、タックはリンの言葉の意味を前の話の流れから汲み取ったみたいだ。勿論、リンの心の中が読めるはずもないので当たり前だが、都合がいいのでそのまま話に乗っかることにする。
「でもさ、他の村では木族じゃない人が普通に収穫してるんだよ?不条理だよ!」
「ググの実はこの村の主要産業だから、そうもいかないんだよ。ちょっとしたブランドだし、品質が命なんだ」
「知ってるよ。そんぐらい」
 ただ愚痴りたかっただけだ。
 この土地は村と言うよりも、森と言った方が近い。四方八方木々で、地面は木漏れ日であふれているし、人為的に整備された道は町へと続く一本のみだ。視界に入ってくる木々のうち幾本かには人が住んでいるが、家として使われていない木が大半である。そんなこの村の主要産業は二つ。その一つはタックのいう通り、ググという果物だった。麓の果樹園にはこの時期、大切に育てられてきた立派なググの木が沢山の黄色くてまあるい実をつけている。そして、木族であるナリ村の住人達は木々と会話しながら収穫を行う。そうすれば、ちょうどいい収穫時期の実を木々が教えてくれるのだそうだ。勿論、収穫時期以外の果樹園管理だって木々と会話しながら行われるので、この村でできたググの品質は、それはもう、他の村のそれよりも群を抜いて高かった。だから、タックの言うことはもっともなのだ。でも、でも、だ……。
「何もできないなんて嫌だよ……」
「……」
 湿った声色のリンに反応してタックが面白いほどに動揺する。
 リンとしてはちょっと思ったこと口にした程度のつもりだったのだが、自分の耳で聞いて初めてこれが自分の本音なのだと素直に納得した。リンだってみんなと同じように収穫をしたいのだ。みんなと一緒に汗を流したい。
「でも、それならさ、籠持ったり、収穫したググを仕分けしたり、色々できんだろ?」
 たしかに。言われてみれば、その通りだ。やろうと思えば手伝いなんていくらでもできる。でも、違うのだ。何が違うのか自分でもよく分からないが、それでは意味がないのだ。
 仕方なく首を横に振ったリンを見たタックは困った表情を浮かべながらも、文句ひとつ言わずに真剣に考えてくれている。
「どうしても木の実を採りたいってこと?なら、ルルさんに訊いて、採っていいのだけ採るとかさ。そりゃ、効率は悪くなるだろうけど、べつに、リンの家族だったら迷惑がるどころか喜ぶと思うよ。リンと一緒に収穫できるって」
 それはもう以前、一緒に収穫がしたいと申し出たリンにルルから提案されていた。それに、実際そうやって収穫を手伝ったことだってある。勿論、タックの言うとおり居づらさを感じることはなかったが、それもどこか違う気がして、次の年からは自分から辞退した。自分でも身勝手だと思った。一緒に収穫したいと言っておいて、いざやってみれば嫌だと言う。あれ以来リンは一緒に収穫したいと言わなくなったし、家族も気を遣って誘わなくなった。それでも去年までのこの時期は、木と話す能力が未熟で収穫なんてできないナナと遊んだり、おしゃべりをしたりしながら農作業に励む両親を眺めていればよかったのだ。
 ナナだってもう七歳だもんね。
 今頃たどたどしく木々とお話しながら収穫をしているのだろう。リンは木と話せないからその感覚はよく分からないが、いつもこの村の人たちが木と話をするときにする目を閉じて片の掌を木の幹に優しく押し付けるあの格好をしている七つ年下の妹を思い浮かべた。
「あのさ、俺思うんだけど……」
 妙にタックの歯切れが悪い。
「何?」
「気にしなくいいと思う、無族ってこと。ほら、無族でもリンはリンだし……」
 照れるな、おい。
「ありがとう」
 リンはタックの精一杯であろう励ましに笑顔で応えた。それに、こうやってうじうじしているのは自分らしくないとも思った。
「よーし、どうせなら思いっきしサボるぞー!」
 リンは、腰掛けていた丸太からひょいと跳び下りると、目の前のため池を眺めてみる。水はいつだってきれいだ。たしかにここにあるのに、とても不確かな存在。そんな水を見ていると、なんだか自分の悩みなんてとても小さく感じることができる。
「おい、そんなぼうっとすんなって」
 続いて丸太から跳び下りたタックが、棒立ちになっているリンの肩に掌を乗せる。
「思いきりサボるんだろ?ならっちょっとついて来いよ」
 どうやらとことんリンの遊び相手になってくれるらしかった。いや、もしかしたらタックはタックでリンのサボりを好き勝手に使っているだけなのかもしれない。こんなことに付き合ってもらっておきながら十分に失礼な考えが浮かんだものだが、リンの手を引いて走るタックの心底楽しそうな横顔を見ていると、そう思えてくるのも当然のことだった。
 そして、リンは言われるままにタックについていくことにした。

 あの後、しばらくただ何も考えずに元気な足取りで歩くタックの後を付いていったリンだったが、あることに気がついた。
「ねえ、こっちって国境壁のほうじゃない……?」
「その通り!こういう時期でもないと、見に行けないからな」
 たしかにその通りだろう。今は収穫の時期だから、国境壁で見回りをする人はいつもより少ないはずだ。
「でも、行っちゃ駄目って言われてるよ?」
 建設中で岩でも転がってくるかもしれないから危ないのか、隣国が攻めてくる可能性があるから危ないのか、理由までは聞いたことはなかったけれど、とにかくモナが言うことに?が無いことはたしかである。
「何だよ、らしくないな。リンって、そういうの気にしないだろう」
 タックは不機嫌と言うよりは心底不思議そうな声色でリンのほうを振り返った。まあ、無理もないだろう。実際タックの言う通りなのだから。リンだって、村の外れにあるあの柵を越えたことはあるし、商人のおじちゃんから異国のお菓子を秘密でもらったこともある。それでも、国境壁に行くことに関してはモナの言いつけがリンの足を重くしていた。
 他の大人の言いつけはろくに守らないリンだが、モナの言いつけは破ったことがない。それは、あの口数が決して多いとは言えない母親への全幅の信頼からだ。小さい頃、二人で放浪生活をしていたときの経験からきていることは間違いないだろう。モナは無意味にリンの行動を縛ったりはしない。
「ううん、やっぱ何でもない。行ったことのない場所だからちょっと怖くなっちゃっただけ」
 でも、だ。せっかくタックが連れて行ってくれると言っているのだ。タックはモナと同じくらいに大切だし、たとえ本当に国境壁の辺りが危ないとしても、彼が守ってくれるだろう。リンは勇気を持ってタックに付いていくことにした。
 そうと一度決心してしまえば、これはただの探検であり冒険な訳で、リンはなんだか楽しくなってきてしまった。
「もしもさ、仮にだよ、」
 いつものように明るいリンの声が、タックの背中にぶつかる。
「熊とかが出てきたら、ちゃんと助けてね」
「おい、冗談でもそういうこと言うなよ」
「大丈夫だって。タックはわたしと違って、体鍛えてるんだから」
「……、お前、俺のことからかってんだろ?」
「そんなことないよ?」
 笑みを湛えたような言い方になってしまったが、嘘はついていない。実際、リンは頼りにしているのだ。自分より頭ひとつ背の高いこの友人を。
 とは言え、毎朝ルル達大人が仕事場に向けて大人数通るであろうこの道に、そもそも熊なんて出るはずもないのだから、リンの発言はタックの言うとおり冗談だ。
 そして、そんなやり取りの後に覗かせるタックの決意に満ちた心強い表情がリンにはたまらなく好きだった。男の子ってどうしてみんなこうなんだろうと、無自覚が故に許される疑問を楽しみながら、リンは青々と茂る森の中を一歩ずつ踏みしめる。
 この友人と知り合ってから、数多くのいたずらや冒険をしてきたリンだが、小山の北側を下るのは初めてだった。リンの家族の巨木があるのはナリ村の南東の斜面に位置していたし、畑も町へと続く一本道の両側いわゆる村の南側に広がっていた。ため池をはじめとするタックやナナとの遊び場も村から町への間で事足りていた。要するに、小山の北側とは無縁の生活を送ってきたのだ。だから推測になってしまうのだが、それにしたって、もう四半刻ほど下っていることを考えると、そろそろ目的の国境壁とやらが見えてもいい気がする。巨木から果樹園まで行くのにだいたい四半刻かかるので、小山の反対側も麓まではそんなもんだろうと思うのだ。しかし、飛び交う鳥や掻き分ける草の量が増えていくばかりで、いっこうに前が開けない。いや、遠まわしに表現するのはやめよう。今、どうしてかリン達は道なき道を進んでいるのだ。思えば、人目を避けるためか、あの少し太い道を外れた辺りから怪しかった。
「ねえ、タック」
 言おうか言うまいか、五度ほどの逡巡を経て、リンはついに前を歩く友人に声をかけた。
「リン、どうやら俺たちは迷子らしい」
 先に言えば許されるとばかりにタックは即答した。
 やはり、迷ってたか……。
 まあ、前を行くタックが一歩ずつ自信を無くしていくのは後ろから見ていてとてもよく分かった。それでも、この友人を信じてあえて何も言わなかったのだが、無駄だったようだ。幸い太陽はまだ昼前を示していて、時間は十分にあるし、方角それ自体も間違えてはいないはずだ。
「そもそもタックは、道知ってるんじゃなかったの?」
 付いて来いみたいなことを言うから、てっきりタックは国境壁に行ったことがあるのだと思っていた。
「いや、じいちゃんが行っちゃいけないって言って目を光らせてて……。収穫初日の今日ならじいちゃんも果樹園に下りるだろ?だから……」
 だから、タックも初めてらしい。ちなみにタックの祖父は村長のジウだ。
「とにかく、一旦平地になるまで下っていこう?」
 小山のすぐ隣が隣国ってこともないだろう。それに、隣国との間には壁が築かれているはずで、もし壁に突き当たっても、そもそもそこはリン達の目的地だ。何の問題も無い。
「よし、分かった。このまま前に、あっ!うわっ!」
 消えた。つい二秒ぐらい前にそこにいたタックが。
「タック!?」
 慌ててリンはタックの名前を叫ぶ。
「ここ!下!下!」
 急に激しくなった動悸を抑えながら、恐る恐る返事のした方に向かって足を数歩踏み出していくと、さっきタックが立っていた辺りのところで地面が無くなっている。しかし、だからと言って、何も驚くことはない。どうやら、今リンは大人の背の高さぐらいある壁の上に立っているらしかった。
「ここ、何かの物置みたいだな」
 ここから落ちたのであろうタックは腰に左手をあてながらリンの立っている壁を指差した。勿論、リンの場所からはタックの指差す場所は見えない。しゃがんで後ろ向きによいしょと言いながら下りることにする。最後はタックにお腹に手を回してもらい、抱えられながら着地する。
 両足を地に着けると、さっきまで立っていた壁を見る。
「本当だ」
 どうやら壁とか垂直な崖だと勝手に思っていたが、実際は物置らしかった。左右にそこそこの距離があるレンガ造りの壁に見るからにその古さを感じさせるような木でできた扉が等間隔で取り付けられている。できたときは小じゃれた臙脂色だったのであろうレンガは、至る所に蔦が這い、主張すべき色を失っている。
「開くかな?」
 一番近くの扉のノブを両手で引きながら、タックはリンに視線をよこす。手伝えということだろう。鍵がかかっているらしい。
「扉を壊した方が早そうじゃないかな?」
 あのごっつい錠はいくらさびているとは言え、人力でどうにかなるものじゃない気がする。それなら、腐ってそうな木の扉に体当たりでも何でもした方が開くことには開くだろう。でも、それ以前に、この扉は開けていいものなのだろうか。
「まさか、ここが国境壁ってわけじゃなよね」
「そりゃそうだろ。国境壁は建設中なんだから、もっと新しいよ」
 タックが長い間使われてこなかったであろう蔦の這うレンガ造りの壁を見て言う。
「それに、この壁は何も隔ててないしな」
 タックの言うとおり。片側からしか気付けない壁なんて、もし国境を隔てているものだとしたら、全く意味が無い。
「じゃあ、何なんだろう?」
 どうやら、タックもその答えは持ち合わせていないようだった。中を見れば分かるだろと言わんばかりに肩を木の扉に打ち付ける。こういうところはリンには無い。リンはまず怒られたらどうしようと考えてしまう。一方タックは怒られてからやめればいいと思っていて、行動に躊躇がない。まあ結局リンもタックの勢いに流されて大人に秘密で色々やらかすのだが、それでも、リンはタックが色々率先して体を動かすことに毎回感心するのだ。
「私も手伝うよ」
「そうか?じゃあ、せーのいくぞ」
 この古びた扉の中には何があるんだろう?思わずの発見に期待や不安で動悸が早くなっているのが自分でも分かる。 
「せーーーの!」
 バキバキメキ――

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