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その香りに包まれたなら

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港の見える綺麗な街並みだった。
僕はこの町の景色がひと目で気に入り、生まれ育った町を捨ててここで電車を降りた。
美しい町だが、それだけでは生きてはいけない。
なんのつても持たない新天地では、職を得て食べていかなければならない。
父親から逃げ出すために父親の隠してあった大金と思っていた金は、アパートを借りて食材を買うとすぐに底をついた。
わずかに残った金とコインをお守りのように大切に、ポケットの中で握りしめながら職を探し歩いた。
丘の上から見下ろしていた風景とは違い、道は汚く、地べたに座り込む浮浪者からは悪臭が漂っていた。
僕はようやく職につくことができた。
アパートを維持し、ようやく食いつなげる程度の給料をもらう。
お陰で、店の前の道に座り込む浮浪者より少しましぐらいだが、貧しいなりの生活を続けることが出来た。
毎日懸命に働いたが、生活は常に厳しかった。
僕は成長して、新しく出来た道路に面した新規開店の店に職を変えた。
今までの店のオーナーは、給料も増やすし、どんな条件でもいいから続けて欲しい。と僕に懇願した。
僕は仕事よりも給料よりも、オーナーのじっとりと見つめる目つきが、逃げてきた父親を思い出させるのでどうしても好きになれなかった。
僕はあっさりと仕事を変えた。
給料も増え、アパートも移った。
僕の前途は、店の前の道のように綺麗で広がりを見せる。
キラキラとした毎日が楽しく、仕事にも精を出した。
グレードの上がっていく僕の中には自信が溢れ、自然と女性にも好かれた。
陰部に薄っすらと黒いものが生えはじめてから数年が経つ。
このところ女性に対する興味が、急速に高まっているのが分かる。
毎日、そのはけ口を探し回り、その中で何十回も会って気心のしれた女性と一緒に暮らし始めた。
二人でいるのは楽しく、毎日が七色の花に囲まれているようであったが、生活にかかるお金は一人で女を買っていた頃の比ではではなかった。
新しい職を得て蓄えたわずかばかりの金は、あっという間に無くなっていった。
金がなくなるにつれて生活の輝きは色褪せて、しおれた花に囲まれているような醜い面を僕に見せた。

あの頃に逆戻りしたように思えたが、今の僕には愛する妻がいる。
この女を輝かせるためにも、僕は働かねばならない。
何としても金が必要だった。
決断するにはまだ金の有る内の方が良かった。
何度も妻を抱き確認した。
彼女の瞳は、期待からか嬉しそうでもあり、不安からか悲しそうにも見える。
妻を見つめ返して、お互いの存在を確認するように身体を引き寄せあった。

出港の日には、彼女は僕の船が沖で小さくなるまで見つめていた。
『どうかご無事でお戻りください。』
祈るように手を胸の前で組んだ彼女の姿が、大聖堂のリーブラの姿と重なる。
見えなくなった後にも、僕の心のなかに彼女の姿が残っていた。

港を離れた船は、回遊魚を追い数ヶ月に渡る漁を行う。
大量となれば、莫大な金が転がり込んでくる。
出港の数時間後に、激しい船酔いが襲ってきた。
何人かいる同じ症状の者が、不慣れな初心者だと一目で分かった。
胃の中のものをすべて吐き出したが、揺れに合わせて吐き気がこみ上げてくる。
もはや胃液すら出ずに喉が、「ごえっっ、、」と音を立てるだけだ。
食事は船員全員で集まって食べるが、青白い顔をした初心者たちは、席に座っているのがやっとだった。
食い物を見るだけで吐き気がぶり返してきた。
一睡もできずに夜を明かし網の用意をする。
何日かしてようやく波の揺れにも慣れて、顔色も戻ってきた。
食事も取れるようになって、雑魚寝の船室でも眠れるようになった。
そして、その頃には僕らを見つめる古参の船員たちの目が、僕らの物色を終わらせていた。

昼間にあれだけ僕をどやしつけていた船員が、「昼間のお前の努力は分かっている」と僕の肩を叩いていく。
他の船員たちも夜になると何かと僕を励まして、ぽんと肩を叩いて元気づけてくれた。
しかし、仕事になれば全力で僕をどやしつけ、容赦なく殴りつけた。
恐怖と懐柔が僕の頭を混乱させていった。
理解と励ましの手が腰に移った。
腰をぽんと叩いた後にモゾリとうごく指が不快だった。

日中の気温が高くなり、海水で洗うだけの身体と服からは、それぞれの個体でそれぞれの匂いを放っていたが、皆が同様に臭かったので慣れて気にもならなかった。
そして、ニオイにむらがるハエのように、あの船員が眠っている僕を襲った。
何事かと思った時には、僕のズボンは降ろされて、船員の四角く太い指が僕を貫き、中で何かを掻き出すようにグニグニと動いていた。
突然、放おり込まれた異物に対して、助けを求めようと廻りを見渡すと、雑魚寝の船員たちの目が月明かりにいくつも輝きながら、こちらを凝視しているのがわかった。
離れた場所で同じように騒いでいる人間が、何人か見て取れた。
腐った魚の油の臭いがする太い指先が引き抜かれ、別の何かが入ってくる。
何が入ってきたのかは、すぐに理解できた。
もはや抵抗する気力も失せていた。
この頃には、好奇の視線はなんの遠慮もなく僕らを見つめていた。

朝は、昨日のことが嘘のように、普通に怒鳴られ殴られた。
そして、夜になると眠りに落ちる度に犯されていた。

不快が快になり、弱が強に取って代わる。
求めない夜には、僕は不甲斐ない彼をなじり続ける。
そして、夜が朝を越える。彼は僕を求めながらも僕を恐れていた。


漁を終え、あと何日かで港に帰港する。
男だらけの生活もようやく終わりを迎える。
大漁で金も入る。
船内には、これから抱きに行く女と酒の話があふれる。
あの男も例外ではなく、やはりソワソワしている。
早く女を抱きたいのだろう。
僕も早く妻を抱きたかったが、それはそれ、これはこれだった。
もはや男は僕を求めることも無くなっていた。

僕は男を夜中に甲板に呼び出し、男に詰め寄る。
男は僕に背を向けて言い訳をする。
その女々しい背中に腹が立ち、僕は男を突き飛ばした。
男は「あっ!」と声を上げながら黒い海の中に落ちていった。
体の大きな男であったが、海に落ちる音は波の音よりも静かなものだった。

船室に戻り、仲間とともに女の話で盛り上がる。
誰もあの男の事は言わない。
海での事故は多く、波にさらわれて海に消える人間も多い。
誰も知らないし、なんの証拠もない。
ほぼ全員が、叩けば埃の出るような男たちだ。


まだ夜も明けぬ深夜に、港に投錨をする。
分け前は、仲買人が金を落とした後で分配される。
皆は、この港の娼館で女をあさり夜明けを待つが、僕は一刻も早く妻に会いたかった。
出港時に僕をいつまでも見送り続けてくれた、女神のような妻の姿が今でも思いだされる。

「ご苦労さん。」
船を降りるタラップで船長が僕の腰に手を廻しながら、声を掛ける。
廻した指先をヒルのようにモゾリと動かしながら顔を近づけてねっとりと言葉を続ける。
「今度は、一緒に喰おうや。」
黄色い歯を見せながらニヤリと笑う船長の顔と腰に触れる手のひらの感触は、陸に上がろうとする僕には、もはや不快でしか無かった。
もう二度と男たちと絡む事はないだろう。

早く妻に会いたかった。
そして、この汚れきった身体を浄化するために、熱い風呂に入りたかった。
まだ暗い真夜中の道だが新しい道なので、ガス灯がほのかな灯りを照らしてくれている。
僕は跳ねるように小走りに家路を急いだ。
潮水にも負けなかった真鍮の鍵をカバンから取り出すのは何ヶ月ぶりだろうか。
妻の驚く顔が見たくて、そっと鍵を開けて寝室のドアを開けた。

僕を待ってくれるはずの妻は、もう、この世にはいなかった。

彼女を起こさないように、そっと寝室のドアを閉める。
玄関にノートに書いた手紙を置いて外に出た。
職を変え、住処を変えてここまで生きてきたが、またすべてを無くしてしまった。

『今度は、一緒に喰おうや。』
さっき聞いた船長の言葉が脳裏に浮かんだ。
とりあえず、港の街の娼館に戻って金の分配を待つまで仲間と一緒に女を抱こう。
皆が集まっている娼館ノドアを開くと、香水の香りの中に、男たちの汗と獣の臭いが漂っていた。
外気を吸って敏感になった僕の鼻腔には、あの腐った魚の油の臭いも感じ取ることが出来た。
女を裸にして陰部を吸わせている船長が僕に気づいて手招きをする。

「まぁ、一緒に抱こうや。」
僕は躊躇なくズボンを脱いで、船長を咥える女の尻をとった。
柔らかな女の感触が手のひらを通して伝わってくる。
久々に女の甘い声が聞こえる。
男たちの手で鍛えられた僕は、どこまでも貪欲に女を求めることができる。
そして、ここに集まる女たちも、その事は知っている。
何度も、強靭に果てることの出来る男と金を求めて、自己の欲望を満たすために、ここに集まっているのだ。
もっと、もっと、絡み合い求め合うために。

道のない海に職を求め、更に今僕は海に住処を求めている。
もう道に戻る事は出来ないだろう。
この漂う腐った魚の油のニオイが陰茎のずっと奥に疼きを与える。
次回はこの女のような、ひょろりとした新人たちに教えを諭す番だ。
そう考えると、女の中のペニスがますます固く膨らんでいく。
途中で引き抜いた陰茎を別の女に含ませたかった。

「おい、しゃぶってくれ。」
話し方もなんとなく男らしくなっているような気がする。
口いっぱいに含ませた女を後ろから抱いているのは、何度か関係を持った仲間だった。
男の舌を求めながら、女の口で果てる。
もはや男も女も無かった。

浮気をされたことなど、小さなことのように思えてきた。
家に帰って妻と、昔のオーナーを一緒に抱いてやろう。
愛する家族が、一人増えるだけだ。
次の出港前の練習にちょうどよかった。

あの腐った魚の油を持って帰ろう。
あの男にやられたように楽しんでみよう。
眼の前で僕を見つめながら果てる男の瞳に、ねっとりとした顔が映っている。

自分や母をおもちゃのように扱っていた父親に似ていた。

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