おてんばプロレスの女神たち ~男子で、女子大生で、女子プロレスラーのジュリーという生き方~

ちひろ

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最愛の心友・サッちゃんとの別れ

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 その後、おてんばプロレスとイケメンプロレスの対決は、ニューおてんば温泉の一大名物になっていった。試合をこなすたびに、ジュリーと青山、中村との友情は再燃していった。中村の「もっといい女になれ」というひとこと(そういえば、サッちゃんからもいわれたことがあったっけ)は、ひときわジュリーの胸に突き刺さり、イケメンプロレスのふたりに対しては、いつしか心を許すようになっていったのである。
 青山君も中村君もさすがだわ。私が本物の女子だったら、ひょっとすると恋に落ちたりして。なーんて、それは冗談だけど。イケメンプロレスとは、いい関係が築けそうだとジュリーは思っていた。
 もちろんオバさん軍団との協力関係も続いていて、おてんばプロレスとオバさん軍団の豪華精鋭女子選手によるバトルロイヤルは人気の的だった。一応女子だけのバトルロイヤルなので、ジュリーはメンバー外だったが、一度だけ出場したことがあり、そのときは女子全員の肉弾に押しつぶされ、試合開始後、わずか十三秒で負けてしまった。白一点の私をグルになって標的にするなんて、みんなずるい。ていうか、恐るべし、女子パワー。
 バトルロイヤルの変形でコスプレ・バトルロイヤルが企画されたこともあった。このときばかりはジュリーやイケメンプロレスも参戦。クイーンならぬキング(王様)の格好をした涼子先輩や、全身寅の着ぐるみに包まれた浅子先輩、チャップリンのパロディーなのか、脂肪タップリンという一日限りのリングネームで沸かせるカー子、昭和のロックンローラー気どりのアサコズマザー、ふだんと変わらぬエプロン姿のエプロン翼、野球部時代のユニフォーム(もちろん本物)を着込んだイケメン青山、なぜかどういうわけか柔道着で対抗するイケメン中村らが顔を揃え、会場は大盛り上がりだった。
 肝心のジュリーはというと、お客さん(とりわけ親父連中)からのリクエストに応える形で、生まれて初めてのセーラー服姿でリングイン。セーラー服は浅子先輩のお古を借りたもので、もちろん下にはいつもの水着を身につけていたが、親父ファンの間からは「かわいいぞ」という冷やかしの声が飛び、これがまた恥ずかしいのなんのって。寅の格好をした浅子先輩が、半分いじわるをして、ジュリーへのスカートめくり攻撃をしてきたときは、やんややんやの大騒ぎになってしまった。いくらなんでも悪ふざけが過ぎるでしょ、浅子先輩ったら。そんなジュリーのボディーを押さえつけ、スリーカウントを奪ったのが男子のイケメン中村とあっては、ファンクラブのオッさん連中も黙っていなかった。「男子がジュリーの体にさわるんじゃねねえ」とかなんとか、たちまち場内が暴動寸前に。私も男子なんだけどなー、一応。
 ジュリーにとって、おてんばプロレスはまさに青春の発散の場でもあったが、ここへきてジュリーの女子大生ライフも、それらしくなってきた。おてんばプロレスの一員としての自信が、ふだんのキャンパスライフにも好影響を与えるようになったのである。遅ればせながらクラスの女子とも仲よくなり、ランチタイムは心おきなく女子トークを楽しむようになったジュリー。ファッションの話やら、ダイエットの話やら。さすがに彼氏の話にはついていけなかったが、もしかすると、いつか自分にも素敵な彼氏ができるのかなぁなんて。ま、それはないか、百二十パーセント。
 大学一年生の夏休みをきっかけに、気持ちにちょっとだけ余裕ができたジュリーは、土・日曜日限定でアルバイトを始めた。アルバイト先は、おてんば駅前のハンバーガー屋さん。ごく普通に、ひとりの女子大生として働き始めたジュリーだったが、やがてお客さんの中に「あっ、あの子、おてんばプロレスのジュリーだ」と気づいた人がいて、それ以来、ファンが押し寄せるようになった。「ジュリー、ジュリー」と店内でコールが沸き起こったこともあるほどで、店長は「勘弁してくださーい」なんて呼びかけていたが、満ざらでもなさそうな顔つき。「ジュリー。できればこのままうちの店に就職してもいいんだぞ」とかなんとか、あのー、私ってまだ一年生なんですけど。
 一時は「きもい」という言葉に傷ついていたジュリーだったが、今では「おてんば温泉のエルジー」と騒ぎ立てられるようになった。浅子先輩が立ち上げた団体公式のSNSでは「いいね」が「いいね」を誘発し、ジュリーの人気は完全に独走態勢に入っていたのである。
 そんなある日のこと、ジュリーのもとへよからぬ連絡が入った。カレンダーが十月に変わって初めての土曜日。さぁ、今日もアルバイトと思っていた矢先のことだった。いとこのサッちゃんのお母さんから電話があり、サッちゃんが自宅で倒れて、市内の病院に緊急搬送されたというのだ。
 「えっ、何があったんですか」とジュリーは蒼くなった。
 「大丈夫だとは思うんだけど、一応ジュリーちゃんには連絡しておこうかと思って。ごめんね。これからアルバイトなんでしょう」というお母さんの声は、深い悲しみに呑み込まれていた。
 「いえ、そんなことより、私すぐにそっちへ行きます」といい、ジュリーはすぐさま救急病院へと向かった。
 サッちゃん、サッちゃん。ジュリーは、最愛の友人の名前を呼び続けながら、ママチャリで大通りの黄信号を走り抜けた。パパーンというクラクション音が、まるで悲鳴のようにこだました。
 ジュリーが病院へ到着したとき、サッちゃんは病室で絶対安静の状態に置かれていた。結論からいうと、若年者心筋梗塞。そんな病がサッちゃんを急襲したのだ。それこそ昨日までは、元気で働いていたらしいのに、人間なんていつどうなるかわかったものじゃない。
 「な、なんで‥‥なんでですか」。
 ジュリーの問いかけに、サッちゃんのお母さんは、うつむき加減で頭を振るだけであった。まだ四十代なのに、ジュリーのお母さんのショートヘアには、白いものが入り混じっていた。憔悴しきったお母さんは、見た感じひとりの老女みたい。
 ここだけの話、ジュリーのお父さんとの間では、もう一年近く別居が続いていた。サッちゃんの明るさや爽やかさとは裏腹に、複雑な環境の中でうごめいていたサッちゃんの家族。「お母さんとお父さんも時間の問題かな」なんて、ある日、サッちゃんがもらしていたことがあった。
 「そんなことないよ。サッちゃんのお母さんたちなら、きっとやり直せるから」と励ますジュリーに、「そうだよね。スマイル、スマイル」といい、ひまわりのような笑顔をのぞかせていたサッちゃん。市民センターかどこかの講習で、どうやらお母さんは手話を習っていたらしく、「笑顔ってね、手話ではこんな風に表現するんだって」とサッちゃんが教えてくれたのを思い出す。
 あまり立ち行ったことまではわからないが、お母さんとお父さんの不仲の原因は、どうやらサッちゃんの進学に関することだったようだ。サッちゃんを大学へ進ませたいというお母さんと、「そんなお金どこにあるんだ」といい、娘の進学を認めなかったお父さん。当時、サッちゃんのお父さんが勤めていた会社の経営状態は火の車で、何か月にもわたって給与の遅配が続いていたのである。
 いつだったかサッちゃんが教えてくれた言葉の中に「顔晴る」というのがあった。もちろん当て字ではあるが、「顔晴る」と書いて「ガンばる」。うん、だからサッちゃん。今こそ顔晴って。負けないで。そう念じながら、ジュリーは西陽がさし込む狭い病室で、時どき苦悶の表情を浮かべるサッちゃんの横顔を見つめていた。
 お母さんとジュリーの想いが通じたのか、数日後、サッちゃんは無事に退院することになった。サッちゃんのお母さんにつき添って、病院まで迎えに行ったジュリーだが、「よかった」と思った途端、目から真珠のような涙がこぼれ落ちてきた。泣き虫ジュリーの本領発揮。震えるジュリーの肩を、サッちゃんが抱き寄せた。
 「そのうち落ち着いたら、三人でカラオケにでも行こうか」というサッちゃんのお母さんの誘いに応じて、クリスマス直前の土曜日、ジュリーはサッちゃんらと連れ立って、市内のカラオケボックスへと出向いて行った。女子会ならぬ女子とオバさんと男子による三人の歌会。ジュリーは歌うのが苦手というか、声が男子なので、あまり人前では歌いたくなかったが、この日ばかりは大好きな女性シンガーの歌を何曲か歌ってみた。サッちゃんとのデュエットや、サッちゃんのお母さんの十八番でもある昭和のド演歌、その一曲一曲が心にしみ入るものだった。サッちゃん親子とのかけがえのない思い出の一ページ。
 「今度は温泉にでも泊まって、みんなで露天風呂に入ろうよ。ジュリーもあそこ以外は女子なんだから、どさくさにまぎれて入っちゃえば、わからないわ」なんて、ビールが大好きだというサッちゃんのお母さんが大はしゃぎ。「だって、こんなにかわいいんだもーん」といい、カラオケルームの密室で、ジュリーの唇に舌をからませてきた。きゃっきゃ、やめてー。ジュリーの唇の奥で広がる、サッちゃんのお母さんの匂い。ジュリーの体中の細胞が一気に膨張した。
 だけど、いつか本当にサッちゃんやサッちゃんのお母さんと一緒に、肩を並べて露天温泉にでも入れたら楽しいだろうなぁとジュリー自身、願わずにいられなかった。私が二十歳になったら、みんなでお酒を飲むのも楽しみだし。
 ところがである。運命とは残酷なもので、仕事に復帰したサッちゃんに再び病魔が襲いかかった。
 「サッちゃんの姿が見えない」ということで、商工会議所の職場が騒然となったのが、年の瀬も押し迫る十二月末。ちょうど仕事納めの日でもあった。午後から大掃除やら片づけが始まって、そろそろひと段落という時間になってもデスクに戻ってこなかったサッちゃん。
 「あれ、どこへ行ったべ。みんなで探すんだ」といい、職場の同僚らが駆けずりまわって、夜の九時過ぎになってようやくサッちゃんが発見されたとき、すでにサッちゃんは息絶えていた。ふだんは誰も足を運ぶことのない商工会議所の第二倉庫の奥で資料を整理していたらしく、冷たい倉庫の床の上で、ぐったりと横たわっていたサッちゃん。あんなに心優しく元気そのものだったサッちゃんが、すっかり冷たくなり、ものいわぬ状態で見つかるなんて。まさか。まさかまさかまさか。そぼ降る雪の夜、無理がたたったのか、急性の心筋梗塞が再びサッちゃんの体に牙をむいたのだ。
 訃報を知らされて、ジュリーは天を仰いだ。そして涙が‥‥涙が洪水のように流れ出てきた。あああ、サッちゃん。サッちゃん、サッちゃん。世界で一番ジュリーのことを愛し、まるで双子の姉妹のようにいつも一緒だった大々々好きなサッちゃんとの別れは、あまりにも突然に、もっとも残酷な形でやってきた。
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