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一.雪豹のいる山脈
ミケランジェロの腕
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――ミシミシッ!
飛沫が散った。
ミケランジェロの右腕は二の腕の途中からちぎれ、火花が爆ぜる。
力任せに引きちぎられたその断面からは配線や鋼鉄がのぞき見えた。
無事な左手でミケランジェロはローブの主に触れる。
その瞬間、それを覆っていた幻影は消え、ビアーの姿が表出した。
エマはビアーを蹴る。
衝撃を受けたビアーは輸送機入り口の一部を削りながらも、開いていたハッチから外に放り出され、砂場に身体を打ちつけながら湖の浅瀬で止まった。
遅らせばせながら、機内からは悲鳴が上がる。
追撃するエマはビアーに馬乗りになると、機械化した左手に力をこめ激しく拳を打ちこむ。
そのたびに湖の水が飛沫をあげた。
霰のように降り注ぐ拳にビアーは抵抗する間も与えられず、装甲は歪み、凹んで、つかんでいたミケランジェロの腕を取り落とす。
「返してもらうわよ」
ミケランジェロの腕を手にすると、エマは背中の柄を取りプラズマの刃を振るった。
「ほら、ミケ」
機内に戻ってくると、エマは取り返した腕をミケランジェロに向かって無造作に投げつける。
それを受け取ったミケランジェロは不満げに言った。
「甘いんだよ、エマ」
「悪かったわよ」
ミケランジェロのローブは攻撃を受けた際に外れていた。
その下から現れたのは文句のつけようのない端正な容貌の少年だった。
背中まである月の光の筋のような髪の毛、白磁の肌、アメジストの瞳――。
オレグが女と見誤ったのも仕方がなかった。
もしその姿に敢えて難をつけるなら、あまりに人間離れし完璧過ぎる故に気後れして近寄りがたいことだろうか。
だが今やその腕は引きちぎられ、完璧は欠損していた。
足もとには体内を冷却するために巡っていた液体――浸漬液冷が水溜りを作っている。
「痛覚は?」
「遮断した」
「浸漬液冷も随分こぼれちゃったわね」
「問題ない。すぐに肩の弁をしめて対応した。温度が上がって重大な問題を起こすほどじゃない」
「き、機械……」
だれかが呟いた。
エマとミケランジェロが振り向くと、そこには怯える人々の顔があった。
「あ、あたしたちをどうするつもり!?」
「むかし、聞いたことがあるよ。機械の中でも位が高いやつは小奇麗な顔してるって」
「最初から騙すつもりだったんだ!」
「希望を与えておきながら絶望を味合わせようなんて、悪趣味だ!」
人々は口々に罵り始めた。
ミケランジェロは舌打ちをする。
「あーあ。色めきだっちゃったわよ」
「悪趣味ねえ」
ちぎれた腕を弄びながらミケは呟く。
「そういうのは人間の専売特許でAIにはない感覚なのだが」
「嘘だ!」
オレグが叫んだ。
「ふたりは俺を助けてくれようとしたんだ。ミケが機械だなんて嘘だ!」
「やめなさい、オレグ!」
「だけど!」
母親の静止をオレグは受け入れることができない。
エマは静かに告げた。
「オレグ、ミケは機械だよ」
「え?」
「だけど、ミケはミケだし、わたしはわたしだ。オレグがオレグでしかないのと同じ。そこに機械か人間かの違いなんて関係あるのかな」
「だけど、機械は人間をいっぱい殺して……」
「そうだね。だけど人間だって人間をいっぱい殺してきたんだよ」
エマはすうっと息を吸い、声を張った。
「ねえ! わたしたちが怖いなら戦えばいいじゃない。それにここから降りたいなら降りたっていいのよ。止めたりはしないから。ただし、異変を察した機械の兵士たちがここに殺到するだろうけどね」
太もものベルトからナイフを取りだす。
黒い刃先が鈍く輝いた。
「悪いけど、時間がないの。人生は選択の重なりでできている。流されるというのも、流されることを選択しているんだ。だから選びなよ。ここから降りたいなら縛めを解いてあげるから。だけどここに残るんだったら、目的地に着くまでその縛めは外すつもりはない」
「……脅すつもりかい?」
このなかで一番年配の女性が聞いた。
「どうとでも自由にとらえてくれて構わないわ」
機内はシンと静まり返る。
発言をするものはもういなかった。
「沈黙は同意として受け止めるわ」
エマとミケランジェロは航空機の先頭に向かう。
外を見渡せる窓はあるが、操縦席はなかった。
「自動操縦ね。いける?」
エマがミケランジェロに訊く。
「愚問だろ。ナイフを」
ミケランジェロは受け取ったナイフを横の壁に突き立て、テコの原理を利用して壁を剥がし、基板を引っ張りだす。
「ネブラ!」
外を巡回していたネブラがハッチから機内に入ってくる。
バサッバサッと羽音をさせてミケランジェロの無事な方の腕に止まると、基板をついばんだ。
灰褐色の羽毛の背中にミケランジェロは額をあて、目を閉じる。
一帯にはまだ紫色の数字が満ち、キューブ型に切り取られたままだった。
ミケランジェロはそれを回収すると、ケルーブ・ハイ・ネットワークに一時繋がる。
垂直離着陸機KLISを飛ばすには正確な座標とマニュアルを得る必要があった。
そのためには、一時的にホストと接続しなけらばならない。
ミケランジェロはキューブ型の分身をKLISの信号でコーティングして流しこむ。
ケルーブ・ハイ・ネットワークへの接続はいつもながら嫌な気分だった。
巨大な目のようなものが常時ねっとりと見張っている。
視線は複数にも唯一無二にも感じられた。
その象徴にはいくつかのいわれが囁かれていた。
プロビデンスの目(※1)を模したとも、真理を司る第三の目だとも、母の大いなる愛だとも――。
鼻で笑いたくなるような気分だ。
必要としている情報は、もともと外部接続を前提としているため、そこまで深く潜らずとも手に入った。
さっさとお目当ての情報を引きだすとミケランジェロは早々にずらかり、KLISをネットワークから切り離した。
紫色の0と1の数字がKLISを侵食する。
間もなく完全にミケランジェロの支配下に置かれた。
「マニュアルに切り替えた。ネットワークにはこいつの偽物の信号を流しこんだ。しばらくは騙されるだろう。飛ばすぞ」
ハッチを閉め、エンジンをかける。
KLISは垂直離着陸輸送機だ。
主翼と尾翼についたプロペラが高速回転するとシルバーの機体はふわりとまっすぐに浮いた。
十分な高度を得ると、主翼は九十度回転し、飛行を始める。
「おかしい」
ミケランジェロは怪訝な表情をした。
「どうしたの、ミケ」
「微弱だが、なにかがケルーブ・ハイ・ネットワークに繋がった」
「なにかってなによ?」
目を瞑って意識を集中させていたミケランジェロは、次の瞬間にはキョロキョロと辺りを見回す。
そして、発見した。
「それはなんだ?」
銀色の袋のようなものが無造作に転がっている。
てっきり非常時用の装備品でも入っているかと思ったエマは気にも留めていなかったのだ。
袋を開けると、中からは意識を失った小さな少女が姿を現した。
「アセル!」
オレグが叫ぶ。
走りだそうとするオレグだったが、それを母親が引き止める。
「そういえば、オレグは妹が病気だって言ってたわね」
「となると、感染の疑いがあったために、その袋に突っこんでおいたんだろう。殺されていないということは――。エマ、注射の跡を探せ」
「えっと……。ある。肩に」
「ということはいい知らせと最悪な知らせがある」
「もったいぶるわね」
「心構えだよ。いい知らせは、その子の病気は治るだろうということ。最悪な知らせは、その子の体にはナノマシンが入りこみ、どこにいても追尾されるということ。いや、現段階ですでに追尾され始めている。――まずいな。多分、ビアーからの応答がないことがバレた」
「どうすればいい?」
「僕らが助かる選択肢は少ない。選択肢のひとつとして考えられるのは、その子を直ちに降ろすことだ。簡単に済ませるなら、一度ハッチを開けて落としてしまい、さっさとこの場所から去ることだね」
「ふざけるな!」
オレグが怒鳴った。
「そんなことしたら、アセルが死んじゃうじゃないか!」
「そうだよ。だが、一人の犠牲でほかの人間の命を助けることができる。なにもしなければやってきた戦闘機に攻撃されて、ここにいる全員が殺される可能性だってあるんだ。おまえは一人のために全員に死の危険性を冒せって言うのかい」
「だけど……! だけど、そんな……ひどいこと……」
「ひどい? 代替案もないのに、要求だけ突きつけるほうがよっぽどひどいし、卑怯だろう」
ミケランジェロはその美しい顔で冷たくオレグを見つめる。
オレグは言葉を失うしかなかった。
※1 プロビデンスの目とは、キリスト教の神の全能の目を意味します。俗に言えば、フリーメイソンの象徴としてよく出てくるピラミッド型と一緒に描かれることが多いあいつのことです。
飛沫が散った。
ミケランジェロの右腕は二の腕の途中からちぎれ、火花が爆ぜる。
力任せに引きちぎられたその断面からは配線や鋼鉄がのぞき見えた。
無事な左手でミケランジェロはローブの主に触れる。
その瞬間、それを覆っていた幻影は消え、ビアーの姿が表出した。
エマはビアーを蹴る。
衝撃を受けたビアーは輸送機入り口の一部を削りながらも、開いていたハッチから外に放り出され、砂場に身体を打ちつけながら湖の浅瀬で止まった。
遅らせばせながら、機内からは悲鳴が上がる。
追撃するエマはビアーに馬乗りになると、機械化した左手に力をこめ激しく拳を打ちこむ。
そのたびに湖の水が飛沫をあげた。
霰のように降り注ぐ拳にビアーは抵抗する間も与えられず、装甲は歪み、凹んで、つかんでいたミケランジェロの腕を取り落とす。
「返してもらうわよ」
ミケランジェロの腕を手にすると、エマは背中の柄を取りプラズマの刃を振るった。
「ほら、ミケ」
機内に戻ってくると、エマは取り返した腕をミケランジェロに向かって無造作に投げつける。
それを受け取ったミケランジェロは不満げに言った。
「甘いんだよ、エマ」
「悪かったわよ」
ミケランジェロのローブは攻撃を受けた際に外れていた。
その下から現れたのは文句のつけようのない端正な容貌の少年だった。
背中まである月の光の筋のような髪の毛、白磁の肌、アメジストの瞳――。
オレグが女と見誤ったのも仕方がなかった。
もしその姿に敢えて難をつけるなら、あまりに人間離れし完璧過ぎる故に気後れして近寄りがたいことだろうか。
だが今やその腕は引きちぎられ、完璧は欠損していた。
足もとには体内を冷却するために巡っていた液体――浸漬液冷が水溜りを作っている。
「痛覚は?」
「遮断した」
「浸漬液冷も随分こぼれちゃったわね」
「問題ない。すぐに肩の弁をしめて対応した。温度が上がって重大な問題を起こすほどじゃない」
「き、機械……」
だれかが呟いた。
エマとミケランジェロが振り向くと、そこには怯える人々の顔があった。
「あ、あたしたちをどうするつもり!?」
「むかし、聞いたことがあるよ。機械の中でも位が高いやつは小奇麗な顔してるって」
「最初から騙すつもりだったんだ!」
「希望を与えておきながら絶望を味合わせようなんて、悪趣味だ!」
人々は口々に罵り始めた。
ミケランジェロは舌打ちをする。
「あーあ。色めきだっちゃったわよ」
「悪趣味ねえ」
ちぎれた腕を弄びながらミケは呟く。
「そういうのは人間の専売特許でAIにはない感覚なのだが」
「嘘だ!」
オレグが叫んだ。
「ふたりは俺を助けてくれようとしたんだ。ミケが機械だなんて嘘だ!」
「やめなさい、オレグ!」
「だけど!」
母親の静止をオレグは受け入れることができない。
エマは静かに告げた。
「オレグ、ミケは機械だよ」
「え?」
「だけど、ミケはミケだし、わたしはわたしだ。オレグがオレグでしかないのと同じ。そこに機械か人間かの違いなんて関係あるのかな」
「だけど、機械は人間をいっぱい殺して……」
「そうだね。だけど人間だって人間をいっぱい殺してきたんだよ」
エマはすうっと息を吸い、声を張った。
「ねえ! わたしたちが怖いなら戦えばいいじゃない。それにここから降りたいなら降りたっていいのよ。止めたりはしないから。ただし、異変を察した機械の兵士たちがここに殺到するだろうけどね」
太もものベルトからナイフを取りだす。
黒い刃先が鈍く輝いた。
「悪いけど、時間がないの。人生は選択の重なりでできている。流されるというのも、流されることを選択しているんだ。だから選びなよ。ここから降りたいなら縛めを解いてあげるから。だけどここに残るんだったら、目的地に着くまでその縛めは外すつもりはない」
「……脅すつもりかい?」
このなかで一番年配の女性が聞いた。
「どうとでも自由にとらえてくれて構わないわ」
機内はシンと静まり返る。
発言をするものはもういなかった。
「沈黙は同意として受け止めるわ」
エマとミケランジェロは航空機の先頭に向かう。
外を見渡せる窓はあるが、操縦席はなかった。
「自動操縦ね。いける?」
エマがミケランジェロに訊く。
「愚問だろ。ナイフを」
ミケランジェロは受け取ったナイフを横の壁に突き立て、テコの原理を利用して壁を剥がし、基板を引っ張りだす。
「ネブラ!」
外を巡回していたネブラがハッチから機内に入ってくる。
バサッバサッと羽音をさせてミケランジェロの無事な方の腕に止まると、基板をついばんだ。
灰褐色の羽毛の背中にミケランジェロは額をあて、目を閉じる。
一帯にはまだ紫色の数字が満ち、キューブ型に切り取られたままだった。
ミケランジェロはそれを回収すると、ケルーブ・ハイ・ネットワークに一時繋がる。
垂直離着陸機KLISを飛ばすには正確な座標とマニュアルを得る必要があった。
そのためには、一時的にホストと接続しなけらばならない。
ミケランジェロはキューブ型の分身をKLISの信号でコーティングして流しこむ。
ケルーブ・ハイ・ネットワークへの接続はいつもながら嫌な気分だった。
巨大な目のようなものが常時ねっとりと見張っている。
視線は複数にも唯一無二にも感じられた。
その象徴にはいくつかのいわれが囁かれていた。
プロビデンスの目(※1)を模したとも、真理を司る第三の目だとも、母の大いなる愛だとも――。
鼻で笑いたくなるような気分だ。
必要としている情報は、もともと外部接続を前提としているため、そこまで深く潜らずとも手に入った。
さっさとお目当ての情報を引きだすとミケランジェロは早々にずらかり、KLISをネットワークから切り離した。
紫色の0と1の数字がKLISを侵食する。
間もなく完全にミケランジェロの支配下に置かれた。
「マニュアルに切り替えた。ネットワークにはこいつの偽物の信号を流しこんだ。しばらくは騙されるだろう。飛ばすぞ」
ハッチを閉め、エンジンをかける。
KLISは垂直離着陸輸送機だ。
主翼と尾翼についたプロペラが高速回転するとシルバーの機体はふわりとまっすぐに浮いた。
十分な高度を得ると、主翼は九十度回転し、飛行を始める。
「おかしい」
ミケランジェロは怪訝な表情をした。
「どうしたの、ミケ」
「微弱だが、なにかがケルーブ・ハイ・ネットワークに繋がった」
「なにかってなによ?」
目を瞑って意識を集中させていたミケランジェロは、次の瞬間にはキョロキョロと辺りを見回す。
そして、発見した。
「それはなんだ?」
銀色の袋のようなものが無造作に転がっている。
てっきり非常時用の装備品でも入っているかと思ったエマは気にも留めていなかったのだ。
袋を開けると、中からは意識を失った小さな少女が姿を現した。
「アセル!」
オレグが叫ぶ。
走りだそうとするオレグだったが、それを母親が引き止める。
「そういえば、オレグは妹が病気だって言ってたわね」
「となると、感染の疑いがあったために、その袋に突っこんでおいたんだろう。殺されていないということは――。エマ、注射の跡を探せ」
「えっと……。ある。肩に」
「ということはいい知らせと最悪な知らせがある」
「もったいぶるわね」
「心構えだよ。いい知らせは、その子の病気は治るだろうということ。最悪な知らせは、その子の体にはナノマシンが入りこみ、どこにいても追尾されるということ。いや、現段階ですでに追尾され始めている。――まずいな。多分、ビアーからの応答がないことがバレた」
「どうすればいい?」
「僕らが助かる選択肢は少ない。選択肢のひとつとして考えられるのは、その子を直ちに降ろすことだ。簡単に済ませるなら、一度ハッチを開けて落としてしまい、さっさとこの場所から去ることだね」
「ふざけるな!」
オレグが怒鳴った。
「そんなことしたら、アセルが死んじゃうじゃないか!」
「そうだよ。だが、一人の犠牲でほかの人間の命を助けることができる。なにもしなければやってきた戦闘機に攻撃されて、ここにいる全員が殺される可能性だってあるんだ。おまえは一人のために全員に死の危険性を冒せって言うのかい」
「だけど……! だけど、そんな……ひどいこと……」
「ひどい? 代替案もないのに、要求だけ突きつけるほうがよっぽどひどいし、卑怯だろう」
ミケランジェロはその美しい顔で冷たくオレグを見つめる。
オレグは言葉を失うしかなかった。
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