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<第二巻:温厚無慈悲な奴隷商人>
第二十五話:奴隷商人はハリリ侯爵の屋敷を訪れた
しおりを挟むハリリ家の主人であるスレイマン・アル・ハリリは、侍女が茶を入れ終わると湯温も確かめずに口に運んだ。
主人の好みの温度にあらかじめ用意されているのだろう。
俺は、ライラの親父さんであるスレイマンの正面に座ると、同じく茶を啜った。
熱すぎない程度に冷まされている。
長い階段を上がった俺は、喉が渇きを癒すために、一気に飲み干した。
「どうだ、美味いだろう。先日、手に入れたばかりの東の大陸から取り寄せた茶だ。もう一杯どうだ?」
スレイマンは、微笑んで言うと答えを待たずに、傍らに立った侍女に合図を送った。
ティーポットを持った侍女が、テーブルの上の湯飲みに茶を注ぐ。その光景をしばらく見てから俺は口を開いた。
「美味しいお茶ですね。烏龍茶に似ていて飲みやすいです」
「ほぉ、その烏龍茶というものは知らないが、それはどんな茶なんだい?」
この世界に同じものがあるとは思えないが、東の国に茶を飲む文化があるのなら似たものがあるかもしれない。
俺は、湯飲みを指差して、このお茶と同じような味のする東の国のお茶だと伝えた。まったく答えになっていないが、他に言いようがない。
スレイマンは満足げに頷くと、喜んでもらえて良かったと言い、烏龍茶なるものも是非手に入れて飲みたいものだと言った。
迂闊に元いた世界の商品名を出してしまい、失敗したなぁと俺は反省したが、それ以上は深く聞かれなかったので安堵した。
「ニート君は、見識が広いというか、知識量が豊富だな。ところで、今日はどのような用件だ? ライラとの結婚のことか?」
「えっ? 結婚……? 違いますよ。仕事の話です」
「なんだ、ライラとの結婚の日取りでも伝えに来たのかと思ったぞ」
前回会った時に、そんな気はないことを伝えてあったが、伝わらなかったのか。
もしかして、ライラの親父も娘に似て思い込みが激しいのかな?
「ライラのことは、ニート君に任せたからな。いいようにしてやってくれ。私には子供が多いから、一人くらい自分で見つけた相手と結婚してもいいだろうと思っている。ライラも、小さな頃からニート君のことがお気に入りだったからなぁ。もう結婚に反対したりせんよ」
「そ、そうなんですか……。あの、仕事の話を……」
あぁそうだった、と膝を叩いたライラの親父は、ソファの背もたれから身を起こし、きちんと座り直した。
こうやって、聞く態勢を示してくれるのは、相談する俺としてはありがたかった。
気さくに話をしているが、王都の宰相のうちの一人であるライラの父親は、本来であれば気軽に話することも叶わないような立場の人だ。
こうやって膝を突き合わせ話ができるのも、ライラのおかげでもあり、俺の親父と旧知の仲ということもあるのだろう。
俺が今日訪れたのは、奴隷の権利について俺の考えを聞いてもらうためだった。
宰相であるスレイマンに聞けば、何か打開策が浮かぶのではないかと思って、尋ねて来たのだ。
俺は、湯飲みをテーブルに置くと、姿勢を正して言葉を選びながら話を始めた。
「以前にもお話ししましたが、奴隷商人という職業はおそらくこの先消えて無くなるでしょう。必ず、いつか奴隷にも人間らしく生きる権利があるという風潮になっていきます。その時、奴隷は一般市民と同じような権利を有することになると考えています」
「しかし、それは仮定の話だろう? もしそうなったとして、奴隷たちが解放される時が来てから考えればいいのではないか?」
もっともな意見、初めは俺もそう考えていた。しかし、現状のままでいるのはリスクが高い。
「もし、奴隷たちにも一般市民と同じ権利が与えられる日が来た時、今まで奴隷を使役していた上流階級のみなさんや経営者などに矛先が向くようになります。過去の清算と言う名の賠償があちらこちらで起きるかもしれません。今までさんざんコキ使った費用を請求されるということです。また、ある者は、暴力を振るわれたことを訴えて慰謝料を払えと言ってくるかもしれない。つまり、今はどれだけ酷い仕打ちをしても黙って言うことを聞いていた奴隷たちが、逆に権利を振りかざす可能性もあるわけです。奴隷商人も同じように人身売買で儲けた金は悪い金だと言われて財産没収されることになる可能性もないとは言えない」
ゆっくりと、奴隷たちを今から大切にしておかないと、将来必ずそのしっぺ返しがくるのだと丁寧に説明した。
「そうならないように、奴隷に権利を持たせないようにしたほうが早いんじゃないのか?」
「それは甘いです。この先何十年、何百年と経っていく中で、今の俺のように必ず奴隷たちを守ろうとする者たちが現れます。ただ、それは一人の人間だけが言い始めるわけではなく民意として、大きな流れが出来てきます。国が豊かになればなるほど、人は誰かを幸せにしたくなるものです。弱い立場の人を助けたいと思うのは人間の欲求なのです。だからこそ、今のうちに法整備をしておきたいのです」
腕を組み、しばらく頭の中で反芻しているようなスレイマンを俺は、固唾を飲んで彼の言葉を待っていた。
「ニート君は、奴隷を解放したいと思っているのか? それだと奴隷商人としてやっていけなくなるんじゃないのかな?」
「いいえ、今すぐ解放したいとは思っていません。解放はいずれ世の中の流れでそうなっていきます。それに、奴隷商人もメシのタネを簡単には手放せません。多くの奴隷商人の生活もかかっていますから」
俺の本心は当然、奴隷制の廃止だが今の俺には、この国の制度を変える力などない思っている。それに、スレイマンが言うように、奴隷商人ギルドの長でもある俺が、奴隷制を廃止すると路頭に迷う者が出てしまう。
どちらも守りたいという、俺のわがまま。だから、今の俺にできることをやるだけだ。
「奴隷たちも人間らしく生きる権利を持たせたいのです。将来に禍根を残さないためにも今から準備が必要と考えています」
権利ねえ……と呟くと、再び腕組みをして何やら考えているようだった。
そして、しばらくするとスレイマンは口を開いた。
「奴隷に人間らしく生きる権利か……ニート君は常識に捉われない柔軟な発想ができるようだ。しかし、奴隷にも種類がある。その点はどう考えているんだい?」
あご髭を撫で付けながら、スレイマンは俺に尋ねる。その問いは俺も真っ先に考えてあった。
「まず、法によって裁かれて奴隷となった犯罪者や敵国の捕虜については、権利を有せず生殺与奪は国家が決めるという現状のままで良いと考えています。それ以外の奴隷……例えば、労働奴隷や性奴隷は『奴隷という職業』を担っている者として扱うべきです。労働力を提供する、性的奉仕を提供するという職業者と考えるのです」
スレイマンは、身を乗り出して俺の話を聞いている。興味を持ったみたいだ。
「奴隷という職業か……。つまり、捕虜や犯罪者と一般の奴隷とは別に考えるということなんだね」
感心したように何度か頷くとスレイマンは、その見分けをどうするか……だな、と独り言ちた。奴隷となった経緯を記録する必要がある。人さらい、誘拐されて奴隷になった者と、親に金のために売られた者など、奴隷堕ちした経緯は様々だ。
「その前に、奴隷の所有権についてお話ししたいと思います。先ほど申し上げた捕虜や犯罪者奴隷の所有権は国王とします。国王が所有して奴隷たちの生殺与奪、運用は国家で決められるということで考えています。俺が、権利を与えたいのはあくまでも市井の奴隷たち。一般的にやり取りされている奴隷。その所有権は国家とします」
現在の奴隷の所有者は、とうぜん奴隷を購入した人だが、それだと所有者が好き放題してもいいことになってしまう。俺の物をどう扱うが勝手だろうという考えをしている人がほとんどだ。その認識を変えさせる必要があった。できれば、奴隷は国家のものであり、使用する権利を所有者が得ているということにしたいのだと、スレイマンに説明した。
元いた世界の常識では、人間を国家の持ち物とする考え方は明らかにおかしい。職業選択の自由も、どこに住むかも自由でなければならない。しかし、この世界は奴隷制度が今もあるのだ。奴隷を突然、自由にするより一歩ずつ、権利をもぎ取っていくほうがいいだろう。急激な変化は反発も大きい。これくらいならいいだろうと、小さな変化の積み重ねであれば、俺は少しずつでも環境改善されていくのではないかと考えたのだ。
「なるほどな……しかし、はたして現在所有している奴隷を国家の物だと言って、皆が了承するだろうか」
「当然、反発はあるでしょう。しかし、奴隷の所有を許可制にして、使用に期限を設けるのです。たとえば三年ごとに更新するようにする。現在、すでに購入済みの奴隷も三年間の猶予のあと、更新時に所有権は国家である旨を同意させる。もし、同意しないのであれば奴隷を没収する決まりにすれば、いずれ全員が認めざるを得ないでしょう。もちろん、今お話ししたのは一つの案ですので他に手があればご教示ください」
奴隷という職業を三年更新にする……その更新のたびに、奴隷商人は手数料を取ればいい。
この国には奴隷が数万人いるのだから、奴隷の売買だけでなく三年毎の更新料が入れば安泰だ。
「所有権についてはわかった。それと、奴隷が人間らしく生きる権利と、どう関係するのだ?」
「奴隷が国の物であれば、粗末に扱えないというのもありますし……それに――――」
俺は一時間ほど、スレイマンと議論して、俺の考えを聞いてもらった。
今はまだ所有権と権利関係だけをきちんと法整備する程度でいいとだけ伝え、草案は俺が作るということでお開きとなった。
スレイマンは、俺の話を聞いて少しでも疑問点があれば尋ねてくれるため、まだ穴だらけの案だが、少し考えが整理することができて良かった。
やはり、自分一人で考えるより、誰かに相談すると新しい発見があるな。
◆
ハリリ家の門をくぐり、外に出ると日は高く上がっていた。
今日も気温が高いが、湿度が低く風は冷たい。日陰に入ると気持ち良い風が体を冷やしてくれる。
俺は、貴族たちが住む丘の上から、階段を降りると城下町の石畳を徒歩で進んだ。活気にあふれた街で、行き交う人も多い。
露天には野菜や果物が並び、色とりどりで華やかで見ているだけで気分が上がる。
しかも、道ゆく女たちは薄着で露出度が高く、手足が長いスレンダーな女性が多いのもこの街の魅力の一つだ。
しばらく、ひとりでブラブラと街を散策していると、下着屋の女将の店の前を通った。
ちょうど、下着屋の店の扉が開き、客を見送る女将が現れる。お互いに目が合って会釈をする。
「ニート様、いいところにいらっしゃいました!」
女将は嬉々として、俺の腕を取ると店に引き摺り込まれた。
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