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午前十一時~午後十二時。

勇者達の自決

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 御文庫の会議室では遂に枢密院本会議が始まった。その本題は終戦詔書の確認である。結局阿南陸相の意見が通った形だった。枢密院側からは平沼議長、清水徹副議長、その他十二人の枢密顧問官が出席し、政府側からは鈴木首相、東郷外相、村瀬法制局長官らが出席した。この十七人によって天皇と鈴木内閣が決めた敗戦を確認しようと云う作業が成される訳である。天皇が御出座しになると直ぐに平沼議長が開会の辞を述べ、続いてやや口をもごもごさせながら「朕は政府をして米英支ソのポツダム宣言を受諾する事を通告せしめたり・・・・」とお沙汰書を朗読し始めた。それを聞く天皇の表情はやや強張っている。やがて平沼議長がお沙汰書を朗読し終えると天皇に恭しく礼をとり、鈴木首相を呼び出して席へと戻った。呼び出された鈴木首相は天皇に「今次大戦の処置に関しましては・・・・」と終戦詔書に関する説明と総括を長々と述べ始めた。これが終わって後天皇は隣の部屋に移り自身の声が録音された玉音放送を聞くのである。

 放送会館では「甲」の玉音盤が第八スタジオへと入った。ここから玉音放送は流されるのである。その中には先程首相官邸へと赴いていた下村情報局総裁と川本秘書官の姿もある。閣議は既に終わっている事が分かり、急いでここへと駆け付けたのだった。そして駆け付けて早々下村情報局総裁は放送会館の技術部員達が玉音放送のテストを行っている事に憤慨し彼らをたしなめた。玉音放送のテストは不敬罪に当たると云うのである。馬鹿馬鹿しい話である。今回玉音放送の前説を話すのは和田信賢放送員だった。後数十分間もすれば玉音放送は流れる予定である。和田放送員はもう一度畑中少佐が来ないかどうか第八スタジオの入り口を注視していた。もう一度巻き返しを図って来るのではないか?と訝しがっていたからだった。

 しかし当の畑中少佐は宮城の二重橋と坂下門の間の芝生の上で辞世の歌を作っているのである。その歌は「今はただ 思い残す事なかりけり 暗雲去りし御世となりなば」と云うものだった。それを戻って来た芹沢鴨と椎崎中佐に見せて笑った。その笑顔からはその歌にあるように後悔は見られない。しかし暗雲と云う表現を連合国、特にアメリカだと敢えて断定するならば敗戦後から今日まで一貫して日本列島は米軍に占領されている事実がある。この時の畑中少佐の想いは結局叶えられなかったと言えようか。一方椎崎中佐も胸元から遺書を取り出した。そこには短く「至誠通神」とだけ記してある。読み下せば「至誠は神に通じる」と云う事だろうが、この神は現人神である天皇の事なのか、もしくは天照大神のような古事記に出てくる伝説の神々の事なのかを推し量る事は出来ない。二人共それを芹沢鴨に託して「介錯を頼む」と言った。どうやら椎崎中佐も自決するようである。先陣を切るのは畑中少佐だった。畑中少佐は正座をして一度芝生に額を突いてからピストルを頭に打ち据えた。どうやら切腹ではないようである。芹沢鴨はその後ろに立って軍刀を構えた。畑中少佐は「短銃を撃ったら首を落として欲しい」とだけ言った。芹沢鴨は「承知」と呟いた。すると引き金が抜かれ「パーン」と銃声が辺りに響いた瞬間、畑中少佐の頭は俯いたので、芹沢鴨は「お主は真の武士だぁ」と絶叫し首を刎ねた。鮮血が一気に噴き出して芝生を染めた。畑中少佐は逝った。顔に大量の返り血を浴びた芹沢鴨は「怖気づいたか」と椎崎中佐を見て笑った。それは鬼が人を食った後の顔とも言えた。しかし椎崎中佐は平然として「いや返って私はもっと苦しんで自決したいと思った。私は畑中のようにピストル自決ではなく切腹する」と言い切り、畑中少佐と同じように正座をして一度芝生に額を突き軍刀を鞘から出して上着を脱いだ。その表情は何の迷いもない益荒男の顔である。芹沢鴨は頼もしさを感じ、また椎崎中佐の後ろに立った。椎崎中佐は「よろしくお願いします!」と叫び軍刀の刃を自身の腹へと突き刺した。また鮮血が辺りに流れる。芹沢鴨はすかさず「行くぞ!」と言い軍刀を振り上げたが、椎崎中佐は「まだまだぁ!」と叫んで一度刺した軍刀を引き抜いてもう一度腹に突き刺したのだった。つまりは二度腹を掻っ捌いた訳である。そして椎崎中佐は嗚咽して血を吐きながら「頼む」とだけ呟いた。芹沢鴨は「椎崎君、お主に会えてわしは幸せじゃ!」と目を閉じながら軍刀を首に落とした。
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