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午後九時~午後十時。

畑中少佐らの陰謀が成功す

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 陸軍省の一室では明日の玉音放送が降伏決定の内容である事を既に知っている人間が何の驚きも感じずに午後九時から放送されたラジオ放送を聞いていた。軍事課長荒尾興功大佐である。ラジオは「明日正午に重大放送あり」と盛んに伝えているが、それが亡国を告げる知らせだと分かっているだけに酷いやるせなさを荒尾大佐は感じるのだった。そして荒尾大佐はこの日敗戦決定に当たり陸軍省内の書類処分や陸軍省を訪れる陸軍関係者に対する応対に忙殺された後で、このラジオ放送を聞き終わると「ああ、本当に日本は敗戦するんだなぁ」としみじみ実感した。今振り返れば「三年前の昭和十七年の二月にイギリス領シンガポールを陥落させた時が帝国陸軍の歴史の中では一番のクライマックスであり、あの時戦局を拡大せずに連合軍と講和していれば今日のような事態には立ち至らなかったのではないか?」と思えてならない。シンガポールは「東洋のジブラルタル」と称され、イギリスのアジアにおける一大拠点となっていたからである。であるからこそ荒尾大佐は慙愧の念に堪えなかった。するとそんな感傷に浸っている荒尾大佐に当番兵が「阿南陸相が大臣室で荒尾大佐に面会したがっている」と告げてきた。なんでも「重大な話があるから」との事らしい。故に「こんな時間に何だろう?」と怪訝に思いながらも荒尾大佐は軍刀を佩して大臣室へと急ぐのだった。

 当の阿南陸相は陸軍省の門にも本館入口にも守衛兵などの姿が見られなかった事を不審に思いつつ大臣室へと入っていった。実はこの時陸軍省に勤める多くの軍人が集団脱走と云う大失態を犯していたのである。彼らは米軍の本土占領に伴い、戦犯として逮捕される事などを恐れて行方を晦ました可能性が高かった。「生きて虜囚の辱めを受けず」と戦陣訓で国民に自決を促した者達が敗戦に当たって自らの保身を図るなど浅ましいとしか言いようがない。そんな事態になっている事など露知らず阿南陸相は椅子に座り、陸相秘書官である林三郎大佐に向かって義弟である竹下正彦中佐と軍事課長の荒尾大佐を呼んで来て欲しい、と頼んだのだった。荒尾大佐の到着を待つ間阿南陸相は帝国陸軍の代表者として避けては通れない仕事を抜かりなくやる事とした。明日の玉音放送の実施とポツダム宣言受諾の御聖断とを知らせる電報を梅津参謀総長との連名で広範な各戦線の各隊長に対して打ったのである。電報にその文言の一字一句を打つたび、敗戦の現実が阿南首相の胸を張り裂こうとする一方で、陛下が御前会議で「国体護持に自信がある」と仰せられた御言葉を信じようとする期待感とが葛藤した。「事ここに至ったが何とか国体護持を達成して祖国日本の再建が叶って欲しい」と阿南陸相は心底から思った。そして「そのためには自分のような大罪を犯した古い人間は去り、義弟である竹下中佐や荒尾大佐のような若い人間が檜舞台に立たなければなるまい」とも思うのだった。

 電報を一通り打ち終えると大臣室に荒尾大佐が顔を見せた。荒尾大佐は阿南陸相に対峙するなりいきなり恥も外聞もなく陸軍省の大失態を語り出した。「陸相、我々はどうなるのでしょうか?お気付きかもしれませんが、陸軍省の中でも占領してくる米軍を恐れて集団脱走が起きてしまいました。私も正直に言えばここから逃げ出したいです。もう何もかも捨ててこの状況から、この不安から解放されたいです」するとこれを聞いた阿南陸相が「ふざけるな!」と大喝一声し荒尾大佐の左頬を右手で張った。荒尾大佐はあまりの阿南陸相の迫力に腰が抜けそうになった。
「荒尾、お前のような立場にいる者がそんな弱音を吐いてどうする。今でも南方の前線や中国大陸やインドでは名もなき将兵達が御国や陛下の為に挺身して戦っているのだぞ。考えてみろ。今俺に言ったその言葉を彼らに向かって言えるのか?俺達に出来る事はそんな彼らに対して少しでも卑屈にならずに連合軍に降伏する事を納得してもらう事だけなんだ。だから帝国陸軍の代表者である俺達が泰然自若として降伏に当たらなくてどうするのだ」
「はい」
「大丈夫だよ、連合軍に根絶やしになんてされるものか。日本はそんなにやわな国じゃないと私は信じている。それにはまずお前のような若い人間がしっかりとせねばならん。私のような古い人間は明日からの日本には必要ないのだよ」
「はい」荒尾大佐は謹んでそれらの言葉を傾聴するのだった。そうして一通り阿南陸相と荒尾大佐はやり取りをした後、阿南陸相は自動車で首相官邸へと戻っていった。午後九時半から閣議が再開される為である。荒尾大佐はそれにつき本館入口まで見送ったが、阿南陸相が自動車の助手席に入る際に阿南陸相の背中から自決の兆しを感じ取った。先程の訓示の中にも「俺のような古い人間は明日からの日本には必要ないのだよ」と云う言葉があったのでよりそれは蓋然性を持って荒尾大佐の胸に迫るのだった。
首相官邸へ阿南陸相が戻ると閣議室には半分程の閣僚の姿しか見えなかった。全閣僚が揃ったところで終戦詔書に毛筆で副署し、それを印刷局に回付した後官報号外として交付する手筈となっていた。外務省が首を長くして待ち望んだ事がようやく完了しようとしているのである。それを以って連合国側に通知するのはスイスの加瀬俊一公使とスウェーデンの岡本季正(すえまさ)大使である。故にこの中立国の存在がなければ実現出来ない敗戦だったとも言える。閣議において常に波乱を起こす台風の目のような存在であった阿南陸相は自席に座り、他の閣僚達が全員揃うのを待った。陸相はもう何ら現状に抵抗するつもりにはなれなかった。既にこの時阿南陸相は自決の意志を固めていたからである。

 一方でこの頃クーデター計画は着々と進行し、一定の成果を上げた。なんと畑中少佐らの一派が近衛師団の歩兵第二連隊長である芳賀豊次郎大佐の説得に成功し、クーデターに与させる事が叶ったのである。押し問答の末に畑中少佐が「芳賀部隊長は万世一系の天皇家が絶えてしまう事を黙って見過ごす程の意気地なしなんですか!」と駄目押しの如く発した事が功を奏した。だが畑中少佐は大きな失敗も犯した。説得するに当たって「クーデター計画には陸軍大臣、参謀総長、東部軍司令官、近衛師団長の了解を得ている」などと嘘偽りを述べたからである。実際はその四者の誰の了解も得ていなかった。けれどももう後戻りは出来なかった。このまま宮城を占拠し陛下にポツダム宣言受諾に関して御翻意してもらい、その上でその旨を帝国陸軍内部に布告し徹底させる。そして帝国陸軍だけで軍事政権を樹立し、本土決戦に持ち込むのである。海軍は下手をすれば連合軍側に寝返るかもしれなかったが、陸軍は構わず戦争継続に邁進するだけである。これが彼ら青年将校が構想したクーデター計画の概要であった。ただこれを実行するにはまず森近衛師団長の同意は不可避であった。故に「もし森師団長がクーデター計画に賛同しなかったらどうするか?」とその対処策について陸軍士官学校附の藤井政美大尉が畑中少佐に尋ねたところ畑中少佐は躊躇せずに「その時には森師団長を撃ち殺すしかあるまい」と言った。藤井大尉もそれを聞いて「そのとおりだ」と頷くしかなかった。

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