婚約者は王女殿下のほうがお好きなようなので、私はお手紙を書くことにしました。

豆狸

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第四話 ヴィークからの忠告

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 家を継ぐことが決まっていても、いやだからこそ貴族子息は騎士科の特別訓練に参加することを義務付けられている。
 騎士のなんたるかを知らなければ、適切な指示を出すことは出来ないからだ。
 過酷な特別訓練が終わって、ボリスは親友のヴィークの姿を盗み見た。ひとりっ子のボリスにとって、姉と妹がいる面倒見の良いヴィークは兄弟のような存在でもあった。

 同い年でどちらも侯爵家の跡取りで、おまけに領地は隣り合っている。
 国境近くに領地があることによる利点や問題点について、幼いころから何度となくふたりで語り合ってきた。
 ボリスがギリオチーナ王女の婚約者候補だったころは、何度も恋の悩みを聞いてもらった。リュドミーラと婚約してからは、彼女への態度についても助言を受けた。リュドミーラを苦しめるようになってからは、毎日のように諫められていた。

 それなのに、今日のヴィークは朝から一度もボリスに話しかけてこない。
 ほかの友人とはいつものように話しているし、昼休みのカフェテラスではリュドミーラや公爵令嬢と楽しげにはしゃいでいた。
 ボリスの視線に気づいたのか、ヴィークが口を開いた。そこから放たれたのは意外な言葉だった。

「リュドミーラ嬢、お前との婚約解消するってよ」
「え?」
「なに意外そうな顔してるんだよ。当然だろ?」
「だ、だってリュドミーラは受け入れてくれたんだ。心の中でギリオチーナ様を想っていてもかまわないと」
「婚約解消されたら彼女を呼び捨てにするのはやめろよ? それと、心の中で想っていても許されるのは心の外ではリュドミーラ嬢を大切にして愛する努力をしていれば、だろう? 目の前でイチャつくことまでは許されてないだろうが」
「でも、だけど……」

 ヴィークは溜息をつき、汗で濡れた赤みを帯びた金髪を掻き混ぜた。

「あの莫迦王女がすり寄って来る前、俺やポリーナと一緒にリュドミーラ嬢と過ごしてたとき、お前はどうだったんだ」
「どうって?」
「楽しくなかったのか? リュドミーラ嬢といても莫迦王女のことで頭がいっぱいだったのか?」

 ボリスは首を横に振った。
 ヴィークが不敬にも莫迦王女と連発するのを窘めるのは、もう諦めている。
 ギリオチーナ王女本人に問い質されても、殿下とは違う王女のことですよ。それとも莫迦王女と呼ばれるような行為をなさっていらっしゃるんですか? と答えて絶句させていたほど肝が据わっている彼なのだ。

「楽しかった。このまま時を重ねて行けば、きっと彼女を愛せると思った。ギリオチーナ様のことを想う時間も少しずつ減っていっていた」

 永遠に胸の中に咲いていると思っていた黄金の薔薇は徐々に色褪せて、いつか枯れてしまうのではないかと感じる日もあった。
 ボリスの両親は当主夫婦となっても領地経営への関心が薄かった。優秀だった先代クズネツォフ侯爵の祖父に王都での社交を任されて、それだけが貴族当主の役割だと思い込んでいたのだ。
 直接祖父の薫陶を受け、ヴィークとの付き合いなどから領地の危機的状況を理解しているボリスとは温度差があった。

 お前の両親は王家の機嫌を取ることが社交だと思い込んでいるからな、と以前ヴィークに言われたことがある。
 ボリスが王女の婚約者に選ばれなかったことを心から悲しんでいた両親は、リュドミーラとの婚約を機に縁を結んだエゴロフ伯爵家に家の状況を分析されて、初めて焦りを感じたようだ。本来社交とは、そうやって家の利になるものを与えてくれる存在と関係を結ぶためのものだ。
 今は金ばかりかかる王女が降嫁してこなかったことに安堵し、持参金と支援金を持った伯爵令嬢を娶れることを喜んでいる。

「俺にもそう見えてたよ。まあだから、莫迦王女が機嫌を損ねて嫌がらせを始めたんだろうな」
「嫌がらせだなんて」
「嫌がらせ以外のなんなんだよ。お前が莫迦王女を求めていたときは拒んでおいて、お互いに婚約者が決まってからすり寄ってきたんだぜ? まさか本当は好きだったなんて言われて本気にしてるんじゃないだろうな。王家の血を引かない臣下の家に嫁ぐなんて嫌だと、お前を拒んだのは莫迦王女本人だぞ」
「ギリオチーナ様は尊い血筋だから……」
「はいはい」

 ヴィークは乱暴に手を振ってボリスの言葉を打ち切った。

「どっちにしろ今さら気づいたって遅いんだ。せめてこれ以上莫迦な真似をするのはやめておいてくれ。……ギリオチーナ王女殿下の婚約者は隣国の大公子息だ。この国だけで収まる問題じゃない」

 隣国の大公家に嫁いだヴィークの亡き伯母は、この国では罪人とされていた。
 現国王が王太子だったころ彼の婚約者だった彼女は、後の王妃を苛めた罪で婚約を破棄され、野獣と悪党どもが蔓延る両国の境の森へ捨てられたのだ。生き延びて隣国の大公に救われたのは奇跡のようなものだった。
 今は亡き大公夫人が冤罪だと認めて名誉を回復させることが、大公子息とギリオチーナ王女との婚約の条件だったと聞いている。

「ヴィーク、僕は」
「俺がお前にできることはなにもない。婚約者の実家に頼ることしかできない貧乏貴族の跡取りが婚約者を粗末にしたとき、待っているのは破滅だけだぞ」
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