4 / 17
第四話 ヴィークからの忠告
しおりを挟む
家を継ぐことが決まっていても、いやだからこそ貴族子息は騎士科の特別訓練に参加することを義務付けられている。
騎士のなんたるかを知らなければ、適切な指示を出すことは出来ないからだ。
過酷な特別訓練が終わって、ボリスは親友のヴィークの姿を盗み見た。ひとりっ子のボリスにとって、姉と妹がいる面倒見の良いヴィークは兄弟のような存在でもあった。
同い年でどちらも侯爵家の跡取りで、おまけに領地は隣り合っている。
国境近くに領地があることによる利点や問題点について、幼いころから何度となくふたりで語り合ってきた。
ボリスがギリオチーナ王女の婚約者候補だったころは、何度も恋の悩みを聞いてもらった。リュドミーラと婚約してからは、彼女への態度についても助言を受けた。リュドミーラを苦しめるようになってからは、毎日のように諫められていた。
それなのに、今日のヴィークは朝から一度もボリスに話しかけてこない。
ほかの友人とはいつものように話しているし、昼休みのカフェテラスではリュドミーラや公爵令嬢と楽しげにはしゃいでいた。
ボリスの視線に気づいたのか、ヴィークが口を開いた。そこから放たれたのは意外な言葉だった。
「リュドミーラ嬢、お前との婚約解消するってよ」
「え?」
「なに意外そうな顔してるんだよ。当然だろ?」
「だ、だってリュドミーラは受け入れてくれたんだ。心の中でギリオチーナ様を想っていてもかまわないと」
「婚約解消されたら彼女を呼び捨てにするのはやめろよ? それと、心の中で想っていても許されるのは心の外ではリュドミーラ嬢を大切にして愛する努力をしていれば、だろう? 目の前でイチャつくことまでは許されてないだろうが」
「でも、だけど……」
ヴィークは溜息をつき、汗で濡れた赤みを帯びた金髪を掻き混ぜた。
「あの莫迦王女がすり寄って来る前、俺やポリーナと一緒にリュドミーラ嬢と過ごしてたとき、お前はどうだったんだ」
「どうって?」
「楽しくなかったのか? リュドミーラ嬢といても莫迦王女のことで頭がいっぱいだったのか?」
ボリスは首を横に振った。
ヴィークが不敬にも莫迦王女と連発するのを窘めるのは、もう諦めている。
ギリオチーナ王女本人に問い質されても、殿下とは違う王女のことですよ。それとも莫迦王女と呼ばれるような行為をなさっていらっしゃるんですか? と答えて絶句させていたほど肝が据わっている彼なのだ。
「楽しかった。このまま時を重ねて行けば、きっと彼女を愛せると思った。ギリオチーナ様のことを想う時間も少しずつ減っていっていた」
永遠に胸の中に咲いていると思っていた黄金の薔薇は徐々に色褪せて、いつか枯れてしまうのではないかと感じる日もあった。
ボリスの両親は当主夫婦となっても領地経営への関心が薄かった。優秀だった先代クズネツォフ侯爵の祖父に王都での社交を任されて、それだけが貴族当主の役割だと思い込んでいたのだ。
直接祖父の薫陶を受け、ヴィークとの付き合いなどから領地の危機的状況を理解しているボリスとは温度差があった。
お前の両親は王家の機嫌を取ることが社交だと思い込んでいるからな、と以前ヴィークに言われたことがある。
ボリスが王女の婚約者に選ばれなかったことを心から悲しんでいた両親は、リュドミーラとの婚約を機に縁を結んだエゴロフ伯爵家に家の状況を分析されて、初めて焦りを感じたようだ。本来社交とは、そうやって家の利になるものを与えてくれる存在と関係を結ぶためのものだ。
今は金ばかりかかる王女が降嫁してこなかったことに安堵し、持参金と支援金を持った伯爵令嬢を娶れることを喜んでいる。
「俺にもそう見えてたよ。まあだから、莫迦王女が機嫌を損ねて嫌がらせを始めたんだろうな」
「嫌がらせだなんて」
「嫌がらせ以外のなんなんだよ。お前が莫迦王女を求めていたときは拒んでおいて、お互いに婚約者が決まってからすり寄ってきたんだぜ? まさか本当は好きだったなんて言われて本気にしてるんじゃないだろうな。王家の血を引かない臣下の家に嫁ぐなんて嫌だと、お前を拒んだのは莫迦王女本人だぞ」
「ギリオチーナ様は尊い血筋だから……」
「はいはい」
ヴィークは乱暴に手を振ってボリスの言葉を打ち切った。
「どっちにしろ今さら気づいたって遅いんだ。せめてこれ以上莫迦な真似をするのはやめておいてくれ。……ギリオチーナ王女殿下の婚約者は隣国の大公子息だ。この国だけで収まる問題じゃない」
隣国の大公家に嫁いだヴィークの亡き伯母は、この国では罪人とされていた。
現国王が王太子だったころ彼の婚約者だった彼女は、後の王妃を苛めた罪で婚約を破棄され、野獣と悪党どもが蔓延る両国の境の森へ捨てられたのだ。生き延びて隣国の大公に救われたのは奇跡のようなものだった。
今は亡き大公夫人が冤罪だと認めて名誉を回復させることが、大公子息とギリオチーナ王女との婚約の条件だったと聞いている。
「ヴィーク、僕は」
「俺がお前にできることはなにもない。婚約者の実家に頼ることしかできない貧乏貴族の跡取りが婚約者を粗末にしたとき、待っているのは破滅だけだぞ」
騎士のなんたるかを知らなければ、適切な指示を出すことは出来ないからだ。
過酷な特別訓練が終わって、ボリスは親友のヴィークの姿を盗み見た。ひとりっ子のボリスにとって、姉と妹がいる面倒見の良いヴィークは兄弟のような存在でもあった。
同い年でどちらも侯爵家の跡取りで、おまけに領地は隣り合っている。
国境近くに領地があることによる利点や問題点について、幼いころから何度となくふたりで語り合ってきた。
ボリスがギリオチーナ王女の婚約者候補だったころは、何度も恋の悩みを聞いてもらった。リュドミーラと婚約してからは、彼女への態度についても助言を受けた。リュドミーラを苦しめるようになってからは、毎日のように諫められていた。
それなのに、今日のヴィークは朝から一度もボリスに話しかけてこない。
ほかの友人とはいつものように話しているし、昼休みのカフェテラスではリュドミーラや公爵令嬢と楽しげにはしゃいでいた。
ボリスの視線に気づいたのか、ヴィークが口を開いた。そこから放たれたのは意外な言葉だった。
「リュドミーラ嬢、お前との婚約解消するってよ」
「え?」
「なに意外そうな顔してるんだよ。当然だろ?」
「だ、だってリュドミーラは受け入れてくれたんだ。心の中でギリオチーナ様を想っていてもかまわないと」
「婚約解消されたら彼女を呼び捨てにするのはやめろよ? それと、心の中で想っていても許されるのは心の外ではリュドミーラ嬢を大切にして愛する努力をしていれば、だろう? 目の前でイチャつくことまでは許されてないだろうが」
「でも、だけど……」
ヴィークは溜息をつき、汗で濡れた赤みを帯びた金髪を掻き混ぜた。
「あの莫迦王女がすり寄って来る前、俺やポリーナと一緒にリュドミーラ嬢と過ごしてたとき、お前はどうだったんだ」
「どうって?」
「楽しくなかったのか? リュドミーラ嬢といても莫迦王女のことで頭がいっぱいだったのか?」
ボリスは首を横に振った。
ヴィークが不敬にも莫迦王女と連発するのを窘めるのは、もう諦めている。
ギリオチーナ王女本人に問い質されても、殿下とは違う王女のことですよ。それとも莫迦王女と呼ばれるような行為をなさっていらっしゃるんですか? と答えて絶句させていたほど肝が据わっている彼なのだ。
「楽しかった。このまま時を重ねて行けば、きっと彼女を愛せると思った。ギリオチーナ様のことを想う時間も少しずつ減っていっていた」
永遠に胸の中に咲いていると思っていた黄金の薔薇は徐々に色褪せて、いつか枯れてしまうのではないかと感じる日もあった。
ボリスの両親は当主夫婦となっても領地経営への関心が薄かった。優秀だった先代クズネツォフ侯爵の祖父に王都での社交を任されて、それだけが貴族当主の役割だと思い込んでいたのだ。
直接祖父の薫陶を受け、ヴィークとの付き合いなどから領地の危機的状況を理解しているボリスとは温度差があった。
お前の両親は王家の機嫌を取ることが社交だと思い込んでいるからな、と以前ヴィークに言われたことがある。
ボリスが王女の婚約者に選ばれなかったことを心から悲しんでいた両親は、リュドミーラとの婚約を機に縁を結んだエゴロフ伯爵家に家の状況を分析されて、初めて焦りを感じたようだ。本来社交とは、そうやって家の利になるものを与えてくれる存在と関係を結ぶためのものだ。
今は金ばかりかかる王女が降嫁してこなかったことに安堵し、持参金と支援金を持った伯爵令嬢を娶れることを喜んでいる。
「俺にもそう見えてたよ。まあだから、莫迦王女が機嫌を損ねて嫌がらせを始めたんだろうな」
「嫌がらせだなんて」
「嫌がらせ以外のなんなんだよ。お前が莫迦王女を求めていたときは拒んでおいて、お互いに婚約者が決まってからすり寄ってきたんだぜ? まさか本当は好きだったなんて言われて本気にしてるんじゃないだろうな。王家の血を引かない臣下の家に嫁ぐなんて嫌だと、お前を拒んだのは莫迦王女本人だぞ」
「ギリオチーナ様は尊い血筋だから……」
「はいはい」
ヴィークは乱暴に手を振ってボリスの言葉を打ち切った。
「どっちにしろ今さら気づいたって遅いんだ。せめてこれ以上莫迦な真似をするのはやめておいてくれ。……ギリオチーナ王女殿下の婚約者は隣国の大公子息だ。この国だけで収まる問題じゃない」
隣国の大公家に嫁いだヴィークの亡き伯母は、この国では罪人とされていた。
現国王が王太子だったころ彼の婚約者だった彼女は、後の王妃を苛めた罪で婚約を破棄され、野獣と悪党どもが蔓延る両国の境の森へ捨てられたのだ。生き延びて隣国の大公に救われたのは奇跡のようなものだった。
今は亡き大公夫人が冤罪だと認めて名誉を回復させることが、大公子息とギリオチーナ王女との婚約の条件だったと聞いている。
「ヴィーク、僕は」
「俺がお前にできることはなにもない。婚約者の実家に頼ることしかできない貧乏貴族の跡取りが婚約者を粗末にしたとき、待っているのは破滅だけだぞ」
2,067
あなたにおすすめの小説
〖完結〗死にかけて前世の記憶が戻りました。側妃? 贅沢出来るなんて最高! と思っていたら、陛下が甘やかしてくるのですが?
藍川みいな
恋愛
私は死んだはずだった。
目を覚ましたら、そこは見知らぬ世界。しかも、国王陛下の側妃になっていた。
前世の記憶が戻る前は、冷遇されていたらしい。そして池に身を投げた。死にかけたことで、私は前世の記憶を思い出した。
前世では借金取りに捕まり、お金を返す為にキャバ嬢をしていた。給料は全部持っていかれ、食べ物にも困り、ガリガリに痩せ細った私は路地裏に捨てられて死んだ。そんな私が、側妃? 冷遇なんて構わない! こんな贅沢が出来るなんて幸せ過ぎるじゃない!
そう思っていたのに、いつの間にか陛下が甘やかして来るのですが?
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!
あなたには彼女がお似合いです
風見ゆうみ
恋愛
私の婚約者には大事な妹がいた。
妹に呼び出されたからと言って、パーティー会場やデート先で私を置き去りにしていく、そんなあなたでも好きだったんです。
でも、あなたと妹は血が繋がっておらず、昔は恋仲だったということを知ってしまった今では、私のあなたへの思いは邪魔なものでしかないのだと知りました。
ずっとあなたが好きでした。
あなたの妻になれると思うだけで幸せでした。
でも、あなたには他に好きな人がいたんですね。
公爵令嬢のわたしに、伯爵令息であるあなたから婚約破棄はできないのでしょう?
あなたのために婚約を破棄します。
だから、あなたは彼女とどうか幸せになってください。
たとえわたしが平民になろうとも婚約破棄をすれば、幸せになれると思っていたのに――
※作者独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。
私を運命の相手とプロポーズしておきながら、可哀そうな幼馴染の方が大切なのですね! 幼馴染と幸せにお過ごしください
迷い人
恋愛
王国の特殊爵位『フラワーズ』を頂いたその日。
アシャール王国でも美貌と名高いディディエ・オラール様から婚姻の申し込みを受けた。
断るに断れない状況での婚姻の申し込み。
仕事の邪魔はしないと言う約束のもと、私はその婚姻の申し出を承諾する。
優しい人。
貞節と名高い人。
一目惚れだと、運命の相手だと、彼は言った。
細やかな気遣いと、距離を保った愛情表現。
私も愛しております。
そう告げようとした日、彼は私にこうつげたのです。
「子を事故で亡くした幼馴染が、心をすり減らして戻ってきたんだ。 私はしばらく彼女についていてあげたい」
そう言って私の物を、つぎつぎ幼馴染に与えていく。
優しかったアナタは幻ですか?
どうぞ、幼馴染とお幸せに、請求書はそちらに回しておきます。
その結婚は、白紙にしましょう
香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。
彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。
念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。
浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」
身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。
けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。
「分かりました。その提案を、受け入れ──」
全然受け入れられませんけど!?
形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。
武骨で不器用な王国騎士団長。
二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。
手放してみたら、けっこう平気でした。
朝山みどり
恋愛
エリザ・シスレーは伯爵家の後継として、勉強、父の手伝いと努力していた。父の親戚の婚約者との仲も良好で、結婚する日を楽しみしていた。
そんなある日、父が急死してしまう。エリザは学院をやめて、領主の仕事に専念した。
だが、領主として努力するエリザを家族は理解してくれない。彼女は家族のなかで孤立していく。
9番と呼ばれていた妻は執着してくる夫に別れを告げる
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から言いたいことを言えずに、両親の望み通りにしてきた。
結婚だってそうだった。
良い娘、良い姉、良い公爵令嬢でいようと思っていた。
夫の9番目の妻だと知るまでは――
「他の妻たちの嫉妬が酷くてね。リリララのことは9番と呼んでいるんだ」
嫉妬する側妃の嫌がらせにうんざりしていただけに、ターズ様が側近にこう言っているのを聞いた時、私は良い妻であることをやめることにした。
※最後はさくっと終わっております。
※独特の異世界の世界観であり、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。
あなたの妻にはなりません
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。
彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。
幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。
彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。
悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。
彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。
あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。
悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。
「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる