3 / 17
第三話 リュドミーラの回想
しおりを挟む
一ヶ月ほど前にお帰りになられた、短期留学生の隣国子爵家ご子息イヴァン様はとても優しい方でした。
ボリス様やヴィーク様と同じでふたつ年上でいらっしゃいましたけれど、隣国とは学習要綱が違うため私と同じ学年で勉強なさっていたので、教室が同じだったこともあって親しくしていただいていました。
彼の濡れたような黒髪はこの国ではあまり魅力的とは見做されませんが、隣国ではとても好まれているそうです。ヴィーク様の今は亡き伯母様は黒髪と言うほどではないものの、黒に近いお色だったとか。
この国では“白薔薇”レナート様のような銀髪が美しいとされています。
銀髪でなくても色が薄ければ薄いほど美しいと言われているのです。
もっとも“白薔薇”レナート様は髪色だけでなく、お顔の造作も端正で美しくていらっしゃるのですが。
ギリオチーナ王女殿下は美しい金髪です。
ボリス様も、ポリーナ様も、ヴィーク様も。
ヴィーク様は少し色が濃くて赤毛に近いのですが、それでも光を浴びるとキラキラと黄金色に輝いていらっしゃいます。
私の髪は黒に近い焦げ茶色です。
一般的な平民はもう少し明るい茶色の髪をしています。
父譲りなので仕方がないのですけれど……私の髪が美しい金髪だったなら、ボリス様は私を愛してくださったのでしょうか。ボリス様が初めて私よりも王女殿下を優先した日のことを思い出すと、あのときの息ができなくなるような感覚が蘇りました。
ボリス様は誠実な方でした。
婚約の顔合わせのとき正直に、ギリオチーナ王女殿下への想いは生涯捨て去ることはできないと言ってくださったのですから。婚約者候補だった年月の間に愛してしまったのだそうです。
その上で、心の中で王女殿下を想っていても私を大切にするし愛する努力もする、だからクズネツォフ侯爵家の領民のために嫁いで来てくれないか、とおっしゃったのです。
私はそれを受け入れました。
実際、婚約した当初、私が学園に入学した最初のころはお言葉を守ってくださっていました。
蜜月は三ヶ月ほどは続いたでしょうか。大切にされて、思いやっていただいて、ポリーナ様ヴィーク様を交えて四人で過ごす時間は楽しくて夢のようでした。まだ愛されていなくても、お互いの胸には愛の種が芽生えているに違いないと感じていました。
「それじゃあポリーナ、昼食のときに迎えに来るよ。リュドミーラ嬢も良かったら一緒に」
「ありがとうございます」
つらつらと昔のことを考えていると、気がつけば教室に到着していました。
ヴィーク様から鞄を受け取り、学園のカフェテラスで今日はなにを食べましょうか、なんてポリーナ様と話しながら席に着きます。
今日家へ帰ったら父にボリス様との婚約解消を申し出ようと思っているのに、いつも通りの日常なのが少し不思議です。
いいえ、いつの間にかボリス様と私の関係はお互いがいなくてもなんの支障もないほどに離れてしまっていたのでしょう。
なにしろこの半年間、一度もふたりきりで会うことはなかったのですもの。私を悪者にするあの噂も、最近では自分に関係ないことのように聞き流していました。
だからなんの前触れもなく、婚約を解消しようという気持ちになったのでしょう。
──心の中に黄金の薔薇が咲いていても、いつか私を愛してくださるのならかまいません。
あのとき、学園に入学する一年前、婚約の顔合わせの日、確かに私はそう答えました。
ですが、ギリオチーナ王女殿下の取り巻きが私を悪者にする噂を流しても止めようともせず、つまり私を大切にすることなく、王女殿下の媚態に溺れて私を愛する努力を放棄した方とこれ以上関わってはいられません。
エゴロフ伯爵家はクズネツォフ侯爵家の家臣ではないのです。もっとも家臣だったとしても、こんな不義理を働く主君は見限られてしまうでしょうけれど。
「おはよう、諸君」
先生がやって来て授業が始まりました。
私は教科書に目を走らせながら、イヴァン様へ書く手紙の内容を考え始めました。
親し気な文章ではいけません。ヴィーク様は彼の婚約者も浮気をしているとおっしゃっていましたが、それが誤解でイヴァン様の婚約者はちゃんと彼を愛していたら良いのにと願います。
……だって悲しい思いをする人間は少ないほうが良いではないですか。
心の中でそう思って、私は昔を思い出したことで蘇った恋心の残滓を涙と一緒に飲み込みました。
私の胸にある愛の種は少しだけ芽を出していたのです。でもその柔らかく小さな双葉はもう枯れています。甘く優しかった時間は三ヶ月だけで、その後の半年以上は捨て置かれていたのですもの。
心の中だけでもほかの女性を想っているような方とは結婚できませんと、あのとき婚約をお断りしておけば良かったのでしょうか。
泣きそうなお顔で真実を告げるボリス様を笑顔にして差し上げたいだなんて思ってしまった、私が愚かだったのだと今はわかっています。
ボリス様やヴィーク様と同じでふたつ年上でいらっしゃいましたけれど、隣国とは学習要綱が違うため私と同じ学年で勉強なさっていたので、教室が同じだったこともあって親しくしていただいていました。
彼の濡れたような黒髪はこの国ではあまり魅力的とは見做されませんが、隣国ではとても好まれているそうです。ヴィーク様の今は亡き伯母様は黒髪と言うほどではないものの、黒に近いお色だったとか。
この国では“白薔薇”レナート様のような銀髪が美しいとされています。
銀髪でなくても色が薄ければ薄いほど美しいと言われているのです。
もっとも“白薔薇”レナート様は髪色だけでなく、お顔の造作も端正で美しくていらっしゃるのですが。
ギリオチーナ王女殿下は美しい金髪です。
ボリス様も、ポリーナ様も、ヴィーク様も。
ヴィーク様は少し色が濃くて赤毛に近いのですが、それでも光を浴びるとキラキラと黄金色に輝いていらっしゃいます。
私の髪は黒に近い焦げ茶色です。
一般的な平民はもう少し明るい茶色の髪をしています。
父譲りなので仕方がないのですけれど……私の髪が美しい金髪だったなら、ボリス様は私を愛してくださったのでしょうか。ボリス様が初めて私よりも王女殿下を優先した日のことを思い出すと、あのときの息ができなくなるような感覚が蘇りました。
ボリス様は誠実な方でした。
婚約の顔合わせのとき正直に、ギリオチーナ王女殿下への想いは生涯捨て去ることはできないと言ってくださったのですから。婚約者候補だった年月の間に愛してしまったのだそうです。
その上で、心の中で王女殿下を想っていても私を大切にするし愛する努力もする、だからクズネツォフ侯爵家の領民のために嫁いで来てくれないか、とおっしゃったのです。
私はそれを受け入れました。
実際、婚約した当初、私が学園に入学した最初のころはお言葉を守ってくださっていました。
蜜月は三ヶ月ほどは続いたでしょうか。大切にされて、思いやっていただいて、ポリーナ様ヴィーク様を交えて四人で過ごす時間は楽しくて夢のようでした。まだ愛されていなくても、お互いの胸には愛の種が芽生えているに違いないと感じていました。
「それじゃあポリーナ、昼食のときに迎えに来るよ。リュドミーラ嬢も良かったら一緒に」
「ありがとうございます」
つらつらと昔のことを考えていると、気がつけば教室に到着していました。
ヴィーク様から鞄を受け取り、学園のカフェテラスで今日はなにを食べましょうか、なんてポリーナ様と話しながら席に着きます。
今日家へ帰ったら父にボリス様との婚約解消を申し出ようと思っているのに、いつも通りの日常なのが少し不思議です。
いいえ、いつの間にかボリス様と私の関係はお互いがいなくてもなんの支障もないほどに離れてしまっていたのでしょう。
なにしろこの半年間、一度もふたりきりで会うことはなかったのですもの。私を悪者にするあの噂も、最近では自分に関係ないことのように聞き流していました。
だからなんの前触れもなく、婚約を解消しようという気持ちになったのでしょう。
──心の中に黄金の薔薇が咲いていても、いつか私を愛してくださるのならかまいません。
あのとき、学園に入学する一年前、婚約の顔合わせの日、確かに私はそう答えました。
ですが、ギリオチーナ王女殿下の取り巻きが私を悪者にする噂を流しても止めようともせず、つまり私を大切にすることなく、王女殿下の媚態に溺れて私を愛する努力を放棄した方とこれ以上関わってはいられません。
エゴロフ伯爵家はクズネツォフ侯爵家の家臣ではないのです。もっとも家臣だったとしても、こんな不義理を働く主君は見限られてしまうでしょうけれど。
「おはよう、諸君」
先生がやって来て授業が始まりました。
私は教科書に目を走らせながら、イヴァン様へ書く手紙の内容を考え始めました。
親し気な文章ではいけません。ヴィーク様は彼の婚約者も浮気をしているとおっしゃっていましたが、それが誤解でイヴァン様の婚約者はちゃんと彼を愛していたら良いのにと願います。
……だって悲しい思いをする人間は少ないほうが良いではないですか。
心の中でそう思って、私は昔を思い出したことで蘇った恋心の残滓を涙と一緒に飲み込みました。
私の胸にある愛の種は少しだけ芽を出していたのです。でもその柔らかく小さな双葉はもう枯れています。甘く優しかった時間は三ヶ月だけで、その後の半年以上は捨て置かれていたのですもの。
心の中だけでもほかの女性を想っているような方とは結婚できませんと、あのとき婚約をお断りしておけば良かったのでしょうか。
泣きそうなお顔で真実を告げるボリス様を笑顔にして差し上げたいだなんて思ってしまった、私が愚かだったのだと今はわかっています。
292
お気に入りに追加
4,859
あなたにおすすめの小説
どうぞご勝手になさってくださいまし
志波 連
恋愛
政略結婚とはいえ12歳の時から婚約関係にあるローレンティア王国皇太子アマデウスと、ルルーシア・メリディアン侯爵令嬢の仲はいたって上手くいっていた。
辛い教育にもよく耐え、あまり学園にも通学できないルルーシアだったが、幼馴染で親友の侯爵令嬢アリア・ロックスの励まされながら、なんとか最終学年を迎えた。
やっと皇太子妃教育にも目途が立ち、学園に通えるようになったある日、婚約者であるアマデウス皇太子とフロレンシア伯爵家の次女であるサマンサが恋仲であるという噂を耳にする。
アリアに付き添ってもらい、学園の裏庭に向かったルルーシアは二人が仲よくベンチに腰掛け、肩を寄せ合って一冊の本を仲よく見ている姿を目撃する。
風が運んできた「じゃあ今夜、いつものところで」という二人の会話にショックを受けたルルーシアは、早退して父親に訴えた。
しかし元々が政略結婚であるため、婚約の取り消しはできないという言葉に絶望する。
ルルーシアの邸を訪れた皇太子はサマンサを側妃として迎えると告げた。
ショックを受けたルルーシアだったが、家のために耐えることを決意し、皇太子妃となることを受け入れる。
ルルーシアだけを愛しているが、友人であるサマンサを助けたいアマデウスと、アマデウスに愛されていないと思い込んでいるルルーシアは盛大にすれ違っていく。
果たして不器用な二人に幸せな未来は訪れるのだろうか……
他サイトでも公開しています。
R15は保険です。
表紙は写真ACより転載しています。
あなたには彼女がお似合いです
風見ゆうみ
恋愛
私の婚約者には大事な妹がいた。
妹に呼び出されたからと言って、パーティー会場やデート先で私を置き去りにしていく、そんなあなたでも好きだったんです。
でも、あなたと妹は血が繋がっておらず、昔は恋仲だったということを知ってしまった今では、私のあなたへの思いは邪魔なものでしかないのだと知りました。
ずっとあなたが好きでした。
あなたの妻になれると思うだけで幸せでした。
でも、あなたには他に好きな人がいたんですね。
公爵令嬢のわたしに、伯爵令息であるあなたから婚約破棄はできないのでしょう?
あなたのために婚約を破棄します。
だから、あなたは彼女とどうか幸せになってください。
たとえわたしが平民になろうとも婚約破棄をすれば、幸せになれると思っていたのに――
※作者独特の異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。
※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。
愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。
梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。
ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。
え?イザックの婚約者って私でした。よね…?
二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。
ええ、バッキバキに。
もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。
あなたへの想いを終わりにします
四折 柊
恋愛
シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)
あなたが望んだ、ただそれだけ
cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。
国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。
カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。
王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。
失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。
公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。
逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。
心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
婚約解消したら後悔しました
せいめ
恋愛
別に好きな人ができた私は、幼い頃からの婚約者と婚約解消した。
婚約解消したことで、ずっと後悔し続ける令息の話。
ご都合主義です。ゆるい設定です。
誤字脱字お許しください。
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる