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第九話 目覚めた私

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 目覚めると、私はペッカートル侯爵邸の女主人の部屋に隣接された仮眠室のベッドで横たわっていました。
 ベッドの脇には見知らぬ男女の姿があります。
 起き上がろうとする私を、白衣を着た初老の男性が止めました。

「無理をしてはいけません。貴女は暖炉から出る悪い空気で意識が朦朧として、倒れて頭を打ってしまったんです。三日も眠っていたんですよ」
「……そう、ですか」

 そういうことになっているようです。
 初老の男性はペッカートル侯爵家の主治医の先生でした。
 そういえば結婚前に一度紹介されたような気がします。次にお会いするのはお子さんが出来たときでしょうな、と微笑んでくださった記憶が蘇って来ました。

 先生はもうひとりの女性……こちらは完全に見知らぬ方です、先生の助手をなさっている方に家の人間を呼んでくるように頼むと、私の状態を確認なさいました。

「後遺症はないようですな。悪い空気をあまり吸わなかったのかもしれませんね」
「……髪」

 私はぼんやりと呟きました。
 三日間眠り続けていたせいか、治療に使われた薬のせいか、目が覚めているというのに頭の中がはっきりしません。
 髪、などと呟いたのは、あのときだれかに掴まれたからではありません。頬や首に直接シーツの感触があったからです。

「火がついて焦げていたので切ってしまいました。……ですが、髪はすぐに伸びます。意識が戻られたのですから、お顔の火傷もすぐに治ることでしょう」

 先生に言われて、頬に引き攣るような感覚があることに気づきます。

「奥様はお若いですし、痕が残るようなことはありませんよ」
「……ありがとうございます」

 そんな会話を交わしていると、足音が近づいてきました。
 扉を開けて入って来たのはデズモンド様でした。
 私を見て、笑顔で駆け寄って来ます。

「良かった! 三日も目を覚まさないから、君はもう……いや、とにかく目が覚めて良かった!」
「……ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」
「君が悪いわけじゃ……ああ、でも父さんのことがあったんだから、もう少し気をつけたほうが良かったね。いくら寒くても暖炉を使うときは窓を少し開けておかなくちゃ」
「……開けていました」

 私は、主治医の先生の後ろに立つペルブラン様とフラウダを見つめながら言いました。彼女達もデズモンド様と一緒にやって来ていたのです。
 実行犯はふたりのどちらかでしょう。
 使用人のほとんどはメイド長であるフラウダの味方ですが、命じられても殺人まではおこなわないと思います。正義感から拒むのではなく、言うことを聞いても、都合が悪くなればフラウダに切り捨てられるとわかっているからです。

「……デズモンド様がいらっしゃったとき、窓が開いていたのを覚えていらっしゃるでしょう?」
「ど、どうだったかな? 僕が部屋を出た後で閉めたのではないのかい? ほら、寒くて」

 怯えたように答えながら、デズモンド様が振り返ります。
 彼の視線を受けて、ペルブラン様が微笑みました。
 自信に満ちた表情です。

「デズモンド、ハンナお義姉様は頭を打ったから自分で窓を閉めたことを忘れてしまったのよ」
「うん、そう。きっとそうだよ。……これから気をつけてくれればいいよ、ハンナ」
「……」

 デズモンド様は今、私の言葉よりもペルブラン様の言葉を選びました。
 彼とペルブラン様は私が眠っている間に一線を超えたのでしょう。彼女の自信に満ちた表情が証拠です。
 頭がはっきりしている状態だったなら、気のせいだと思ったかもしれません。でも今のぼんやりした頭の私は、自分の直感が真実だと確信していました。

 ふたりは、三日も意識が戻らなかった私が、このまま死んでしまうと考えたのかもしれません。
 夫が、デズモンド様がこの件に最初から関わっていたとは思いません。私が窓のことを言ったとき、なにかに気づいたような表情をなさったからです。
 けれど彼は結局ペルブラン様のほうを、真実を求めてふたりと争うよりも嘘を飲み込んで私を黙らせることのほうを選びました。

 ──私は、彼に捨てられたのです。

「顔に火傷なんて可哀想なハンナお義姉様!……もとから美人でもないのに……ふふふっ、早く治るといいわね!」
「ペルブラン、病人にそういうことを言うのは……」
「あら、お見舞いを言っただけよ?」
「……おふたりとも。奥様はまだ全快というわけではありません。意識が戻られたのを確認なさったのなら、今日はもうお帰りください」

 主治医の先生に言われて、三人が去っていきます。
 ペルブラン様とフラウダは満面の笑みで、デズモンド様は心苦しそうな顔でした。心苦しそうな顔で、私から視線を外して出て行きました。
 私がこれまで使ったことのなかった仮眠室に横たえられていたのは、だれかが夫婦寝室を使うつもりだったからでしょう。

 目覚めなければ良かった、と私は思いましたが、主治医の先生と助手の女性の前で口にすることは出来ませんでした。
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