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第六話 父の帰宅
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「どちら様でしょうか?」
「ふざけているのか、エヴァンジェリン」
思わず首を傾げた私に、見知らぬ男性は怒りを顔に滲ませます。
ホアナが慌てて言いました。
「お嬢様、この方はアラーニャ侯爵家のハロルド様です。ハロルド様、先ほど家令からご説明させていただいたようにお嬢様は記憶を失っていらっしゃるのです」
「記憶を失ったからと言って婚約者の顔がわからなくなるはずがないだろう。僕達は幼馴染でもあるんだぞ? メンティラを殺した罪から逃れるために記憶を失った振りをしているのだな」
ハロルド様? この疲れた風貌の青年が彼なのでしょうか。
確かに髪と瞳の色は同じです。
アラーニャ侯爵の小父様や跡取りのお義兄様に似ていらっしゃる気がします。ですが、おふたりとももう少し生気に満ちていらっしゃいます。一番お若いハロルド様が、どうしてこんなに疲れ切っていらっしゃるのでしょうか。
もしかしたら『荒淫』のせいかもしれません。
意味はよくわかりませんけれど、恋愛小説に出てくる浮気者は大抵『荒淫』で体を壊してしまうのです。
ハロルド様は恋人との『荒淫』で……私は今ごろになって彼に言われたことの意味に気づきました。我ながらのんびり屋です。
「ハロルド……様? 今なんとおっしゃいました? メンティラ様とおっしゃるのがあなたの恋人なのでしょうか? その人を私が殺したと?」
「とぼけるな! メンティラの家で女性の遺体が見つかったと言って、衛兵が見張りをしていた。君が彼女を殺したのだろう?」
「いくらアラーニャ侯爵家のご子息でもお嬢様に対して失礼な! 名前など知りませんが、お嬢様はあなた様の恋人に突き飛ばされて気絶して、それから朝までお目覚めではなかったのですよ? あの女が殺されたというのなら、一緒にいた柄の悪い男を疑ったほうが良いのではありませんか?」
私が殺人者だと決めつけられて、怒ったのは私本人よりも侍女のホアナのほうが先でした。
普段は身分の違いにうるさいのに、私のために顔を真っ赤にしてハロルド様? に食ってかかっています。
私は呆然としていました。だって昨日の記憶などないのです。ホアナの発言がすべて真実かどうかもわかりません。
「メンティラを侮辱するな! 君はエヴァンジェリンの侍女だからな、カバジェロ伯爵に命じられれば嘘をついてでも彼女を庇うだろう」
「……なんの話だね?」
そのとき、お父様がお戻りになりました。
家令が開けた扉から応接室へ入ってきたお父様が、ハロルド様? を睨みつけます。
とりあえず私は、お父様に挨拶をしました。
「お帰りなさいませ、お父様」
「帰ったよ、エヴァンジェリン。問題はすべて片付いた。後は……ハロルド君との婚約を白紙に戻すだけだ。君が嫌でなければ、だがね」
お父様に言われて、私はハロルド様を見つめました。
ホアナもお父様もそう言うのですから、彼は確かにハロルド様なのでしょう。
鏡や窓の硝子に映る私が変わってしまったように、この二年で彼も変わってしまったのでしょう。記憶があったときの私は、この目の前の彼を愛していたのでしょう。
でも、今の私は──
「かまいませんわ、お父様。いつか記憶が戻ったときに後悔するかもしれませんけれど、今の私には彼がハロルド様とは思えないのです。よくわかりませんが、彼に私以外の恋人がいるというのなら、その方と結ばれたほうが良いように思います」
ハロルド様がコメカミに血管を浮かび上がらせました。
「僕との婚約を白紙にすると言って脅すつもりか? 元々こちらから破棄するつもりだったんだ、君との婚約など惜しくはない。なにをされようと僕は復讐してやる! 僕の愛しいメンティラを殺したことを地獄で後悔するがいい!」
「なにを言ってるんだね、ハロルド君。あの女は殺されてなどいない。私は衛兵の詰め所へあの女の面通しに行っていたんだよ、以前我が家で雇っていたことがあったからね」
お父様の言葉を聞いて、怒り狂っていたハロルド様がぽかんと口を開けました。
「生きている? メンティラは生きているんですか? 衛兵は彼女の家で女性の遺体が見つかったと言っていたんですよ?」
「あの女の家で見つかったのはナバロ子爵夫人のご遺体だ」
「ナバロ子爵の奥方ですか?」
ナバロ子爵の話なら聞いたことがあります。
とんでもない浮気者で独身時代に家を潰しかけた方です。
平民の豪商だった奥様を娶って持参金で家を建て直したものの、今も女遊びに興じて奥様や息子さんを苦しめているとか。
「知らなかったのかい? あの女はナバロ子爵の愛人だったんだ」
「男爵夫人に売り飛ばされて……」
「くだらない。男爵夫人は夫の庶子に過ぎないあの女のために気を配っていたよ。うちへ行儀見習いに来たのも彼女の口利きだ。だが、私の妻の寝室に毒花を飾ろうとしたり」
「それは、知らなかったから……」
消え去りそうな声で言うハロルド様に、お父様が言葉を続けます。
「我が家へ怪しい男を連れ込もうとしたりしていたから追い出したんだ。男爵夫人が手を尽くして見つけてやった真っ当な嫁ぎ先との縁談は、犯罪組織の末端だった情人のせいで潰れたらしい。ナバロ子爵との関係は、その男が取り持ったんだろうね。ナバロ子爵夫人を鈴蘭の毒で殺したのはあの女だし、あの女に頼まれてご遺体を始末しようとしてたところを衛兵に捕まったのが情人の男だよ」
お父様は溜息をつきながら、真っ青なお顔になったハロルド様を家から追い出すよう家令に命じたのでした。
「ふざけているのか、エヴァンジェリン」
思わず首を傾げた私に、見知らぬ男性は怒りを顔に滲ませます。
ホアナが慌てて言いました。
「お嬢様、この方はアラーニャ侯爵家のハロルド様です。ハロルド様、先ほど家令からご説明させていただいたようにお嬢様は記憶を失っていらっしゃるのです」
「記憶を失ったからと言って婚約者の顔がわからなくなるはずがないだろう。僕達は幼馴染でもあるんだぞ? メンティラを殺した罪から逃れるために記憶を失った振りをしているのだな」
ハロルド様? この疲れた風貌の青年が彼なのでしょうか。
確かに髪と瞳の色は同じです。
アラーニャ侯爵の小父様や跡取りのお義兄様に似ていらっしゃる気がします。ですが、おふたりとももう少し生気に満ちていらっしゃいます。一番お若いハロルド様が、どうしてこんなに疲れ切っていらっしゃるのでしょうか。
もしかしたら『荒淫』のせいかもしれません。
意味はよくわかりませんけれど、恋愛小説に出てくる浮気者は大抵『荒淫』で体を壊してしまうのです。
ハロルド様は恋人との『荒淫』で……私は今ごろになって彼に言われたことの意味に気づきました。我ながらのんびり屋です。
「ハロルド……様? 今なんとおっしゃいました? メンティラ様とおっしゃるのがあなたの恋人なのでしょうか? その人を私が殺したと?」
「とぼけるな! メンティラの家で女性の遺体が見つかったと言って、衛兵が見張りをしていた。君が彼女を殺したのだろう?」
「いくらアラーニャ侯爵家のご子息でもお嬢様に対して失礼な! 名前など知りませんが、お嬢様はあなた様の恋人に突き飛ばされて気絶して、それから朝までお目覚めではなかったのですよ? あの女が殺されたというのなら、一緒にいた柄の悪い男を疑ったほうが良いのではありませんか?」
私が殺人者だと決めつけられて、怒ったのは私本人よりも侍女のホアナのほうが先でした。
普段は身分の違いにうるさいのに、私のために顔を真っ赤にしてハロルド様? に食ってかかっています。
私は呆然としていました。だって昨日の記憶などないのです。ホアナの発言がすべて真実かどうかもわかりません。
「メンティラを侮辱するな! 君はエヴァンジェリンの侍女だからな、カバジェロ伯爵に命じられれば嘘をついてでも彼女を庇うだろう」
「……なんの話だね?」
そのとき、お父様がお戻りになりました。
家令が開けた扉から応接室へ入ってきたお父様が、ハロルド様? を睨みつけます。
とりあえず私は、お父様に挨拶をしました。
「お帰りなさいませ、お父様」
「帰ったよ、エヴァンジェリン。問題はすべて片付いた。後は……ハロルド君との婚約を白紙に戻すだけだ。君が嫌でなければ、だがね」
お父様に言われて、私はハロルド様を見つめました。
ホアナもお父様もそう言うのですから、彼は確かにハロルド様なのでしょう。
鏡や窓の硝子に映る私が変わってしまったように、この二年で彼も変わってしまったのでしょう。記憶があったときの私は、この目の前の彼を愛していたのでしょう。
でも、今の私は──
「かまいませんわ、お父様。いつか記憶が戻ったときに後悔するかもしれませんけれど、今の私には彼がハロルド様とは思えないのです。よくわかりませんが、彼に私以外の恋人がいるというのなら、その方と結ばれたほうが良いように思います」
ハロルド様がコメカミに血管を浮かび上がらせました。
「僕との婚約を白紙にすると言って脅すつもりか? 元々こちらから破棄するつもりだったんだ、君との婚約など惜しくはない。なにをされようと僕は復讐してやる! 僕の愛しいメンティラを殺したことを地獄で後悔するがいい!」
「なにを言ってるんだね、ハロルド君。あの女は殺されてなどいない。私は衛兵の詰め所へあの女の面通しに行っていたんだよ、以前我が家で雇っていたことがあったからね」
お父様の言葉を聞いて、怒り狂っていたハロルド様がぽかんと口を開けました。
「生きている? メンティラは生きているんですか? 衛兵は彼女の家で女性の遺体が見つかったと言っていたんですよ?」
「あの女の家で見つかったのはナバロ子爵夫人のご遺体だ」
「ナバロ子爵の奥方ですか?」
ナバロ子爵の話なら聞いたことがあります。
とんでもない浮気者で独身時代に家を潰しかけた方です。
平民の豪商だった奥様を娶って持参金で家を建て直したものの、今も女遊びに興じて奥様や息子さんを苦しめているとか。
「知らなかったのかい? あの女はナバロ子爵の愛人だったんだ」
「男爵夫人に売り飛ばされて……」
「くだらない。男爵夫人は夫の庶子に過ぎないあの女のために気を配っていたよ。うちへ行儀見習いに来たのも彼女の口利きだ。だが、私の妻の寝室に毒花を飾ろうとしたり」
「それは、知らなかったから……」
消え去りそうな声で言うハロルド様に、お父様が言葉を続けます。
「我が家へ怪しい男を連れ込もうとしたりしていたから追い出したんだ。男爵夫人が手を尽くして見つけてやった真っ当な嫁ぎ先との縁談は、犯罪組織の末端だった情人のせいで潰れたらしい。ナバロ子爵との関係は、その男が取り持ったんだろうね。ナバロ子爵夫人を鈴蘭の毒で殺したのはあの女だし、あの女に頼まれてご遺体を始末しようとしてたところを衛兵に捕まったのが情人の男だよ」
お父様は溜息をつきながら、真っ青なお顔になったハロルド様を家から追い出すよう家令に命じたのでした。
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