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幕間 竜王の白日夢③
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ニコラオスは最後の宴を迎えた。
今夜は隣にサギニはいない。本人が拒んだし、ニコラオスもそのほうが良いと思ったのだ。
──そして、大広間の扉が開いてソティリオスにエスコートされたディアナが現れた。
「ディアナ王女。……いや、ディアナ王妃よ。私と踊ってくれないか」
「喜んで、竜王ニコラオス陛下」
ずっと形だけの王妃であることも認めず、リナルディ王国の王女と突き放してきた彼女を王妃と呼んでしまったのはなぜなのか。
とてもディアナに似合っていたけれど、従弟の髪や瞳と同じ銀色の煌めきを放つ紫の布地のドレスのせいかもしれない。ふわりと柔らかく広がった黒髪には、薄紅に色づく白い花びらが散らされていた。その黒髪を優しくまとめているのも銀の鎖だった。
ニコラオスの胸は激しく騒いでいた。
ソティリオスにエスコートされて大広間まで来たせいか、ディアナからはほんのりと麝香草の香りがした。
べつに従弟の専売特許でないことはわかっている。精霊王のことで離宮を訪ねたとき、いつもディアナが淹れてくれていたお茶の香りだ。
だがニコラオスはなぜかそれが気に入らなかった。
ニコラオスは麝香草の香りが消えるまでディアナを抱き締めて踊り続けた。
竜王妃である彼女に自分以外の人間が踊りを申し込もうとしていることが信じられなかった。
リナルディ王国との付き合いはこれからも続く。公表はしていないが、目聡いものなら竜王が離縁後のディアナを大公家に嫁がせようとしていることに気づいている。竜王国を救う行動をしながらも、正式な公務には顔を出さず離宮に引き籠っていた彼女と繋ぎをつけるのは今夜が最適だ。だからなのに、そんなことは頭にも浮かばなかった。
その反面不思議と冷静な自分もニコラオスの中にあった。
まるで恋でもしたかのように自分はディアナを求めている。
サギニといるときのようだが、少し違う。欲情ばかりに溢れているわけではないし、舌に残る酒の味に頭が蕩けてもいない。
ニコラオスは踊りながら大広間を見回した。
ソティリオスは壁に背中を預けて、こちらを見ている。その白銀色の瞳には静かな怒りが灯っているように思えた。
メンダシウム男爵の姿はない。気まずかったのだろう。最初の夜会のとき、旅装から正装へと着替える時間も与えずにディアナを連れて来た裏には、男爵の暗躍があったと最近わかった。ソティリオスが気づかなければ、離宮で暮らすディアナのための費用も男爵の懐に入っていたに違いない。
養女であるサギニを案じてのことだ、とこれまでのニコラオスは思っていた。
だがメンダシウム男爵はサギニを愛人にしていたこともある男なのだ。
オレステスに真実を報告されてもニコラオスはサギニを手放そうとしなかった。番であるということが、すべての問題を解決してくれると信じ込んでいたのだ。
(……本当に?……)
秋の大暴走で巨竜化したニコラオスは暴走しかけた。
あのときの自分を戻してくれたのはだれだったのか。
番であるサギニの近くに来たから収まったのだと思っていた。自分の唇が彼女の名前を紡いだことをうっすらと覚えている。
(だが……)
ニコラオスが暴走しかけたことを聞いたサギニは、怯えてしばらくは顔さえ見せてくれなかった。
元から部屋を訪れても入れてもらえていなかったが、顔さえ見せてもらえないのはかなり辛かった。
辛かったけれど、時間が経つごとに慣れていった。あの酒の味が舌から消えていくのに従ってサギニへの想いも薄れていくような気がした。
(サギニがいなくても私は平気なのか? では彼女は?)
窓辺に佇み、月光に照らされたディアナを見つめながらニコラオスは考えた。
彼女はニコラオスの番ではない。ヒト族だし、光の魔力が強いと言われる竜人族にとっては天敵のような存在の闇の魔力を思わせる黒い髪と紫の瞳の持ち主だ。
竜王の番であるはずがない。
(しかし彼女は美しい。どうしてこれまで気づかなかったのだろう。明日、彼女はいなくなるのか? もしカサヴェテス竜王国に戻って来たとしても、そのときはソティリオスの妻として?)
「……陛下」
「なんだい、ディアナ王妃」
銀色の月光に包まれた彼女を美しいと思いながらも、その月光に従弟の存在を感じて、ニコラオスは自分の胸を掻き毟りたくなった。
自分の胸に生じたのが嫉妬だと気づいたとき、ディアナは言った。
──竜王ニコラオス陛下。あなたは私の番です。
今夜は隣にサギニはいない。本人が拒んだし、ニコラオスもそのほうが良いと思ったのだ。
──そして、大広間の扉が開いてソティリオスにエスコートされたディアナが現れた。
「ディアナ王女。……いや、ディアナ王妃よ。私と踊ってくれないか」
「喜んで、竜王ニコラオス陛下」
ずっと形だけの王妃であることも認めず、リナルディ王国の王女と突き放してきた彼女を王妃と呼んでしまったのはなぜなのか。
とてもディアナに似合っていたけれど、従弟の髪や瞳と同じ銀色の煌めきを放つ紫の布地のドレスのせいかもしれない。ふわりと柔らかく広がった黒髪には、薄紅に色づく白い花びらが散らされていた。その黒髪を優しくまとめているのも銀の鎖だった。
ニコラオスの胸は激しく騒いでいた。
ソティリオスにエスコートされて大広間まで来たせいか、ディアナからはほんのりと麝香草の香りがした。
べつに従弟の専売特許でないことはわかっている。精霊王のことで離宮を訪ねたとき、いつもディアナが淹れてくれていたお茶の香りだ。
だがニコラオスはなぜかそれが気に入らなかった。
ニコラオスは麝香草の香りが消えるまでディアナを抱き締めて踊り続けた。
竜王妃である彼女に自分以外の人間が踊りを申し込もうとしていることが信じられなかった。
リナルディ王国との付き合いはこれからも続く。公表はしていないが、目聡いものなら竜王が離縁後のディアナを大公家に嫁がせようとしていることに気づいている。竜王国を救う行動をしながらも、正式な公務には顔を出さず離宮に引き籠っていた彼女と繋ぎをつけるのは今夜が最適だ。だからなのに、そんなことは頭にも浮かばなかった。
その反面不思議と冷静な自分もニコラオスの中にあった。
まるで恋でもしたかのように自分はディアナを求めている。
サギニといるときのようだが、少し違う。欲情ばかりに溢れているわけではないし、舌に残る酒の味に頭が蕩けてもいない。
ニコラオスは踊りながら大広間を見回した。
ソティリオスは壁に背中を預けて、こちらを見ている。その白銀色の瞳には静かな怒りが灯っているように思えた。
メンダシウム男爵の姿はない。気まずかったのだろう。最初の夜会のとき、旅装から正装へと着替える時間も与えずにディアナを連れて来た裏には、男爵の暗躍があったと最近わかった。ソティリオスが気づかなければ、離宮で暮らすディアナのための費用も男爵の懐に入っていたに違いない。
養女であるサギニを案じてのことだ、とこれまでのニコラオスは思っていた。
だがメンダシウム男爵はサギニを愛人にしていたこともある男なのだ。
オレステスに真実を報告されてもニコラオスはサギニを手放そうとしなかった。番であるということが、すべての問題を解決してくれると信じ込んでいたのだ。
(……本当に?……)
秋の大暴走で巨竜化したニコラオスは暴走しかけた。
あのときの自分を戻してくれたのはだれだったのか。
番であるサギニの近くに来たから収まったのだと思っていた。自分の唇が彼女の名前を紡いだことをうっすらと覚えている。
(だが……)
ニコラオスが暴走しかけたことを聞いたサギニは、怯えてしばらくは顔さえ見せてくれなかった。
元から部屋を訪れても入れてもらえていなかったが、顔さえ見せてもらえないのはかなり辛かった。
辛かったけれど、時間が経つごとに慣れていった。あの酒の味が舌から消えていくのに従ってサギニへの想いも薄れていくような気がした。
(サギニがいなくても私は平気なのか? では彼女は?)
窓辺に佇み、月光に照らされたディアナを見つめながらニコラオスは考えた。
彼女はニコラオスの番ではない。ヒト族だし、光の魔力が強いと言われる竜人族にとっては天敵のような存在の闇の魔力を思わせる黒い髪と紫の瞳の持ち主だ。
竜王の番であるはずがない。
(しかし彼女は美しい。どうしてこれまで気づかなかったのだろう。明日、彼女はいなくなるのか? もしカサヴェテス竜王国に戻って来たとしても、そのときはソティリオスの妻として?)
「……陛下」
「なんだい、ディアナ王妃」
銀色の月光に包まれた彼女を美しいと思いながらも、その月光に従弟の存在を感じて、ニコラオスは自分の胸を掻き毟りたくなった。
自分の胸に生じたのが嫉妬だと気づいたとき、ディアナは言った。
──竜王ニコラオス陛下。あなたは私の番です。
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