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第五話 お嬢様の弟はニコライ様です。
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イリュージアは魅了魔術の使い手ではなかったことがわかった。
それと同時に、これまで彼女が王太子パーヴェルとその側近達の耳に吹き込んできたレオンチェフ公爵令嬢ヴェロニカを始めとする貴族令嬢達からの苛めも嘘だったと判明した。
もちろん三日前に階段から突き落とされたという発言も嘘だ。彼女の体には高所から落ちたときに出来る痕はなにもなかった。
それでも彼女は、悪霊になったヴェロニカに突き落とされたのだと喚き続けた。
パーヴェルの側近達は廃嫡された。
彼らと婚約者の貴族令嬢達の婚約破棄、もとい婚約解消は女性側から言い出されたものだった。彼女達はヴェロニカの死因が事故だとは思っておらず、このまま婚約していたら自分達も殺されると危機感を抱いたそうだ。
パーヴェルのおぞましい企みは公表されていない。
「王位はヤーコフに継がせることにした」
母に言われて、パーヴェルは頷いた。
ヤーコフは六歳。同じ父と母を持つパーヴェルの弟だ。
卒業パーティから半月が経とうとしている今日、パーヴェルは自室謹慎を解かれて女王ジナイーダの執務室に呼び出されていた。
「それがよろしいかと存じます」
「だが、ヤーコフはまだ幼い。あの子が十五歳になるまでは便宜上そなたを王太子のままとする。しかし、公務に携わる必要はない」
「……」
魅了魔術の使い手ではなかったイリュージアは解放されていない。
高位貴族に対する虚偽の罪で罰せられてもおかしくないことをしていたのだが、レオンチェフ公爵がヴェロニカの親友だった貴族令嬢達に声をかけて罪を免じさせたのだ。
調査後のイリュージアは、ヴェロニカが送られる予定だった牢獄よりも遥かに居心地の良い王宮内の貴人用の塔で軟禁生活を送っている。ほかに囚人はいないし、牢番の慰み者になることもない。
「公爵が罪を免じさせたのは、あの娘とそなたを結婚させるためだ。喜ぶがいい、幼いころからの婚約者を捨ててでも結ばれたいほど愛し合っているのだろう?」
「……」
パーヴェルの周囲には近衛騎士達が立っている。
このままイリュージアの待つ塔へ連れて行かれるのだ。
実際のところ、彼女が本当に魅了魔術の使い手でないと証明されたわけではない。魅了魔術はおとぎ話の存在だったのだ。確かめる方法などない。
とはいえ、どんなにイリュージアに誘惑されても、彼女を監視する近衛騎士や彼女を調べた魔術師達は虜にならなかった。
魔術学園での彼女の成績は優秀なものだったが、実技はさほどでもなかった。魔力量だけならヴェロニカのほうが遥かに多かったのだ。
ヴェロニカの魔力は聖職者のように光を帯びていて、発動すると目映く黄金色に煌めいた。幼いころは伝説の聖女の再来ではないかと期待されていたこともある。
結局、パーヴェルを始めとする愚かな若者達がロクでもない女に引っかかっただけのことだ。
それでも平民なら許されたかもしれない。悪いのは騙す者だ。
けれど、王侯貴族は違う。上に立つ者は絶対に騙されてはいけないのだ。上に立つ者が騙されたら、彼らに従う弱き者達まで被害を被ってしまうのだから。
「……母上、最後にヤーコフと話をしてもいいですか?」
たとえ弟が王位を継いでも、パーヴェルが塔を出る日は来ない。
パーヴェルは自分のようにはならないようにとヤーコフに忠告するつもりだった。
だが、ジナイーダは首を横に振った。
「あの子は今、中庭でヴェロニカの弟と遊んでいる」
ヴェロニカの弟ニコライは、ヤーコフと同じ六歳だ。
ニコライの未来の側近候補であり、ふたりは仲の良い幼なじみでもある。
「ヴェロニカは優しい子だったから、そなたが心変わりしたのは自分が至らなかったからだと考えて、婚約解消を申し出ながらもなにひとつそなたへの不満は言わなかった。されどレオンチェフ公爵はそうではない。そなたを憎んでいる」
「……」
「言葉にしなくても子どもは感じ取っているだろう。ヤーコフとニコライの間に亀裂を生じさせたいのでないのなら、そなたはふたりの前に顔を見せるな」
「御意に」
そう言いながらもジナイーダはイリュージアのいる塔へ行くには遠回りな、窓から中庭が見える廊下を通るよう近衛騎士に指示してくれた。
自分に与えられた処置が恩情溢れるものだとわかっていても、パーヴェルはイリュージアの顔を見るのが嫌だった。
彼女の顔を見たらきっと、ヴェロニカに階段から突き落とされたと言われたとき、牢獄に放り込んで囚人や牢番の慰み者にしてやると答えたパーヴェルに見せた笑顔を思い出す。
その瞳に映っていたパーヴェルと同じように、微笑むイリュージアは醜悪だった。
王太子に相応しくなかったパーヴェルと王太子妃に相応しくないイリュージアは、似合いのふたりなのかもしれない。
だけど、どんなに似合いでもパーヴェルはもう二度とイリュージアを愛せないと思った。
彼女が本当は魅了魔術の使い手だったとしても、パーヴェルのひび割れた心が魅了されることはもう二度とない。
パーヴェルが廊下の窓から垣間見た中庭で遊ぶふたりの少年は、黄金色に煌めく陽光に包まれて幸せそうに笑っていた。紙を折って作った三角形の鳥を飛ばして追いかけているようだ。
醜悪さのかけらもない、美しい微笑みだった。
ヴェロニカに贈られた鳥のブローチを握り締めて、パーヴェルはイリュージアの待つ塔へと歩き出した。
今にして思えば、イリュージアもパーヴェル自身を愛していたのではなかったに違いない。
彼女はレオンチェフ公爵令嬢ヴェロニカを嘘で貶めて、自分が王太子妃になりたかっただけだ。
愛のない似合いのふたりは、これから塔の中で朽ち果てていく。動いていても骸と変わらない存在になるのだ。
それと同時に、これまで彼女が王太子パーヴェルとその側近達の耳に吹き込んできたレオンチェフ公爵令嬢ヴェロニカを始めとする貴族令嬢達からの苛めも嘘だったと判明した。
もちろん三日前に階段から突き落とされたという発言も嘘だ。彼女の体には高所から落ちたときに出来る痕はなにもなかった。
それでも彼女は、悪霊になったヴェロニカに突き落とされたのだと喚き続けた。
パーヴェルの側近達は廃嫡された。
彼らと婚約者の貴族令嬢達の婚約破棄、もとい婚約解消は女性側から言い出されたものだった。彼女達はヴェロニカの死因が事故だとは思っておらず、このまま婚約していたら自分達も殺されると危機感を抱いたそうだ。
パーヴェルのおぞましい企みは公表されていない。
「王位はヤーコフに継がせることにした」
母に言われて、パーヴェルは頷いた。
ヤーコフは六歳。同じ父と母を持つパーヴェルの弟だ。
卒業パーティから半月が経とうとしている今日、パーヴェルは自室謹慎を解かれて女王ジナイーダの執務室に呼び出されていた。
「それがよろしいかと存じます」
「だが、ヤーコフはまだ幼い。あの子が十五歳になるまでは便宜上そなたを王太子のままとする。しかし、公務に携わる必要はない」
「……」
魅了魔術の使い手ではなかったイリュージアは解放されていない。
高位貴族に対する虚偽の罪で罰せられてもおかしくないことをしていたのだが、レオンチェフ公爵がヴェロニカの親友だった貴族令嬢達に声をかけて罪を免じさせたのだ。
調査後のイリュージアは、ヴェロニカが送られる予定だった牢獄よりも遥かに居心地の良い王宮内の貴人用の塔で軟禁生活を送っている。ほかに囚人はいないし、牢番の慰み者になることもない。
「公爵が罪を免じさせたのは、あの娘とそなたを結婚させるためだ。喜ぶがいい、幼いころからの婚約者を捨ててでも結ばれたいほど愛し合っているのだろう?」
「……」
パーヴェルの周囲には近衛騎士達が立っている。
このままイリュージアの待つ塔へ連れて行かれるのだ。
実際のところ、彼女が本当に魅了魔術の使い手でないと証明されたわけではない。魅了魔術はおとぎ話の存在だったのだ。確かめる方法などない。
とはいえ、どんなにイリュージアに誘惑されても、彼女を監視する近衛騎士や彼女を調べた魔術師達は虜にならなかった。
魔術学園での彼女の成績は優秀なものだったが、実技はさほどでもなかった。魔力量だけならヴェロニカのほうが遥かに多かったのだ。
ヴェロニカの魔力は聖職者のように光を帯びていて、発動すると目映く黄金色に煌めいた。幼いころは伝説の聖女の再来ではないかと期待されていたこともある。
結局、パーヴェルを始めとする愚かな若者達がロクでもない女に引っかかっただけのことだ。
それでも平民なら許されたかもしれない。悪いのは騙す者だ。
けれど、王侯貴族は違う。上に立つ者は絶対に騙されてはいけないのだ。上に立つ者が騙されたら、彼らに従う弱き者達まで被害を被ってしまうのだから。
「……母上、最後にヤーコフと話をしてもいいですか?」
たとえ弟が王位を継いでも、パーヴェルが塔を出る日は来ない。
パーヴェルは自分のようにはならないようにとヤーコフに忠告するつもりだった。
だが、ジナイーダは首を横に振った。
「あの子は今、中庭でヴェロニカの弟と遊んでいる」
ヴェロニカの弟ニコライは、ヤーコフと同じ六歳だ。
ニコライの未来の側近候補であり、ふたりは仲の良い幼なじみでもある。
「ヴェロニカは優しい子だったから、そなたが心変わりしたのは自分が至らなかったからだと考えて、婚約解消を申し出ながらもなにひとつそなたへの不満は言わなかった。されどレオンチェフ公爵はそうではない。そなたを憎んでいる」
「……」
「言葉にしなくても子どもは感じ取っているだろう。ヤーコフとニコライの間に亀裂を生じさせたいのでないのなら、そなたはふたりの前に顔を見せるな」
「御意に」
そう言いながらもジナイーダはイリュージアのいる塔へ行くには遠回りな、窓から中庭が見える廊下を通るよう近衛騎士に指示してくれた。
自分に与えられた処置が恩情溢れるものだとわかっていても、パーヴェルはイリュージアの顔を見るのが嫌だった。
彼女の顔を見たらきっと、ヴェロニカに階段から突き落とされたと言われたとき、牢獄に放り込んで囚人や牢番の慰み者にしてやると答えたパーヴェルに見せた笑顔を思い出す。
その瞳に映っていたパーヴェルと同じように、微笑むイリュージアは醜悪だった。
王太子に相応しくなかったパーヴェルと王太子妃に相応しくないイリュージアは、似合いのふたりなのかもしれない。
だけど、どんなに似合いでもパーヴェルはもう二度とイリュージアを愛せないと思った。
彼女が本当は魅了魔術の使い手だったとしても、パーヴェルのひび割れた心が魅了されることはもう二度とない。
パーヴェルが廊下の窓から垣間見た中庭で遊ぶふたりの少年は、黄金色に煌めく陽光に包まれて幸せそうに笑っていた。紙を折って作った三角形の鳥を飛ばして追いかけているようだ。
醜悪さのかけらもない、美しい微笑みだった。
ヴェロニカに贈られた鳥のブローチを握り締めて、パーヴェルはイリュージアの待つ塔へと歩き出した。
今にして思えば、イリュージアもパーヴェル自身を愛していたのではなかったに違いない。
彼女はレオンチェフ公爵令嬢ヴェロニカを嘘で貶めて、自分が王太子妃になりたかっただけだ。
愛のない似合いのふたりは、これから塔の中で朽ち果てていく。動いていても骸と変わらない存在になるのだ。
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