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第十話 忘れられない恋心
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私とクレックス伯爵令息オズワルド様の婚約が解消されて、彼は隣国プーパ王国の王女カテーナ様と正式に婚約なさいました。
私も密かにルプス大公殿下との婚約が結ばれています。
きっとこれがだれにとっても良い結末だったのです。
学園の卒業まではまだ数ヶ月あるので、最後に一度くらいはオズワルド様とふたりでお話出来るかと期待していましたが、どうやらそれは無理なようです。
カテーナ様は婚約前以上にオズワルド様を独占し、一瞬も離れようとはなさいません。
オズワルド様が授業中に微笑みを向けてくださることもなくなりましたし、私も最近では彼を避けるようにしています。政略的な婚約が解消されたのですから、無意味に近寄らないことがお互いのためなのです。
だけど……
大公殿下に贈っていただいた夜会用のドレスとアクセサリーを見つめながら、そうやって自分に言い聞かせている辺り、私はまだオズワルド様への想いを吹っ切れてはいないようです。
婚約を解消してからは一ヶ月も経っていないといっても、学園の最終学年に進級してカテーナ様が留学してきてからは一年近くが過ぎています。
その間ほとんどオズワルド様と接していなかったのに、私の恋心は暖炉の燃え殻のように燻ぶり続けていたようです。
「炎のような赤。デニス義兄上の髪の色ですね」
思索に耽る私が瞳に映していたドレスを見て、弟のザカリーが言いました。
「私には派手ではないかしら」
「そんなことありませんよ。アンジェラ姉上の黒髪には赤が良く似合います。義兄上の瞳と同じ緑色の宝石もです」
ザカリーはすっかり大公殿下に懐いています。
これから始まる社交の季節のために王都の大公邸に留まっている殿下は、毎日のようにフォルミーカ伯爵邸へいらして、ザカリーに剣の修業をつけてくださっているのです。
家臣とは違う遠慮のない年上男性との付き合いは、産まれる前に父を亡くした弟にとって貴重で得難い大切な体験でしょう。
そして黒い牡馬のノックスは、本当に殿下の愛馬に恋をしていたようです。
殿下がザカリーに修業をつけている間、月光のように白い雌馬のルーナと伯爵邸の馬場を駆け巡っています。
不思議なことに、ルーナも満更ではなさそうです。二頭はどこかで会ったことがあるのでしょうか。
「……姉上は、デニス義兄上のことがお好きではないのですか?」
そう言われて、私はザカリーが不安げに見つめているのに気づきました。
「まだわかりません。少なくとも嫌いになるような要素はどこにもないと思っています」
あのとき、私と騎士を襲撃者から助けてくださった方です。
弟のザカリーにも優しくしてくださっている方です。
当主である彼の婚約者となった私のために、もうすぐ王宮で開かれる夜会用のドレスとアクセサリーを贈ってくださった方です。当たり前のことではありますが、嬉しくないわけではありません。
「オズワルド殿のことが忘れられないのですか?」
「……」
「姉上は彼のどこが良かったのですか?」
「え?」
「非難とか嫌味とかではありません。だれかを好きになるというのは、その人だけの大切な気持ちです。姉上には姉上の彼を好きになる理由がおありだったのでしょう? それを思い起こしてみて、デニス義兄上にも同じところがないか探してみたらいかがでしょうか。同じところが見つかったら、義兄上のことも好きになれるかもしれませんよ?」
「同じところ、と言われても……」
オズワルド様を好きになった最初のきっかけは、初恋の相手だと思ったからでした。
でもそれだけで想い続けていたわけではありません。
「私がクレックス伯爵領での特産品開発について考えて話したとき、今から無理しなくても良いんだよ、と言ってくださった後の微笑みが……好きでしたわ」
クレックス伯爵領にも我がフォルミーカ伯爵領と同じように、たくさん採れるのに食用としては微妙な果実や作物がありました。
すべてを高価な砂糖による砂糖煮にするわけにはいきませんけれど、干したり調理したりして加工すれば、父が残してくれた保存容器を利用して、この国だけでなく他国へも輸出が可能なのではないかと思ったのです。
父が最後に遺した研究報告書によって、保護液の無毒化も完ぺきになっています。
「んー。それは姉上を気遣ったんじゃなくて、余計なことをしないように止めただけじゃないですか? クレックス伯爵家は新しい事業を開発するよりも、妻の実家に依存することで代々生き延びてきた一族なのですから」
「……余怪なこと、だったのでしょうか」
「あ、いえ、姉上を責めたわけではありませんよ?」
「ふふふ、そうね。ごめんなさい」
弟に言われて考えてみると、確かに余計なことだったような気もします。
上手く行くかどうかもわからない新事業に投資するよりも、今あるもので生き延びることのほうが大切な場合もあるでしょう。
私はオズワルド様の真意もわかっていなかったのかもしれません。
私にとっては大切な避暑地の思い出も、オズワルド様にはそうではなかったのかもしれません。
彼にとっての避暑地の思い出はカテーナ様とのもので、私との思い出など初めから覚えてもいらっしゃらなかったのかもしれません。
だけど、でも……諦めることが最善だとわかっているのに、胸の奥底にこびり付いた恋心が、今も私にオズワルド様を忘れることを許してくれないのです。
「えぇと、結局のところ姉上はオズワルド殿の微笑みが好きだったということですよね?」
「そうですね」
「だったらデニス義兄上のことも好きになれますよ! 義兄上の不敵な笑みはとっても格好良いのです。僕もあんな笑みを浮かべられる男になりたいと思っているのですが……どうですか?」
そう言って不敵? に笑う弟の顔は、とても可愛らしかったのでした。
私も密かにルプス大公殿下との婚約が結ばれています。
きっとこれがだれにとっても良い結末だったのです。
学園の卒業まではまだ数ヶ月あるので、最後に一度くらいはオズワルド様とふたりでお話出来るかと期待していましたが、どうやらそれは無理なようです。
カテーナ様は婚約前以上にオズワルド様を独占し、一瞬も離れようとはなさいません。
オズワルド様が授業中に微笑みを向けてくださることもなくなりましたし、私も最近では彼を避けるようにしています。政略的な婚約が解消されたのですから、無意味に近寄らないことがお互いのためなのです。
だけど……
大公殿下に贈っていただいた夜会用のドレスとアクセサリーを見つめながら、そうやって自分に言い聞かせている辺り、私はまだオズワルド様への想いを吹っ切れてはいないようです。
婚約を解消してからは一ヶ月も経っていないといっても、学園の最終学年に進級してカテーナ様が留学してきてからは一年近くが過ぎています。
その間ほとんどオズワルド様と接していなかったのに、私の恋心は暖炉の燃え殻のように燻ぶり続けていたようです。
「炎のような赤。デニス義兄上の髪の色ですね」
思索に耽る私が瞳に映していたドレスを見て、弟のザカリーが言いました。
「私には派手ではないかしら」
「そんなことありませんよ。アンジェラ姉上の黒髪には赤が良く似合います。義兄上の瞳と同じ緑色の宝石もです」
ザカリーはすっかり大公殿下に懐いています。
これから始まる社交の季節のために王都の大公邸に留まっている殿下は、毎日のようにフォルミーカ伯爵邸へいらして、ザカリーに剣の修業をつけてくださっているのです。
家臣とは違う遠慮のない年上男性との付き合いは、産まれる前に父を亡くした弟にとって貴重で得難い大切な体験でしょう。
そして黒い牡馬のノックスは、本当に殿下の愛馬に恋をしていたようです。
殿下がザカリーに修業をつけている間、月光のように白い雌馬のルーナと伯爵邸の馬場を駆け巡っています。
不思議なことに、ルーナも満更ではなさそうです。二頭はどこかで会ったことがあるのでしょうか。
「……姉上は、デニス義兄上のことがお好きではないのですか?」
そう言われて、私はザカリーが不安げに見つめているのに気づきました。
「まだわかりません。少なくとも嫌いになるような要素はどこにもないと思っています」
あのとき、私と騎士を襲撃者から助けてくださった方です。
弟のザカリーにも優しくしてくださっている方です。
当主である彼の婚約者となった私のために、もうすぐ王宮で開かれる夜会用のドレスとアクセサリーを贈ってくださった方です。当たり前のことではありますが、嬉しくないわけではありません。
「オズワルド殿のことが忘れられないのですか?」
「……」
「姉上は彼のどこが良かったのですか?」
「え?」
「非難とか嫌味とかではありません。だれかを好きになるというのは、その人だけの大切な気持ちです。姉上には姉上の彼を好きになる理由がおありだったのでしょう? それを思い起こしてみて、デニス義兄上にも同じところがないか探してみたらいかがでしょうか。同じところが見つかったら、義兄上のことも好きになれるかもしれませんよ?」
「同じところ、と言われても……」
オズワルド様を好きになった最初のきっかけは、初恋の相手だと思ったからでした。
でもそれだけで想い続けていたわけではありません。
「私がクレックス伯爵領での特産品開発について考えて話したとき、今から無理しなくても良いんだよ、と言ってくださった後の微笑みが……好きでしたわ」
クレックス伯爵領にも我がフォルミーカ伯爵領と同じように、たくさん採れるのに食用としては微妙な果実や作物がありました。
すべてを高価な砂糖による砂糖煮にするわけにはいきませんけれど、干したり調理したりして加工すれば、父が残してくれた保存容器を利用して、この国だけでなく他国へも輸出が可能なのではないかと思ったのです。
父が最後に遺した研究報告書によって、保護液の無毒化も完ぺきになっています。
「んー。それは姉上を気遣ったんじゃなくて、余計なことをしないように止めただけじゃないですか? クレックス伯爵家は新しい事業を開発するよりも、妻の実家に依存することで代々生き延びてきた一族なのですから」
「……余怪なこと、だったのでしょうか」
「あ、いえ、姉上を責めたわけではありませんよ?」
「ふふふ、そうね。ごめんなさい」
弟に言われて考えてみると、確かに余計なことだったような気もします。
上手く行くかどうかもわからない新事業に投資するよりも、今あるもので生き延びることのほうが大切な場合もあるでしょう。
私はオズワルド様の真意もわかっていなかったのかもしれません。
私にとっては大切な避暑地の思い出も、オズワルド様にはそうではなかったのかもしれません。
彼にとっての避暑地の思い出はカテーナ様とのもので、私との思い出など初めから覚えてもいらっしゃらなかったのかもしれません。
だけど、でも……諦めることが最善だとわかっているのに、胸の奥底にこびり付いた恋心が、今も私にオズワルド様を忘れることを許してくれないのです。
「えぇと、結局のところ姉上はオズワルド殿の微笑みが好きだったということですよね?」
「そうですね」
「だったらデニス義兄上のことも好きになれますよ! 義兄上の不敵な笑みはとっても格好良いのです。僕もあんな笑みを浮かべられる男になりたいと思っているのですが……どうですか?」
そう言って不敵? に笑う弟の顔は、とても可愛らしかったのでした。
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