私が異世界物を書く理由

京衛武百十

文字の大きさ
上 下
650 / 910
第二幕

そうだね。『子ガチャハズレ』なら、引いた瞬間にもう結果が決まってて、誰が育てても結果は同じになって、何をどうしたってその人が変わることはもう

しおりを挟む
そうだね。『子ガチャハズレ』なら、引いた瞬間にもう結果が決まってて、誰が育てても結果は同じになって、何をどうしたってその人が変わることはもうない。ってことじゃないとおかしいよね? 違うの? ねえ?

生まれた子供が<ハズレ>でさ、それでおかしな風になっちゃったって言うのなら、<更生>も有り得ないよね。

なんか、体罰とか含めたメッチャクチャなプログラムで<更生>させる活動とかあったじゃん。あれでホントに<更生>するなら、やっぱ親のやり方が間違ってたって話だよね? あんなので更生したって、一ミリも<美談>にならないんじゃないの? 

『子供もまともに育てられないダメな親でした』

って、トドメ刺されるだけじゃん。それをまあよくもあんなに美談っぽく紹介してたもんだなあと、今じゃ逆に感心するよ。昔はその話を聞いてドン引いてたけどさ。

で、今でも、ニートになっちゃうような子供が<ハズレ>だって言うなら、その子供が何かの出逢いとかを切っ掛けにニートから脱してまっとうに自立できたりしたら、それもやっぱ、『親が失敗した』だけだよね? だって、<切っ掛け>があれば軌道修正できる程度の能力はあったんだよ? 親がそれを引き出せなかったのはなんで?

だからやっぱり、

『育ててみないと分からない』

って時点で、<子ガチャ>なんてないし、親の失敗や手抜きややらかしを子供の所為にしようとしてるだけのただの、

<責任逃れ>

だよね?

これはね、私自身が親で、自分が子供を育ててるからこその実感なんだよ。私の子供達が生まれた時点では、<ハズレ>か<アタリ>かなんて、分からなかったよ? てか、無事に生まれてきてくれただけで<大アタリ>だったけどね。

で、育ててみなきゃ<ハズレ>か<アタリ>か分からないって、うん、<ガチャ>なんかじゃないよね?

てか、そもそも自分の子供を<ガチャ>に例えるような親ってなんなの? としか思わない。

こう言うと、

『自分の親を<ガチャ>に例えるような奴もどうかしてる!』

ってキレるかもだけどさ、でも、最初は確か、子供が事件を起こしたりした時に『ガチャにハズレた』とか言ってたような気がするんだけど? つまり、<子ガチャ>って考え方が先にあって、それに呼応して<親ガチャ>ってのが出てきたんじゃないの? もしそうなら、先に<ガチャ>って考え方をし始めたのは、どっちなのさ?

まあそれはどっちでもいいんだけど、<親ガチャ>って言葉も<ガチャ>ってものの仕組みを考えたら正しくないんだろうけど、

『ガチャの仕組みを考えたら正しくない』

のは<子ガチャ>だって同じだよ? だから最初に<ガチャ>なんて言い出したのがそもそも間違ってたってこと。

しおりを挟む

処理中です...