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実にいい<道化>

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「……」

黙ったまま俯いてしまったミブリからは、もう、僕に対する憎悪は感じ取れなかった。

いや、実を言うと完全に消えてしまったわけじゃない。僕の言ったことを完全に信じられたわけでもないだろう。ただ、こいつが思い描いていた僕の姿とあまりにかけ離れすぎていて、気持ちをどこにどう向ければいいのか分からなくなってしまったんだろうな。

だが、そんなのは僕の知ったことじゃない。僕が気遣ってやるようなことじゃない。

それに今のミブリにとっては、自分に向けられたヒャクの険しい視線の方が居心地悪いようだ。

竜神に喰い殺されているはずの生贄がこうやって生きていて、しかも竜神を敬愛していて、さらにはその竜神に対して非礼を働いた自分を咎めている。

さしずめ<針の莚>というやつか。

「……俺は……っ!」

意を決してヒャクに対して何かを言おうとしたようだが、有無を言わさぬヒャクの<圧>にされてそれ以上は言葉にならなかったようだ。

で、何も言わずに立ち上がり、家の扉をがっと開けてずかずかと大股で歩き出した。が、

「洞の出口ならあっちだぞ」

洞の奥に向かって歩き出したミブリに、僕は冷たく告げる。

「~~~~~~…っ!!」

完全に思い違いをしていただけなのが気まずくてやはりなにも言えずに、ミブリは踵を返して今度は洞の出口へと向かって歩いていった。本当は走り出したかったんだろうが、それだと逃げ出すような気がしたんだろう。

あいつとしては、

『改めて出直す!』

と言いたかったんだろうな。

そうしてミブリが去ると、ヒャクが、

「ふんっ! ふんっ!」

などと鼻息荒く塩を掴んでミブリが去った方に向かって投げつけていた。いやはや、こいつはこいつで、相当、腹に据えかねたようだな。

などという茶番も終わり、僕は、

「まあ、飯にするか」

なるべくいつもどおりに声を掛けた。

するとヒャクも、

「はい、そうですね」

いつもの調子で応えたつもりだったらしいが、明らかに笑顔が引きつっていた。

ただ、僕としては、普段あまり見せないヒャクのそういう姿が見られたことが少し楽しかったりしたけどな。

そうだ。これまでのやつらに比べれば多少毛色が違っていても、こいつもただの人間だ。不愉快な思いをすればこんなかおにもなるだろう。

それがなんだか可愛くてな。ミブリのことなどどこへやら。むしろ気分が良くなっていたりもした。

そういう意味では、ミブリに感謝したい気持ちもないわけじゃない。

あいつは実にいい<道化>だったよ。

楽しませてもらえた。

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