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辟易

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僕がやめるように告げても、人間は僕に願うことをやめない。

身勝手極まりない<願い>でも。

その女も、決してやめようとしなかった。だからきっと、百度で願いが叶わなければ、さらに百度参るだろうなというのは、簡単に想像できた。

女は、春に参り始めた。

春の間はまだよかっただろう。けれど、長雨の時節にはほとんど毎日のように泥まみれになって現れ、幽鬼のような有様だった。

そして長雨が過ぎれば今度は燃えるような陽が女を容赦なく焼いた。

ここまでにも何度も怪我をして体中傷だらけになり、なのに顔だけが分厚い白粉おしろいで真っ白に浮かび上がり、そこに真っ赤な紅を差した唇が浮かび上がっているという、普通の人間が見たらそれこそ腰を抜かしそうな有様だ。

僕は問い掛ける。

「もし、お前の望み通り、想い人の男の女房が死んだとて、今の自分がその男に選ばれると、今の姿を見て思えるというのか?」

と。

なのに女は、

「黙れ黙れ! 幻め! 私は騙されない! あの人は、見た目で人を選ばない! だけど優しすぎるから、あの女に騙されてるだけだ! 私はあの人を救って結ばれるんだ!! 私じゃなきゃ、あの人を幸せにはできないんだ!!」

櫛で梳いてもいない髪は伸び放題で絡まり合い、その髪に覆われた頭を女は搔きむしり、金切り声を上げ、怨嗟のごとき言葉を吐き出した。

もう本当にどこまでも始末に負えない。

なんなんだ、これは。



だけど、この世のすべてを焼き焦がそうとでもするような容赦のない陽に炙られ、百度目までもう少しというある日、女は山の中で倒れて、動かなくなった。

陽に焼かれて体の中が煮えたんだ。人間は、ちょっと熱が高くなるだけで簡単に死ぬからな。

ここまでの無理が祟ったというのもあるんだろう。

「行かなきゃ……歩かなきゃ……参らなきゃ……あの人を助けるんだ……私が幸せにするんだ……」

体はもう全く動かないのに、女の口は小さく呟き続けていた。

里での女の暮らしは、一人、屋根のあちこちがすでに落ちて、石の壁も歪んでいつ崩れ落ちてもおかしくないような、普通ならとても住んでいられないような家に一人で獣のように住んでいるというものだった。

女のあまりのしつこさに、僕も少しだけ様子を見てみようと気まぐれを起こしたんだ。

聞けば、女は、ヒャクと同じくらいの歳に親と死に別れて、それからずっと一人だったそうだ。

元々、親がいた頃から妄言の類を並べる奴で、近くに住んでいた男と自分は祝言を上げるんだと吹聴していたらしい。

もっとも、男の方もそんな女のことは、多少は憐れにも思いつつ、けれど女の妄言には辟易していたらしいけどな。

そして男は、昔馴染みの器量良しな他の女と夫婦になって、で、それを見たこの女は怨讐を拗らせたということだ。

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