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あの人への想いを試そうと

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女は、毎日、僕を参った。山を歩いて、歩いて、履物が擦り切れて足に血が滲んでも、雨で道がぬかるみ、滑って手を着いた時に尖った石で裂けて血が流れても、休まず僕を参った。

そして、祠の前で念じるんだ。

『あの女を殺してください』

って。

喰わなくても分かる。えぐ味が酷くてまったく喰えたものじゃないってことが。

獣は、生きるために命を奪う。でもそれは、

『相手の命を奪おう』

として奪ってるわけじゃない。自分が生きるために、自分に連なる者達を生かすために、やれることをしたら結果的に相手が死んでしまうだけだ。

猫が食うわけでもないのに小さな獣や虫にちょっかいをかけて死なせてしまうのも、獲物を捕らえるためにそういう習性が備わっているだけで、命を奪うつもりでやってるわけじゃない。

なのに、人間だけが明確に『殺してやる』と考える。しかも、

『気に入らないから』

とか、

『邪魔だから』

とか、そんな些細な理由でだ。

まったく、人間が一番邪悪な生き物じゃないか。

しかも、己の手を汚さず、僕に殺させようとさえする。

どこまでも卑劣極まりない。

なのに、その卑劣さ自体、恐ろしい執念となって極まっていたりもする。

この女のように。

まったく。なんでこんな生き物になってしまったんだ。人間は。

ある日など、途中で足を踏み外して崖から落ちたらしく、体中傷だらけの血塗れで祠の前に立ったことさえあった。

そこで足でも折っていればさすがに諦めたかもしれないものの、翌日には木の枝を杖代わりにしてまた現れた。

その執念をどうして他の形で活かせない?

僕はそう思うけど、女には通じない。

いい加減に鬱陶しくなって、

「女、お前の薄汚れた願いなど我は聞き入れぬ。無駄なことをやめて慎ましく生きろ」

竜神の姿で祠の後ろから睨み付けて告げてやったのに、

「ひいい……っ!」

と息を詰まらせて腰を抜かして小便まで漏らしたくたクセに、

「こんなのは幻だ! 私のあの人への想いを試そうとしてるに違いない…! ここで負けたら私の想いはあの人へは届かない……!」

とかなんとか呟いて、案の定、聞き入れることもなかった。

人間は、<竜神>自身が告げても、それが自分に都合の悪いものなら<幻>とさえ考えて耳を塞ぐ。

本当に煩わしい。

この女の前にも、似たようなことをした奴は何人もいた。

百度で願いが叶わなければ『もう百度』とばかりに続ける奴さえいた。

この女のように足を滑らせて崖から落ちて死んだ奴もいる。無理が祟って病を患い行き倒れた奴もいる。

願いは叶わず自分は道半ばで命を落とす。無駄死にもいいところだ。

この女も、百度参っても想い人の女房が死ななかったら、どうするつもりなんだろうな……

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