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四十八話「引きこもり」

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翌日の朝早く目が覚めた。室内にヴォルフリック兄上の姿はない。

さすがにあんなことがあった後、同じ部屋で過ごすのは気まずい。

ヴォルフリック兄上はきっと別の部屋で寝たのだろう。

思い返せば王都にいた時からずっと、兄上はボクを「抱きたい」と言っていた気がする。兄上は最初からボクに欲情していたのだ。

ボクはなぜそのことに気が付かなかったのかな? ぼんやりしているのにもほどがある。

兄上が侯爵領についてきたのも、きっと単なる気まぐれ。

王子の身分を剥奪され、地方に飛ばされ、弱っているボクなら、簡単に抱けると思ったのだろうか?

ボクのことを愛していないのに、ただ性的な快楽を得るために抱こうとした。

兄上がボクにやさしかったのも、セックスしたかっただけなのに、それに気づかないなんて、馬鹿だなボクは。

なんだか急に熱が冷めた。

ボクは何で兄上を、愛していると思っていたのか?

思えばボクとヴォルフリック兄上の関係は、共依存に近かった。

ヴォルフリック兄上はずっと地下牢に閉じ込められていた。兄上は人の温もりに飢えていた。何年かぶりにやさしい言葉をかけられ、ボクになついただけ。鳥の刷り込みに近い。

ボクは金色の髪と青い目を失ったことで、父上と母上の関心を失い。王子の身分を剥奪され、地方に飛ばされ、深く傷ついていた。

だから唯一暖かく接してくださったヴォルフリック兄上に、すがりついた。

冷静に分析してみると、なんと惨めな関係なのだろう。

部屋の空気が重い。窓を開け新鮮な空気を取り込もう。

窓の外を見ると、屋敷の庭に白い馬と黒い馬が一頭ずついた。

「良い毛並みの馬だ」「すごい馬だ」と、ハンクとルーカスが話している。声が大きいので三階のボクの部屋まで、聞こえた。

そういえば昨日、シュトラール様が馬をくださるとおっしゃっていた。

Mエイワズ』のルーン文字は『馬』を意味した。

なんだか、どうでもよくなってしまった。領地の改革も、精霊も、兄上のことも……みんな。


◇◇◇◇◇


それからしばらくボクは部屋に、こもっていた。

侯爵としてやらなくてはいけないことがたくさんある。だけど何もやる気が起きない。

あれだけ民のために頑張ると公言しておきながら、兄上との仲がぎくしゃくしただけでこのありさま。

結局ボクは、名前だけの侯爵で、口だけの男だ。


◇◇◇◇◇


北の地の短い夏が終わり、秋が近づいたある日。朝早く目が覚めたボクは、ふと出かけたくなった。

理由は分からない。なぜか外に出たくなった。

引きこもりしていた一カ月で、ひとりで服を着られるようになった。寝間着から普段着に着替え、部屋を出る。

馬車を用意してもらおうと外に出ると、玄関先に白い馬がいた。

この馬は確か、シュトラール様からの贈り物。

白馬が屋敷に来たときには裸だったが、いま目の前にいる馬には、手綱や鞍(くら)や蹄鉄(ていてつ)などの馬具がつけられている。

ちょうどいい、この馬を借りよう。

馬を管理している者に黙って馬を拝借することに罪悪感を覚えたが、この屋敷にあるものは全て侯爵であるボクのものだからまっいっか、と開き直る。

馬の背にまたがり、あてもなく走る。

気が付くと精霊の森の前に来ていた。

白馬はボクの制止を無視し、精霊の森の中に進んでいく。

今はあまりシュトラール様に会いたくない。ルーン文字を二つもいただいておきながら、職務を放棄し引きこもりしていた。シュトラール様に会わせる顔がない。

引きかえしたいが、馬が言うことを聞いてくれない。

あっという間に精霊の泉に、着いてしまった。

シュトラール様はいないみたいだ。出会う前にさっさと帰ろう。と思ったのだが、白馬が泉の水を飲みだした。水を飲んだあとは草を食べ始めた。

馬はてこでも動きそうにないので、馬の気が済むまで、しばらく待つことにした。

馬から降り、泉の近くの草むらに横たわる。

木々の隙間から太陽の光がキラキラと降り注ぐ。小鳥のさえずりに安らぎを感じる。

のどかだ。ずっと家に引きこもっていたから、精霊の森のマイナスイオンが心地よい。

空から「I」に似たルーン文字が落ちてきた。

避けようとしたが、文字が追いかけてくる。「I」に似た文字はボクの額にぺたりと張り付いた。

「イス……」

どうやらあの文字は「イス」と読むらしい。無意識に、声に出していた。

「お久しぶりですね」

聞き覚えのある声に視線を向けると、会いたくない人、いや会いたくない精霊がいた。

「お久しぶりです、シュトラール様」

ボクは起き上がり、侯爵らしく礼儀正しくお辞儀をする。

「雰囲気が変わりましたね、まるで覇気がない」

はっきりと言われグサリときた。

「あの子と、ヴォルフリックとはうまくいっていますか?」

「それは……」

ヴォルフリック兄上とはあの日以来一度も会っていない。兄上が侯爵領に居るのかどうかも分からない。

とっくに王都に戻られたのかもしれない。セフレにならないボクに、用などないだろうし。

「……すみません」

「そうですか、あの子のことを気にかけてくれる人が現れて、喜んでいたのですが」

「血のつながらない弟のボクより、血のつながりのある大伯父のあなたが気にかけたらどうですか?」

ボクの言葉にはトゲがあった。だがシュトラールは気にした様子もなく、ニコニコと笑っていた。

「わたしにもいろいろあるのです」

「それならボクにだっていろいろあります」

もう前のように無邪気に兄上にはなつけない。

「あの子は弟の忘れ形見でもあり、弟の敵でもあります」

「敵?」

敵ってどういうこと? 忘れ形見って、ラグ様はもうこの世にいないの??

「弟はこの地の精霊の契約を切り、あの人……エリーと結婚しました。エリーが死ぬまで側にいるという誓いを立てて。逆に言えば、エリーが死んだら精霊の森に帰らなくてはいけない、残酷な契約でした」

ヴォルフリック兄上のお祖母様であるエリー様は、レーア様を産んですぐに亡くなられた。

「ではラグ様が赤子のレーア様をマーラー男爵家に残し、森に帰られたのは?」

「契約のため、そうするしかなかったのです」

ラグ様は、赤子のレーア様を見捨てたわけではなかった。

「ですが弟は残してきた娘のことを、精霊の世界からずっと見守っていました」

ラグ様はレーア様のことを愛していた。

「弟は娘が王族と結婚し、幸せに暮らしてることを知って、とても喜んでいました」

レーア様は陛下と結婚して幸福だったんだ。ボクが生まれる前のことだからよく分からないけど。

「レーアが魔王に拐われるまでは……」

「レーア様が魔王に拐われたとき、ラグ様はどうしていたのですか?」

「ラグは……弟は、最愛の娘を拐い辱めた魔王を倒しに行きました」

ラグ様が魔王に挑まれた?

「わたしは止めたのです、弟は魔法攻撃を得意とする水の精霊でした。魔王には光魔法か物理攻撃しか通じない。水魔法攻撃が得意な弟とは、相性が悪い」

「ラグ様は、そのことを知っていて」

「単身で魔王に挑み……敗北しました」

ラグ様……。

「わたしはレーアの息子の行く末を、森から見守るようにと勧めたのですが……ラグは言い出したら聞かない子でしたから」

ラグ様はエリー様を、そして娘のレーア様を愛していたのだ。

「無鉄砲なところは、ヴォルフリックに似ていますね」

シュトラール様が苦笑いを浮かべる。

「シュトラール様は、ヴォルフリック兄上に直接お会いになられたのですか?」

ヴォルフリック兄上が森に入ることを、拒否していたのに。

「ラグの忘れ形見が気になって、黒い馬を使い、半ば強引に森に招き入れました」

ボクが引きこもりしてる間に、そんなことが起きていたのか。

「わたしとしては複雑でした、大事な弟の孫であり、その弟を殺した魔王の息子でもある」

シュトラール様の気持ちもわかる、でも唯一の肉親に悪意を向けられたらヴォルフリック兄上は……。

「あの子はそんなわたしの心など知ったことでもないという感じで、魔王城に行くから場所を教えろと尋ねてきました」

「ヴォルフリック兄上が、魔王城の場所をシュトラール様に尋ねたのですか?!」

まさかボクと性交できなかったことで、闇堕ちして魔王の配下に?!

「あなたが心配しているような事はありません。あの子は自分の母親を陵辱した魔王を憎んでいた。配下にはならないでしょう」

「そうですか」

それを聞いてほっとした。

「あの子のことが心配ですか?」

「それは当然です」

ボクの金髪碧眼と光魔法の引き換えに兄上を闇堕ちする運命から救ったんだ。そう簡単に魔王の配下になられては困る。

「それは……ボクの兄ですから」

「愛しているからではなくてですか?」

「ボクはヴォルフリック兄上を愛していました、だけど兄上にとってボクは……」

ボクは兄上を愛していた。でも兄上にとってボクはただの性的な欲求のはけ口で。兄上がボクにやさしかったのは、性行為がしたいからで、セックス出来れは誰でもよかったわけで。

そのことに気づいてしまったらもう元の関係には戻れない。兄上と距離をとってしまった。

「それであなたに拒絶され、胸をえぐられたあの子は、やり場のない怒りのはけ口に、半ば憂さ晴らしを兼ねて魔王を倒すために旅立ったのですね」

「えっ?」

兄上が魔王を倒しに……旅に出た!?

「無謀です! 魔王には光属性の魔法しか効かないのに……!」

兄上の魔法属性はラグ様と同じ水。この国で光属性の魔法を持っているのは、国王陛下とワルフリート兄上と、ティオ兄上と、ソフィアだけ。

一応物理攻撃も届くけど、光の魔法が使えないのは圧倒的に不利だ!

ソフィアは隣国に嫁(とつ)いだし、ワルフリート兄上とティオ兄上の光魔法の威力は微妙だし、国王である父上が自ら魔王討伐に乗り込むのは難しい。

「それを聞いて、シュトラール様はヴォルフリック兄上を止めなかったのですか?」

「あの子はラグに似て頑固ですから」

シュトラール様が苦笑する。

「だからって、一人で行かせるなんて!」

「一人ではありませんよ。ヴォルフリックはあなたに授けたルーン文字、エイワズから生まれた黒い馬とともに旅立ちました。道は馬が知っているからと教えたら、素直に馬の背にまたがって」

シュトラール様がニコリと笑う。

確かに一人ではない、一人と一頭の旅だ。

「そんな無茶苦茶な」

馬は移動の道具にはなるが、戦力にならない。

「わたしにとってもあの子は可愛い弟の孫なので、Rラドのルーン文字も授けました。意味は『旅』」

「馬一頭と、ルーン文字一つで旅に出したのですか?」

「まさか、相手は魔王ですよ。もう一つルーン文字を授けました」

馬一頭と、ルーン文字二つで旅に出すとかひどすぎるよ!

ヴォルフリック兄上は光魔法を使えないのに!


◇◇◇◇◇
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