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二十一話「宿屋」*

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日が西の山に陰った頃、馬車は王都から数えて三つ目の町に入った。

「ヴォルフリック様、エアネスト様、今日はこの町で休み明朝出立いたしましょう」

御者席にいるハンクが、客席に向かって声をかけてきた。

ボクは兄上とキスしていて返事ができなかった。

兄上の唇がボクの唇から離れたのは、ハンクに声をかけられてから、だいぶたってからだった。

「わかった」

兄上がハンクに返事をする。

町の入り口にある宿屋の前に止まっていたらしい馬車が、宿屋の敷地の中に入って行く。

「エアネスト様、お下りください」

ハンクが客席のドアを開ける。

だけどボクは降りることができなかった。

兄上とのキスで腰が抜けてしまい、立てなかったのだ。

キスで腰を抜かすとか、ボクはどんだけ快楽に弱いんだよ。

兄上にとってはただの罪滅ぼし、人工呼吸のようなものだというのに。

腰を抜かすほど感じてしまうなんて恥ずかしい、恥ずかしすぎる!

「エアネスト様、どうしました?」

ハンクが不思議そうな顔で尋ねてくる。

ボクは真っ赤な顔で俯くだけで、ハンクに返事できなかった。

兄上とのキスが気持ち良くて腰を抜かしました……とは言えない!

「構うな、エアネストは私が部屋まで運ぶ。お前は先に宿に入り部屋を三つ取れ」

三部屋という言葉に、胸がずきりと痛む。

兄上は今日もお一人で寝るつもりなのですね。

兄上と再会した日、兄上と同じベッドで眠ったことを思い出し、耳が熱くなる。あのとき兄上は裸だった。

兄上のたくましい腕に抱きしめられ、兄上の厚い胸板に顔をうずめ……思い出したら、心臓がドキドキしてきた。

あれは緊急事態で、たとえるなら雪山で遭難したとき人肌で温め合うようなもの、深い意味はない。

口づけだって兄上にとっては人工呼吸のようなものだ。ボクだけ腰がくだけるほど夢中になって……かっこ悪い。

兄上が藍色のフードを目深に被った。

「どうしてフードを被るのですか?」と尋ねると、兄上は「銀の髪だの紫の目だの、そんな理由で騒がれるのが煩わしいからだ」と眉間にしわを寄せて答えた。

綺麗な髪と目なのに、隠すなんてもったいないなぁ。

兄上は反対側の扉から馬車を降り、ボクの側の扉に回り込み、軽々とボクをお姫様抱っこした。

兄上にお姫様抱っこされるのはおそらく二度目。一度目は兄上に光の魔力を上げた日、牢で気を失ったボクを部屋まで運んでくれたとき。

兄上はボクをお姫様抱っこで運んだのかな? それとも肩に担いで運んでくれたのかな?

とにかく一度目は意識がなかったから、耐えられた。

いや待てよ? あの時ボクはワンピース式のパジャマを着ていた。その日は雨が降っていたらしい。兄上がもしボクをお姫様抱っこして城まで運んだとしたら、雨で濡れパジャマがスケスケになっていたと思われる。

そんな恥ずかしい姿をお城の皆に見られた…………黒歴史だ。

そして今、ボクは兄上にお姫様抱っこされ宿の部屋まで運ばれている。

宿屋の従業員やお客の視線が刺さる。

頼むからじろじろ見ないで!

恥ずかしさに耐えきれす、ボクは兄上の肩に顔をうずめた。

「私だけでなくお前の顔もフードで隠すべきだったな」

兄上の言葉の意味がわからずボクは首をかしげる。

「どういう意味ですか?」

見上げると、兄上の頬がほのかに色づいた。

「エアネストの無防備な顔を、他の奴らにさらしたくないからだ」

兄上はそう言って鋭い眼光で、宿の客と従業員を睨んだ。

こちらを見てヒソヒソと話していた人たちが、急に静かになり一斉に視線を逸らした。

人の注目を浴びるほどボクはアホ面をしていたのだろうか?

それとも兄上がかっこいいから見ていたのかな?

フードで髪と顔を隠しても、兄上から滲み出る高貴さや色気は隠せない。

今はボクの側にいてくださるけど、三年後には城にお戻りになる。

兄上は精霊の血を引いてるし、かっこいいし、やさしいから、貴族やよその国の姫君からの見合い話が舞い込む。

兄上が結婚して幸せになることはとても喜ばしいことなのに……なぜか胸の奥がズキズキと痛んだ。


◇◇◇◇◇
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