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2章 あなたと共に過ごす日々
33 雅の独白 リリーバリー・1
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手の中にあるのは一輪のスズラン。
ばーちゃんが一番好きだった花――リリーベル。
社名の由来にもなっている幸福の象徴が、帰ってきたばーちゃんの周りを囲んでいる。
定番であるお線香や木魚だとか、お饅頭の類は見当たらない。
あるのはひたすら花ばっかりだったから、まるでおとぎ話のワンシーンを見ているみたいだった。
これもばーちゃんの希望通りのスタイルなんだなろうなって思ったから、俺もお線香の代わりにスズランを買ってきて花瓶に挿す。
「ずーっと、ばーちゃんの周りは花でいっぱいだね」
話しかけても、返事はない。
ばーちゃんは滅多に居る事がなかったリビングに、布団を敷いて寝かされている。
表情はとても穏やかで、眠っているとしか思えない。
後から聞いた話だけど、お見舞いに来た人もそう思って声をかけるのを躊躇ったらしい。
読みかけの本を膝に置いて、うたた寝をするように逝ったそうだ。
それも全部、ばーちゃんの理想的な終わり方だったんだろうなって、今となっては思う。
ここからだと庭からの光がよく差し込む。
ばーちゃんには窓の向こうが、見えているのかな。
俺がちっちゃかった頃は、中庭は自慢の遊び場だった。
季節が変わるごとに沢山の花が咲き乱れて、生い茂った蔦の向こう側はどこか知らない場所へ繋がっているような気がしてた。
ばーちゃんが病院に入ってからは年々と花の数が減って、今では月に1度庭師が手入れにくるだけの――整っているけど、なんだか味気ない庭になっちゃった。
せっかく帰ってこれたのに、これじゃ少し寂しいよね。
ばーちゃんの横に腰を下ろそうとして、すぐ傍に白衣が置かれていることに気がついた。
もしかしてとは思うけど、ばーちゃんは旅立ちの衣装をこれにするつもりなの!?
普通のおばあちゃんは上等な着物とかを選ぶと思うんだけど……。
苦笑しながらも白衣を手に取れば、森の中にいるような深い緑の香りがして心が安らいだ。
洗っても落ちない染みの痕をなぞって、ばーちゃんの歴史に思いを馳せる。
ばーちゃんは株式会社リリーバリーの創設者であり、研究者でもあった。
俺ぐらいの年の頃は、大学の研究室に籠って植物の研究ばかりしていたらしい。
主な研究対象は植物の香り。
趣味も研究の延長で、複数の花や果物、ハーブを組み合わせてはオリジナル香水を作っていた。
ばーちゃんの作る香水は仲間内でも評判で、欲しいと言う人が多くいたから、商売を始めるきっかけになった。
だけど本格的な香水作りを考えたところで、エッセンシャルオイルを抽出する為に必要となる花の量と手間は途方も無い。
どうにかして効率よく香りを集められないものか……。
毎日そればかりを考えていたばーちゃんは、十数年かけて少量の花からでもオイルを抽出できる技術を編み出した。
エッセンシャルオイルの抽出技術で特許を取得した後は自社ブランドの香水販売を始め、その傍らで揮発するオイルを物質に定着させる術を研究していた。
大学を卒業してすぐの親父は、サプリメントや化粧品メーカーに技術を売り込みに行き、メーカーと商品を共同開発する道を拓いた。
営業として数年間リリーバリーに貢献した親父は社長を継ぎ、ばーちゃんの研究が完成に近づく頃になると今までとは畑違いの業界へ進出を試みた。
大手家電メーカーには、エアコンに植物オイルを定着させたフィルターをつけて、家の害虫を一掃するという商品をアプローチ。
これが成功すると住宅メーカーに売り込み先を変え、同様の技術を柱や梁に使用しないかと提案した。
リリーバリーは小さな香水の会社――今はもうそんなイメージ無いだろう。
ほんの数年の間に急成長を遂げて親父の代で株式へ上場した。
病院に入るまでずっと、会長職の立場から会社をサポートしてきたばーちゃんに、俺は白衣を畳み直して「お疲れ様でした」とねぎらいの言葉をかける。
鳥のさえずる声に顔を上げて、ふぅと一息つく。
日が高い。そろそろお昼だ。
美亜は今頃、大学かな……。
基本的に用事がない時はメッセージをしない美亜だけど、昨日から今日の朝にかけては頻繁に送ってきた。
ポケットからスマホを取り出して直近のメッセージを読み返す。
絵文字もスタンプも無い、シンプルで短い文章に頬が緩んだ。
[帰ってきたら雅が好きな物を作ろうと思う。何がいい?]
[待ってる]
[桐羽さんとお別れする時は私もこっちで手を合わせるから]
[元気だしてね]
[私は雅が、その……大好きですので……]
どんな言葉を選べばいいのか真剣に悩みながら、一文字一文字を打っている姿を想像して笑ってしまう。
「ばーちゃん聞いてよ……。美亜が……なんか……ホントにもう……」
もちろん返事がないのは理解しているけど、構わずに惚気そうになる。
「……不謹慎でごめんね。俺、今すごく幸せみたいだ……」
ばーちゃんもそれを望んでいて、一緒に喜んでくれるってわかってて言う。
お礼の気持ちと、自分もいかに美亜のことが好きなのかを伝えたかったけど、シンプルに[ありがとう、大好きだよ]とだけ返信した。
声が聞きたい。
抱きしめたい。
キスしたい。
本当はそれだけじゃ、足りない。
抑圧している思いを、何度も打っては消したなんて、とても本人には言えない。
言ってどんな反応をするのか、知りたい気もするけど……。
ばーちゃんが一番好きだった花――リリーベル。
社名の由来にもなっている幸福の象徴が、帰ってきたばーちゃんの周りを囲んでいる。
定番であるお線香や木魚だとか、お饅頭の類は見当たらない。
あるのはひたすら花ばっかりだったから、まるでおとぎ話のワンシーンを見ているみたいだった。
これもばーちゃんの希望通りのスタイルなんだなろうなって思ったから、俺もお線香の代わりにスズランを買ってきて花瓶に挿す。
「ずーっと、ばーちゃんの周りは花でいっぱいだね」
話しかけても、返事はない。
ばーちゃんは滅多に居る事がなかったリビングに、布団を敷いて寝かされている。
表情はとても穏やかで、眠っているとしか思えない。
後から聞いた話だけど、お見舞いに来た人もそう思って声をかけるのを躊躇ったらしい。
読みかけの本を膝に置いて、うたた寝をするように逝ったそうだ。
それも全部、ばーちゃんの理想的な終わり方だったんだろうなって、今となっては思う。
ここからだと庭からの光がよく差し込む。
ばーちゃんには窓の向こうが、見えているのかな。
俺がちっちゃかった頃は、中庭は自慢の遊び場だった。
季節が変わるごとに沢山の花が咲き乱れて、生い茂った蔦の向こう側はどこか知らない場所へ繋がっているような気がしてた。
ばーちゃんが病院に入ってからは年々と花の数が減って、今では月に1度庭師が手入れにくるだけの――整っているけど、なんだか味気ない庭になっちゃった。
せっかく帰ってこれたのに、これじゃ少し寂しいよね。
ばーちゃんの横に腰を下ろそうとして、すぐ傍に白衣が置かれていることに気がついた。
もしかしてとは思うけど、ばーちゃんは旅立ちの衣装をこれにするつもりなの!?
普通のおばあちゃんは上等な着物とかを選ぶと思うんだけど……。
苦笑しながらも白衣を手に取れば、森の中にいるような深い緑の香りがして心が安らいだ。
洗っても落ちない染みの痕をなぞって、ばーちゃんの歴史に思いを馳せる。
ばーちゃんは株式会社リリーバリーの創設者であり、研究者でもあった。
俺ぐらいの年の頃は、大学の研究室に籠って植物の研究ばかりしていたらしい。
主な研究対象は植物の香り。
趣味も研究の延長で、複数の花や果物、ハーブを組み合わせてはオリジナル香水を作っていた。
ばーちゃんの作る香水は仲間内でも評判で、欲しいと言う人が多くいたから、商売を始めるきっかけになった。
だけど本格的な香水作りを考えたところで、エッセンシャルオイルを抽出する為に必要となる花の量と手間は途方も無い。
どうにかして効率よく香りを集められないものか……。
毎日そればかりを考えていたばーちゃんは、十数年かけて少量の花からでもオイルを抽出できる技術を編み出した。
エッセンシャルオイルの抽出技術で特許を取得した後は自社ブランドの香水販売を始め、その傍らで揮発するオイルを物質に定着させる術を研究していた。
大学を卒業してすぐの親父は、サプリメントや化粧品メーカーに技術を売り込みに行き、メーカーと商品を共同開発する道を拓いた。
営業として数年間リリーバリーに貢献した親父は社長を継ぎ、ばーちゃんの研究が完成に近づく頃になると今までとは畑違いの業界へ進出を試みた。
大手家電メーカーには、エアコンに植物オイルを定着させたフィルターをつけて、家の害虫を一掃するという商品をアプローチ。
これが成功すると住宅メーカーに売り込み先を変え、同様の技術を柱や梁に使用しないかと提案した。
リリーバリーは小さな香水の会社――今はもうそんなイメージ無いだろう。
ほんの数年の間に急成長を遂げて親父の代で株式へ上場した。
病院に入るまでずっと、会長職の立場から会社をサポートしてきたばーちゃんに、俺は白衣を畳み直して「お疲れ様でした」とねぎらいの言葉をかける。
鳥のさえずる声に顔を上げて、ふぅと一息つく。
日が高い。そろそろお昼だ。
美亜は今頃、大学かな……。
基本的に用事がない時はメッセージをしない美亜だけど、昨日から今日の朝にかけては頻繁に送ってきた。
ポケットからスマホを取り出して直近のメッセージを読み返す。
絵文字もスタンプも無い、シンプルで短い文章に頬が緩んだ。
[帰ってきたら雅が好きな物を作ろうと思う。何がいい?]
[待ってる]
[桐羽さんとお別れする時は私もこっちで手を合わせるから]
[元気だしてね]
[私は雅が、その……大好きですので……]
どんな言葉を選べばいいのか真剣に悩みながら、一文字一文字を打っている姿を想像して笑ってしまう。
「ばーちゃん聞いてよ……。美亜が……なんか……ホントにもう……」
もちろん返事がないのは理解しているけど、構わずに惚気そうになる。
「……不謹慎でごめんね。俺、今すごく幸せみたいだ……」
ばーちゃんもそれを望んでいて、一緒に喜んでくれるってわかってて言う。
お礼の気持ちと、自分もいかに美亜のことが好きなのかを伝えたかったけど、シンプルに[ありがとう、大好きだよ]とだけ返信した。
声が聞きたい。
抱きしめたい。
キスしたい。
本当はそれだけじゃ、足りない。
抑圧している思いを、何度も打っては消したなんて、とても本人には言えない。
言ってどんな反応をするのか、知りたい気もするけど……。
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