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第六章『主なき聖剣』

第五百三十話『戦士の最期』

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――結局のところ、自分は死力を尽くして戦うのが好きで好きでたまらないのだろう。

『名誉のために』とか『役割を果たすために』とかの綺麗事を口にするたびに、自分の中でどこかゾワリとした気持ち悪さを感じていた。そんなものは自分の本質じゃない、まして帝国の本質でもない。血なまぐさくどこまでも欲に塗れた戦いこそが帝国の中心を形作る物であり、どれだけ強い皇帝が君臨しようともその構図が変わることはない。帝国が帝国のままで何百年も存続できていることがその最たる根拠だろう。

「……なら、先人には存分に感謝しなくちゃいけなくなるな」

 辺りに伏兵の類が居ないことを確認しながら、サイモン・イリコミアはぼそりと呟く。たとえ他の全員が帝国のシステムを消えるべきものだと考えていたのだとしても、サイモンにとってこの国は楽園のようなものだった。

 他のどの国に生まれたとしても、帝国ほど血生臭い戦いに身をやつすことができ、それを肯定される経験はすることが出来なかっただろう。それを許すのは帝国が築いた独自の歴史があるからであり、他国も介入できないほどにその在り方が定着しているからだ。

 大多数にとってそれはきっと国全体に蔓延した『呪い』でしかないが、どんな負の要素も祝福であると捉える誰かは往々にしているものだ。……その『誰か』が、この時代ではたまたまサイモンだったと言うだけで。

 この二日ですっかり体に馴染んだローブを纏いながら、路地裏の作り出した影に紛れるようにしてサイモンは少しずつ目標へと接近していく。これから長く続くであろう『狩り』の最初の目標を、サイモンは既に見定めていた。

『落日の天』とやらの側に着いた理由も、思い返せば単純な事だった。帝国は積極的な戦いを肯定してくれるが、勝てば勝つほどその背中に乗る荷物は大きくなる。ただ純粋に争いを、あるいは殺し合いを愉しみたいサイモンにとって、勝利に付随する名誉も地位も、領土だって余計なものでしかなかった。

 それならば全部投げ捨てて、裏切り者の一派として帝国と戦うのも悪くはない――そんな考えに至ったのは、ある意味必然的な事だったのかもしれない。『窓口』と自らの事を名乗った男が、サイモンの考えを積極的に汲んでくれたのも大きかった。

『それじゃあ、アンタには先発隊に紛れた遊撃兵として帝都に降り立ってもらう。どれだけ積極的に仕掛けてもいい、出来る限りの全力で盤面をひっかきまわしてくれや』

「ああ、仕事は果たすさ。日和って皇帝に下った軟弱者なんかに負けるほど、俺は生温い生活を送ってねえんだ」

『窓口』から伝えられた指示に改めて服従の意を示しながら、目標とする建物に向けてじりじりと距離を詰める。おそらく帝国側の遊撃兵が飛び込んだであろう宿の入り口が、視界の隅にちらりと映った。

 巷では皇帝の私兵となることは名誉だとか言われているが、あんなものは与太話でしかない。皇帝の下に下れば、その後皇帝と戦う機会は永遠に失われる。皇帝の勢力に加わることは、この国の最大戦力の庇護下に入ることと同義だった。

 それは勇敢ではなくただの甘えだ、認められる要素など何一つない。皇帝の力に恐れをなして下るよりも、それにすら歯向かわんとする戦士の方が尊いに決まっているだろう。皇帝が称賛されることは許せても、その権力におもねるだけの私兵が称えられることは微塵も理解が出来なかった。

 この戦いは、言うなればその証明でもある。遊撃兵として少しでも多くの私兵を殺し、皇帝の力に下ることが間違っていると証明する。それがどれだけ横暴な理論であったのだとしても、力で押し通すことが出来れば正解になるのがこの国だ。

「……まずはお前らだ、腑抜けども」

 私兵への嫌悪感をまき散らしながら、サイモンは宿屋の扉に張り付く。光源が切られているため中は少々薄暗いが、魔術で視覚を支援してしまえばこの程度なんてことはない。十秒も中を観察すれば、罠の類がないことは完全に把握できた。

 あれだけ見え透いた動きをして罠や伏兵の一つもないとは意外だが、それならそれで好都合だ。下の階層から制圧を続ければ、いずれここに潜む兵は逃げ場を失っていく。そうなれば最後、サイモンに敗北の目など微塵もない。

「せいぜい隠れろ、日和見ども。その腑抜けた在り方事、俺が全部狩り尽くしてやる」

 最後にそう呟き、自分の中のスイッチをもう一段階引き上げる。五感の全てが研ぎ澄まされ、自分自身が世界と溶け合うかのような感覚がやがて体全体を満たす。魔術を究めるだけでは至れない境地がある事を、サイモンは知っていた。

 今までこの感覚には何度も救われてきたし、何人もの獲物を殺してきた。サイモンにとって一番の武器ともいえるその領域に、今までにないほどに気持ちよく入り込めている。その感覚に酔いしれながら、サイモンは己の勝利を確信して――

「――あ?」

 宿の中へ一歩足を踏み入れた瞬間に襲った冷たい感覚に、すぐさま無理解の声を上げた。

 頭が状況を理解するより先に、本能が警鐘を鳴らす。半ば弾かれるようにして踏み込んだ足を引き上げ、体勢を崩しながらも室内へと転がり込む。――そのふくらはぎが痛々しくえぐられていることに気づいたのは、その最中の事だった。

「あ、がああああッ……⁉」

 傷を視認して受け入れてしまった瞬間、思い出したかのような激痛が走り始める。何にやられたのかも、どうやってそれを仕込んだのかも分からないまま、サイモンは必死に傷口へと手を伸ばした。

 帝国に生きる兵士たるもの、当然治癒魔術は心得ている。先手を取られたのは痛手だが、意識がある以上まだ負けではない。ここから立て直して、標的の喉笛へと飛び掛からなければ。

 傷口からは勢いよく血が噴き出しているが、それでもサイモンの意識は途切れない。それはきっと帝国で生きる物としてのプライドでもあり、戦いの中に生きてきた数十年間が磨き上げた本能の賜物でもあった。これだけの出血をすれば失神は当然、あるいはそのまま死に至ってもおかしくはなかったのだ。

 それを凌ぎ治療に入れた時点で、サイモン・イリコミアは十分な強者であると言っていい。生来の才能に帝国の環境が書け合わさって生まれたそれは、確かに帝国側にとって脅威となりえただろう。


――彼に失策があったとすれば、少々運が悪かったことぐらいだ。


「……ッ⁉」

 ある程度治療が完了しようかというタイミングで、サイモンは必死に起こしていた体を地面へと這いつくばらせる。床と触れた傷口が痺れるような痛みを訴える中で、身体の上を高速の何かが通り抜けていったのが視界に映った。

「……何、が、起こってる……‼」

 罠の気配はなかったはずだ。少なくとも、サイモンの五感はその気配を感じ取らなかった。つまり、サイモンは完璧に出し抜かれたというわけだ。――なら、一体どうやって?

 分からなかった。どれだけ思考を回しても、何故罠を見抜けなかったのか分からなかった。何を用いて攻撃されているのかも、今サイモンがどんな対策を打てばいいのかも。……何もかも、分からない。

 そんな状況に追い打ちをかけるかのように、応急処置をしたはずの傷口がまた開きだす。自分の中から血がこぼれ出していく感覚に、背筋が凍った。

「何でも、いい……まずは、治療しねえと……ッ」

 思考に入りだす様々な雑音を一度遮断して、サイモンは体を起こす。何をするにしても、機動力を取り戻さなくてはジリ貧だ。まず傷を癒して、この罠の正体はその後に考える。どれだけ傷つくことになろうとも、最終的に敵を殺せばサイモンの勝ちだ。

 思考を最大限単純化し、再び治癒魔術を行使するために右手を伸ばす。血液不足で霞みだす視界の中でも、この戦いを制さんとする意志だけは少しも陰りを見せることはなかった。

 しかし、戦いとは無情なものだ。どれだけ意思を強く持とうとも、隔たれた実力差を覆すことなどできない。……サイモンの脇腹を容赦なく穿って行った氷柱が、その何よりの証拠だった。

「ぶ……あッ」

 もはや悲鳴も上がらず、その代わりに血がこぼれる。傷口からは臓物が顔を出し、露出するべきでない部位が露出してしまったことによる痛みが脳を焼き尽くす。……今のサイモンにできることと言ったら、サイモンを襲った凶刃が氷でできていたのだと理解することぐらいだ。

 戦っている実感などなかった。ただ一方的になぶられ、なすすべもないまま命が零れ落ちていく。それはサイモンの思い描く理想の戦いとまるで違っていたけれど、もはや呪詛を吐く事すらサイモンには許されない。この帝国において、敗者に与えられる権利などあるはずもないのだから。

(これが、俺の末路――)

 死へと向かって落ちていく思考はまとまらず、何の結論にも至れぬままサイモンは死んでいく。与えられた役割も、自らの理想も果たせず。――挙句の果てには、自分を殺した者の顔すら知らぬまま。

 サイモンの命は、あまりにも呆気なく潰えた。
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