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第六章『主なき聖剣』
第五百二十九話『宣戦布告の代償』
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『帝位簒奪戦』と言うシステムを介して帝国への侵略を行う事は、クライヴ達に多くの恩恵をもたらした。
国中に布告されることによって諸侯の混乱を生むこともさることながら、最も大きなメリットは先制攻撃への抑止力だろう。古来から伝わる戦いのシステムとして、開戦するその時までお互いに手出しすることを禁じられた。それによってアネットが出した案が丸つぶれになり、策を根本から見直す必要が出てきたのは記憶に新しい話だ。
「……とまあ、ここまでなら『帝位簒奪戦』はクライヴ達にとって良いことづくめなのよね」
二日前から今に至るまでの事を思い返しつつ、リリスは振り返ってそうまとめる。その視線の先には、リリスとツバキの二歩後ろをついて歩くスピリオの姿があった。
しきりに頷きながらリリスの説明を聞いていたところを見るに、部屋でのやり取りからはもう切り替えが済んでいるのだろう。そういう所はしっかり私兵らしいのだなと、そんな考えが頭をよぎる。
「ボクたちの動きを監視できるぐらいには余裕のある環境にいたわけだし、二日も猶予があれば色々と仕込むことも容易だろうからね。事前に策を仕込むあっちにとっておあつらえ向きなシステムがこの国にはあって、それを利用されたってわけだ」
最終的なリリスの結論を事前に知っているツバキが、話題を転換するにあたって完璧ともいえるパスをこちらへと投げてくれる。それに大きく首を縦に振ると、リリスは足を止めてスピリオの方へと踵を返した。
「ええ。だからこそこの戦いはあっちのペースで始まってて、どうにかそれを崩すことが最初の関門になる――少なくとも昨日までは、私もそう思ってたわ」
今思えば、先手を取られたショックはリリスたちをも確かに蝕んでいたのだろう。円卓の間でのやり取りを経てリリスたちの考え方は無意識の内に受け身な物へと変わり、『いかにしてあちらの先制攻撃をやり過ごすか』が常に思考の中心にあった。
だからこそ、疑うのが遅れてしまった。クライヴの策には何の欠陥も懸念点もないのだと、そんな前提が知らぬ間にかかってしまっていた。少し冷静になってみればリリスたちの方が有利な側面だってたくさん見つからぐらいの質だったにも関わらず、だ。
結局のところ、リリスは無意識にクライヴのことを恐れていたのだろう。水面下で無数の策を張り巡らせ、いざ戦場に立てば修復術による初見殺しで蹂躙する。あれほどまでに歯が立たないと感じたのは、あの男との邂逅が初めてだった。
修行を積んだ今でもその時の衝撃を拭いきれていない自分がつくづく嫌になるが、それが致命的な見落としを生むことだけはどうにか避けられた。これ以上苦手意識を克服しようと思うなら、直接打ち勝つ以外に方法はないのだろう。
「クライヴ・アーゼンハイトは、今までに多くの街や人を襲撃して無数の被害を出した。そのことは、スピリオも知ってるわよね?」
「はい、帝国でも少なからず被害が出ていますから。いつどこに現れるかもわからず、何一つとして痕跡を残さないが故に二日前の布告まであのような人物が幹部を務めていることすら知らなかった。……そういう意味で言うならば、僕たち私兵は何度もアレとの知恵比べに敗北していることになるでしょうね」
簡単な確認のつもりだった質問に、スピリオから予想以上に詳細な返答が戻ってくる。彼自身が事件の調査に加わっていたかは定かではないが、その瞳には確かな悔しさが滲んでいた。
尻尾を掴めないことの悔しさはリリスたちも、もっと言うなら騎士団も知っている。二度の大規模な襲撃を受けて捕虜にできたのはたった一人、ベルメウにおいてはたくさんの犠牲者も出してしまった。クライヴの後塵を拝したと言う意味では、リリスもスピリオも立場は同じようなものだ。
だからこそ、その苦手意識は今ここで少しでも拭っておかなければならない。あの男の掌の上から抜け出せない限り、どう足掻いてもリリスたちに勝ち目などないのだから。
「ええ、それがあるからクライヴ達はとてつもなく厄介な存在だって断言できる。……でもね、この戦いに限った話で言えばそんなこと微塵も関係がないのよ。今までのクライヴのやり方は、『帝位簒奪戦』の環境じゃ何一つとして通用しない」
「……はい?」
堂々と放った結論に、スピリオからは困惑の感情が返ってくる。ここまで散々苦手意識を肯定されたうえでいきなりそれをひっくり返されたのだ、ごく自然な反応だろう。
この伝え方で本当にスピリオの意識を変えられるのか、それは正直言って分からない。けれど、今ここでやらなければその意識はいつかスピリオ自身に牙を剥くことになるかもしれなかった。そうと気づいてしまった以上、踏み込むチャンスはここしかないのだ。
「少なくとも、この戦いが今までと同じように進むことは絶対にないわ。……そうよね、ツバキ?」
「ああ、そのための仕込みを今進めてるところだからね。あっちが小細工でボクたちの足止めをしようとするなら、そのまま同じことをやり返せばいいだけさ」
両手の先から濃い影を伸ばしながら、ツバキは頼もしい答えを返してくれる。会談を伝って下の階に仕込まれつつある影の気配を、リリスの感覚はしっかりと捉えていた。
「さっきあなたも言ってたわよね、『いつどこに現れるかも分からない』って。実際に今までの被害はほとんどが奇襲によるものだったし、前触れもない攻撃に対して私たちは受け身の対策しか取ることが出来なかった。……でも、今の状況は違うわ」
その気づきが、苦手意識を振り払う最初の一歩だった。毎回クライヴの策は的確に打撃を与えてくるが、だからと言って何の欠陥もないわけじゃない。少なくともこの戦いにおいて、クライヴは大きなリスクを背負っている。
それを差し引いても大きすぎるメリットがクライヴ達にあったことは間違いないが、今重要なのはそこではない。わずかにでも裏目に出る可能性のある選択をした事実そのものが、クライヴ・アーゼンハイトの完全性を否定することに繋がっているのだから。
「『帝位簒奪戦』を申し込んだことによってクライヴ達は二日間の猶予を手に入れたけれど、その代償として奇襲の可能性を失った。……一度宣言したら最後、その予告通りに攻め込まなきゃいけないものね」
先に戦いの形式を無視するような真似をしてしまえば、宣言が持つ『先制攻撃禁止』の役割も大きく薄れてしまう。一秒たりとも過つことなく帝都に攻め込んできたことが、クライヴ達もまた『帝位簒奪戦』に縛られていることの証明だった。
「ま、流石に第一陣は陽動役――というか、使い捨ての偵察兵が殆どでしょうけどね。でも、ただ部下を使い捨てるだけじゃ戦力的にも損をするだけになる。――つまり、下っ端に紛れて戦況を大きく動かすための戦力を投入していると考えるのが自然なところだけど」
そこで言葉を切り、リリスは窓の外へ意味深な視線を投げる。スピリオの瞳がまた大きく見開かれたのは、それから少し間をおいての事だった。
「……それって、今こっちに近づいてきてる――⁉」
「ええ、今の時点で単独行動をしてるって時点でただの下っ端じゃないのはほぼ確定してるわ。あちこちから気配がするせいで断定はできないけど、魔力の気配も下っ端たちのとは少し違うし」
戦場の中でも際立った魔力を纏ったその男は、今こうして会話している間にもこちらに向かって近づいてきている。先ほど立てた大きな音によって『一方的に居所を把握している』と思い込んだ状態で、だ。
「だけど残念なことに、私たちはその動きを完全に把握してる。――そんな状態になったら、やることは一つでしょ?」
「リリス、こっちは準備終わったよ。後は、君が刃を忍ばせるだけだ」
図ったかのようなタイミングでツバキが振り向き、リリスの肩に手を置く。影魔術でできないことを補う役割がリリスであることは、今も昔も変わらないことだった。
階段に近づき、壁に張り付くようにして存在している影へと勢い良く右手を突っ込む。ツバキの影はそれを優しく受け容れ、氷は一瞬にして全体へと行き渡った。……これで下準備は完了、後はかかるのを待つだけだ。
「さあ、狩りの時間よ。――今日はあなたたちが獲物になる日なんだってこと、骨の髄までみっちりと教え込んでやろうじゃない」
影から手を引き抜きつつ、リリスは獰猛な笑みを浮かべる。真っ向からクライヴの筋書きを覆さんとするその瞳はこれ以上ないほどに荒々しく、そして爛々と輝いていた。
国中に布告されることによって諸侯の混乱を生むこともさることながら、最も大きなメリットは先制攻撃への抑止力だろう。古来から伝わる戦いのシステムとして、開戦するその時までお互いに手出しすることを禁じられた。それによってアネットが出した案が丸つぶれになり、策を根本から見直す必要が出てきたのは記憶に新しい話だ。
「……とまあ、ここまでなら『帝位簒奪戦』はクライヴ達にとって良いことづくめなのよね」
二日前から今に至るまでの事を思い返しつつ、リリスは振り返ってそうまとめる。その視線の先には、リリスとツバキの二歩後ろをついて歩くスピリオの姿があった。
しきりに頷きながらリリスの説明を聞いていたところを見るに、部屋でのやり取りからはもう切り替えが済んでいるのだろう。そういう所はしっかり私兵らしいのだなと、そんな考えが頭をよぎる。
「ボクたちの動きを監視できるぐらいには余裕のある環境にいたわけだし、二日も猶予があれば色々と仕込むことも容易だろうからね。事前に策を仕込むあっちにとっておあつらえ向きなシステムがこの国にはあって、それを利用されたってわけだ」
最終的なリリスの結論を事前に知っているツバキが、話題を転換するにあたって完璧ともいえるパスをこちらへと投げてくれる。それに大きく首を縦に振ると、リリスは足を止めてスピリオの方へと踵を返した。
「ええ。だからこそこの戦いはあっちのペースで始まってて、どうにかそれを崩すことが最初の関門になる――少なくとも昨日までは、私もそう思ってたわ」
今思えば、先手を取られたショックはリリスたちをも確かに蝕んでいたのだろう。円卓の間でのやり取りを経てリリスたちの考え方は無意識の内に受け身な物へと変わり、『いかにしてあちらの先制攻撃をやり過ごすか』が常に思考の中心にあった。
だからこそ、疑うのが遅れてしまった。クライヴの策には何の欠陥も懸念点もないのだと、そんな前提が知らぬ間にかかってしまっていた。少し冷静になってみればリリスたちの方が有利な側面だってたくさん見つからぐらいの質だったにも関わらず、だ。
結局のところ、リリスは無意識にクライヴのことを恐れていたのだろう。水面下で無数の策を張り巡らせ、いざ戦場に立てば修復術による初見殺しで蹂躙する。あれほどまでに歯が立たないと感じたのは、あの男との邂逅が初めてだった。
修行を積んだ今でもその時の衝撃を拭いきれていない自分がつくづく嫌になるが、それが致命的な見落としを生むことだけはどうにか避けられた。これ以上苦手意識を克服しようと思うなら、直接打ち勝つ以外に方法はないのだろう。
「クライヴ・アーゼンハイトは、今までに多くの街や人を襲撃して無数の被害を出した。そのことは、スピリオも知ってるわよね?」
「はい、帝国でも少なからず被害が出ていますから。いつどこに現れるかもわからず、何一つとして痕跡を残さないが故に二日前の布告まであのような人物が幹部を務めていることすら知らなかった。……そういう意味で言うならば、僕たち私兵は何度もアレとの知恵比べに敗北していることになるでしょうね」
簡単な確認のつもりだった質問に、スピリオから予想以上に詳細な返答が戻ってくる。彼自身が事件の調査に加わっていたかは定かではないが、その瞳には確かな悔しさが滲んでいた。
尻尾を掴めないことの悔しさはリリスたちも、もっと言うなら騎士団も知っている。二度の大規模な襲撃を受けて捕虜にできたのはたった一人、ベルメウにおいてはたくさんの犠牲者も出してしまった。クライヴの後塵を拝したと言う意味では、リリスもスピリオも立場は同じようなものだ。
だからこそ、その苦手意識は今ここで少しでも拭っておかなければならない。あの男の掌の上から抜け出せない限り、どう足掻いてもリリスたちに勝ち目などないのだから。
「ええ、それがあるからクライヴ達はとてつもなく厄介な存在だって断言できる。……でもね、この戦いに限った話で言えばそんなこと微塵も関係がないのよ。今までのクライヴのやり方は、『帝位簒奪戦』の環境じゃ何一つとして通用しない」
「……はい?」
堂々と放った結論に、スピリオからは困惑の感情が返ってくる。ここまで散々苦手意識を肯定されたうえでいきなりそれをひっくり返されたのだ、ごく自然な反応だろう。
この伝え方で本当にスピリオの意識を変えられるのか、それは正直言って分からない。けれど、今ここでやらなければその意識はいつかスピリオ自身に牙を剥くことになるかもしれなかった。そうと気づいてしまった以上、踏み込むチャンスはここしかないのだ。
「少なくとも、この戦いが今までと同じように進むことは絶対にないわ。……そうよね、ツバキ?」
「ああ、そのための仕込みを今進めてるところだからね。あっちが小細工でボクたちの足止めをしようとするなら、そのまま同じことをやり返せばいいだけさ」
両手の先から濃い影を伸ばしながら、ツバキは頼もしい答えを返してくれる。会談を伝って下の階に仕込まれつつある影の気配を、リリスの感覚はしっかりと捉えていた。
「さっきあなたも言ってたわよね、『いつどこに現れるかも分からない』って。実際に今までの被害はほとんどが奇襲によるものだったし、前触れもない攻撃に対して私たちは受け身の対策しか取ることが出来なかった。……でも、今の状況は違うわ」
その気づきが、苦手意識を振り払う最初の一歩だった。毎回クライヴの策は的確に打撃を与えてくるが、だからと言って何の欠陥もないわけじゃない。少なくともこの戦いにおいて、クライヴは大きなリスクを背負っている。
それを差し引いても大きすぎるメリットがクライヴ達にあったことは間違いないが、今重要なのはそこではない。わずかにでも裏目に出る可能性のある選択をした事実そのものが、クライヴ・アーゼンハイトの完全性を否定することに繋がっているのだから。
「『帝位簒奪戦』を申し込んだことによってクライヴ達は二日間の猶予を手に入れたけれど、その代償として奇襲の可能性を失った。……一度宣言したら最後、その予告通りに攻め込まなきゃいけないものね」
先に戦いの形式を無視するような真似をしてしまえば、宣言が持つ『先制攻撃禁止』の役割も大きく薄れてしまう。一秒たりとも過つことなく帝都に攻め込んできたことが、クライヴ達もまた『帝位簒奪戦』に縛られていることの証明だった。
「ま、流石に第一陣は陽動役――というか、使い捨ての偵察兵が殆どでしょうけどね。でも、ただ部下を使い捨てるだけじゃ戦力的にも損をするだけになる。――つまり、下っ端に紛れて戦況を大きく動かすための戦力を投入していると考えるのが自然なところだけど」
そこで言葉を切り、リリスは窓の外へ意味深な視線を投げる。スピリオの瞳がまた大きく見開かれたのは、それから少し間をおいての事だった。
「……それって、今こっちに近づいてきてる――⁉」
「ええ、今の時点で単独行動をしてるって時点でただの下っ端じゃないのはほぼ確定してるわ。あちこちから気配がするせいで断定はできないけど、魔力の気配も下っ端たちのとは少し違うし」
戦場の中でも際立った魔力を纏ったその男は、今こうして会話している間にもこちらに向かって近づいてきている。先ほど立てた大きな音によって『一方的に居所を把握している』と思い込んだ状態で、だ。
「だけど残念なことに、私たちはその動きを完全に把握してる。――そんな状態になったら、やることは一つでしょ?」
「リリス、こっちは準備終わったよ。後は、君が刃を忍ばせるだけだ」
図ったかのようなタイミングでツバキが振り向き、リリスの肩に手を置く。影魔術でできないことを補う役割がリリスであることは、今も昔も変わらないことだった。
階段に近づき、壁に張り付くようにして存在している影へと勢い良く右手を突っ込む。ツバキの影はそれを優しく受け容れ、氷は一瞬にして全体へと行き渡った。……これで下準備は完了、後はかかるのを待つだけだ。
「さあ、狩りの時間よ。――今日はあなたたちが獲物になる日なんだってこと、骨の髄までみっちりと教え込んでやろうじゃない」
影から手を引き抜きつつ、リリスは獰猛な笑みを浮かべる。真っ向からクライヴの筋書きを覆さんとするその瞳はこれ以上ないほどに荒々しく、そして爛々と輝いていた。
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