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第六章『主なき聖剣』

第五百二十三話『間近に迫る刻限』

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 逃げ惑う賊の背中一つ一つに意識を集中しながら、地面を踏みしめて氷の弾丸を作り上げる。その隣を駆け抜ける相棒の息遣いが、雑音の混じる中でも心地よく聞こえてきた。

「なん……なんだよ、おまえらぁッ⁉」

「何なのも何も、この二日間で少しは噂が広がってるはずでしょう? それを知らずに動いてたって言うのなら、それだけであなたの底が知れるってものね」

 軽くため息を吐き、作り上げていた弾丸を足踏みとともに打ち放つ。人が走るよりもはるかに速いそれは一瞬にして着弾し、束になって逃げる賊の総数を一瞬にして半分に減らした。

 本当はこれで一網打尽にできればよかったのだが、一度の魔術で何人もの賊をターゲットにするとまだまだ制御にムラが出てしまうようだ。今みたいな相手ならまだしも、強賊と戦うときにはそれが致命的なミスとなってしまってもおかしくはないだろう。

「反省しないと――ねっ!」

 反省点を踏まえ、再び氷の弾丸を少なくなった賊の背中へ叩きつける。狙う相手が半分になったこともあってか、今度の弾丸は過つことなく全員の背中を強かに打ち据えた。

 派手な音を立てながら、賊は情けなく地面に転がる。妙に頑丈なローブのおかげで貫通はしていなさそうだが、それでも八割近くは気を失っているだろう。……きっとカルロがこの姿を見たら憤りを隠せないのだろうなと、そんなことを思う。

「さて、と」

 顔を上げ、まだ気を失っていない賊を探す。いくら帝国の均衡を打ち破ろうとする賊の類だとは言え、正式な私兵でないリリスたちが勝手に殺すのは問題だ。あくまで制圧にとどめたのち、相手の口から投降の意を吐かせる必要がある。

 実に面倒な手順ではあるが、それがカイルから与えられた条件ならば仕方がない。『新しい手札を増やす』というリリスたちの目的において、この場所――ヌーラル街道以上に適した場所はないと言ってもよかった。

「リリス、こっちの人はまだ意識あるみたいだよ」

 リリスの隣で同じように視線をあちこちへやっていたツバキが、軽く肩を叩きながら少し離れたところでうずくまる賊を指さす。その言葉通り、かすかにではあるがたまに身じろぎをしているようだ。

 僅かでもリリスたちから遠ざかろうと奮起するその姿に、賊として戦いを続ける意思は見当たらない。こいつが相手ならばあっさりと片が付くだろうと思いながら、二人は揃って歩き出し――

「右斜め後ろの茂みから一人よ、ツバキ」

「了解、そこまで分かれば十分さ」

 短いやり取りが交わされた次の瞬間、振り向いたツバキの右手からぬるりと黒い影が伸びる。たとえどれだけ巧みに身を隠したところで、魔力の気配を感じ取るリリスの感覚から逃れることは不可能だった。

 声も上げずに飛び出していた賊の足に影がまとわりついたかと思えば、今まで全力で走っていたのが嘘のようにあっけなく転倒する。その直前の賊の姿は、まるで走り方を忘れてしまったかのように不自然なものだった。

「え……え……?」

 転倒した本人すらも何が起きたか理解できず、ただただ困惑に塗れた声を上げる。そうしているうちに右手も影によって覆われ、賊は強く握りしめていたはずのナイフをぽろりと取り落とした。

「……さて、わざわざあっちまで行く手間が省けたわね。完全に油断していると思った相手への奇襲が失敗した気分はどう?」

 無理解に追い打ちをかけるかのように、歩み寄ったリリスは容赦のない問いを賊へと投げかける。経験したことのない恐怖を前に逃げ出そうとして初めて、賊は己の下半身と右手に力が入らないことに気が付いた。

「……ぉ、お前たち、俺にいったい何を……ッ」

「見ての通りだよ、君は今影に食われてる。……大丈夫さ、別に本当にちぎれてるわけじゃない」

 震える声で問いかけてみれば、ゾッとするぐらいに朗らかな口調で答えが返ってくる。実際にちぎれているわけでなくとも、感覚が消失しているだけで恐ろしいものは恐ろしいのに。――そんなことをまるで考慮しないと言わんばかりに、二人はこちらに詰め寄ってくる。

 仮に死んでも失うものはないと、そう思っていた。もとから地を這うような人生だ、いつ終わったところで何かが変わるわけでもない。ならば一度天高く羽ばたくことを夢見てもいいと、そんな考えがあった。……それは、大きな間違いだったわけなのだけれど。

 恐ろしい。目の前から迫る二人の存在が、果てしなく恐ろしい。死ぬのも怖い。この先どうなるか分からないのも怖い。失ってみて初めて、手足の感覚がないことの恐ろしさに気が付いていた。

「さて、今の私たちは貴方たちをどんな風にでも出来るわけだけど。……もう、抵抗する気はないわよね?」

「ない……ッ、戦わない、戦いたくない、だから俺の、俺の手足を――ッ‼」

 返してくれ、と。

 未体験の恐怖に苛まれながら懇願する賊の姿に、二人は顔を見合わせて軽く息を吐く。――ふと手足の感覚が戻ってきたのは、その直後の事だった。

 傷もないし、自由に動く。今まで当たり前だと思っていたことが、今ではあまりにも得難い幸福であるように感じられる。……数秒前まで、男はその当たり前さえも失う恐怖の淵に立たされていたわけで。

「貴方たちが賊として動くのをやめるって言うなら、私たちとしてももう興味はないわ。とっとと仲間もたたき起こして、皆まとめて故郷にでも帰る事ね。……もしまだ私達とか帝国に敵対するつもりなら、今度はこんな回りくどいことしないから」

 手足が戻ってきたことに歓喜する賊に冷や水を浴びせるかのように、リリスはこの二日間で何度も繰り返してきた警告を発する。それと同時に背後に武装を展開し、いつでも殺せることを誇示しておくのも忘れない。

 この二日間で少なくとも十回は賊たちと戦っているのだが、ここまでされて投降しない者は一人もいなかった。結局のところ賊も命は惜しくて、自分の理想に殉じようなんて思っている人間もいないという事なのだろう。……そう思うと、カルロが稀有な存在に見えてくるから不思議なものだ。

「……お二人とも、片が付いたようですね」

 ほうぼうの体で仲間たちの下に駆け寄っていく賊の背中を見送っていると、反対の方向か中性的な響きを持った声が聞こえてくる。振り返れば、城で見た私兵たちと同じ制服を纏った小柄な少年がリリスたちの背後に立っていた。

 ぱっちりとした薄青色の瞳にベージュ色の柔らかい髪、そして幼げな顔立ち。それらは全て少年に儚げな美しさを与えており、二人に向けられる瞳には純粋な尊敬の色がある。……帝国にも純粋な人間と言うものはいるのだなと、初対面で思ったのが記憶に新しい。

「ええ、今まで通り骨のない相手だったわ。……でもそのおかげで、ちょうどいい時間になったかしら?」

「ええ、今から帝都に戻れば時間としてはちょうどいいかと。……あちらが予告してきた開戦の時間まで、残り一時間とそこらしかありませんから」

 リリスの疑問にはっきりと答えを返し、少年は腕に着けた小さな時計を示してくる。街道に出るリリスたちのために特別に貸し与えられたらしいそれは、もう少しで決戦の時が訪れることを知らせていた。

「よし、それじゃあ急いで帰ろうか。……ここからなら、三十分と少しあれば着くよね?」

「はい、よほどのアクシデントがなければ。自称偵察兵筆頭の名に懸けて、このスピリオ・エイザーが補償いたします」

 胸に拳を当て、少年――スピリオは堂々と宣言する。あの城で始めて顔を合わせた時も名乗ったその肩書はあくまで自称だが、それを名乗るだけの実力があるのは確からしい。……少なくとも、ヌーラル街道についての知識量は目を見張るものがあった。

「この二日間の賊狩りも、全ては迫る戦いの為ですもんね。……あなた達の目的が実ることを、ささやかながら僕も願ってます」

「ええ、負けるつもりなんてさらさらないわ。……そのために、ここで二日間闘い続けたんだもの」

 そう言い切ってツバキに視線をやれば、頼もしい頷きが返ってくる。二日間を通して自身も深まったのか、その瞳はより強い輝きを放っているように見えて。

――成果を示す時を一時間後に控えても、事の他二人の心境は落ち着いたものだった。
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