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第六章『主なき聖剣』

第五百二十二話『皇帝の賭け方』

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 僅かな首の動きから肯定の意志を読み取ると、「ついてこい」とだけ言い残してカイルは踵を返す。離れていく後ろ姿を見失わないよう追いかけて行った先は、荘厳な玉座の裏側の空間だった。

「あまりにも捻りがなさすぎる隠し通路だと余は思うのだがな。聖剣の封じられた部屋などと言えば聞こえはいいが、実態は誰もそれを移動させられなかっただけに過ぎん。……次に封印するときには、もっと良い設備のある場所を選ぶべきだろうな」

 愚痴のようなものをこぼしながら、カイルは石でできた床をコツコツと足で三度叩く。その直後に現れた地下へと続く石造りの階段は、その言葉通りいかにも古めかしい雰囲気を纏っていた。

「今時ダンジョンでも中々お目にかかれぬ仕掛けじゃの。……そもそも、ダンジョンに何故古いと新し意図があるのかと言う所から問題ではあるのじゃが」

「残念だが、その謎について考えている暇はないぞ。解いてみたところで成果が見込めない問題に首ったけになれるほど、余も暇な皇帝ではないのでな」

 そこそこ急な階段をこなれた足取りで下りながら、振り返ることもなくカイルはフェイの小さな疑問に反応する。ゆっくりと閉じていく入り口と入れ替わるようにして、カイルが灯した光が狭い空間を照らし出した。

 カイルほどではないが、カルロもまたこの階段を下るのには慣れている様子だ。あの隠し通路に驚いている様子もなかったし、きっと何度か通い詰めているのだろう。……聖剣を振るうものとして期待されているものとして、カイルが何の手も打たずにここまで稽古をつけてきているとは思えなかった。

 そんなことを考えながら下ることしばらくして、狭苦しい階段にもようやく終わりが見えてくる。長い時を経て変色した木の扉が、この空間の持つ長い歴史の証人であるかのようだ。

 歴史学者などが見れば興奮のあまり卒倒しそうなそれを、カイルは無造作な手つきでガラリと開ける。その先に広がっていたのは、国境で見た模擬戦場と似たような広々とした空間だった。

 砂と土でできた地面は平らにならされ、ところどころに岩やくぼみなどの地形が用意されている。それ自体は至ってよくある修練用の部屋と言った印象だが、部屋の奥に鎮座する存在がこの場を異質で神聖な物へと作り替えていた。

「此処は遥か昔、敵に顔を知られてはいけない者たちが修練を積むための場所として作り上げられたそうだ。その匿名性を知っていた皇帝の手によって聖剣の保管場所とされたことによって、それらの機能はほぼ麻痺してしまっているがな」

 まったく皮肉な話だ――と。

 過去を嘲るような笑い声を発しながら、カイルは無造作に聖剣へと近づいていく。それに続いて歩を進めていくたびに、肌を刺すようなピリピリとした感覚がフェイの中で急速に強まっていった。

 それを発しているのは他でもない、目の前の聖剣だ。魔力の関知を阻害してくるこの城の中においても、この聖剣が纏う雰囲気は一線を画している。何度も帝国を救ったという評判に恥じないだけの風格を、眼前の無骨な剣は放っていた。

「……聖剣と言う割には案外地味な見た目じゃの」

「致し方ない話だろう、この剣は生まれた時から聖剣としてこの世に存在していたわけではない。実績が伴い『聖剣』と呼ばれる日が来た頃には、装飾を施す職人ですらこの剣に触れられなくなっていたのだろうよ」

 思うだけでなく実際に口からも出た率直な感想に、カイルから案外的を得た推測が返ってくる。その考えが正しいのならば、宝石の一つも埋め込まれていないことにも合点がいった。

 どことなく騎士剣にも似たデザインをしているそれは、たとえ倉庫に紛れ込んだとしても見分けがつかないだろう。そんな剣が何故特別なものになるかと言えば、そこに逸話と実績が付与されるからだ。たとえ生まれがただの剣であろうと、ここまで経てきた時間と乗り越えてきた戦いの数々がこの剣を『聖剣』の領域へと至らせている。

「もし興味があるのなら、貴様が使い手足りえるかも確かめてみるか? 身もふたもない話だが、貴様が聖剣を振るえるのならばそれが一番手っ取り早い話だ」

「それは間違いないじゃろうな。……ならば、お言葉に甘えて試してみるとするかの」

 唐突に背中を押されたことに戸惑いながらも、フェイは恐る恐る聖剣へ手を伸ばす。恐ろしさもあったが、同時に興味もあった。ともすれば自分よりも長くこの世界に存在している剣が、一体どのような物を纏っているのか。そして、聖剣はフェイに何を思うのか。

 まっすぐに伸びた指先が剣の柄に触れ、だんだんと手の触れる面積が増えていく。親指以外の四本がしっかりとかかったところで、意を決したフェイは思い切り聖剣を持ち上げようとして――

「――ぐ、あッ⁉」

 己の全身を一瞬にして駆け抜けた『異物』の感覚に耐えられず、フェイはのけぞりながら聖剣を取り落とした。

 突然かつ想定外の衝撃に足腰は耐えられず、のけぞったままの勢いで背中から地面に衝突する。それもそれで結構な勢いを伴っていたはずなのだが、手を触れた一瞬で感じた感覚に比べればそんなものは苦痛の内に入らなかった。

(……何だ、今の衝撃は)

 生まれた時からいい精霊とは言い難かったフェイだ、今までに戦ってきた経験も、その中で傷を負った経験も少なからずある。だが、その中のどの記憶と重ね合わせても今の衝撃には一致しない。分かったことと言えば、あの一瞬で何かがフェイの身体を駆け巡ったという事実だけだ。

 呼吸を落ち着け、体内の魔力の巡りを確認する。――大丈夫だ、魔力に問題はない。まだ余韻は残っているが、フェイを襲った何かは既に消え去っている。再び手を触れない限り、アレに身体を侵されることはないだろう。

「『約定』に名を遺す精霊でさえも、聖剣は使い手として認めぬか。……分かってはいたことだが、何とも強情な剣よな」

「……さては貴様、最初からこの結果を見通しておったな……?」

 フェイを見つめるカイルの目に驚きはなく、ただ淡々とした納得があるばかりだ。その隣に申し訳なさそうにこちらを見つめるカルロが居ることもあって、衝撃が抜けない頭でも結論を出すのは容易だった。

「ああ、予想の範囲内ではあった。……何せ、余も聖剣には手ひどく拒まれたものでな」

 悪びれる様子もなく、カイルは己の考えをあっさりと肯定する。最初から見抜かれることも予測していたのかと勘ぐってしまうぐらいに、その声色は淡々としたものだった。

「それはオイラも保証するぜ。初めてオイラがここに連れてこられたとき、皇帝サマはまず最初に自分の手で聖剣を握って見せた。それでどうなったかは、オイラが今もここにいることを思えば分かるだろ?」

「妾と同じように拒まれた、か。力の強い者を求めているわけでないことは丸分かりじゃな」

 もしもこの聖剣が圧倒的な強さを求めているのだとしたら、おそらくこの国の誰も聖剣の願いに応えることは出来ないだろう。最強であるがゆえにカイルはヴァルデシリアの名を冠するのであり、カルロとの間にも決して埋まることのない実力差がある。……ならば、何故カイルは聖剣の振るい手に嘗て襲撃者だった男が相応しいと判断したのだろうか。

「……確認するぞ、カイル。妾は、この小僧に稽古を付ければいいのじゃな?」

「ああ、当然だが手を抜くことは許さぬ。……仮に聖剣に相応しい人間になれずとも、戦力としての価値が上がるのならばそれはそれでこちらの利益となることだ」

 もう一度確認してみれば、淡々とした答えがすぐに返ってくる。きっとカイルの中では既にこの二日間でやるべきことがリストアップされ、今はそれを一つ一つこなしている最中なのだろう。……その先にある戦いの勝利を、当然のように見つめながら。

 その中にはきっと、フェイたちの動きも組み込まれているのだろう。どんな扱いをされているのか、どんな役割を期待されているのか、そこまでは分からないけれど。……それを踏まえた上で見ても、今現在全体を指揮するのに最も適しているのはこの男だ。

「余は無為な賭けは好かぬが、たとえ外してもこちらに利益が生まれるならば賭ける価値は十分にあると考える。今ここで聖剣を知る貴様がこの国に現れたことも、何かの示唆のように思えてならぬからな」

 カイルの視線が今一度こちらを射抜き、心臓が不規則に跳ねる。全てを手のひらの上でコントロールしようとする態度は気に食わないが、今はそれに従ってやるのが最善手だ。……今のこちらが出せる力を全て的確に扱わなければ、クライヴを凌駕することなどできやしない。

「……分かった。その依頼、妾が責任を持って引き受けよう。二日もあれば、この小僧を小娘たちと戦える程度には仕上げられるじゃろうからな」

 一度瞑目して意を決し、フェイは今一度カイルからの依頼を引き受ける。カイルは当然とばかりに軽く鼻を鳴らし、カルロは目を輝かせながらこちらに向かって思い切り身を乗り出してきた。

――予告された『帝位簒奪戦』の火ぶたが切って落とされるまで、残り二日をとうに過ぎた。各地で渦巻く思惑も、時間になれば全てが帝都に集約される。それぞれが望む明日を掴むための戦いの足音は、嵐の前の静けさの中でゆっくりと大きくなり始めている。

 残された猶予は、そう長くはない。
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