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第六章『主なき聖剣』

第五百話『伝統は過去の物に』

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「――少々、いやかなり事情が変わってしまいました」

 眩しい朝日に照らされ、カラカラと音を立てながら馬車がガルガリを旅立つなり、それまでいつも通りだったケラーの表情に明確な焦りの色が差す。再び集まってから今まで必死に平然を装ってきたのだろうという事は、車内にいる誰の目から見ても明らかだった。

「事情が変わった、か。――今朝の貴様が何故か出発を急いていたように思えるのもそれの仕業か?」

 全員が一瞬言葉に詰まる中、まず真っ先にフェイがケラーに質問を投げかける。その瞳に宿る光は、ケラーに少しの嘘や誤魔化しも許さない鋭さを秘めたものだった。

 フェイが言うまで違和感として認識できないほどの物ではあったが、確かに今朝のケラーはどこか焦っていたような気がしないでもない。全体に向けての言葉も簡素なものだったし、それも特に思う所のないような当たり障りのないものだった。それに『焦り』と言う理由を付けるのは、あながち筋違いな話でもないだろう。

「そうか? オイラはいつも通りのケラーだと思ってみてたんだが……そこんとこどうなんだ?」

 しかしその結び付けにある程度の作為があるのも事実で、カルロはフェイに懐疑的な視線を向ける。結局二人から疑問を向けられる形となったケラーは、少し間をおいてから口を開いた。

「相変わらずあなたは鈍い――いや、こればかりはフェイ様が敏感すぎると言った方がいいのでしょうか。……おっしゃられた通り、私はいち早く帝都に向かわなければいけないと考えています。私の言葉が短くなったところで短縮できる時間などたかが知れていますが、それでも」

 フェイの鋭い視線をまっすぐ見返し、ケラーは声を震わせる。少なくとも人並み以上には頭の回るケラーが気休めに縋っていることこそが、『事情が変わった』ことがケラーにもたらした変化の大きさを物語っているようだ。

「……つまり、一刻を争いたくなるようなことが起きたってことなんだね。それも今ここで話し出したってことは、ボクたち共同戦線にも関係するかもしれないことか」

 顎に人差し指を当てながら考え込む姿勢を見せていたツバキが、ケラーの肯定を受けて今までに出てきた情報を繋いでいく。それにケラーも頷いて、少しだけ口調を落ち着けて再び話し出した。

「ええ、まだ断定はできませんが。……それでも、八割ほどの確率で共同戦線にも関係することです。この時期にこんな事案が起こることと、クライヴ・アーゼンハイト率いる組織が帝国に仇なそうと目論んでいるという王国からの情報提供が無関係だとは到底思えない」

「あの男が計画に向けた事前準備を怠らぬ性質の男であることは知っておるからの。……まったく、何を目標に掲げればあそこまで勤勉な悪が生まれるのやら」

 周到すぎて相手するのが億劫なほどじゃ、とフェイはクライヴに対して悪態をつく。実際に相見えることで受けたのだろうその印象は、リリスとツバキも共通して抱いているものだった。

 バラックの古城襲撃にしてもベルメウ襲撃にしても、クライヴ達は非常に丁寧な策を練ったうえで計画に臨んでいた。古城には事前に爆弾を仕込もうとしていたし、ベルメウ襲撃の前段階にはグリンノート家の襲撃がある。衝動に任せた行動ではなく、明らかな理論と根拠を以てクライヴ達は襲撃する場所や対象を選んでいると見るのが自然だろう。

 当然その丁寧さは事前準備だけではなく、計画が実行に移されたときにも発揮される。クラウスたちを引き込んでけしかけてきたのも、リリスたちがベルメウの中で分断されたのも、全て組織内での意思の統一があったからできたことだ。多少なり相手の予想の裏を突いたところで、そこすらもまだ想定の範囲内だという事が往々にしてあり得るのだから恐ろしい。

 まして今回、リリスたちはクライヴによって予告された戦場の元に飛び込んでいくのだ。そんな中でクライヴ達が何の準備もせずに戦いに臨んでくれるというのは、あまりにもクライヴ達を理解していない希望的観測でしかなかった。

「クライヴはクライヴなりに、実現したい理想って奴があるんだろうね。今あるこの世界を壊さなくちゃ実現できない理想なんて大方ロクな物じゃないだろうし、そのワガママに巻き込まれるボクたちはたまったものじゃないけどさ」

 フェイの疑問に対し、ツバキが彼女なりの解釈を返す。嫌悪感が多分に混ぜ込まれてこそいるが、その印象にはリリスも同感だった。クライヴ・アーゼンハイトもまた、決まりきって揺らぐことのない優先順位に従って生きているタイプの人間だ。

 リリスと似ている――と表現するには、いささかあの男の覚悟は決まりすぎているような気もするが。だが、一つの理想を抱えて離さないという側面で見るならばリリスも多かれ少なかれ同じところがあるというしかないだろう。どれだけ危険でもマルクの事を諦められないから、リリスたちは今帝都に向かう馬車に乗り込んでいるのだから。

「クライヴは私たちの事も踏み台にするつもりでしょうからね。一度倒したからって油断はしてくれないし、きっと次は本気で殺しに来る。……フェイが助けに来たときでさえ余裕たっぷりだったもの、アイツ」

 フェイたちをしり目に消えていくクライヴの姿を思い出しながら、リリスは素直な印象を口にする。何度振り返ってもあの時に感じた不快感や屈辱が拭えることなどないが、それが出来るのもあの時クライヴがリリスたちを見逃したからに他ならない。

 フェイの参戦によって少なからず戦況が動いたとはいえ、クライヴが有利であることは疑いようもない事実だった。フェイは守らなければいけない人数が多すぎるし、苦境に追い込まれたのだとしてもクライヴは転移魔術ですぐに撤退できる。もう少し攻めの手を緩めずに仕掛けたところで、クライヴには何のリスクもなかったのだ。

 だが、クライヴはあそこであっさりと退くことを選択した。次の襲撃を予告し、リリスたちを誘導するような真似をして。……そこに何の意図もないと言い切るには、今までに見てきたクライヴは少々打算的すぎた。

「なんなら帝国で私たちの事を殺すところまで含めて計画の内かもしれないわね。マルクが計画に必要ってなった時、どこまでも邪魔になるのは私達でしょうし」
 
 ベルメウで殺さなかったことにどんな意味が生まれるかは知らない知るつもりもないが、クライヴが誰かの死を計画に組み込むタイプの人間かと言われればリリスは一も二もなく頷きを返す。あの手の人間は、自分の優先順位に含まれない者のことに一切思いを寄せないと相場が決まっている。……そう考えるリリスも大概そうだと言われれば、説得力のある反論は出来ないのだけれど。

 ただ、救えるならば出来る限り救いたい、蔑ろにしたくないと思うのが今のリリスだ。マルクならきっとそうするし、そうやって進んだ方がリリスの気持ちも多少なり楽にはなる。それが非難されるべき偽善だとしても、本当に余裕がないときに迷わず切り捨てる命なのだとしても、最初から手を伸ばさない様にはありたくないと思うのだ。

「それじゃあ、問題はどんな布石が敷かれたかってとこよね。……ケラー、情報を聞かせてくれる?」

「はい、まだどれほど信憑性がある情報かは定かではありませんが。ですが、帝都からの伝令が持ってきた報告書によりますと――」

 最高速度に近づいて揺れが大きくなる馬車の中で、ケラーはもう一度記憶を確かめるかのように瞑目する。そして覚悟したように頷き、その視線を馬車に乗り合わせた全員へと向けた。

「……昨日の夕方、突如現れた賊によってヌーラル街道を走行していたとある領主の馬車が襲撃に会いまして。十分な敬語体制を整えたにも関わらず、彼らはあっけなくそれらに屈したというのですよ」

 私の語った情報は、昨日を以て間違ったものになってしまったという事です――と。

 自嘲気味な笑みを浮かべ、ケラーをここまで焦らせた根源がこの場にいる全員に開示される。……その瞬間、隣に座っていたカルロの眉間に大きなしわが刻みこまれた。
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