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第六章『主なき聖剣』

第四百六十八話『燻る想いの名付け方』

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 少し前から、違和感自体はないでもなかったのだ。ツバキ自身が語るツバキの姿が、どことなくリリスの考えとかけ離れているような。同じようで違う誰かの話を聞いているような、そんな感覚。だが、それを生み出している原因が見つかってしまえばこれ以上に分かりやすい話もなかった。

「私はね、貴女が自分の意志を押し出したところをちゃんと見てるわよ。……まあ、貴女がそれを自分の意志だって自覚してるかどうかが一番怪しいところだけど」

 リリスの言葉に目を丸くするツバキをよそにそう続け、リリスはツバキの胸をまっすぐ指さす。脳裏によぎっていたのは、全てを呑み込まんとする影の暴走を前にしたときの記憶だった。

「私たちがメリアを助けたのは、貴女がそうして欲しいって願ったからよ。貴女が心からあの子を殺さないといけないって思ってたなら、私たちは何の迷いもなくあの子の命を奪ってた。一度じゃなく二度までもマルクの命を脅かした存在なんて、生かしておくだけ危険でしかなかったもの」

「……あ」

 その言葉に引っ張られるようにして思い出したのか、ツバキの口から小さく息が漏れる。あの時のツバキが涙ながらに口にした願いは、ツバキが自分のために抱いたものだ。自分のために願えないだなんて、そんな悲しいことがあってたまるものか。

「それだけじゃないわ。メリアに里に戻るよう言われた時だって、貴女は私たちと一緒にいることを選んでくれたでしょう? 『里の皆に申し訳が立たない』とか言いながら、それでもメリアの言葉に応えることはなかった。……それが貴女自身の願いじゃなきゃ、何だって言うのかしら」

 ツバキと並び立ってきた記憶の数々を引っ張り出して、ツバキの見当違いを証明するために言葉を連ねる。ツバキはもうとっくに自分の願いを知っていて、そのために動けるようになっている。……普段あまり見えてこない責任感の強い部分が、それを少し違う形に歪めてしまっているだけで。

「……そう、なのかな。君から見たボクは、願いを外に出せているのかい?」

「ええ、少なくとも全く出せないってことはないわよ。……まあ、少し控えめと言うか、自分の事を顧みない部分があるなあってのは思うけれど」

 例えばおかずの余った一欠片を譲ってくれたりとか、休日の過ごし方をリリスに委ねてくれたりとか。そういう日常の些細な部分において、ツバキの願いは中々外に出てこないものだ。……我儘を言うのに慣れていないんだろうなと、リリスは今更ながらにそう思う。

 ツバキ自身が見たツバキの姿だって、きっと一から十まで間違ってるわけじゃない。ツバキが思っている通りの部分は確かにあって、里にいたころの記憶は今でもツバキに付きまとっているのだろう。……けれど、それは決して『呪い』とかの類ではないはずだ。

「……多分ね、貴女は優しすぎるのよ。私がツバキの立場だったら、宿命なんてガン無視して自分のやりたいように生きることを選ぶもの。誰かから押し付けられた役割と添い遂げるなんてまっぴらごめんだわ」

 ツバキがどんな日常を里で過ごしてきたのか、それはよく分からない。だが、それが本来あるべき形からズレたものであることは確かだ。……それを恨みこそすれ、抜け出したことを申し訳なくなる必要なんてどこにもないはずなのに。

「貴女は優しいから、今でも里で一緒に過ごした人たちの事を忘れられないでいるのよ。言ってしまえば、『申し訳が立たない』って考えてたあの頃から根っこは変わってないってことね」

 バラックの一件で、確かにツバキはメリアとの絆を結び直すことができた。だが、他の里の面々との関係性は変わらないままだ。『ごめんね』という伝言を託したメリアもまだあてもない旅を続けているだろうし、あれだけで完全に影の里との関係が清算できたわけじゃない。

 本来ならば振り切って前を向いてしまえばいいはずの物さえも背負ったまま、それでもツバキは前に進もうとしている。……それは、いつか見たレイチェルの危うさにも近しいものがあって。

「貴女が里の事を忘れられないでいるのは、あの時に叩きこまれたことから逃れられてないからってわけじゃないわ。……ただ貴女が、その時の記憶も抱え込んで歩こうとしてるってだけよ」

 リリスの中にあるマルクへの恋心に、ツバキがずっと早く勘付いていたように。リリスもまた、ツバキの中にある里への後ろ暗い感情をその瞳の中に捉えている。自由に生きることへの申し訳なさが、自由な想像への歩みを阻む足枷となってツバキを縛り付けていた。

「申し訳なさ――か。どうしてだろう、凄くすんなりと納得できるなあ」

「そうじゃなきゃ私が恥ずかしいわよ、何年も貴女と並んで歩いてきたんだもの。流石に全部が全部とはいかなくても、貴女がどんな考え方をしてるかなんて手に取るようにわかるわ」

 貴女が私の事を分かってくれてるみたいにね――と、そう付け加えてリリスは片目を瞑る。相棒として積み重ねてきた十年の年月が、リリスの言葉の一つ一つに確信を与えてくれていた。

 飄々としているように見えて実は責任感が強いところも、だけど少し臆病なところも。……本当は色々と言いたいことがあるはずなのに、表に出てくるのはその半分にも満たないところだって。ツバキが自覚していないかもしれないいろんな一面を、リリスは隣から見て知っている。だから今こうして、リリスはツバキに手を伸ばすことができるのだ。

「貴女は過去に縛られてるわけじゃないわ、寧ろ大事に抱えてるのよ。……たとえあの里での記憶が貴女にとってあまりよくない物だったのだとしても、それは今の貴女までもを苦しめようとしてるわけじゃないはずよ。……だからきっと、簡単な言葉で過去を片付けようとしちゃ駄目なの」

 きっとツバキは、過去に対する想いのやり場を持て余してしまっているのだろう。抱えた思いをどう扱えばいいのか、どこに向かわせればいいのかわからないまま、行き場のない記憶は今もツバキの脳内で反響を続けている。それを無慈悲に捨てようとしないところがツバキの優しさで、結果的にツバキを苦しめている一番の原因だった。

 その感情と一度まっすぐ向き合えるようにするところまでが、きっとフェイがリリスに託した役割だ。思考の袋小路の中に入ってしまったツバキの手を引っ張って、新たな道へと導く事。それさえできれば、ツバキはきっと自分なりの答えを見つけられるだろう。

 ずっと胸の中で疼いていたマルクへの想いに、リリスが『恋心』と名付けたように。……ツバキもきっと、過去に対する想いにきっちりと名前を付けてあげなければいけないのだ。

「……なるほど。それで『自分と向き合え』ってフェイの言葉に繋がってくるわけか」

「私の考えが正しいならね。……それで違ったら、頭でも何でも下げて答えを聞きに行くことにするわ」

 感嘆交じりのツバキの言葉に、リリスは肩を竦めながら冗談めかして返す。とはいっても七割ほどは本気でそうしようかと考えていたのだが、ツバキはそれに頬を緩めながら続けた。

「ううん、そうしなくても大丈夫だよ。……君は今、ボクが一番欲しい答えをくれたからさ」

 思いつめていた表情にようやく明るさが戻り、ツバキは晴れやかな笑顔を向ける。ツバキにはやっぱり明るい表情が似合うと、その姿に半ば見とれながらリリスは改めて確信していた。

「……ねえリリス、実はもう一つお願いがあるんだけどさ。ボクが里で過ごしてた時の事、もっと詳しく話してもいいかい? 君と話してるときの方が、きっと上手に思い出を整理できる気がするんだ」

「当然よ、今日は思い出話の日なんだもの。貴女は知らなかったかもしれないけど、私はずっとあの里でのことが気になってたのよ?」

 おずおずと問いかけてきたツバキに笑顔で応え、それをきっかけにツバキはまたぽつぽつと過去を語り出す。厳しかったこと辛かったこと、けれどその中にあった温かい記憶も。過去の記憶をあるべき場所に収めるべく、思い出話は途切れることなく続いていく。――草木さえも眠る時間帯になってもなお、二人の会話が途切れることはなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


――『宿題』を課したその翌朝、手ほどきの後半戦が始まるという所。

「……来ぬな」

「来ないね……。何か予想外のことでもあったのかな?」

 騎士団から提供された修練場に立ち、フェイとレイチェルは互いにそう言葉を交わす。開始予定の時刻はしばらく前に過ぎていたが、二人が現れる気配は未だになかった。

 修練を見に来た騎士たちもこれは予想外だったのか、だんだんとざわめきは大きくなりつつある。……だが、その中でもフェイの表情に焦りの色はない。そのことに疑問を抱いたのは、隣に立っているレイチェルだけだった。

「……ねえフェイ、あなたは心配じゃないの? 二人の事だし、よっぽど大丈夫だとは思うけれど――」

 自らの中にある不安を隠すこともなく、レイチェルはフェイにそんな疑問を投げかける。フェイはそれに頭を撫でることで応えながら、未だ人が入ってこない修練場の入り口を見つめた。

「ああ、寧ろ時間通りに来られては期待外れじゃ。……妾の宿題と真剣に向き合ったのならば、必然的にあやつらが床に就くのは夜中になってからのことじゃろうからの」

 むしろ笑みさえ浮かべながら、フェイは余裕たっぷりと言った様子でのんびりと二人を待つ。「宿題……?」とレイチェルは首をひねっていたが、それは知らなくても無理のないことだ。

「レイチェル、お主は本当に出会いに恵まれておる。……転移した先で出会ったのがあやつらであることは、最大級の幸運だと言ってもいいじゃろうな」

 しかしレイチェルの疑問に答えることはせず、フェイはただ艶やかな髪の毛を撫で続ける。それにレイチェルが困惑の色をさらに強めたその瞬間、扉の向こうからどたばたと足音が聞こえてきて――

「ごめんなさい、二人していつのまにか寝ちゃってて……‼」

「ああ、思い出話が長引いたんだ! 申し訳ない、この埋め合わせはいつかするから――」

 扉が開くなりフェイの方に向かって駆け寄ってきた二人が口々に事情を説明するのを見て、フェイはかすかに笑みを浮かべる。よっぽど焦ってここまで向かってきたのか、かなり強めの寝癖が二人の頭の上で存在感を主張していた。

 その様子を見るに、二人が宿題に対して真摯に向き合っていたのは明らかだろう。この遅刻だけでなく、二人の表情もまたそれを物語っているように思えて――

「佳い佳い、これも妾の想定通りじゃ。……貴様らは、本当に模範的な弟子じゃよ」

 満面の笑みを浮かべながら、フェイは二人の弟子を歓迎する。昨日まで見えてこなかったクライヴ打倒への光明を、フェイの直観は確かに見出していた。
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