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第六章『主なき聖剣』

第四百六十七話『自分を知る者』

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「ボクが『影の巫女』として小さなころからいろんなことを教えられてきたのは、君も知ってることだろう? 八歳になる直前にさらわれたから本格的な修行は受けてないけど、それが始まる前からも立ち振る舞いとか心構えとか、いわゆる『座学』的な部分は色々と叩きこまれてたんだ。……その中に、『影の巫女の宿命』ってのがあってさ」

 リリスが何か返答するよりも先に、ツバキはぽつぽつと語り始める。それは、リリスも知らないツバキの幼少時代の話だった。

 護衛時代にも昔話をしてくれたことはあったが、その時のツバキは里での生活を話したがらなかった。ただ『影の巫女』と言う役割がある事、自分の魔術はその役割に由来するものであること、何の因果かそれから解き放たれて今のツバキはここにいること。それぐらいしかツバキは語らなかったし、当時はきっと語る気もなかったのだろう。

「メリアと会った時も少し話したけどさ、ボクは『影の巫女』が何をする者なのかを知らない。何のために生まれた存在なのかも知らない。けどね、ずっとずっと言われてきたんだ。『影の巫女はこの里のために、役割を果たせる存在でなければならない』って」

「役割を、果たす――」

「そう。逆に言えば、役割を果たせない『影の巫女』に価値はない。『影の巫女』と言う肩書がボクの背中に乗っている限り、ボクはずっと誰かの期待に応え続けることを強いられる。……ボク自身の願いなんて、一つも聞き入れてもらえる様子はなかったよ」

 泣き出しそうになるのをこらえる様な表情を浮かべながら、ツバキは自らの過去をゆっくりとリリスに明かす。それは、幼い少女に背負わせるにはあまりにもグロテスクな宿命だった。

「ずっとずっと、里のために生きろって言われてきた。個人的な願いなんて持つなって、先代から継いできた役割を果たすんだって。……お母さんがその『先代』だから、誰よりもそうすることを望んでたみたいでさ」

 もう参っちゃうよね、と。

 背もたれに体重を預けて天を仰ぎながら、ツバキはしみじみと零す。もう十年以上も遠く離れた記憶は、今でもツバキの心を蝕んでいた。

「頭では分かってるんだよ? もうボクの背中から『影の巫女』なんて肩書は消えたんだって、あの時聞かされた宿命も施された教育も全部忘れて自由に生きていいんだって。……けれど不思議なものでさ、小さなころに教え込まれたことってなかなか消えてくれないんだ」

 艶やかな黒髪を指先でくるくると弄りながら、ツバキは深いため息を一つ。普段は美しく見える黒髪が、今この瞬間だけはツバキを過去に縛り付ける鎖であるかのように思えた。

「時々ね、今でもお母さんの声が聞こえてくるんだ。『自分を捨てろ』『望まれた役割を果たす歯車になれ』『願いなど持っても虚しくなるだけだ』って。……フェイには言えなかったけど、座学の時も時々聞こえてた。ボクにとって影魔術はお母さんたちと切り離せない物なんだなあって、改めて思ったよ。ボクは求められた役割に応えるために影を磨いてただけで、少なくともあの里で影を自由に使ったことなんて一度もなかったんだ」

「……だから、自由に想像しようとしてもしっくりこないの?」

「恥ずかしい話だけどね。しっくりきそうになったその直前でブレーキがかかるというか、急にそのイメージが遠くなっていくというか。掴めそうになったタイミングで、それが消えて行っちゃうんだよ」

 リリスの確認に対して、ツバキは少し視線を逸らしながらも肯定する。……それを見て、リリスはフェイが宿題を出した理由を明確に察した。

 ツバキの状態が今話してくれた通りの物なのであれば、何日やろうと何か月やろうと、果ては何年やろうとフェイの課題をクリアすることは不可能だ。自分の魔術に枷を付けているのが誰なのか、その答えをツバキは完全に勘違いしてしまっている。

『自分の事を一番よく知っているのは自分』とはよく言ったものだが、過去の人物も随分とまあ壮大な勘違いを格言にしてくれたものだ。原因は大きく違うにしても、マルクもツバキも自分で自分の事を何にも分かっていなかった。……それはきっと、リリスにだって同じことが言えるのだろうけど。

 だからこそ、ツバキはリリスと思い出話をする必要があったのだ。……自分のことを最もよく見てくれている相棒の力を借りて、自分への認識をより深めていくために。

 ただ、目的がはっきりしたからと言っていきなりそこに切り込んでいくわけにもいかない。ツバキの現状をはっきりと理解してもらうためには、リリスも一肌脱ぐ必要があった。

「……成程ね、大体今の貴女がどんな風に考えてるのかは分かったわ。ところで一つ質問をしたいのだけど、構わないかしら?」

 今からする質問を思うと顔から火が出そうなほどに恥ずかしくなるが、それを押し隠してリリスはそんな前置きを投げかける。それにツバキは少し首をひねったが、やがてすぐに頷いてくれた。

「うん、君の質問なら大歓迎だよ。何せ今日は二人の時間なわけだからね」

「そう言ってくれると助かるわ。じゃあ、改めて質問させてもらうけど――」

 そう言って言葉を切り、一度大きく息を吸いこむ。『本当にいいのね?』という自問に『別に恥ずかしいことじゃないわ、知らないことを知りに行くだけだもの』と自答を返して、改めてツバキをまっすぐ見やる。そして、頭の中に思い描いていた質問をついに舌の上へと乗せて――


「……ツバキの眼から見て、私っていつからマルクに恋してたのかしら?」


「……え?」

――それはきっと、ツバキにとって予想だにしなかった質問だった。

 きっとツバキは里での生活とかそこで身についた心構えとかの話をされると思っていて、それで少しばかり身構えていたのだろう。だが今その面影はどこにもなく、見開かれた黒い瞳には困惑だけが宿っている。それはそれで中々見ることのない表情だけれど、さっきの思いつめたような表情よりかはよっぽどマシなように思えた。

「……ええと、ボクが一番最初にそうなんじゃないかなーって思ったのはアクセサリーを買ってくれって頼んだ時の事かな……? まだその時は疑惑に過ぎなかったけど、ダンジョン開きでクラウスたちとやり合った後の君を見て確信に変わったって感じだよ」

 突然投げ込まれた問いに困惑を最大限見せながらも、律儀にツバキは問いへの答えを返してくれる。……ちなみにいえば、リリスにとってその答えはあまりに予想外だった。

 あってもあの村での膝枕ぐらいだろうと、そう高をくくっていたのだ。それは同時にリリスが立てた仮説の正しさを後押ししてくれるものでもあったのだが、それを素直に喜ぶのは少し難しかった。

 だが、今この瞬間だけを考えるならその答えは朗報だ。……これで、ツバキに手を差し出すまでの道のりは完全に整った。

「待って、流石に嘘よね。……私、最近やっとマルクに恋してるって分かったばかりなのよ?」

「ごめん、こればかりは嘘じゃないんだよね。……君は君が思うよりずっと前から、マルクの事を特別な存在として大事にしてた。今までの事を想えば恋なんてする余裕もなかったし、気づくのが遅れるのだって仕方ないことだったんだろうけど」

 それにしても少し鈍感すぎる気がしないでもないような――と。

 腕を組んでそんなことを付け加えるツバキを見つめて、リリスは笑みを浮かべる。――それはきっと、リリスもツバキに対して同じことを思っていたからで。

「ええ、今になってみれば私もそう思うわ。……だけどねツバキ、鈍感って意味なら貴女も一緒なのよ?」

「……ボクも、かい?」

 いきなり真面目な表情に戻ったリリスにまたしても驚きの目を向けながら、ツバキはオウム返しのように問い掛ける。それに自信満々の頷きを返しながら、リリスは瞳の中にツバキの姿を捉えた。

「ええ、と言ってもベクトルは少し違うけどね。自分の気持ちをはっきり分かってないのはお互いさまってだけの話よ」

 今までにツバキと過ごしてきた日々を思い返すたびに、リリスの推論は確度を増していく。リリスの知らないリリスを教えてくれるのがツバキなのだとすれば、その逆もまたしかりだ。ツバキが知らないツバキは、リリスがたくさん教えなければ。

「ツバキ、どうか驚かないで聞いてほしいんだけどね。……貴女はもうとっくに、自分の願いを外に出せるようになってるわ。貴女は優しすぎるから、まだそのことに気づき切れていないみたいだけれど」

 絶対的な自信を持って、リリスはツバキにそんな結論を伝える。……それがツバキの『相棒』としてフェイに任された役割であるのだと、一片の疑いもなくそう信じながら。
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