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第五章『遠い日の約定』

第四百四十一話『伸ばされた手を』

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 その声は、想像していたよりもずっと幼かった。もっと威厳ある大人の女性のような印象を受けるかとぼんやり思っていたのだが、実際に聞こえてきたのはそんなイメージを微塵も感じないものだ。……泣きそうに潤んだ声をしているのもあって、その印象はさらに後押しされている。

 だが、それでもこの声が守り手様のそれであるという結論が揺らぐことはない。どれだけそれが悲鳴のように聞こえても、泣きだす寸前の子供の様でも。……今レイチェルに語りかけている存在は、ずっとグリンノート家を見守ってくれていた偉大な存在だ。

 そんな精霊の権能なのか、それとも死を目の前にしたときに現れる走馬灯と言うものか。崩れ落ちていく自分の身体はやけにゆっくりで、その中で意識は鮮明に守り手様の声を聞き取っている。……本来ならばこの機械を倒した先でしか聞くことが出来なかったであろう、その声を。

『あの小僧に切り札を教えておいて正解じゃった、こんなもの一人で突破させるようにできておるものではない! グラルドめ、妾の要求以上の性能をこやつに搭載しおって……‼』

「切り、札……?」

『ああ、何せあの小僧とグラルド――この都市の基盤を独りで作り上げ、帝国と手を組んで妾と約定を結んだ人間は源流を同じくするものじゃったからの。あの小僧の魔術によって、妾とレイチェルは一時的にではあるが繋がりを手にすることが出来ておる』

 奇妙な因果の巡りもあったものじゃ、と守り手様は息を吐き、そしてしばらく沈黙する。レイチェルもまた、今与えられた情報を理解するのに多大な時間を要していた。

「確かに、マルクは特殊な魔術を使うって言ってたけど……。四百年前にも、同じことが出来る人が居たってこと?」

『四百年どころではない、もっともっとあの魔術は根が深く歴史が長いものじゃ。……どういうわけか、あの小僧はその真髄を少したりとも理解していない様なのが引っかかりはするがの』

 レイチェルが発した疑問に、守り手様は少し煮え切らない口調ながらも答える。マルクの使う魔術――修復術を語るその声は、どこか棘があるようにも思えた。

『じゃが、あの小僧がどのような人生を歩んで今ここに至ったかなど今はどうでもよい。……時間は限られているんじゃ、本題に入るぞ』

 その迷いを振り切るかのように強い口調でそう言い切られたと同時、レイチェルの身体の奥底で熱が疼くのを感じる。……それが守り手様から与えられたものであることは、何を言われるまでもなく確信できた。

『ここまでの戦いでお主の身体はひどく消耗しておる、もうとっくに常人ならば倒れているところじゃ。それをお主は自らの意志のみでここまで維持し、そして今も立ち上がろうとしておる。……その意志だけで、試練が求める条件には達しておると言ってもいいぐらいじゃ』

「……でも、この機械を倒さないと道は開かないんでしょ?」

『そうじゃ、グラルドも本当に面倒なことをしてくれるものよ。妾はただ、ここに来るものの勇気と覚悟を試したかったにすぎん。……奴め、ここを自らの技術の実験場にするとはの』

 研究者と言うのはひどく難儀な生き物じゃ、と守り手様はまたため息を一つ。……レイチェルがイメージしていたその何倍も、守り手様の在り方は人間らしく思えた。

 それは決して悪いことではなく、寧ろレイチェルの中で好意的に受け取られている。守り手様も絶対的ですべてが正しい存在なわけではなく、自分たちと同じように悩み苦しむ存在だったのだと。……そう気づけたのは、レイチェルにとってあまりにも大きかった。

 今こうしてレイチェルに手を貸そうとしているのだって、守り手様が『このままではよくない』とレイチェルの身を案じたからだ。それを解決するために考えた上で、今できることを守り手様は果たそうとしている。……そんな存在の事、好きにならないはずがないではないか。

『限定的ではあるが、今のレイチェルには妾の魔力を預けておる。目の前の鉄屑などそれを使えば容易に破壊できるはずじゃ。……無事に妾に会いに来てくれ、レイチェル』

 守り手様の言葉に応えるように、身体の奥の熱がじくじくと疼いて存在をアピールする。まだ解き放たれないのか、後は決断するだけだと、レイチェルにそう伝えるかのように。

 それはきっと、守り手様が考えに考えた末に出した助け舟なのだろう。このまま戦えばレイチェルの身体は壊れてしまうから、そんなの認められないから。だからこうして試練のルールを半ば捻じ曲げてまで、守り手様はレイチェルに力を与えている。

 本当に、ありがたいことだ。こんなに温かい精霊の実在を少し前まで疑っていたのが恥ずかしくなるぐらい、守り手様は誠実な人だった。……よく考えれば、四百年前に結んだ約定を今も覚えていて守ろうとしてくれている時点で誠実じゃないわけがないのだけれど。

 守り手様は、レイチェル自身が思っている以上にレイチェルの事を認めてくれていた。マルクを通してメッセージを伝えてくれて、今は直接的に力も貸してくれて。そんなこと、嬉しくないはずがない。

 だけど――いや、だからこそ、だ。

「……ごめんね守り手様、その力は受け取れない」

 守り手様が伸ばしてくれた手を、レイチェルはきっぱりと断った。

『な……ッ⁉ レイチェル、お主の身体がどんな状況か分かっておるのか⁉』

「分かってるよ。もう体はズタボロで、魔力も使いすぎたせいで限界が見えてきてる。現に今こうしてあたしは倒れ込んでるし、守り手様の助けがなかったらすぐにでも倒れちゃうと思うんだ」

 まるで自分の身体ではないかのように下半身には力が入らないし、腕も限界を目前にして小刻みに震えている。今までレイチェルの身体を必死につなぎとめてきた糸は、一番大事なところでプツリと途切れてしまった。

 けれど、そこまで追い込まれても考える頭は残っている。レイチェルの意志は、まだ死なずに残っている。……だから、その手を取るわけにはいかないのだ。

「それでも、この試練はあたしの力だけで突破しなくちゃいけないんだ。守り手様のためじゃなくて、あたしのために。……そうじゃなきゃ、きっとあたしは胸を張って守り手様の前に立てないよ」

 レイチェルをここまで連れてきたのは、ベルメウを巡る中で背負ってきた無数の『責任』だ。たくさんの人の想いが、願いがレイチェルの身体には絡みついていて、それがレイチェルを突き動かしている。……今まで何度足を止めたくなっても、立ち止まらずにいられたのはそれがあったからだ。

 傍から見れば、それは呪いのように見えるかもしれない。直接言われたわけでもない責任を全部まとめて背負って、ズタボロになっても前に進むことを諦めることは許されないままで。……こんな姿を、痛々しいと思う者もいるかもしれない。

 ただ、少なくともレイチェルにとっては違う。背負ってきた責任は、レイチェルの背中を力強く押してくれるもの。……ここに向かう前にマルクたちがかけてくれたものと同じ、前向きな『お呪いおまじない」だ。

「あたしは、自分にも胸が張れるように生きていたい。責任を背負っていくのにふさわしい人間で居たいんだ。……だから、ごめんね」

『レイチェル、お主――』

 体の奥でうずいていた熱を、レイチェルは丁寧に取り除く。今から使うのはそれではなく、もっと自分の奥深くにあるものだ。レイチェルを支えてくれた魔力の根っこ、本来ならばやすやすと触れてはならない部分。それを、自らの意志で引っ張り出す。

「――ありがとうね、守り手様。……今声をかけてくれたおかげで、あたしも覚悟が決まったよ」

『妾の意志とは全く違う形にはなってしまったがの。……全く、頑固な血筋は数百年の時を超えようと変わらないということか』

 晴れやかに告げるレイチェルに、守り手様はどこか呆れた様な、だが晴れやかな呟きを漏らす。……その声が少しずつ遠ざかっていくのを、レイチェルは確かに感じ取って。

「あと少ししたら、あたしから会いに行くから。……もうちょっとだけ、待っててね」

 最後に付け加えるように声をかけ、レイチェルは目を瞑る。時間の流れが正常に戻りゆくのを感じながら、レイチェルは自分の奥底にある魔力を全て引き出す。瞬間、自分の身体の中心にぽっかりと穴が空いたような虚脱感がレイチェルを覆った。

 このまま目を瞑ればすぐにでも気絶できてしまいそうな、身体全体が作り物の人形へと変わってしまったような。そんな不快感に覆われながら、しかしレイチェルは拳を強く握りしめる。……その一点に魔力を集中させ、一発の弾丸として出力するために――

「は……ああああああああああッ‼」

 頭上に構えられた銃口の奥で輝く白い光をまっすぐに睨みつけて、レイチェルは今持てるありったけの気力を叫びに変えて風の弾丸を放つ。ここに来るまでに背負ってきた無数の責任とレイチェル自身の執念を丸ごと実体化させたようなそれは、凄まじい轟音とともに術者であるレイチェルの身体もろとも吹き飛ばしながら炸裂して。

『試練専用機体、完全沈黙を確認。――この高い壁を、よくぞ突破なさいました』

 受け身を取ることもできないまま絨毯の上を転がりながら、レイチェルは機械音声の称賛を受け取る。……それは間違いなく、レイチェル自身の手で掴み取った勝利だった。
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