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第五章『遠い日の約定』

第四百四十話『果たすべき責任』

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 生まれつき、レイチェルは器用な性分ではない。魔術だって風属性以外が器用に扱えるわけではないし、魔術以外の護身術はからっきしだ。だからこそ、レイチェルは今愚直に突っ込むことを選択している。

「風よ、あたしに力を貸して!」

 足元に集中させた風で速度を上乗せし、十分に加速できたタイミングで風の中心を腕の方へと移す。剣術の才能には恵まれなかったレイチェルにとって、この風だけが相手を脅かせる唯一絶対の武器だ。

 相手がどんな出方をしてこようとも、レイチェルにはこの一手を通す以外の選択肢がない。今この腕に宿している魔力をぶつけることでしか、勝利を手にすることは出来ないのだ。

 イメージするのは弾丸ではなく、それよりもさらに大きな砲弾。遠くから当てるのではなく、ゼロ距離で炸裂させることで相手の装甲を貫通する。ここでちまちま削る一手を選ぶことを、きっと守り手様はよく思わないだろうから――

「……は、あああああッ‼」

 全身の神経を研ぎ澄まし、身体を操ることに意識を集中する。レイチェルの動きに機会も反応しているが、それもまだ想定の範囲内だ。十番街で戦った怪物に比べれば、動きを目で追いかけられるだけ十分すぎる。

 まっすぐに突き出された右腕の刃を前傾姿勢を取ることで回避し、そのままの勢いで機械の懐へと潜り込む。左手がとっさに上からレイチェルを押さえつけようと動き出すが、それではもう手遅れだ。その手が届くよりも、レイチェルが機械に触れる方が明らかに早い。

 そう確信しながら、レイチェルは機械の腹部に当たる部分へと手を触れさせる。予想していたのとは違う熱を持った感触には驚かされるが、それは決着に関係ない事だ。……後はもう、この右手に集めておいた風を開放するだけでいいのだから。

「……お願い、これで倒れて‼」

 前のめりになっている背中を狙った一撃が頭上から迫るのを感じながら、レイチェルは燻らせていた魔力を解き放つ。……瞬間、うなりを上げながら吹き荒れた風が機械を後方へと勢いよく吹き飛ばした。

 腹部を中心にくの字に折れたまま機械は地面に落下し、それでも勢いを殺しきれずに弾みながら壁まで転がっていく。冒険者登録の試験でも見せた一撃は、この九日間の経験を経てさらに苛烈な物へと進化していた。

「はあ……やっ、た……?」

 膝に手を当てて荒い息を吐きながら、レイチェルは吹き飛んで行った機械を見つめ続ける。以前と比べて明らかに魔術は上達したものの、それに体力が追いついているかどうかはまた別の問題だ。戦いを経て蓄積され続けた目に見えない疲労は、確かにレイチェルの全身にまとわりついている。

 今少しでも緊張が解けてしまえば、レイチェルは立っていることすらできずへたり込んでしまうだろう。いくら集中して疲労の影響を感じずにいられたところで、積み重なった疲労がなかったことになるなんてことは絶対にない。

 客観的に言えば、レイチェルの疲労は心身ともにとっくに限界を踏み越えている。この短時間でレイチェルはあまりにも戦いすぎたし、あまりにも人の死を目の当たりにしすぎた。それは確かに体を蝕んでいて、後にレイチェルに多大な影響をもたらすものだ。病が何日かの潜伏期間を経て発症するように、過度に蓄積された疲労はゆっくりとレイチェルの気力を削り取っていくものだ。

 だからこそ、レイチェルはこの一撃での決着を望んだ。『背負っている』という呪いの言葉を自らにかけ、自らの持てるだけの魔力を集約して。今自分が出せるであろう最大最強の一撃で、この試練そのものを吹き飛ばそうとした。自分の身体に異変が起きていることぐらい、とっくに分かっている。

「……お願い、これで――」

 必死に呼吸を正常なペースに戻そうと試みながら、レイチェルは試練に向けてそんな願いの言葉を吐く。……しかし、それに応えて試練の終了を告げる声は一向に響くこともなく。

――その代わりと言わんばかりに、機械から放たれた一筋の白い光が戦闘の継続を宣言した。

「……いっ、づ……⁉」

 光はレイチェルの首筋を掠め、後方の壁に直撃して破砕音を挙げる。それから遅れることしばらくして、焼けるような痛みとともに首筋をつうっと温かい感触が伝った。

 その痛みが脳を支配して初めて、レイチェルは自分が撃たれたのだと確信する。幸いなことに直撃は免れたようだが、あと数センチ弾丸が逸れていたらそれも分からなかった。切実な願いも虚しく、どうやら戦いは何一つ決着してはいないらしい。

「……なら、倒れるまで吹き飛ばすだけだよ……‼」

 痛みに慣れていない脳が悲鳴を上げたがるのをどうにかして噛み殺しながら、レイチェルは代わりに強気な言葉を舌の上に乗せる。立ち止まることなく進み続けることでしか、この都市にたくさんの死をもたらしてしまった自分の責任を果たすことは出来ないのだから。

 痛みがなんだ、ここまでに死んで来た人はきっともっと痛かった。疲れたのがなんだ、都市の人々は息が切れるのなんて気にせずに走り続けたはずだ。……まだ生きてて、身体も動かせて、おまけに魔力も使えて。――それでどうして、苦しいなんて言葉を吐く権利があるだろう。

「……風……よ……‼」

 大きく息を吸って灰に酸素を送り込み、レイチェルは再び風を渦巻かせる。どれだけ相手が丈夫だろうと、たくさんの手札を持っていようと。レイチェルにできるのはこれだけで、やるべきこともこれだけだ。……体が一ミリたりとも動かなろうとも、それ以外の選択肢を考える権利なんて存在しない。

「……お願い、応えて‼」

 いっそ鬱陶しいぐらいに柔らかい絨毯を蹴り飛ばして、レイチェルは一気に加速する。眼前に見える機械はいつの間にか立ち上がっていて、右腕をまっすぐこちらに向けていた。

 刃の形態をしていたはずの腕はいつの間にか筒状へと変化しており、ぽっかりと開いた穴の奥で白い光が明滅しているのが見える。……その形は、マルクが持っていた『魔銃』というものとどことなく似ているような気がした。

 一つ確実に言えるのは、アレの正面に立てば今度こそ体のどこかに風穴が開くという事だ。ジグザグに、どうにか射線をかいくぐりながらレイチェルは攻撃を叩きこむしかない。量産を諦めてまで性能向上に労力を注ぎ込んだという最高傑作が、身動き一つとれなくなるまで。

 気が遠い。だが、やる以外の選択肢はない。ここにたどり着くまでに背負ってきたたくさんの責任が、レイチェルに立ち止まることを許さない。

『約定』を果たすことが出来るのはこの世界でレイチェルだけだ。他の誰にもこの役割を譲ることは出来ず、この役割が完遂されない限り襲撃者の攻撃が止むこともない。……その責任の重さは、およそ一人の少女だけで背負える段階を踏み超えている。

 だが、レイチェルは背負えてしまった。それどころかこの都市で起こるすべての犠牲の責任を引き受けてしまった。マルクがどれだけレイチェルの精神面を案じているかなど、そんなこと意にも介さないように。

「ふっ……づ、ああッ……‼」

 風の助けを借りてレイチェルが左右にステップを踏む度に、機械の右腕もレイチェルを追いかけて照準を定める。レイチェル目がけて何度も放たれた白い光は、レイチェルの白い肌に無数の紅い線を刻み付けた

 どうにか直撃を避けながら接近することは出来ているが、だからと言って掠り傷のことを考慮しなくていいはずもない。一発掠める度に脳はチリチリと焼けるような苦痛を訴えてくるし、思考はどこか自分の物じゃなくなっていくかのような感覚に襲われる。それでもどうにかレイチェルの意識が繋ぎとめていられるのは、背負った数多の責任がレイチェルの身体を縛り付けてくれているからにほかならない。

 まだ何も果たしていない、まだ何も償えていない。その思いが、レイチェルに安易な終わりを許さない。立ち止まることではなく進むことを選んだが故に、責任はレイチェルの意識を捉えて離さない。……『執念』と言う概念を可視化するのなら、今のレイチェル程相応しいモデルはいないだろう。

 心身ともに限界を迎え、それでもなお揺るがない意志がレイチェルの身体を突き動かす。凄まじい速度で迫る白い光を回避しながら、一歩ずつ確実にレイチェルは自分の間合いへと近寄っていく。……そしてついに、レイチェルは風魔術を展開したまま機械の懐までたどり着いて――

「――あ、れ」

 あと一歩踏み込めば手が届くという所で、ついに体がレイチェルの意志にそっぽをむいた。

 踏みしめた右足に力が入らず、そのまま床に向かって体が崩れ落ちていく。何発か前の弾丸が底を掠めていたのが原因か、それとも執念ですらカバーできる範囲さえも踏み越えてしまったのか。……いずれにせよ、機械に向かって差し出す右手が届くことはない。

「あとすこし、なのに――」

 完全に機能しなくなった右足に引きずられるようにして、左足からも力が抜けていく。地面に近づいていく視界の隅でこちらに右腕を構える機械の姿が見えて、これから迎えるであろう自分の末路を幻視する。――いろんな人に想いを託されたはずなのに、それを一つも果たすことなくレイチェルの命は散っていく。

「……やだ、よお」

 なんとかこの状況を打破しようとして、レイチェルは半ば無意識に魔力を練り始める。今自分にできるありったけの風を捻りだし、使い物にならなくなっていく左足で地面を蹴り上げようとする。まだ手は伸びて、機械に触れられるから。そうすれば、まだ試練の行方は分からないから――

『……もうよいレイチェル、お主はもう十分にグリンノートとしての責任を果たしておる‼』

 そう思って魔力を解き放った瞬間、誰かの悲痛な声がレイチェルの脳内に響き渡る。泣きそうに潤んだその声は、聴いたことがないはずなのにどこか懐かしいような気がして。

「……守り手、様なの?」

 魔力を練ることすら一瞬忘れて、レイチェルはその呼び名を口にする。本来ならまだ聞こえるはずのない声を、レイチェルの耳は確かに聞き取っていた。
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