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第五章『遠い日の約定』

第三百八十一話『奇妙な通りを往け』

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「――それでマルク、ここからどうするの?」

 お互いの意志を確認し合ったところで、レイチェルが真剣な視線をこちらに向けてくる。その表情は少し前と比べても見違えるほどに大人びて見えて、俺は思わず息を呑んだ。

 見え隠れしていた動揺も今や完全に収まり、すっかり冷静さを取り戻している。『守り手様』の存在がそれを支える芯であることは、俺から見ても間違いなさそうだった。

「……何をするにしても、まずここから出なくちゃ話にならねえ。街がどんな状況か分かんねえ以上ここで待ち続けるのも危ういしな」

 この襲撃が単独犯によるものじゃないことは、ウーシェライトが見せた連携を思えば明らかだ。この襲撃は俺たちが想像していた以上に計画的なもので、その中心にはレイチェルの持つ『精霊の心臓』の奪取が目的として存在している。
 
 もし仮に襲撃者たちに見つかるようなことがあれば、その時は容赦なくペンダントを奪いにかかってくるだろう。そうなった時、俺とレイチェルだけで事を構えるのはあまりにリスクが高すぎた。

「俺は剣を持ってねえし、約定のことを思うとレイチェルを消耗させるわけにはいかねえし……。騎士団でもリリスたちでも、とりあえず一緒に戦ってくれる味方と合流できないとかなりキツいんだよな」

「……うん、そうだね。あたしたちも何か行動しなくちゃダメだ」

 外に出ることに少し迷いを見せていたレイチェルだったが、そこまで聞いて決心したように首を縦に振る。ペンダントを握り締めるその手つきは、今までよりも優しかった。

 今まではどこか縋るようにペンダントに触れているような印象だったが、今は何かを確かめるためにペンダントに触れているように思える。精霊が俺に残した伝言の一つ一つが、今レイチェルの背中を押してくれているのだろう。

 数百年の時間の中で培われたものなのか、精霊の人を観察する目は本当に鋭いものだ。レイチェルがどんな反応をするのか、そうしたらどんな言葉を返せばいいのか、大体の流れを精霊は見抜いていたからな。『かける言葉は貴様のものでなければ意味がない』なんて言って、最後の最後には突き放されてしまったけれど。

 だが、精霊からのコンタクトがこの窮地の中に僅かな突破口を作ってくれたことは間違いない。その想いに応えるためにも、俺はもうしくじるわけにはいかなかった。

「よし、じゃあとりあえず俺が先に外を見てくる。敵の気配がなさそうだったら合図するから、そうしたらついてきてくれ」

「うん、分かった。……くれぐれも気を付けてね」

 提案に対してレイチェルが頷いたのを見て、俺はゆっくりと路地裏の出口に近づいていく。心臓が頑張って仕事をしてくれたのか、貧血による立ち眩みはもう完全に収まっていた。

 足音を立てないように慎重に動き、路地裏と表通りを繋ぐ曲がり角へとたどり着く。『剣術を学ぶにも基礎体術は必要不可欠っスよ』と言って叩き込まれた忍び足がここまで役に立つとは、流石にクロアでも予想できていなかっただろう。

 騎士団も今頃はこの襲撃に巻き込まれ、対応に追われているのだろうか。腕前は近くで見てきたから疑うまでもないが、ウーシェライトを擁する組織がヤワな戦略をしているとも思えない。……誰も死んでいなければいいと、切実にそう思う。

 願わくばこの表通りに騎士団の姿があってくれと思いながら、俺は顔だけをゆっくりと表通りに出す。……その先に広がっていた光景に、俺は思わず言葉を失った。

 敵がいたから、ではない。たくさんの死体が転がっていたから、でもない。……昨日の昼に見たものと何ら変わらない日常風景から人だけが忽然と消え去っている光景が、あまりにも不気味に映ったからだ。

 石造りの道路にはヒビ一つなく、道路の向こうでは商店がおすすめの商品を店頭に並べているのが見える。その光景は日常の一ページで、ベルメウにいる誰もが当たり前に目にするものだ。……だけど、その日常の中に人だけが致命的に足りていない。

 人のいない日常風景とはこんなに不安を煽るものなのかと、俺は背筋に冷たいものを感じながらそう思う。この通りに何かあったのは間違いないのだが、肝心の『何が起こったのか』を突き止めるための手がかりは皆無に等しかった。

 見れば見るほど不安感は広がっていくが、敵の姿が見えないこともまた間違いない。……どうやら、最大限の注意を払いながら進むほかに道はなさそうだ。

 後ろを振り向いて軽く手招きをすると、頷きとともにレイチェルが俺の一歩後ろに追いついてくる。それを待ってから二人で表通りに出ると、レイチェルもまた息を呑んだ。

「……なに、これ」

「ああ、俺も同じことを思ってたよ。ここを襲った奴はウーシェライトとは全然違うやり方でこの場所を制圧したらしい」

 車三台の暴走に加えてウーシェライト自身の鉄魔術もあり、あの一帯は血やら砕け散った石畳やらでボロボロになっていた。だが、アレが本来なら自然な光景だ。襲撃者が現れた時、誰も何も抵抗できないなんてことはおそらくない。たとえ襲撃者の力量が圧倒的だったのだとしても、抵抗の痕がないのは明らかにおかしい。

 血痕なんかがその代表例だが、表に出て見渡してもそれらしいものは一つも見つからない。……もしここが襲撃されたんだとしたら、誰一人血を流すことなく制圧が完了させられたという事になる。

 どんな魔術を使えばそれが実現するのか、俺の知識じゃ特定することは不可能だ。……リリスが近くにいてくれないことが、あまりにももどかしい。

「十六番街――ってことは、支部も宿も近くにはなさそうだね。多分だけど、守り手様は街の反対側を狙ってあたしたちを飛ばしたんだ」

 人だけが消えた通りに俺が意識を持ってかれている中、レイチェルは近くの看板から地道に現在地の特定を進めている。通りが番号で分類されていると昨日聞いた時はなんだか無機質に思えたものだが、今はその規則的な命名の仕方がありがたかった。

 だがしかし、この街はもともと車での移動を前提に設計されている節がある。場所を特定したところで、徒歩で移動するとなるととんでもない時間がかかってしまうというのが実情だ。……もしここまで見越して車を暴走させたのなら、この計画の立案者は相当頭が切れる奴だろう。

「どうする、とりあえず騎士団を目指すか? できるならリリスとツバキに合流したいところだけど、アイツらが自由に動ける状況だとは限らねえし」

 襲撃する側の立場からすれば、ウーシェライトを撃破したリリスたちは明確な障害だ。あちらの戦力がどれだけかは分からないが、足止めのための戦力を投じなければ計画に大きな支障も出かねない。……少なくとも、指揮官が俺なら極力二人を動かさないことを目的に考えて行動する。

(俺たちが逸れてる状況ともなればなおさら――な)

 この街の関係者と思しき男は、車の暴走は局地的なものじゃないと推測していた。それが正しいのならば、暴走した車による被害はこの街のあちらこちらで起きているはずだ。というか、そうでなければこの通りに車が一台も停車していないことの説明が付かない。

 想像していたよりも襲撃者は狡猾で、そして周到に計画を進めている。……いつの間にかその術中にはまらないように、常に頭を回し続ける必要があった。

「騎士団……ガリウスさんの所?」

「ああ、ガリウスとの合流はできるなら目指したいところだけど――やっぱりまだ苦手意識があるか?」

 俺の提案を聞いたレイチェルが少しばかり表情を曇らせたのを見て、俺はすかさず質問する。ここでもしレイチェルが首を縦に振るなら、合流の目標をロアルグやクロアに切り替えるのも視野に入れなくちゃいけないからな。

 そんな俺の思惑とは裏腹に、レイチェルは首をゆっくりと横に振る。そして一歩俺の方へと近づくと、声を潜めて続けた。

「……だってガリウスさん、姿を消す魔術を使えるでしょ? 今のこの状況であたしたちが見つけるの、現実的じゃないように思えちゃって」

 少し遠慮がちに差し出されたその考えに、俺は思わず言葉を失う。……考えてみれば、それはあまりにごもっともが過ぎる指摘だった。

「そうか、偽装魔術……。騎士団が戦ってるんだとしたら確かに使ってなくちゃおかしいよな」

 リリスすらも気づくのに時間がかかったそれを俺たちが見つけられるかと言えば、残念ながらその確率はひどく低いと言わざるを得ない。約定を果たす場所を聞き出すためにもガリウスとの合流はかなり重要度が高い目標だったのだが、それはひとまず後回しにしなくてはいけないようだ。

「となると、ガリウス以外の騎士団と接触するのが一番現実的か……。ロアルグかクロアあたりと合流できたら一番だけど、肝心のアイツらの居場所がな」

 クロアもかなり立場のある騎士だし、ロアルグの言っていた『時間稼ぎ』に同席しているだろう。それがどこで行われているか当然俺たちは知らないし、今から突き止める方法もない。くそ、やっぱり一縷の望みをかけて騎士団に向かうしかないのか――

「――あ」

 そんなことを考えながら周囲を見回していると、向こう側から歩いてくる人影が視界に入ってくる。少し遅れてレイチェルもそれを見つけ、かすかに息を呑んでいた。

 ゆっくりとした足取りでこちらに歩いてくる男性の姿は、一人だけ日常に残されているかのように不自然なものだ。だけれど、今一番見つけたかったものでもある。

 服装や体格からしても、この人が襲撃者の一味であることは考えづらい。ラフな服で上下まとめたその姿は、近場の店に買い物をしに来た町の住民そのものだった。

「……なあそこの人、ちょっといいか!」

 万が一のため目配せでレイチェルを待機させてから、俺はその男の人の方へと駆け寄っていく。そうしているうちにあちらも俺に気づいたのか、こっちに向かって距離を詰めはじめていた。

「いきなり声をかけて申し訳ねえ、ここで何が起こってたか知ってたりするか? 俺たちが気が付いた時には、一人残らずこの通りからいなくなってて――」

「――見つけたぞ」

 俺が質問を投げかけ終わるよりも前に、男は低い声で呟きを漏らす。……次の瞬間、男は軽く身をかがめて俺の方へと突進してきた。

 靴と石畳が擦れ合うザッという音が静かな街に響いたのと、男が急速に肉薄してきたのはほぼ同じタイミングだ。想像もしていなかった速度での攻撃に、その判断に至るまでの躊躇のなさに、俺の思考が混乱する。

「な、にが、起こって……‼」

「大人しく倒れろ、俺たちの明日のために――‼」

 その勢いのまま男は拳を頭の後ろまで振りかぶり、俺に向かって大ぶりなパンチを繰り出してくる。……衝突の直前に視界に入ってきた男の目は、信じられないぐらいにひどく血走っていた。
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