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第五章『遠い日の約定』

第三百六十八話『背を押す意志を信じて』

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『服一着だと色々と不便が過ぎるから』と王都でツバキたちが見繕ったその服装は、まるでずっと前から身にまとっていたかのような自然さで馴染んでいる。二人と違って動きやすさはそこそこと言ったところだが、それもまたレイチェルの深窓の令嬢じみた雰囲気を引き立てていた。

「おはようレイチェル、あの後少しでも眠れたかしら?」

「……うん、何とかね。まだ少し眠いけど、一睡もできないよりはずっといいよ」

 柔らかい笑みとともに出迎えたリリスの質問に、レイチェルは少しぎこちないながらも頷きを返す。普段通りの明るさを取り戻すにはまだ時間がかかりそうだが、少なくとも最悪の心理状況からは抜け出すことが出来たようだった。

 作戦会議の時、『レイチェルのことはボクたちに任せてくれ』って胸を張ってたしな。うまくやってくれるだろうという確信はあったが、それをはるかに上回るだけのことを二人は果たしてくれたらしい。

 護衛って仕事に長くついていたから少し価値観が変わってしまったところはあっても、二人の心根はとても温かいからな。そんな二人の事を知っていたから、俺は安心してロアルグの事を待ち伏せできたのだ。

「うん、昨日よりずいぶん顔色も良くなってるね。ボクたちに内緒で徹夜してたなんてこともなさそうだ」

「そんなことしないよ、あたしだって疲れてたんだから。……それなのに眠れなくて、とっても辛かったんだから」

 レイチェルの顔を覗き込み、ツバキも満足そうに笑う。そんな二人の笑顔につられたのか、レイチェルの表情もわずかながらだがほころんだ。

 何よりも『辛い』と口に出せたことが、昨日のレイチェルとの大きな違いだろう。いくらきついことが起きても『自分が悪いせいだ』って言って抱え込みそうな危うさが昨日のレイチェルにはあったからな。

 レイチェルに何も非がないなんてことはないのかもしれないけれど、だからと言って弱音を吐く権利が奪われることなんて絶対にあり得ない。本人はそれを情けないと思っているのだとしても、俺たちは頭を撫でてその成長を祝福したい気持ちでいっぱいだった。

「……それで、こんな朝早くから何をするの? 今だと建物もあらかた開いてないし、ただ街をぐるっと回るだけになっちゃうと思うんだけど――」

 そんなことを思いながらレイチェルを見つめていると、その視線が唐突に疑問を抱いたレイチェルを交錯する。気が付けばツバキたちの視線も俺の方に向けられて、その疑問に答える役割が俺へと回ってきていた。

 もともと俺の思い付きが発端の計画だし、説明するべきなのは俺以外にいないんだけどな。ただ一つ心配なことがあるとすれば、あまりに単純な答えにレイチェルを驚かせてしまわないかってことぐらいだ。

 何せこんなに早起きしてもらってるからな、レイチェルにとってもそれなりの意義を感じられるものじゃなきゃいけない。……その需要に応えられるどうかは、少し微妙だが――

「ああ、今お前が言った通りのことをするだけだよ。ガリウスたちとの打ち合わせなんてバックレてベルメウを観光して、その間に色々話ができたらいいなって思ってる」

「観光? ……こんな朝早い時間から?」

「この街はいろいろ変わってるからな、景色を見るだけでも十分な観光になると思うんだよ。しばらくはベルメウの景色を見ながら色々とおしゃべりして、店が開く時間になったら色々と見て回るって寸法だ」
 
 キョトンとした様子のレイチェルをよそに、俺は堂々と胸を張って計画を説明する。それはなんてことのない観光計画なのだが、これがレイチェルにとって一番必要なものだと俺は信じていた。

 元々約定を果たした後観光はするつもりだったし、その予定を前倒しにして朝早くしただけだとも言える。追い込まれたままでセキュリティに挑むことだけは、俺たちが何としてでも避けたいことの一つだった。

「ガリウスの言う通り支部に向かって打ちあわせをしても、アイツはどうせ機能と同じようにひたすらプレッシャーをかけてくるだけだ。そんなことをされるぐらいだったら潔く逃げ出して、パーッと一回息抜きと行こうぜ?」

 ガリウスがこの先どう動こうとしているかは、ロアルグが昨日懇切丁寧に教えてくれた。ガリウスの思想を聞けばそのやり方も理解はできるが、だからと言って納得してやるかどうかはまた別の話だ。心をすり減らすことを必要経費に含むようなやり方を、俺は意地でも認めたくはない。

「責任もプレッシャーも緊張感も、全て来るべき時が来た時だけ背負えばいい。作戦開始の十何時間も前から背負ってたら一瞬で擦り切れちまうよ」

「ええ、ガリウスのやり方を認めたらそうなることが目に見えてるわ。『夜明けの灯』の仲間として、それを認めることはできないわね」

「ボクも同意見だね。たとえガリウスのやり方が約定を果たすための最短ルートなんだとしても、君にはそんな末路を辿ってほしくない。いちど消耗した心を立て直すのがいかに大変なのか、ボクはよく知ってるんだ」

 俺の言葉に続き、リリスとツバキが力強い言葉で加勢する。事前に話し合った末の結論は、一夜明けたことによってさらに明確で強固なものへと変化していた。

「……だから、苦しいことから逃げて街の中を観光するの? 責任を果たさなきゃいけないあたしが、目の前にある義務から逃げ出してもいいの……?」

「ずっと逃げていいとは言ってないさ、約定と向き合わなくちゃいけない時は必ず来るからね。ただ、今の君のままじゃ実力の半分すらも出すことはできない。君の実力がとんでもないのを知ってるからこそ、それがフルに発揮されないのはもったいないだろう?」

 しかしまだ遠慮がちなレイチェルの言葉を、ツバキが食い気味に否定する。言葉尻にツバキから向けられたアイコンタクトに、俺たちははっきりと頷くことで応えた。

 冒険者になるために受けたあの試験で、レイチェルのポテンシャルが高いことは分かってるしな。精霊の助力があったからどこまでが本人の実力かは読み切れないが、約定が果たされるまでは精霊とレイチェルは二つで一つのようなものだ。

「意志が明確に示された時こそ、貴方の実力は十二分に発揮されるのでしょう? だとしたら堅苦しい打合せなんかで心をすり減らすのは逆効果でしかないわ」

「そうそう、心の栄養補給は大事なんだぜ? 最後の最後このままじゃどうにもならないって時、背中を押してもらえるのはそういうのだったりするからな」

 精神論だと笑われるかもしれないが、その精神論に俺は何度も助けられてきたからな。俺の隣にいてくれたのがツバキとリリスでなければ、俺はこの半年とちょっとで十回は死んでいてもおかしくないぐらいだ。

 そんな危機の連続を俺たちが欠けることなく生き抜いてこられたのは、ツバキとリリスが単に実力者だったからってだけじゃ絶対にない。『この二人と一緒に生きていきたい』って思いは、何度も俺の背中を押してくれていた。

「だから、お前にもそのことを知ってほしいんだよ。……んで、できるなら自分は今どうしたいのかを考えてほしい。その結論が出せたなら、もうお前のことを『自覚が足りない』なんて言って責める奴はいなくなるだろうからな」

「……本気で、皆はそう思ってるの? 全部なくしても自覚を持てなくて泣いてたあたしでも、『自覚がある』って言えるようになれる?」

「君が心からそう願えば夢じゃないさ。君がそうしたいと思ったのなら、ボクたちはそのための協力を惜しまないよ」

 そのために色々と動いてもらったわけだしね、とツバキは片目を瞑る。その背後には、ロアルグがわざわざ持ってきてくれた騎士団専用の車両が鎮座していた。

 ぱっと見はそんなに違いもないが、扉には小さく青と白をベースにした騎士団の紋章が刻まれている。観光用の車両より自由に目的地の設定ができるというそれは、時間が限られている状況の中で非常にありがたいものだった。

「この車両な、ロアルグが色々とちょろまかした上で俺たちに貸してくれてるんだ。ガリウスのやり方はクソだけどさ、だからと言って騎士団全部がお前のことを否定しようとしてるなんてことは絶対にないんだよ」

 なんならガリウスのように考えている方が少数派で、クロアをはじめとした王都の騎士たちは皆レイチェルのことを気遣ってくれているだろう。いざという時に彼らが力になることは、俺たちも身を以て知っていた。

「……あの時のロアルグさん、ガリウスさんの隣に立ってたのに……?」

「騎士団長だもの、きっとそこらへんは色々と複雑なのよ。そうよね、マルク?」

「だな。昨日色々と話したけど、多分レイチェルの次に板挟みなのはアイツで間違いねえ」

 なまじ俺たちの事もガリウスの事も知ってしまっているし、その上団長と言う立場がある以上下手に物を言った時の影響力は計り知れない。ロアルグがあの場で口を慎んだ理由があるとすれば、それは支部長としてのガリウスの務めを邪魔できなかっただけだ。……決して、レイチェルを追い込みたかったからではない。

「だけど、そんな難しい状況の中でもロアルグは俺たちに力を貸してくれた。……結構無理を言ったところはあるけど、最後の最後は自分の意志で」

 ロアルグぐらいの立場と実力があれば、俺の要求を袖にすることなんて簡単だろうからな。俺が交渉上手だったとかじゃなく、単純にロアルグが譲歩してくれただけなのだろう。俺たちが計画を実行できるのは、この場に居ない騎士団長のおかげだ。

「お前が思ってる以上に、お前の力になりたいって奴は近くにたくさんいるんだよ。……だから頼む、俺たちにお前のことを助けさせちゃくれないか?」

 言うべきことは全部言い切って、俺はレイチェルに向かって改めて頼み込む。それを受けたレイチェルは、戸惑いを隠せないといった様子でしばらく目を瞬かせていたが――

「……皆が、そう言ってくれるなら。皆がそうしてるみたいに、あたしも自分の気持ちに従って動けるようになりたい」

――そうお願いしたら、皆は手伝ってくれる?

 紫がかった紺色の瞳を僅かに潤ませながら、レイチェルは俺の手を強く握り締める。弱気だけれどまっすぐに俺の方を向いて発されたその願いに、俺は力強く頷くと――

「当たり前だろ。……待ってたよ、お前がそう言ってくれるのを」

 きゃしゃな手を握り返して、俺ははっきりと協力を宣言する。――ガリウスのやり方に否を叩きつけるための計画は、この瞬間に本当の始動を迎えた。
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