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第四章『因縁、交錯して』

第三百五話『信念貫く騎士の名は』

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――『貴方は恵まれた子なんだから』『貴方には貴方にしかできない役割がある』『騎士になるべき人間はもっと他にいて、少なくとも貴方ではない』……エトセトラ、エトセトラ。騎士になりたいという目標を周囲に語った時の反応は、その九割以上が否定的なものだった。

 バルエリスもずっと無知だったわけではないし、それが世間一般から見た正論なのは分かっている。『上流階級』と呼ばれるだけの家にはずっと継いできた伝統のようなものがあって、そこに生まれた異常は何も言わずともその系譜を組むことを期待されるわけで。そこで突然バルエリスが伝統から外れたことをやろうと思えば、白い眼で見られるのも納得できる話ではあった。父親がその理想を止めることなく静観に徹してくれていただけ、バルエリスは幸運だったというべきなのだろう。

(……まあ、正論をいくら言われたところで今更説得されることもありませんが)

 先の声とのやり取りを思い出しながら、バルエリスは改めて正論の無意味さを思う。優先順位が明確に決まりきってさえしまえば、世間一般が口をそろえる『正論』なんて紙クズほどの価値もないのだ。……だって、周囲の人からの声の優先順位なんてとても低いところに設定してあるのだから。

 それを確認する意味でも、あのタイミングで声が聞こえてきたのは僥倖だった。バルエリスのことを何も理解していない言葉選びや口ぶりは腹が立ったけれど、その点に関しては感謝しなくてはいけないだろう。

「……それにしても、なぜ今なんですの?」

 だが、今の状況がそんな悠長なことを許してくれるわけもない。魔剣からまばゆい光が起きてからというもの、バルエリスの理解を超えた出来事が少々発生しすぎていた。

 体は痛むが十分動くし、あれほどだらだらと流れていた血が気が付けば止まっている。三十秒前までに負ったダメージを思えば立っていることだって奇跡的なのに、それをものともしないぐらいまでにはバルエリスの身体は癒されていた。

 考えれば考えるほど意味不明さが増していく面倒な状況だが、それがバルエリスに取って好都合なことだけは確かだ。……もしその声がこの状況に関与しているならば、アグニの視界が戻る前に少しでも多くの事を知らなければならないだろう。今の内にアグニに奇襲を仕掛けるという選択肢もないではなかったが、アグニほどの実力者にそれが通じるとも思えなかった。

「ねえ、答えてくださいな。わたくしの声は聞こえているのでしょう?」

 光に包まれた空間の中で、バルエリスは見えない『何か』に対して呼びかける。……それに対しての反応は、比較的すぐさま返ってきた。

――ああ、聞こえている。なぜ今なのか、という事だな?

 脳内に直接反響しているかのような、独特な声。さっきはその声質まで判別することが出来なかったが、いま改めて聞いてみるとそれはずいぶん男性的な響きを伴っているように思えた。

 その正体は気になるところだが、それを聞くべきは今ではない。アグニがいつ立て直してくるか分からない以上、すぐにでも現状についての全貌を把握しに行く必要がある。

「ええ、そうですわ。……時は満ちたと、そう言っておりましたわね?」

――ああ、言った。こうして私が発現できたのもまた、それを証明する根拠の一つだ。

 バルエリスが続けて問いかけると、声の主は淡々と答える。まるで自我があるような言い回しを含めて疑問は増えていくばかりだが、首を振ってそれらを振り払いながらバルエリスはさらに問いを重ねた。

「あなたが言っているその『時』とやらは何ですの? ……あなたは、ずっとそれを待っていたと?」

――ああ、そうだ。……もっとも、黙って待っていたのは私の意志ではないが。

 許可は出したとは言え、随分厄介なことをしてくれたものだ――と。

 声の主に実体があったら肩を竦めていそうな声色で、声はバルエリスの問いを肯定する。あまりに落ち着きがあるその受け答えに、バルエリスは戸惑いを隠せなかった。

 質問とその回答は成立しているはずなのに、なぜか聞きたいことは増えていくばかりだ。ただ憎たらしく正論を投げかけてくるだけの存在だった時の方がまだ分かりやす気思えるぐらい、声の主はたくさんの謎を抱えている。……そしてそれは、きっとバルエリスにも関係するもので。

――なんにせよ、私とお前を縛っていた厄介な魔術は解けた。お前を見込んだ奴の眼が情に曇っていなかったことだけが幸いだったな。

「奴……? 見込む……?」

 答えというよりは独り言に近い言葉に、バルエリスはさらに首をかしげる。……その様子を見かねたのか、声は一度ため息のようなものを吐いてさらに言葉を付け加えた。

――お前と私の性能を魔術によって制限した者が、お前の知り合いの中にいるだろう。……まさかとは思うが、その記憶すら魔術で改ざんされているのではないだろうな?

「……あ」

 その言葉をきっかけに、バルエリスの中で浮かんでいた数々の点が一つの図像を結び始める。それはとても馬鹿げた答えではあったけれど、しかしそれしか考えようがないぐらいに明確な結論だ。……それを裏付ける証拠だって、バルエリスの記憶には確かにある。

『お前が掲げた理想を否定するつもりはない。……ただ、覚悟無きままにその道を進もうとするのは許さん』

 まだ幼い頃に父親と交わした、そんな会話。バルエリスはそれを通じて自らに魔剣の出力を抑え込めるだけの魔力があると知り、騎士を目指す道の険しさを知った。……まだ、自分が何の属性に適性があるのかも分からない頃の話だ。

「……あなた、意図的にその情報を伏せて話してましたわね?」

 分かってしまえばあまりに決定的なヒントをもらって、バルエリスは少し口をとがらせる。それを一番最初に言ってくれたなら、こんなにも疑問ばかりが積み重なることはなかった。……まあ、それにしたってにわかには信じがたいことではあるのだけれど。

――さて、何のことやらな?

 しかし、その追及に声はあくまで答えない。……どうやら、徹底的に自分から答えを開示する気はないらしい。

 ならば、こちらから答えを突き付けてやるしかないだろう。――この訳の分からない状況でつかんだ、一つの確かな結論を。

「……自分の存在に気付いてほしいのならば、もっと単純なヒントを最初に与えるべきですわ。……ねえ、わたくしの愛すべき魔剣様?」

 絶対的な自信を持って、バルエリスは声の主――今もバルエリスの手に握られている魔剣にそう呼びかける。……その脳裏には、いつか読んだ剣の歴史に関する本のことが思い浮かんでいた。

 その記述に寄れば、魔剣という言葉の意味は昔から今に至るまでに変遷を遂げている。……魔術に関する技術が発達した今は、剣に魔術を出力するための構造を組み入れた高価な武器のことを指すことが多いのだが――

「……魔剣という言葉のルーツは、魔族がその魂を剣などの武装に宿した状態にある――つまり、正確に呼びかけるなら剣に宿る魔族様と呼びかけるのが正解でしょうか?」

――ほう、やはりよく学んでいる。時を待っただけの価値はあると、そう称賛した方がいいか?

 今までの知識を総動員して結論を出したバルエリスに、声はほぼ肯定と言っていいようなリアクションを返す。……その瞬間、バルエリスは初めて声に対して親近感を覚えた。

「称賛なんていりませんわ、今は状況理解の方が先決ですもの。……今のこの現象は、お父様がわたくしと魔剣にかけた縛りが解かれたために発生したものだと見ていいんですわよね?」

――ああ、その認識で間違いはない。お前の体内は、数年ぶりに最大量の魔力で満ちているというわけだな。

「なるほど、それがあの感覚ですのね。……確かに、心地いい感覚ですわ」

 温かい何かが体中を駆け巡っていく感覚に目を細めながら、バルエリスは軽く体を動かす。魔力に満ちた体は不思議と軽く、今までの傷がまるでなかったことになっているかのようだった。

 この状態ならば、またアグニと打ち合うことだってきっと夢ではないだろう。……あるいは、そこから勝利することだって。

「……あまりに、夢か叙事詩みたいな展開ですわね」

 死に際の自分に訪れた奇跡のような現象に、バルエリスは軽くため息を吐く。……だが、それに対して返ってきたのは予想以上に柔らかく、そして温かい響きだった。

――ああ、周囲から見ればそう映るかもしれないな。……だが、その現象を招いたのはほかならぬお前の執念だ。……お前の言葉を借りるなら、『理想』とでも言うべきか?

「……わたくしの、執念」

――ああ。もし私の問いに少しでも意志が揺らぐようなことがあれば、あるいは死ぬ間際になって命を惜しむような真似をすれば、きっとこの縛りは解けていなかった。……お前は、あの男の条件に見合うだけの覚悟を土壇場で示したに過ぎない。

 つまりこれは奇跡ではなく、必然によって起きた実力の返還だ――と。

 辛辣な正論ばかりを投げつけていたあの時とは打って変わって、声はバルエリスのここまでの努力を認める。……その瞬間、バルエリスの頬がどういうわけかふっと緩んだ。

「……そうですわね。上積みが起きたんじゃなくて、もともとマイナスだったのがゼロに戻っただけですわ」

 不条理な奇跡とか、決してそんなものではない。かつて父親に預けていたものが、今ここでバルエリスの手元に戻ってきただけのことだ。……そして、預けていた間にもバルエリスはたゆまぬ研鑽を積み重ねている。それをきっと、魔剣も知ってくれている。

「……わたくし、アグニを倒せますわよね?」

――知らん。私はただ、お前に騎士としての在り方を貫き通せるだけの力を返しただけだ。

 最後の一押しが欲しくて魔剣に問いかけてみるが、返ってくるのはそっけない答えだ。……だけど、それでも声援としては十分すぎる。一秒でも長く騎士としての在り方を示せるだけの力があるならば、それでもう十分すぎた。

 そんなやり取りをしている間に、アグニは光の衝撃から少しずつ立ち直りつつある。……まだ聞きたいことはたくさんあるけれど、戦場はそれだけの時間を許してくれそうもなかった。

「……それじゃあ、行ってきますわね。わたくしの生きざま、一番近くで見ていてくださいまし」

――ああ、言われずとも分かっている。お前が私を扱うに足るか否か、今一度見定めさせてもらうとするよ。

 バルエリスの言葉にそう答えたのを最後に、声の気配はふっと遠ざかる。……そして戦場には、向かい合うバルエリスとアグニだけが残された。

「……ったく、とんだ食わせ物だな。あの死にかけもまさかフェイクか?」

 二本の魔道具を構えながら、アグニは賞賛とも憤りとも取れないような声を上げる。……それを目の当たりにして、バルエリスはふっと笑みを浮かべた。

「いえ、そんなことはありませんわよ。……ただ、わたくしを認めてくれていた方と言葉を交わす機会があったというだけの話ですわ」

 心なしかきらめきを増したように思える魔剣を手にして、バルエリスも構えを取る。……もう何度繰り返したかも分からないぐらいに体に染みつき切った構えが、今はとても特別に感じられた。

「へえ、そいつはおめでたい。……それが、死に際に見た都合のいい幻でなきゃな?」

 一本を盾に、もう一本を魔剣へと変じさせて、アグニは徹底的にやりあう姿勢だ。……それを見てもなお『受けて立つ』と思えるだけの余裕があるのは、魔剣が背中を押してくれたからだろうか。

――バルエリスが周囲に夢を語るとき、欲しかったのは制止でも説得でも静観でもない。……ただ、背中を押してほしかっただけなのだ。『その思いは間違ってない』と、『その努力はきっと報われる』と。……たとえそれが嘘でも幻でも正しくなんかなくても、ただぐっと力強く押してほしかった。

 その願いは今、最高の形で果たされている。……怖いものなんて、何もあるものか。

「まあいいや、ここでお前とやりあえたのは俺にとってもラッキーだったよ。……ありがとうな、バルエリス・アルフォリア」

「……いいえ、違いますわ」

 その自信と充足感が、アグニの言葉に対して首を横に振らせる。……それと同時に、バルエリスの左手が眼の近くに伸ばされた。

――バルエリス・アルフォリアという名前は、この場所にたどり着くために借りた偽りの名だ。だから当然社交界に姿を現すのは初めてだし、間違いなく無名でぽっと出の存在だ。……逆に言えば、そうでもしなければこの場所に自然と潜り込むのは不可能だったわけで。

 自分の名前が、それに付随する肩書が嫌いだったというのも、まあ理由の一つとしては否定できない。だが、今となってはもう違う。今この場所でならば、どんな二つ名だって堂々と名乗ることが出来る――

「わたくしの名前は、アネット・レーヴァテイン。王国の財政を支えているレーヴァテイン家に生まれながら騎士の道を志した大馬鹿者、『箱入り姫騎士』とはわたくしの事ですわ」

――よく覚えておいてくださいまし、アグニ様?

 かつて蔑称としてつけられた異名を堂々と名乗って、バルエリス――いや、アネット・レーヴァテインは笑みを浮かべる。……正体を悟られないようにするために着けていた魔道具を外したその瞳は、美しい黄金色に輝いていた。
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