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第四章『因縁、交錯して』

第三百四話『理想はやがて今』

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「……くそ、どこまでも泥臭え……‼」

 暴風に身体を振り回されながらも、アグニは体勢を少しずつ整えて綺麗に足から地面に着地することに成功する。決着を引き延ばすことには成功したが、やはり大したダメージを与えるまでには至らなかったようだ。

 しかし、上体をわずかに起こしてそれを確認したバルエリスは小さく笑む。……たとえそれが小さな抵抗だったとしても、あの瞬間だけはバルエリスの意地がアグニを上回っていたのは間違いない事実だった。

 そう認識するだけで、少しだけ身体が楽になるような気がする。もしかしたら本当は痛みを感じる機能が死に始めているだけなのかもしれないけれど、そこには確かな達成感があった。

(……見せつけて、やれましたわね)

 たとえ体がロクに動かなくなろうとも、命ある限りは抗い続ける。……あの日見た理想の騎士は、守るべき存在を背にして決して負けを認めることはないのだ。たとえ力及ばず死ぬことになろうとも、白旗なんて絶対に振ってやるものか。

 回復したかそれとも悪化か、動かないと思っていた体の自由が少しだけ効くようになってくる。体の中を何かが巡っていくような感覚が、痛みに混じってやけに明確に感じ取れた。

 その正体が何であれ、体が動くに越したことはない。……少しずつ時間をかけてどうにか上半身を起こしきると、アグニが驚きを隠しきれないような様子でゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

「……驚いたな。もう戦いは終わってるはずだろ?」

 その両手には二本の魔道具が握られており、意表を突かれたことへの反省がひしひしと感じられる。たとえバルエリスがもう一度暴風を拭かせたところで、盾のような形態をとっている魔道具に受け止められるのが関の山だろう。……意表をついてしまった以上、二度目の抵抗は許されないようだ。

 今度こそ一片の油断もないアグニの様子を見やって、バルエリスはふっと表情をほころばせる。……そして、アグニの問いかけに対して堂々と首を横に振った。

「いいえ、戦いはまだ終わっていませんわ。目の前に倒すべき敵がいて、背後には守らなくてはならない方々がいる。……その場に騎士がいる以上、身体がどうであろうとやるべきことなんて分かりきった話ですもの」

 騎士の本質は剣術などの身体的能力ではなく、騎士として在ろうとする心持ちに宿るものだ。少なくとも、バルエリスはそう信じている。……理想の騎士が語っていた騎士の在り方を、信じている。

「この命が燃え尽きていない限り、騎士は守るべき存在のために抗い続ける。わたくしは、最期まで騎士としての務めを果たすまでですわ」

 その先に死があるならば、バルエリスはそれを受け入れるだろう。……騎士としての在り方を裏切ることの方が、騎士の心得を全うして死んでいくよりもよっぽど恐ろしくて仕方がない。

 おかしなことだと笑わば笑え、それでもバルエリスはその生き方を貫き通す。覚悟を決めるとは優先順位をつけることだと、バルエリスは尊敬すべき仲間にそう教わったのだから。

「守るべき存在……ねえ。おっさんには、こんな奴らに守る価値なんてあるとは思えねえが」

 バルエリスの言葉に眉をピクリと動かして、アグニは独り言とも反論ともつかない言葉を呟く。剣の切っ先は未だにバルエリスへと向けられていたが、不思議と殺意は薄まっているような気がした。

 それと入れ替わるように、アグニの顔には別の感情が浮かび上がっている。……普段飄々と笑っているアグニと同一人物だとは思えないぐらい、深刻な表情だった。

「血筋とか家柄とかそういう生まれつきのものに囚われて、何もしなくても与えられる立場に胡坐をかいて。……そのくせ、そういう奴らが背負わなくちゃいけねえ義務って奴を果たす気概がある奴なんて少ししかいねえ。……少なくとも、俺が知る貴族ってのはそういうもんだ」

 バルエリスの答えを待たずに、アグニは淡々と呟き続ける。意図的に何かを押し殺しているかのような口調は、かえってその考えが表面的なものでないことを強調していた。

 アグニの言いたいことは、バルエリスにだってわからないではない。貴族の中でもこの国を支えるために力を尽くしている家も多く存在するが、アグニの言うような汚い貴族だってそれと同じか多いぐらいに存在してしまっている。……加えて言うのであれば、国のために動く貴族の家同士にだって蹴落とし合いや権力闘争は存在するわけで。

「そんで今日もお貴族様はこんなところに集まって、庶民の事なんざ考えずにワイワイガヤガヤ騒いでやがる。……そんな放蕩野郎どもを守って、お前に何か価値があるってのかよ?」

 遠巻きに戦いを見守ることしかできない参加者たちを一瞥して、アグニは再度バルエリスに問いかける。少し近づいた切っ先が、『くだらない答えだったら殺す』という無言のメッセージを伝えてきていた。

――まあ、たとえ答えが腑に落ちる者であったとしてもアグニが見逃してくれるわけでもないだろうが。……どちらにしても終わりがすぐ近くにあるのならば、わざわざ誤魔化す必要もなさそうだ。

「……あなたの意見はもっともですわ。わたくしだってここにいる方々の全てを知っているわけではありませんが、決して善とは言い切れない性質を持っているのは確かですし。……正直に言ってしまえば、嫌いな方だってたくさんいますわよ」

 手元の魔剣を握り締めながら、バルエリスはアグニをまっすぐに見つめ返す。握り慣れた柄の感触が、バルエリスの気分を落ち着けてくれていた。

「誰が誰に取り入るとか、あの人とあの人は裏で繋がってるとか。権力を持ってるから近づいてその威光を貸してもらおうとか、逆にアイツにはそれを利用してほしくないから何とか遠ざけようとか。……ほんと、打算でしか動けない人間ってのは好きになれませんわ」

 それは、今まで嫌というほどに見てきた貴族の姿だ。人と人との繋がりに打算的な価値しか見出さず、情を無用なものとして切り捨てる。……そんな光景を十数年も目の当たりにしてきた結果、バルエリスは社交界というものが大嫌いになった。

 それは今も変わらないし、きっとこの先も変わらない。……バルエリスが社交界を好きになる日なんて、きっと一生来ないのだろう。

「……それなら、なんでお前はこいつらを守ろうとするんだ。嫌いとまで言い切れる人間まで守ろうとして、命を張って。死にかけてんだぞ、お前は」

 バルエリスの紡ぐ言葉に、アグニは訳が分からないというような様子でさらに問いを重ねる。感情をむき出しにしたその様子を見て、バルエリスの頬はふっとほころんだ。

――ああ、確かに理解できないだろう。バルエリスの行動は矛盾しきっているし、『いなくなった方がマシなんじゃないか』って思えるような悪人もこの会場にはいる。パーティも好きじゃないし、参加直前で中止になったとか言われようものなら小躍りするレベルだ。

 だけど、それでもバルエリスはアグニの前に立ちふさがらなくてはいけない。きっと何度この日を繰り返すことになろうとも、その行動に迷いはない。何度も立ちはだかって、何度だってこうして語ってやろう。


「――だって、わたくしは『騎士』なんですもの」


――自分を定義する絶対に揺らがない理想を――いや、『信念』を。

「どれだけ汚く腐っていようとも、ここにいる方々は王国の人間ですわ。そしてその命が今、襲撃者であるあなたによって脅かされようとしている。……ならば、騎士であるわたくしに見捨てるなんて選択肢があるはずがありません」

「……たとえ、死ぬことになってもかよ」

「愚問ですわね。……わたくし、ここまで何度も言ったと思うのですが――」

 理解できないという顔で呆然と問い掛けるアグニに、バルエリスは満面の笑みを浮かべて返す。……不思議と、さっきまであった苦痛が遠ざかっていくような気がする。さっき感じた温かい感覚が、今ここに来てさらに強くなっているのが分かる。……それは、どことなく懐かしい気配を含んでいるように思えて――

「理想の道半ばで死ぬことよりも、ずっと追いかけてきたそれに背を向ける方がよっぽど恐ろしいんですのよ」

――ふつり、と。

 改めてアグニにそう宣言したと同時、バルエリスの中で何かがほどけるような感覚がある。……それとほぼ同時、握りしめていた魔剣が突如まばゆく発光した。

「……っづ、あ……⁉」

 突然の閃光に目を焼かれ、アグニは思わず大きくのけぞる。……不思議なことに、その様子がバルエリスにはよく見えていた。

 直視し続ければ目が潰れてもおかしくないぐらいの光量なのに、その中で目を開け続けていることに何の抵抗も感じない。……むしろ、この光は温かくて心地がいいものだ。あれだけ傷を負って動かなくなっていた体が、なぜだか妙に軽く感じる。

 もしや死んでしまったのかと自分の胸に手を当てるが、心臓は今も強く鼓動を刻んでいる。つまり、まだ騎士としての戦いは終わっていないという事だ。

 まだ足掻けるというのはとても喜ばしいが、しかしこの状況は謎であると言うほかに言いようがない。少なくとも、バルエリスにとって不都合なものでないことだけは確かなのだろうが――

――どうやら、時は満ちたようだな。

「……なん、ですの?」

 状況が呑み込めないままぼんやりと考えていたバルエリスの脳内に、突如声が響き渡る。――どういうわけか、それは少し前に降参を勧めた謎の声と同じ声色をしていた。
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