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第四章『因縁、交錯して』

第二百九十九話『未だ残る主題』

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「……派手にかましてやったわね、マルク」

「ああ、大満足だ。間違いなくお前たち二人のおかげだよ」

 少し遅れて戻ってきた俺を、ツバキとリリスが笑顔で出迎える。クラウスとの戦闘のダメージがないとはまだ言い切れないが、少なくとも致命的な傷を負っているわけではなさそうだった。

「それにしても、三十億ルネか。クラウスがもし払ってくれたらボクたちの人生はずっと安泰だったわけだけど、人生そう都合よくは行ってくれないみたいだね」

「ま、絶対に払えない額を選んで吹っ掛けてたしな。これで払うって言われた時の方が俺はどうしようもなかったよ」

 冗談めかして残念がるツバキに、俺も苦笑を返す。三十億ルネとは我ながら子供じみた桁の条件を提示したものだと思うが、アレが今の俺に思いつく最大限の意趣返しだった。

『金の無駄』だと切り捨てた存在を止め置いておくことが、結局自分の身と財布を守るための最適解だった。……自分の強さ以外の全てを見下すクラウスからしたら、あれ以上の屈辱もなかなかないだろう。

「……というか、リリスもよくクラウスに限界が来てるって気づいたよな。手入れが出来なくなって負担がかかりまくってるってのは俺も想像してたところではあるけど、ああもタイミングよく限界が来るとは思わなかったよ」

 クラウスを欺き切ったあの時の姿を思い出し、俺はふとリリスに問いかける。何らかの策があって挑発と逃げに徹しているのは遠目から見ていても想像がついたが、それをさておいても肝が冷える戦いだった。クラウスの炎は、間違いなく今までで一番リリスを追い込んでいたしな。

 ちょっとでもクラウスの限界が遅く訪れていれば、リリスが今ここに立っている未来はなかったかもしれない。……もしそうなっていたら、あんな皮肉を吐く暇なんてなくクラウスを殺していても何もおかしくなかった。

「……ああ、正直あれはギャンブルよ。クラウスの方から感じる魔力の感覚がだんだんと衰えて行ってるような気がしたから、もう魔術神経に限界が来てるんじゃないかと思って。……その状態で強引に魔力を引き出すような真似をしたら魔術神経が耐えられないのは、私たちにとって当たり前の話でしょ?」

「ああ、この数か月で学んだ知識だね。……そういう意味では、マルクが暮れた知識が導いてくれた勝利だとも言えるわけだ」

 肩を竦めながらも誇らしげに語るリリスの頭を撫でながら、ツバキは俺の方を見つめる。知識があっても力がなければこの勝ちにはたどり着けていないのに、それを誇示するつもりは微塵もないらしかった。

「……お前たち二人に並ぶのも恥ずかしいけど、お前たちがそう言ってくれるならありがたく頂いとくよ。クラウスを最高の形でぶっ倒せたのは、俺たち三人が揃ってたからだ」

 小さく首を縦に振りながら、俺は改めてここまでの戦いをそう振り返る。……その勝利宣言を聞く二人の表情には、朗らかな笑顔が浮かんでいた。

「……そういえば、クラウスはここに放置しておくかい? リリスが行ってたみたいにここは魔物も少ないし、よっぽどのことがないと死にはしないと思うけどさ」

 三人して勝利の雰囲気にひとしきり酔いしれた後、ツバキが真剣な声色で俺にそう確認してくる。今後の後腐れを考えておくとここで殺しておくのも一つの選択肢ではあるのかもしれないが、それに対して俺は首を縦に振った。

「ああ、俺はクラウスを殺さないよ。……冒険者としての素養をほぼ全部取り落としたクラウスがここからどう生きるのか、少しだけ興味がある」

『金の無駄だ』と言い切られたあの日、クラウスは俺を殺すようなことをしなかった。それぐらいの事ならばもみ消せるだけの力を持っているのにそうしなかったのには、きっとクラウスなりの理由があるのだろう。

 それを『優しさ』なんて甘いラベルで見てやるつもりはないし、この先どんな行動を起こしてきたところでクラウスを許すなんてことは絶対にないんだけどな。……ただ、俺はクラウスにやられたのと同じことをやるだけだ。

「野垂れ死にするんならそれでもいいし、何とか這い上がろうとしてくるならそれも一興だろ。……これだけやられてもまだ俺たちに復讐しようなんて気を起こせるなら、そんなことを思えなくなるまで叩き折り続ければいいだけだからな」

「ええ、それができるだけの力はあるものね。私たちが私達である以上、クラウス・アブソートに負ける道理なんて有り得ないわ」

 俺の言葉に続いて、リリスが獰猛な笑みを浮かべてそう口にする。メリアとクラウスという間違いない強者との二連戦が、リリスの自信をさらに深めることに繋がっているようだった。

「……だけど、アイツが残してった置き土産がとてつもなく厄介ね。ここまでやってまだ本番はこれからだなんて、正直言えば考えたくないぐらいにキツい話だわ」

 しかしその自信は慢心にならないままに引っ込んでいって、その視線が遠くに見える古城へと向けられる。バルエリスだけが先に向かったパーティ会場は、遠目から見ればいつも通りの厳かな雰囲気を纏っていた。

 だが、何も起こっていないなんてことはありえないだろう。……そうじゃなければ、クラウスたちを足止めの駒として使いつぶしたアグニの行動が不可解なものになってしまうからな。

「ああ、とても面倒な話だね。計画性とかまで加味すれば、『双頭の獅子』よりはるかに厄介な組織なのは間違いないし」

 三人揃って城の方を見つめながら、ツバキは小さくため息を吐く。その中でいったいどんな変化が起こっているのか、それを解き明かすには乗り込む以外の選択肢はなさそうだった。

「ここに来て降りるとか、クラウスたちから逃げるよりもありえない話だしな」

「ええ、そうね。……なんせ、バルエリスに信じられちゃったもの」

 別れ際にバルエリスが告げた言葉を反芻しながら、リリスは困ったように苦笑する。バルエリスから向けられた信頼を裏切るなんてことをいまさら選べるほど、俺たちは薄情にはなれなかった。

『夜明けの灯』としては『双頭の獅子』を壊滅させた時点でハッピーエンドだが、バルエリスと契約を交わした護衛としてはまだ何も解決はしていないのだ。……もしまだ城の中でバルエリスが奮闘しているのなら、その頑張りに全力で応じなければ失礼だろう。

 アイコンタクトでそれぞれの結論が一致していることを改めて確認して、俺たちは次の目標を古城へと設定する。リリスたちの修復も行いつつできるだけ早く到着しなければと考えて居るその最中、ツバキは唐突に屈みこんだ。

「よ……っ、と」

 そのまま魔力切れで眠っているメリアの身体を抱え上げて、そのままおんぶのような形で背負う。メリアがすうすうと息を立てているのもあって、その様子は遊び疲れた弟の面倒を見る姉そのものだった。

「……ツバキ、メリアも連れて行くの?」

 しかし、今から向かうのは家ではなく古城だ。熾烈な戦いが予想される中に連れて行くのは、メリアのみならずツバキの安全にもかかわる問題のように思えたが――

「うん、ボクが責任を持って連れて行くよ。……『生きていてほしい』って我儘を通したボクが、メリアの事をここで放っておくわけにはいかないからね」

 姿勢を安定させながらも、ツバキはメリアともに行く準備を完璧に整える。……そこまで見せられてしまえば、俺たちも止めることはできなかった。

 大一番級とも言ってもいい戦いを二つ切り抜けて、俺たちは古城へと足を進めていく。またしても魔術神経を酷使した仲間たちの手を取ることで、ゆっくりと丁寧に修復を施しながら。

 魔物がいないという事とそれほど遠いという距離ではない事もあいまって、道中は平穏そのものだ。クラウスすら作戦の中に取り込んで見せたアグニも、この足止めが突破されるところまでは想定していなかったらしい。

 リリスとツバキ二人の修復が終わったこともあって風魔術も起動され、俺たちは軽やかに古城に向かって歩みを進めていく。……それが唐突に止まったのは、古城がずいぶん大きく見えるようになってからの事だった。

「……どういう、事なの?」

 リリスが起こしていた風が止み、それと同時にリリスが怪訝な声を上げる。今日だけで何回か聞いてきたその声は、リリスの予想を超えたことが起こっているという証左でもあった。

 だがしかし、それを感じ取ったリリスが俺たちを守るような行動を起こす気配はない。ただ足を止め、うんうんと首を捻っている。……その疑問の矛先がどこに向いているかと聞かれたら、その答えは一つしかありえないわけで。

「……古城で、何か起こってんのか?」

 俺が小声で問いかけると、リリスは古城の方に視線を向けたまま静かに首を縦に振る。……やはり、リリスの感覚が俺たちには見えないものを捉えていたらしい。

 そのまましばらく待っていると、何かを掴んだらしきリリスがくるりと俺たちの方を向き直る。その表情には真剣な光が宿っていて、俺の背筋が思わず伸びた。

「……ここまで近づいて、ようやく古城の中の様子を魔力の気配で探れるようになってね。おおむね予想通りではあるけど、アグニのものと思しき魔力の反応があったわ」

「……っ」

 アグニという名前が聞こえた瞬間、ツバキが微かに息を呑む。俺はまだ一度しか顔を見ていないが、ツバキとリリスは実際にやりあっているのだ。……それを経た上でツバキにこれほどの警戒心を起こさせるんだから、やはりその実力は折り紙付きと言っていいのだろう。

「ま、上手いこと時間稼ぎに乗せられた形ね。それに関してはしてやられた形だしその間に目的を達成されていても何もおかしくはなかったんだけど、あっちもあっちで予想外の事態が起きてるみたい」

 だがしかし、その口ぶりを思うにリリスが疑問を示したところはそこではないらしい。アグニが攻めてくるのはいっそ想定通りで、むしろ俺たちが到着するまでにそれが完遂されなかったことに疑問を抱いているようだった。

 その事情は今でもつかみ切れていないのか、一呼吸区切りを入れながらもリリスは首を傾げ続けている。……しかし、やがて思い切ったようにリリスは二本の指をこちらに立ててみせて――

「――アグニと同じかそれ以上に大きな規模の魔力の気配が、どうも古城の中にもう一つあるみたいなのよね。……おまけに、どう見てもアグニに対抗してるような感じで」

「……ん? それって、つまり……」

 リリスから提示された妙な事態に、俺は思わず間の抜けた声を上げる。……今までの誤算は全部俺たちにとって不利な形のものだったが、いま語られたそれは毛色が違う。リリスの感覚が捉えた異常は、どう考えても俺たちにとっての追い風とも思えるようなもので。

「……ええ、マルクが考えた通りだと思うわ。ここまでアグニには散々振り回され続けたけど、ようやく万全の態勢で反撃することが出来るチャンスが来たみたい」

――そうと分かれば、落ち着いてなんかいられないわよね?

 笑みを浮かべながらツバキと俺に視線を投げて、リリスはどこか弾んだ声を上げる。……あれだけの勝利をつかんでもなお、戦いの舞台はまだ俺たちを心待ちにしているようだった。
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