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第四章『因縁、交錯して』

第二百九十四話『強さに真摯であれ』

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(……また、あの感覚)

 不敵に笑むクラウスの姿を見つめて、リリスは内心で首をかしげる。……時折暴走しているかのように膨れ上がる魔力の気配が何を根源とするものなのか、魔術に長けたリリスの知識をもってしてもまだ突き止めることができていなかった。

 前に戦闘した時も、リリスの全力攻撃が追い込まれていたクラウスになぜか防がれたという一幕があった。限界を迎えて動けなくなる前に影の刃を仕込んでいたからあの時はどうにかなったが、あの防御は戦況を覆すには十分すぎるものだ。……そしてそれは、今この時にも言えることで。

「……せっかく会えたんだ、できる限り長い時間楽しもうぜ?」

 淡い光を揺らめかせて、クラウスは挑発的にくいくいと剣を揺らす。……その光の存在にクラウスは気づいているのか、それとも無意識のうちに使っているのか。その答えがどちらであるにしても、算段を唐突に狂わせて来る魔力の増幅が面倒なものであることに変わりはなかった。

「お断りさせてもらうわ。あなたと戦うのなんて私たちからしたらただの時間の無駄でしかないもの」

 戦闘をないがしろにして逃げないだけ感謝してほしいぐらいだが、傲慢なクラウスにそんなことを言っても無駄になるだけだろう。……どのみち戦うしかないのなら、一秒でも早く仕留めにかかるに越したことなんてない。

「……風よ、吹き荒れろ‼」

 普段よりも風魔術を前面に押し出して、リリスは一迅の風と共にクラウスへと肉薄する。あくま前のめりなそのスタイルが気に入ったのか、クラウスは頬を愉悦に吊り上げた。

「魔剣よ、俺の威光を示せ‼」

 地面に剣を突き立てて、クラウスは堂々と吠える。……その詠唱が完了すると同時、加速していたリリスの体は見えない何かに衝突したかのようにはじき返された。

「ぐ……っ⁉」

 突然遠ざかっていくクラウスの姿に状況が呑み込み切れず、リリスの思考に一秒以下の空白が生まれる。……それは、今日初めてリリスが明確にさらした隙だと言ってよかった。

 日常生活ならばとるに足らない時間だが、そんな僅かな間隙が殺し合いの場では致命的だ。……そのことを、クラウスもリリスも痛いぐらいに理解していて。

「地の果てまで、吹っ飛びやがれ‼」

「こおり、よッ‼」

 クラウスが剣を振るいだしてからワンテンポ遅れて氷の盾を作り出すが、急ごしらえ故に不完全なそれはクラウスの猛威を防ぎきれない。……ついさっき突進をはじき返されたのと似たような衝撃が鳩尾に走って、リリスは大きく後ろに吹き飛ばされた。

「が、う……っ」

 剣というよりは鈍器で殴られたような痛みが全身を駆け巡って、リリスの意識が一瞬だけ途切れる。受けたのがリリスであったからこそ一瞬のブラックアウトで済んでいたが、並の冒険者が食らっていればそれだけで勝負は決していただろう。

「……ま、だあッ‼」

 痛みにこらえながら水の球体を背後に作り出して、どこまでも吹き飛んでいくリリスの体をどうにか受け止める。その衝撃で派手な水しぶきが舞って、雲一つない晴れた草原に小さな虹がかかった。

 完全に速度を殺しきったことを確認して、リリスは水の球体を消し去る。そしてどうにか着地に成功したのもつかの間、目の前からクラウスが追撃に走ってくるのがその視界に映った。

「……どこまでも、執拗ね……‼」

「当然だ、殺さねえとここまで追ってきた旨味がねえだろうが!」

 悪態に笑顔で返して、クラウスは魔剣を再び振りかぶる。リリスを吹き飛ばしたその一撃は、剣の大きさ以上のリーチを誇る面妖な攻撃だ。……だが、二度も食らえばその正体にも薄々察しが付くというもので。

「……吹き上げなさい!」

 後退による回避の選択肢をすぐさま放棄して、リリスは地面を強く踏みつける。リリス流の詠唱に応えて生まれた生まれた上昇気流がリリスの体を空中へと誘い、その足元を濃密な魔力の気配が通り抜けた。

 リリスの突進を阻み、そしてその鳩尾を撃ち抜いたのは、今足元を通り抜けて吹き上げる風を乱した目に見えない魔力の塊だろう。『プナークの揺り籠』で戦闘した時に使われていたのは結界魔術で、本来ならば攻撃を防ぐ用途のそれを剣先に纏わせて振るうことで攻撃に転用していると言ったところか。

 タネが割れれば単純な話だが、単純だからこそ厄介だ。魔術を押し返すことに長けた特性を持つ結界に対して、魔術による防御はとてつもなく効果が薄いのだから。

 だが、それが言葉で言うほど簡単な術式でないのもまた確かだ。事実それは前のクラウスが見せなかった手札の一つであり、事前に想定することが難しいものでもある。少なくとも、何の修練も積まずにいきなり成功させられるような芸当ではなかった。

「……あなたも、ただ無駄に時間を過ごしているわけじゃなかったってことかしら」

 空中に漂う時間を生かして腹部の傷を治療しながら、リリスはクラウスに称賛じみた言葉を贈る。……クラウスはどの側面を切り取っても傲慢極まりないが、強さと向き合っている時だけは例外であるように思えてならなかった。

 それはきっとクラウスのこだわりでもあり、自分から切り離せないところなのだろう。……強さと向き合う時の誠実さをもう少し人間関係でも活かせていたらと、そんな益体もない考えが脳裏をよぎる。

 クラウスの性根が変わることはきっとないし、それでいいのだ。……クラウスが人に対して誠実でいられるような人格者だったのなら、リリスの生涯はあの奴隷市場で失意とともに終わっていたのだから。

「ったりめーだろうが。物心ついてから今まで、研鑽を欠かしたつもりはねえよ」

 そんな考えを裏付けるかのように、クラウスは僅かに笑いながら答える。強さと向き合い続けるその姿は、クラウスの中で唯一揺らがない芯であるように思えた。

 メリアが『姉を守ること』を芯に据えていたように、リリスが『ツバキとマルクを守ること』を優先順位の最上に置いているように、クラウスは『自らの最強を証明し続けること』を存在意義の中心に置いている。……それがどんな意味を持つのか、リリスにはとんと見当がつかないけれど。

「そう。……あなたの人格は微塵も尊敬できないけれど、強さに対する真摯さだけは尊敬するわ」

 それを理解する必要もないと割り切って、リリスは氷の槍を装填する。……何のためでもない純粋な強さと向き合ってきたクラウスと向き合うからこそ、リリスも出し惜しみはできなかった。

「ツバキ、影を私に貸して頂戴。……今の私の全力で、クラウス・アブソートを叩き潰すから」

 少し離れたところに立つツバキに向かってそう要請すると同時、リリスは氷の槍を雨のようにクラウスへと降らせる。他の相手にならば致命打になるであろうその攻撃は、今この瞬間において時間稼ぎでしかなかった。

 とても乱雑に、しかし広範囲に降り注ぐ氷の槍たちに、クラウスも流石に防御に転じる。……その受け身な姿勢は、どこかリリスの準備が整うのを待っているようにも思えた。

「……大丈夫なんだね、リリス?」

「当然よ。ちゃちゃっと倒して帰ってくるわ」

 念を押すかのように一度だけ飛んできた問いに即答すると、ツバキから伸ばされた影がするりとリリスの体内に入り込んでいく。淡い熱を持ったそれはすぐさま体になじんで、まるで最初からそこにあったかのような自然さをリリスは覚えた。

 今まで何度となく窮地を切り抜けてきた、リリスとツバキにとっての切り札。……だけど、双子の物語を両方の視点から知ってしまった今ではその意味がより重くのしかかってくる。……影をどんな用途にも使うことができ、その運用に足るだけの魔力量も持った今のツバキは、影の里が実現しえなかった『影の巫女』の在り方そのものなのだから。

 だからこそ、この状態で負けるわけにはいかない。……一度知ってしまった思いをないがしろにできるほど、リリスの心は凍り付いてはいなかった。

「……おお、やっとその姿のお出ましか。今度は両手を塞ぐものもねえよな?」

「ええ、当然よ。……だから、あの時よりも勝負は一瞬になるでしょうね」

 万全のリリスを歓迎するかのように笑うクラウスに、リリスは皮肉をたっぷりと込めた言葉で応じる。時折ツバキがそうするように、リリスは指先から真っ黒な影を揺らめかせていた。

「いやいや、きっとおもしれえ事になるさ。それを一瞬で終わらせるとか、そんな野暮なことはしねえよな?」

 しかし、クラウスは動じる様子も見せずに魔剣をゆっくりと構える。……相変わらず笑っているその表情からは一切の緊張が感じられなくて、リリスは思わず少し気圧された。

 やはりクラウスは、命の取り合いをこそ楽しんでいるのだ。お互いに限界まで削りあって、その上で自らの強さを証明することを何よりの喜びとしている。……よほどのことがないと必死にならないのは、常に戦いというものを楽しんでいるからなのだろう。

 その全部を理解できないと断じることはできないが、しかしリリスはそれに笑みを返さない。……その代わり、ゆるゆると首を横に振りながらリリスは無数の影の刃を生み出した。

「生憎だけど、一秒でも早く終わらせるわ。ここがゴールなあなたと違って、私達にはまだやらなくちゃいけないことがありすぎるのよ」

 全身から殺意を立ち上らせて、リリスは背から伸びる影の刃を一斉にクラウスへと差し向ける。……その一つ一つが致命打となりうる猛攻に相対し、しかしクラウスは一層楽しそうな笑みを浮かべて――

「いいや、それは少し思い上がりすぎだな。――てめえらも、俺の踏み台に過ぎねえよ‼」

 喜悦の声とともに魔剣は青い炎を纏い、煌々と輝きを放ちながら影の猛威を受け止める。……それはまるで、この死闘の第二幕が始まったことを知らせるかのようだった。
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