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第四章『因縁、交錯して』

第二百九十三話『背負うもの違いの似た者同士』

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 耳元で爆ぜる爆音に鼓膜が殴られ、炎魔術によって巻き上げられた爆風が視界を時折奪う。ツバキの支援が迅速に完了していることに、リリスは感謝せずにはいられなかった。

 前に『プナークの揺り籠』で戦闘した時は炎魔術なんか使う素振りもなかったのに、最初から裏をかかれた形だ。……いまいち正体を掴み切れなかったあの魔術は、魔剣に由来するものであると考えればいいのだろうか。

「お……らああッ‼」

 色々と気になるところではあるが、それを悠長に考えて居られるような状況ではない。クラウスが誇る『王都最強』としての実力は、決して楽観してはいけないものだった。

 炎を纏った魔剣を氷の剣で受け流し、リリスはまた一歩後退する。本来ならすぐに氷の剣が溶かされてしまう所だが、影の防護があることでかろうじて打ち合うという選択肢を選ぶことができていた。

 クラウスの強さの根幹にあるのは、リリスとよく似た力押しだ。非常に癪な話としか言いようがないが、最大火力という観点で見てもクラウスとリリスの間に大きな開きはないだろう。……どれだけ態度が傲慢で横柄なものであったとて、その振る舞いを周囲が咎められないぐらいの実力は確かにその手の中にあるのだ。

 だからこそ、この戦いにおいては先に一発を叩きこんだ方がはるかに優位に立つことができる。……剣舞の幕が上がってから数度の衝突を経てもなお、切り結ぶ二人は主導権を取り合っていた。

 それを手放すことがどれだけ重大なアドバンテージになるか、二人とも痛いほどに理解できている。……戦闘の流れに対する嗅覚という点でも、二人の資質は伯仲していると言えた。

「……だけど、だらだらしてるわけにもいかないのよね……‼」

 バックステップを踏んで体制を整えたのち、リリスはその足を媒介にして氷魔術を展開する。戦闘スタイルも資質もよく似た二人ではあったが、それぞれが戦いを通して背負っているものには大きすぎる違いがあった。

 悪い冗談のような話ではあるが、ここでクラウスを倒したところでリリスたちの作戦が終わるわけではない。むしろ突破してからが本番なわけで、クラウスはアグニが差し向けた足止め要因ぐらいの者だろう。そこで殺してくれるならラッキー、そうじゃなくても時間を稼いでくれるなら十全――それぐらいの認識で、アグニはクラウスたちを利用しているはずだ。

――そもそも、クラウスはアグニの目論見をどれだけ知っているのだろう。常に尊大な振る舞いを続けるクラウスたちが誰かの頼みを素直に聞き入れるなど、それなりの理由がなければありえないはずだ。

 謎だらけだったとはいえ最初は単純な依頼のはずだったのに、気が付けばいろんなものが絡みつきすぎている。ツバキやマルクほど頭が回らないという自覚があるリリスですらそうなのだから、二人の眼にはもっとたくさんのものが見えているのだろう。……バラックの街と古城に集ったいろんな思惑を全て解いていった先には、一体どんな全貌が見えてくるのだろうか。

「……風よ」

 それを知るためにも、リリスはこの死線を潜り抜けなければならないだろう。……そう確信して、リリスは足元に小さな風の渦を作り出した。

 瞬間、体全体が妙に軋むような嫌な感覚が走る。理由は明白、マルクの修復を満足に受けられなかったからだ。……ツバキから影を借り受けたことによる負担は、まだ消えずにこの体に残っている。

 だが、それに泣き言をいうのは全部後回しだ。……マルクのところに帰り着ければ、リリスの苦しみはいくらでも緩和できる。そんなことを本人の前で言ったら、きっと怒られてしまうのだろうけど――

「――私の背中を押しなさい‼」

 胸の中に芽生えた申し訳なさを一旦隅に押し込めて、リリスは足元の風を解き放つ。リリスの背を押す烈風が草原に吹き荒れて、地面に燃え移っていた青い炎をかき消した。

 リリスにとっての風魔術は、常人が到達できる速度の限界を突破するためのものだ。ツバキの影による筋力支援とも相まって、身軽になった体はどこまでも走っていけそうな錯覚をリリスに与えてくれる。……それが導くままに、リリスは剣を構え直しているクラウスの懐へ潜り込んだ。

 しかしそこからの追撃が簡単に通るわけもなく、とっさに挟まれた魔剣によって攻撃は阻まれる。……だが、走り出す前からそこまでは予想できたことだ。

「……風よ」

 反撃の暇を与えないように全力で魔剣を押し込みながら、リリスは口元で小さく詠唱する。炎によって熱された空気が口に入って喉を焼いたけれど、それぐらいなら治療してしまえばいいことだった。

――リリスが想像していた以上に、魔術というのは自由で柔軟なものだ。『こうありたい』という術者の思いに魔力が追いつきさえすれば、その願いを現実にするための魔術は生まれてくる。……暴走したメリアの影が無数に武装を作り出していたのは、きっとそれの典型例だと言えるだろう。

 護衛でいた間にも強敵と立ち会う機会はあったが、それと比較してもクラウス・アブソートという人間は強敵だ。……普通の冒険者がそうそう身にまとう事のない濃密な『死』の雰囲気と、クラウスは常にともにある。

 死線をくぐればくぐるほど、人との戦い方というのは洗練されていくものだ。自分の身を守るための剣は外敵を打ち倒すための剣へと変わり、最終的には命を奪うための剣へと変わる。……リリスもそれと相対するクラウスも、死線をくぐった者がたどり着く果てのようなその領域へとすでに行きついてしまっていた。

 結果だけ見れば冒険者になってからは誰もこの手にかけていないけれど、必要とあらばリリスは殺すことをためらわないだろう。……人を殺すための剣を磨き上げるというのは、そうしなければ生き残れないような場所にずっと身を置き続けるという事に他ならないのだから。

 そんな殺伐とした環境の中で剣とともに研ぎ澄まされていった本能が、『魔術はもっと自由でいい』という結論をここに来て弾きだしている。……それならば、見つけた答えに全力を賭してみるのもまた一興――

「は……あああッ‼」

 足元から湧いてきた風を感じながら、リリスは強く地面を踏みつける。……それと同時、唐突に吹き上げた風が鍔迫り合いを演じていた二人の身体を大きく舞い上がらせた。

「う、お……ッ⁉」

 足元から予想外の干渉を受けたクラウスが体勢を崩し、リリスの剣に抗っていた力が僅かに緩む。……その風を生み出した張本人が、その隙を見逃すはずはなかった。

 全力で剣を振り抜いてクラウスを大きくのけぞらせ、それを最後に氷の剣を一時的に細かい粒へと変化させる。その間に氷の足場を空中に作り上げて体制を整えると、リリスはクラウスの胸元へと掌底を叩きこんだ。

「が、ふ……っ」

 確かな手ごたえとともに、クラウスの口元から息が漏れる。いくら防具を着こんでいようとも、綺麗に体重が乗ったその一撃を完全に防ぐことは不可能だろう。……だが、リリスはそこで手を止めない。

「……吹っ飛びなさい」

 間髪入れずリリスが詠唱を重ねると、クラウスの胴体を抉った手のひらから爆風が吹き荒れる。その風圧をもろに受けたクラウスの体は地面に向かって高速で落下し、衝突とともに砂煙を巻き上げた。

 それを確認する間もなく、リリスはパンパンと軽く手を二度打ち合わせる。……それとともに生み出された氷の槍たちは、地面に叩きつけられたクラウスに照準を合わせていた。

「そこでゆっくり眠ってなさい。……心配しないでもいいわ、一人ぐらいは参ってくれる人が居るかもしれないから」

 嘲りを多分に含んだ声とともに、氷の槍がクラウスへ向かって次々と差し向けられる。決して小さくない槍が次々と突き立てられて一つの塊となっていくその様は、まるで氷でできた墓標のようだ。

 青白い氷に覆いつくされて、すぐにクラウスの姿は見えなくなる。……リリスの予感通り、主導権を掴むことの意義はあまりにも大きすぎた。

「悪いけど、私たちも暇じゃないの。……早いところ、道を開けてもらうわよ」

 ゆっくりと地面に降り立って、リリスは少し離れたところに立っているカレンへと視線を向ける。当然油断できる相手ではないが、クラウスと比較すれば数段落ちる力量なのは間違いない。……だが、だからと言って見逃していい相手であるはずもないわけで。

 粒になっていた氷たちを再び剣の形へと変えて、リリスはゆったりと腰を落とす。……『双頭の獅子』との因縁に決着をつけるための一歩目を風魔術とともに踏み込もうとした、その時の事だった。

「……おいおい、これで終わりなんて悲しいこと言ってくれるなよ。こちとらお前たちを殺すためにずっとタイミングを伺い続けてたんだぜ?」

――氷の墓標の方から魔力の気配が膨れ上がり、同時に砕けた氷が無数の結晶になってきらきらと空気中に飛び散る。……予想外の現象とともに聞こえてきた声は、とてつもなく憎たらしい響きに満ちていて。

「あんな御大層な墓標、俺には五十年――いや、八十年は早えよ。……だから、今日のところはお前たちをあそこにぶち込んでやる」

 お前たちの死体を処理する手間も省けて助かるからな――と。

 戦意も殺意も鈍っていないことを表明するかのように、魔剣を手にしたクラウスは不敵に笑う。……その右目には、いつか見たような紅い光がぼんやりと明滅していた。
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