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第四章『因縁、交錯して』

第二百五十一話『強さの根源』

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 堂々とした立ち振る舞いに、残された三人の刺客たちが臆するかのように一歩だけ後ずさる。しかしその背中にはすでに扉が張り付いていて、これ以上の後退は不可能だ。退路を断って俺たちを追いつめられるはずだった位置取りは、かえって彼らを追いつめることになってしまっていた。

 当然扉を開ければ外に逃げ出すことはできるが、今のリリス相手に背中を向けるというのは致命的な行為だ。そのリスクを考えたうえで勇敢に行動できる者が、果たしてあの中にいるのかどうか。

「……す、ごい」

 一瞬にして形勢を覆してみせたリリスの後ろ姿に、バルエリスは感嘆の声を上げている。そういえば、対人戦の瞬間を目撃するのはこれが初めてだったな。……俺も初めて見た時はリリスのポテンシャルに度肝を抜かれたものだし、バルエリスがこれほど感激するのも納得できるというものだ。

 しかもこの戦いは二回の読み違えの末に発生した突発的な物だってあたりが、リリスのすごみをさらに増しているんだよな……。仲間を呼ばれるのは確かに俺たち全員にとっての想定外だし、そこから出口を塞がれたことも俺たちにとっては苦しさを増す要因の一つだった。……ただ、そこからリリスは実力と経験だけで状況を逆転させて見せたのだ。……まるで、おとぎ話か何かに語られる英雄かのように。

「……俺たちのエース、めちゃくちゃ強いだろ?」

「ええ、想像していた以上でしたわ。……これが、覚悟を決めた人の強さなんですのね」

 リリスの眼の前に作り上げられた二つの氷像を見つめながら、バルエリスはため息を漏らしながら呟く。……リリスの動きの根底にある考え方が何なのか、バルエリスにも見当がついているようだった。

「……仮にリリスさんと同じぐらいの力を得ていたのだとしても、わたくしはああやってできる気がしませんわ。きっと、どこかで無意識にブレーキをかけてしまう。……わたくしが今剣を振ることをためらわないでいられるのは、父さまが剣をなまくらにしてくれたからなのかもしれませんわ」

 そんなことにも気づかずにいただなんて――と、どこか自嘲気味な雰囲気を纏いながらバルエリスは言葉を続ける。その考え方自体は間違っていないが、そこでバルエリス自身を責めるのもまたお門違いだ。……生きた戦場の中にいない限り、そういう事への耐性なんて中々つけられるものじゃないんだから。

「大丈夫だよ、今それに気づけただけで上出来だ。……それに、何の理由もなく人を傷つけられるような人間になったら意味がないだろうしな」

 俺たちをかばうように立つリリスの背中を目で示しながら、俺はバルエリスにそんな言葉を贈る。リリスは氷の剣を刺客三人へと突き付けて、俺たちの命を脅かす敵に殺意を叩きつけていた。

 状況は一見拮抗しているように見えるが、これはただリリスが刺客に対して仕掛けていないだけだ。五対一でかろうじて釣り合っていたパワーバランスはとっくに崩壊しているし、主火力となるはずの二人があっけなく凍り付いたのを見て残された三人の戦意は完全に削ぎ落されているのが一目見ただけで分かる。……次にリリスが仕掛けようものなら、最低でも一人は戦線を離脱することになるだろう。

「……私たち、今は少しでも情報をかき集めたいと思っていたの。あなたたちは、貴重な情報源になってくれるのかしら?」

 体温を感じない冷たい声色で、リリスは交渉に見せかけた脅迫をまだ動ける三人に向かって投げかける。相手が何をしてこようと氷像になった二人は拷問するつもりだろうが、それでもまだリリス的に満足できる戦果ではないらしい。……相手側の仕掛けに対して、リリスは取れる限りのリターンを取ろうとしている。

「逃げられるんだったら逃げてもいいわよ。……その場合、あなたたちの仲間は死ぬよりも悲惨な目にあってから死ぬことになると思うけど。無言で連携が取れるぐらいの関係性はあるんだもの、流石に完全な他人ですってわけでもないわよね?」

 二つの氷像に手をかけながら、リリスはどこか楽しそうに言葉を重ね続ける。相手への威嚇の意味も込めた行動なのは分かっているが、それでも俺は背中に冷たいものを感じざるを得ない。ツバキほどではないにしてもリリスのことを深く知る俺でさえそうなのだから、敵対している三人がどう感じているかは推して知るべし、というもので。

「……ッ、ッッ‼」

 恐怖心の限界を迎えたのか、短剣を手にした刺客が唐突にくるりと身を翻す。そのまま目にもとまらぬ速さでドアノブに手をかけ、ガチャリと音を立てながら締め切られていた扉を開け放った。

 それを見たリリスはとっさに右手を天に掲げるが、その時にはすでに大楯持ちが前に出てリリスの攻撃を受け止める準備をしている。短剣持ちの行動はあくまできっかけで、撤退したいという気持ちは皆が持っていたという事なのだろう。

 それにリリスは歯噛みするが、いくらリリスでもドアが開くまでの短時間で盾持ちを突破する方法を持ち合わせているわけではない。すさまじい反応速度もむなしく、扉を開けた刺客はこの部屋を脱するべく前へと踏み出して――


「あーあー、やっぱりこうなるか。おっさん、今日はソファーで寝てたかったんだがなあ」


――やけにのんびりとした声が聞こえたと同時、茶髪の男が部屋の中へと乱入した。

 その手の中には、さっきこの部屋から脱出したはずの短剣持ちの刺客の姿がある。身動き一つとらずにただ担がれている姿は、まるで一瞬にして殺されてしまったかのようだった。

「……戦闘員の育成方法、もう少し考える必要があるのかもしれねえな……。少なくとも敵前逃亡をしねえぐらいには、勇敢さを身につけさせてやんねえと」

「昨日私たちから逃げたあなたが言っても説得力が欠片もないわね――アグニ・クラヴィティア」

 まるで独り言のように呟く男に対して、リリスは剣呑な声色でその名前を呼ぶ。――そこまで聞いて初めて、俺はこの男が転移魔術で現れたのだというごく当たり前の事実に気が付いた。

 この場に現れて言葉を発したその瞬間から、この男――アグニは徹底してこの部屋の異物だった。なのに、俺がその事実を認識できたのは出現からずいぶん時間が経った後だ。……もし気づくまでの間に転移魔術を使って奇襲されていたら、俺はなすすべもなく殺されていたかもしれない。

『ふざけた男』だと、アグニのことをリリスが評していたのを思い出す。確かにその態度はふざけていて、ここが戦場だという事を全く認識していないようだ。……だがしかし、本能はあの男に対して危険信号を打ち鳴らし続けている。……もう絶対に目を離してはいけないと、俺は直感的に確信していた。

「ああ、それに関しては役割の差だよ。おっさんの果たすべき役割は別にあるが、こいつらに与えられた役割はただ戦うことでしかねえ。……戦うしか選択肢のない駒が敵前で背中を見せるとか、教育失敗以外の何物でもねえだろ」

「……相変わらず、ふざけたことを言ってくれるわね。ちょうどいいから、あなたを三つ目の氷像にすることにするわ」

 ないないと言いたげに手をひらひら振るアグニに対して、リリスは苛立ちを隠すこともなく足踏みを繰り返す。その一足ごとに氷の蛇が生まれ、鎌首をもたげてアグニを見つめていた。

 よく見れば、その中のいくつかには影で形作られた蛇も混ざっている。リリスもツバキも、ここでアグニを討伐することに全力を尽くすようだ。

「凍り付きなさい。あなたの場合は、骨の髄まで」

 一瞬にして十を超える氷の蛇を作り出したリリスが、冷徹な声色で蛇たちに出撃を命じる。狭い室内であるという事もあって、地面を滑るようにはい寄ってくるそれはほぼ不可避とも言っていいだろう。

 だがしかし、それに対してアグニはただ愉快そうに笑うだけだ。くつくつと声を殺しながらではあるが、命を蝕む氷の蛇を見てアイツは確かに笑っている。……その光景は、どう見ても異常だとしか言いようがなくて――

「……悪いな、今日は嬢ちゃんたちとドンパチやりあいに来たわけじゃねえんだ。直接勝負がお望みなら、あと三日後とかにしてくれや」

――なんせな、おっさんは冷え性なんだぜ?

 そんなウソみたいな言葉を残してアグニの姿が眼の前から掻き消える瞬間を、俺はただ茫然と見つめることしかできなかった。……最初からアグニという男の存在自体が嘘だったんじゃないかと、到底あり得ない考えがやけに現実味を帯びて脳裏をよぎる。

 だが、それを否定するのは急にがらんとしてしまった室内だ。泡を吹いて倒れていたローブ姿の刺客も、銀色の鎧を身にまとっていた刺客も。――そして、氷像となった二人の刺客さえもこの部屋の中から消え去っていて。

「……リリス、今のが」

「ええ、あれがアグニ・クラヴィティアという男よ。……ふざけた術師でしょう?」

 俺の言わんとすることを分かっているかのように、リリスは少し力の抜けた声で答える。……唐突に発生した遭遇戦は、何の戦果も得られないままに幕を閉じた。
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