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第四章『因縁、交錯して』

第二百五十話『勢いの行きつく先』

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 何もないところから歩み出てきたそれは、少なくとも人型のシルエットをしていた。しかし、今ここに横たわっていた者たちと同じかと言われたら俺は首を横に振るだろう。そうすることにためらいがなくなってしまうぐらいに、敵は全身を装備で覆っていた。

「……一つ確認だけど、あれのうちのどれかがアグニってわけじゃないんだよな?」

「ええ、あんなにゴテゴテした装備はつけてなかったわ。……だけど、コレがアグニの魔術でどこからか送り込まれてきたことだけは確かでしょうね」

 銀色を基調とした鎧に全身を包む敵の姿を見つめながら、リリスは苛立ちを隠すことなく答える。その背後には冷気がすでに渦巻いていて、臨戦態勢はばっちりと言ったところか。

 だが、力量が読めないとはいえ相手は五人もいるのだ。今俺たちがいる部屋の広さならまだ人が入る余裕もあるだろうが、五人増えたことでさっきよりも動きづらさが増したのは間違いない。……それに加えて、今は俺とバルエリスを背後に背負った状態で戦わなくてはいけなかった。

「……ツバキ、貴女が足を止めずにいられる限界の支援を頂戴。できる限り最速で片を付けるわ」

「ああ、君に任せるよ。……この状況を打開しなくちゃ、その先のことを考えることだって難しいもんね」

 リリスの言葉に応えて、ツバキの手から伸びた影がリリスの全身に絡みつく。それが黒い鎧となってリリスに定着すると、銀色の鎧をまとう刺客との対照的な色合いがさらに際立つようだった。

 リリスの武装が完了するのを、刺客たちは剣や槍を構えながら注視している。何を仕掛けてくるか分からないリリスへの警戒度が単純に高いからなのか、転移魔術の影響から抜け出せていないだけなのか。……どちらにせよ、準備を整えるまでの時間を利用されなかったのは不幸中の幸いというべきだろう。

 だが、依然俺たちが苦しい状況であることに変わりはない。出口は敵の背中に隠れ、戦えるのは実質リリスだけ。バルエリスも見劣りはしないのかもしれないが、彼女がしっかり戦いに介入することがあるとすればそのころには俺たちは相当追い込まれていると言ってもいい。……結局のところ、またしてもリリスとツバキに負担をかける形になってしまうのだが――

「――氷よ」

 そんな俺の心配を吹き飛ばすかのように、冷静な口調でリリスは詠唱を開始する。……それに気が付いた刺客たちが構えたのと同時、リリスの頭上に無数の氷の弾丸が出現した。

 もはや遠慮なんてしている場合ではないと見たか、その先端はしっかりと研ぎ澄まされたものだ。リリスの中で絶対的な優先順位の存在が、部屋の保全という努力目標を完璧に蹴飛ばしている。

「楽して勝とうとした報いは、しっかり全部受け止めてもらうわよ。――あなたたちだけじゃなく、あなたたちをここに送り込んだ張本人にも」

 獰猛な笑みを浮かべて、リリスは現れた刺客たちに堂々と宣言する。……顔まですっぽりと覆われた鎧姿の刺客たちが、かちゃりと音を立てて一歩だけ後ずさった。

 そんな行動を許すわけもなく、リリスは威圧感を保ったまま一歩前へと踏み出す。……そして、手にした氷の剣にするすると影を絡ませると――

「……さあ、逃げられるものなら逃げてみなさい‼」

 どちらが襲撃者なのか分からないぐらいの勇ましい言葉を放って、氷の弾丸とともに刺客のもとへと突進する。もともとさして距離が開いていないこともプラスに働いて、相手が反応するよりも早くリリスは攻撃の体勢へと入った。

「は……ああああッ‼」

 影を纏った剣を振りかざし、一番近いところに立っていた短剣持ちの男へと眼にもとまらぬ速さで切りかかる。空中からはこれもまた即死級の弾丸が迫っていることもあって完全な防御はかなり難しいこの攻撃は、リリスが持つ伝家の宝刀と言っていいだろう。

 本人はいともたやすくやって見せているが、普通の冒険者からしたらそれもまたすごいことなのだ。近接戦闘と遠距離魔術という二つの違う行為を同時に行っていくためにはそれなりの修練がいるし、それができないままの王都の冒険者だって決して少なくない。

 つまり、対人戦において魔術と直接攻撃が同時に到来することなどなかなかない事なのだ。経験がないという事は、それすなわちどう防げばいいかをとっさに導き出しづらい攻撃という事でもあるわけで――

「……ち、いっ」

「……ッ‼」

 故にこそ効果的だと思っていたリリスの先制攻撃は、しかしとっさに前へと踏み込んだ二人の刺客によって完全に防ぎ切られる。両手でなければ振るえないような大きさの槍がリリスの一閃を真っ向から受け止め、頭上から降り注ぐような形で展開された氷の弾丸たちも刺客のうちの一人が携えていた大盾によって受け止められていた。

 躊躇することなく両手で盾を構えているところを見ると、五人いるうちの一人はあの大盾だけを装備してこの部屋に来ているのだろう。冒険者パーティで言う所のタンク職がしっかり割り振られているあたり、相手もただシンプルな力押し一辺倒でリリスを倒しに来ているわけではなさそうだった。

「……誰が誰だか分からなくなるような同じ見た目しているのに、連携だけはしっかりと取れるのね。――厄介だと思うわ、心から」

 不愉快そうに歯噛みして、リリスは受け止められた剣を氷の粒へと戻す。そうすることで槍と拮抗している現状をリセットし、迅速に距離を取って次の攻撃へと移ることができる――のだが、その過程をただ指を加えて見守ってくれるほど相手は優しい存在ではなかった。

 むしろ盾持ちが飛び道具からの防御を完璧にこなしたことで、初めに近接攻撃のターゲットとなった短剣持ちとそれを受け止めた槍持ち以外の二人は攻撃準備にのみその時間を使えている。……そして、その二人が持っている武器もまたリリスにとって面倒なものだ。

「……ほんと、デザイン性に欠ける武器ね。もう少し洗練しようとか考えなかったの?」

 防御部隊と入れ替わるようにしてリリスへと突進してくる攻撃隊二人が手にする武装に、リリスは思わず悪態をつく。鈍い銀色をしたそれは、かろうじてハンマーと呼ぶのが一番近いような代物だった。

 どう考えたって切ることを目的とした武装ではないし、切ろうとして叩きつければ先に対象が押し潰されてしまうのが目に見えている。それはある意味鈍らだと言ってよかったが、だからと言って殺傷力が落ちているわけでは決してなかった。

 いくら影の武装があるのだとしても、あれの直撃を食らって無傷でいることは不可能だ。最低でもどこかしらの骨が砕けるのは容易に想像できるし、なんなら剣での一撃をもらう以上にひどい負傷を負う可能性だって十分に考えられる。……万全を期すならば、この二人からの攻撃はすべて躱しきるのが必須条件になるだろう。

 一対一ならばそれもリリスにとって難しいことではないが、今の状況はとことんリリスに逆風だ。ハンマーに比べて上回っているスピードもこの狭い部屋では出し切れないうえに、二人が同時にハンマーを振り回してくる。そこに加えて今下がっている刺客もいつ攻撃に転じて来るかもわからないとなれば、いかにリリスとて避け続けるには限界があるというものだ。

 つまり、どこかでリリスはリスク承知で大きな勝負手を打つ必要がある。そのことはリリス自身も理解しているだろうし、相手ももしかしたら分かったうえで突っ込んできているかもしれない。……となれば、後はリリスの戦闘経験が相手の想像を上回れているかどうかにこの局面の趨勢はかかっているのだが――

「……分からないものよね、戦いの勢いって」

 俺の考えが結論に着地するよりも早く、リリスは軽やかにステップを踏み始める。踊るようなそれに導かれて足元に氷の蛇が生み出されたのだが、リリスに向かって真っすぐ突進してくる二人はそれに気づいていない。

 というか、それもよく考えれば当たり前の話なのだ。普通の魔術師は、足踏みを起点として魔術を展開したりなんかしない。リリスの芸当に見慣れてしまった俺たちがおかしいだけで、普通はそんなところから攻撃が飛んでくるだなんて想像もしないのだ。……そして、想像できないことに対応できる道理なんてないわけで。

「「……ッ⁉」」

 足元に迫る冷気でやっとそれに気づいたのか、驚いたような息を漏らして二人はくるぶしに絡みつく氷の蛇をようやく認識する。……だが、その時にはもう手遅れだ。リリスの氷は既に絡みつき、二人を決して離さない。リリス・アーガストという魔術師の力量を甘く見てしまった時点で、すでに二人の運命は決している。

「つかんだと思って夢中で攻めようとすると、嘘みたいに手元から離れて行くんだもの。……ちょうど私も、それと似たような経験を少し前にしたばかりなのよね」

 足元を覆った氷は急速に刺客二人の全身へと広がり、瞬く間に白銀の氷像が部屋の中に二つ作り上げられる。死んではいないだろうが、この状態で戦闘することは間違いなく不可能だ。

「……さて、次にかかってくるのは誰なのかしら?」

 氷像を一瞥してから、リリスはドア付近に下がっていた三人へと不敵な視線を投げかける。その表情にすでに焦りはなく、最初から計画通りだったとでも言いたげに戦場へと変わったこの部屋を支配している。――リリスが発するひんやりとした威圧感が、その背中に隠れる俺の首筋を優しく撫でた。
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