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第四章『因縁、交錯して』

第二百三十話『逃れられないあっけなさ』

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「は、え?」

 突然の剣呑な叫び声にバルエリスはキョトンとした声を上げ、その直後にリリスに突き飛ばされる形で揃って地面に転がり込む。……ドスンと音を立てて転がった二人の頭上を、両側から飛来した二本の矢が通り過ぎて行った。

 そのまま突っ立っていれば、その矢は正確にバルエリスの首筋を捉えていただろう。……目で追うのがやっとだったほどの速度で飛来したそれを察知、ましてや回避できる人間など、冒険者であっても数えるほどしかいないような気がした。

「……何とか、間に合ったわね。まったく悪趣味なことをしてくれるわ」

 裾についた土ぼこりを払いながら立ち上がったリリスが、憎々しげな表情を浮かべながら矢が飛んできた壁の方を見やる。……そこには、ボウガンのような武器がひっそりとその照準を俺たちに向けていた。

「……リリスさん、今のは……?」

「十中八九罠でしょうね。壁に仕込んでおいたボウガンを隠蔽術式で隠して、この扉を開けた瞬間に作動するように仕向ける。隠蔽術式のために使っていた魔力をそのまま矢の速度向上に充てるとかいう無駄に器用な工夫もされてるし、明らかに殺意のこもった仕掛けだわ」

 未だ呆然としているバルエリスの問いかけに、リリスは淡々と答えを返す。それを聞けば、リリスだけが異変にいち早く気づくことができたのも納得というものだった。

 隠蔽術式が解け、矢の加速に魔力が転用されるその一瞬の気配を察知し、リリスはとっさに地面を蹴ったのだろう。リリスの魔力感知がフルで使えるこの状況だったからこそ、バルエリスは無傷でいられたようなものだ。

 当のバルエリスはと言えば、いまだ立ち上がることもできずに呆然としている。……数秒前まで自分に死が迫っていたことを思えば、それを責めることはできないんだけどさ。

「……まあ、これで状況がはっきりしたことだけは朗報だね。……こんな仕掛け、古城にもともと備え付けられてるものじゃないだろう?」

「そうだとしたら品位を疑うわよ。……面倒な話だけど、この城を使って何かをしようとする賊がいるのはもう決定的とみてもいいでしょうね」

 バルエリスのことをいったん置いておくような形で、リリスとツバキは淡々と言葉を交わす。たった今一つの死を切り抜けたとは思えない冷静さが、今までにくぐってきた死線の量を物語っているかのようだ。

 リリスにしたって動揺を見せたのは一瞬だけだし、ツバキは二人の無事を確認した瞬間に状況の分析に入ってたわけだもんな……。切り替えが早いというか、感情とやるべきことの切り離しが完璧というか。……こればかりは、冒険者よりもよほど過酷な環境にいた二人だからこそのものだとしか言いようがないだろう。

「……今お前たちがこの仕掛けを作動してなかったら、パーティに参加した誰かがこの罠にかかってた可能性もあるわけだもんな。……とてもじゃないけど、一般人に反応できるもんじゃないだろ」

「もちろんそうね。……というか、それに関してはバルエリスが動けなかった時点で確実でしょ。私が気づいたのも妙な魔力の気配がしたからだし、ボウガンの作動する音は一切聞こえなかった。……私のようなエルフでもない限り、気が付くことすらできないまま首に穴が開くでしょうね」

 首筋に人差し指を突き立てて見せながら、リリスはそんな恐ろしい未来予想図を語る。しかしその表現には一切の誇張がなく、ただ事実だけが並べ立てられていた。

 きっと俺たちの中でも、この罠を回避できるのはリリスだけだっただろう。俺は確実に気づくことができないし、ツバキにしても魔力を感知できるリリスと比較するとどうしても察知は遅れる。……だから、バルエリスが気づけなくても何も恥ずべきことではないのだ。

 ないの、だが――

「……今、わたくし……」

 体を小刻みに震わせながら、バルエリスはうわごとのようにそう繰り返している。ダンジョン探索はしたことがないって話だし、こんなにもあっけなく死ぬ可能性があることを考えてもいなかったのかもしれない。……まあ、この罠はダンジョンにあってもなお恐ろしいぐらいの代物ではあるのだが。

 今この場に至るまで、バルエリスがどんな修練を積んできたのかは分からない。だが、こんなに直接的でかつあっけない死の可能性に触れる機会はなかったのだろう。まるで毒を呷ってしまったときのような、手ごたえも何もなく死が訪れるような感覚なんて。

 冒険者に限った話ではあるが、彼らが死んだり引退に追い込まれたりする原因は半分が魔物の暴威によるものだ。だが、もう半分はそれですらない。ダンジョンの仕掛けや仲間割れなど、冒険者の半分は魔物に敗北するわけでもなくこの世界を去っていく。……それは、冒険者として生きてみなければ分からない暗闇のようなものだ。

 騎士らしい誇り高い終わりではなく、こんなあっけない落命の可能性を目の当たりにしたバルエリスは、今何を考えているのだろうか。……その気高い在り方を、推し量ることは難しい。

「なあ、バルエリス様――」

 それでもどうにか歩み寄ろうとして、俺は手を伸ばしながらバルエリスへと歩み寄る。いま彼女の心にはどんな思いが浮かんでいるのか、その表面だけでも掬いあげたくて。だから、その手を取ろうとして――

「――マルク、そのまま下がってなさい。できる限り、私の後ろを通る感じで」

――リリスが発した剣呑な声によって、その思いもまた先送りになった。

 その直後にリリスは腕を勢い良く振り抜き、それを合図にして展開された氷の盾が上空から飛来してきた『何か』を遮る。甲高い衝突音とともに氷の盾にひびが入るのを見て、リリスは小さく舌打ちをした。

「……隠密の次は狙撃か。……これは、思ってた以上に陰湿ね」

「ああ、そうみたいだね。……それにしては、ずいぶんと力任せに走るのが早い連中のような気もするけどさ」

 ひっそりとリリスの手足に影を纏わせながら、ツバキはリリスの言葉に応える。今度はツバキにも襲撃者の居所が分かったのか、リリスとおなじところを睨んでいた。

「ツバキ、この際だからまとめて排除しに行くわ。ついてきてくれるわよね?」

「ああ、当然さ。君に支援がすぐ届かないのはいろいろと不安だからね」

 臨戦態勢にすぐに切り替え、リリスとツバキは戦闘に移行する意思を固める。俺たちにはまだ姿形すらも見えていない敵の姿を明確に捉え、そのうえ殲滅する覚悟も固まっている。……それは、朗らかなやり取りを交わしていた時とはまるで別人のような変化で。

「わたくし……わたくしの、やってきたことは……」

 差し伸べられた俺の手を弱々しく取りながら、バルエリスはうわごとのようにそう繰り返す。明らかに力が入っていないその体を引っ張り上げながら、俺は努めていつも通りに言葉を紡いだ。

「……バルエリス、これが戦いだよ。いつだってあっけなく命を落とすかもしれなくて、一秒先には常に死の可能性が転がってる。……英雄的な戦いも死に方も、そうしたいと望んで中々できることじゃない」

 どれだけ大地を飛ぶように走れても、それで地面の小石に躓く可能性が完全に消せたわけじゃない。それと同じようなもので、どれだけ強くなってもあっけない死というものからは離れられないのだ。……不老不死を否定した俺たちは、それと真正面から向き合わなくちゃいけない。

「……そう、でしたのね」

 俺の手をつかむ力を強めながら、バルエリスは俺に引っ張られるまま歩いている。その心にどんな思いが生まれているのか、俺に全てを推し量ることはきっとできないのだろう。俺にできるのは、その失意のままで彼女が終わらない様に少しでも守ることだけで――

「……二人とも、信じてるぞ」

 戦いに赴く二人の背中に、俺は万感の思いを込めてそんな言葉を投げかける。……すると、氷の盾を展開しながらリリスはゆっくりと振り向いた。

「ええ、貴方の期待に応えてくるわ。……それと、バルエリス」

「……っ、はい……?」

 頷きの後に突然名前を呼ばれて、バルエリスはわずかに身を震わせる。そこにあるのは、恐怖の感情なのだろうか。高い目標を掲げながら、いざ眼の前の死に直面すると震えることしかできない自分への、自責の念なのだろうか。……しかし、リリスが発したのはそのどちらの感情にもつながるものではなかった。

「……よく見て、聞いておきなさい。私たちが、どんな風に戦っているかを」

「……見て、聞く……?」

「ええ、そうすればよく分かるはずよ。……まあ、出せるヒントはここまでだけど」

 どこか突き放すような口調で最後を締めくくって、リリスはまたくるりと正面を向く。……そして、話している間の背後を守っていた氷の盾を分解して槍へと作り替えると――

「行くわよ、ツバキ」

「ああ。……こんな卑怯者相手に、成功体験を与えるわけにはいかないよね」

 ツバキの手を取って、リリスは軽やかに床を蹴り飛ばす。……力感のない姿勢だったにもかかわらず、二人の姿はすぐに俺たちの視界から外れてしまった。
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