上 下
176 / 583
第三章『叡智を求める者』

第百七十五話『痩せた体を蝕んで』

しおりを挟む
「……変な手触りだな、これ」

「そうだね。いかにもこの双子専用みたいなつくりをしてるし、一応回収だけはしておこうか」

 妙に滑らかな表面を不思議がりながら、俺とツバキは男がまとっていた黒いローブを手際よく脱がせる。その背後では、ノアとリリスがヴィータの白いローブをはぎ取っていた。

 このローブ以外何も身に着けていなかったら気まずい空気が流れるところだったが、奪い取ったローブの下から普段着らしきものが現れたことでその心配も杞憂に終わる。ずいぶんと着古された様子の上着の袖からは、ほ飛んど骨と皮だけといってもいいほどの細さをした腕が覗いていた。

「……この腕から、一時的とはいえリリスを押し込めるだけの筋力が発揮されていたのか。……呪印の仕業なんだろうけど、侮れないと言わざるを得ないね」

「そうだな。村の連中が使うのはもう少し陰湿な術式だと思ってたけど、こういう単純な術式もあるにはあるってわけだ」

 強く握ればそのまま折れてしまいそうな細腕をまじまじと観察しながら、俺とツバキは言葉を交わす。血色がいいとは言えない色白な肌には、いくつもの線が不規則に刻まれていた。

 今は光っていないから発動していないのだろうが、戦闘となればこれらの呪印を総動員して戦っていくことになるのだろう。ダンジョンに残された技術と比べれば見劣りするとは言えど、その信仰者たちが模倣した呪印もなかなかの技術を誇っているようだ。

「……ま、奪命の呪印を模倣してないだけまだマシかもしれねえけどな」

「ああ、それは間違いないね。あれを初見で相手するのは、いくらボクとリリスでも厳しいものがあるよ」

 肩を竦めつつ付け加えた俺に、ツバキもまた苦笑で応じる。その想像が現実になってしまったとき、俺たちに勝ち目があるとは到底考えられなかった。

 もし仮に村人全員が奪命の呪印を使えていたら、俺たちは誰かに一度触れられただけで即死することになるわけだからな……。そうなってしまう可能性が僅かでもあったことを思えば、真っ向勝負に持ち込んでくれるだけ双子はまだ温情深いのかもしれない。

「……というか、この人たちにも奪命の呪印は刻まれてるのか。これの真実、この双子は知ってるのかな?」

「知らない――って言いたいけど、アイツらの信仰をを考えるとそうも言いきれないのが恐ろしいな。『俗人の身で聖地に長居するのは許されない』とか言えば美化することも不可能じゃないし」

 左手首を見つめながらつぶやいたツバキに、俺はため息をつきながら答える。そんな俺たちの左手首にも同じように刻まれた呪印は、青から紫色へと少しずつ色を変えつつあった。

 時間経過的にもそろそろセーフルームの探索に入りたいところだが、かといって二人を置いて探索を続けるわけにもいかない。ギリギリまで有益な情報を拾うために手を尽くすというのが、俺たちに与えられたせめてもの落としどころだった。

「……儀式って、はっきり言ってたもんな」

「そうだね、ボクもこの耳ではっきりと聞いたよ。……この二人は儀式の邪魔をしたボクたちに襲い掛かっただけで、襲撃のためにここにきているわけじゃない」

 男の体を調べながら、俺とツバキは噛み締めるようにその事実を確認する。二人が進めようとした儀式の全貌は知る由もないが、最初棚の陰に隠れていたヴィータが何かしらを進めていたと考えるのが自然な話だろう。……それがわかってしまっている以上、ここで双子を見逃すという選択肢は完全に消滅しているのだ。

「狂った村長と、それに付き従う右腕。そんな人たちが行う儀式なんて、ボクたちにとってロクでもないものに決まってるからね。正直なところ、このまま時間切れまで寝ててくれてもいいんだけどね」

「ああ、それもそれで間違いねえな。聞き出せないことも増えるし、その分探索は進めなきゃいけなくなるが」

 本来の目的から逸れることになるとはいえ、時間切れで二人の命が奪われるのが穏便な結末のうちに入ることは間違いない。儀式とわざわざ銘打たれている以上、それなりの手順は踏まなくちゃいけないはずだしな。一時中止ってこいつも口にしてたし、そのまま一生再始動しなければそれはそれでありがたい話だった。

 そんなことを言いながら、俺は男から上下の肌着以外のすべてを男から剥ぎ取る。普段は服で隠れているところにも夥しい数の呪印が刻まれていて、俺は思わず顔をしかめた。

 この調子だと、本当に隙間なく全身に呪印が刻まれてるんだろうな……ツバキもいる手前全裸になるまで剥く気にはなれないが、都合よくそういう場所だけ刻まれていないと考える方がおかしいだろう。

「……というか、その手のことがこの村で起こってるのも想像がつかねえしな」

「想像するだけ下世話な話ではあるけどね。……仮にそういう欲求も全部狂信に塗りつぶされてるんだとしたら、おぞましい話だよ」

 何を指して話しているのかはあえてぼかしたのだが、目ざとく悟ったらしいツバキが皮肉るように俺の言葉に同調する。いつも通りの鋭さに思わず苦笑しながら、俺は男の右腕に手を触れた。

――これほどの量だとは思わなかったが、双子の体に呪印が刻まれていること自体は想定通りだ。少なくとも洗脳の呪印があることはノアから聞いていたし、呪印が刻まれていないとおかしいと思えるくらいの変化もあったしな。

 呪印術式が刻まれているということは、こいつらの魔術神経も俺たちの左手首と同じように何らかの異常に侵されていることになる。修復術を使ってその状況に何らかの干渉を行えないかというのが、俺がわざわざ分担して分析することを持ち掛けたきっかけだった。

 修復術は、『魔術神経を正しい形へと戻す』ための術式だ。そして、呪印が刻まれた状態は明らかに正しい形から逸脱していると言ってもいい。どれだけのリスクがあるかわからない以上いきなり俺やリリスの体で試すことは流石にできなかったが、もしそれが可能なら修復術は呪印術式に対しての強烈なカウンターになりうる可能性があった。

 修復術のことを知らないノアからしたら、呪印に対しての知識に乏しい俺たちが分担を持ち掛けるなんて意味が分からなかっただろう。事実ノアは一瞬俺の提案に難色を示していたが、『いつ目覚めるかわからないし、手早くやること自体は悪い事じゃないわ』というリリスの言葉が決定打だった。俺の意図は伝えていなかったはずなのだが、本当に察しのいい奴らだ。

 今俺の隣に腰を下ろしているツバキも、何も聞くことなく俺の方を見つめている。その視線から信頼をひしひしと感じながら、俺はゆっくりと目をつむった。

「……頼むから、有益なものであってくれよ」

 修復術を使う体制に入りながら、俺は祈るようにそう呟く。わざわざ気絶で終わらせた意味を少しでも多く持ち帰るのが、今の俺の最優先事項だ。仮にこのまま目覚めないで時間切れを迎えることになったのだとしても、もらえるものはもらって帰らないとな。

 俺の手を通じて魔力を男の体の中に通し、魔術神経の情報を読み取りにかかる。ほどなくして、男の体内の状況が俺の瞼の裏に浮かび上がってきて――

「……うっ、ぷ」

――吐き気を催すほどにおぞましい事態になっていた魔術神経を目の当たりにした俺は、思わず口を押さえた。胃の奥からせりあがってきたものを抑え込もうとして、呼吸が苦しくなる。

「マルク、大丈夫かい⁉ まさかあいつら、こうなることも見越して何らかの術式を仕込んでいたんじゃ――」

 口を押えて前かがみになる俺の背中をさすりながら、ツバキは一つの可能性を提示する。場合によってはそれもあり得ない話ではなかったが、俺はゆっくりと首を振った。

「……いや、そういうわけじゃない。……俺の予想以上に、こいつの魔術神経がやばかっただけだ」

 リリスや俺の体内で感じた靄のような感覚がまだ優しいものであったと思えるくらいに、男の魔術神経は呪印によって好き放題に弄られてしまっている。頭部と下半身の魔術神経が無理やり接続されていたり、本来あるべき魔力の経路を呪印が形成した偽りの魔術神経が上書きしてしまっていたり。……ウェルハルトがのたまった『疑似魔術神経』なんて概念も、この冒涜的な術式を前にすれば可愛いものでしかない。あれはまだ、魔術神経を再現しようという気概だけはあったのだから。

「……寄生虫なんて、そんなやわな存在じゃねえ。呪印術式は、魔術神経に対する侵略者そのものだよ」

 せりあがってきたものを胃の底へと押し戻しながら、俺は吐き捨てるようにそう呟く。――吐き気すらも凌駕してしまえるくらいの激情が、状況を理解した俺の脳内を駆け巡っていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界転移で生産と魔法チートで誰にも縛られず自由に暮らします!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:305pt お気に入り:2,450

【BL】えろ短編集【R18】

BL / 連載中 24h.ポイント:85pt お気に入り:153

ざまぁから始まるモブの成り上がり!〜現実とゲームは違うのだよ!〜

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:401

【R18】俺とましろの調教性活。

BL / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:558

処理中です...